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第二話
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 漢文を読むと一口に言っても、高校までの授業では句読点や返り点、送り仮名がついた漢文を読むことがほとんどだと思います。返り点の文法さえマスターしてしまえば、これらを読むのにそれほどの苦労はないでしょう。問題なのは、しばしば漢文のテストに顔を出しますが、返り点などのついていない白文(はくぶん)と言われるものだと思います。

 白文という場合、厳密には句読点すらついていないものを指すのでしょうが、我々日本人の場合、中国の書籍・新聞など、句読点はついているけれど、返り点もなければ送り仮名もついていない文章にもかなりてこずるでしょうから、ここではそれも含めておきます。

 白文を前にして、こうすればスラスラ読める、なんて魔法みたい方法はありません。結局はその人のセンスによるのでしょうが、センスを高める、あるいはセンスを磨くには、誰もが言うように、これまでの読書で培った知識が役に立ちます。少し前の日本人であれば、『論語』や『孟子』に慣れ親しんでいて、その訓読の一節を暗誦されている方もいるでしょう。そういった訓読文を読んだ経験というのが、白文を前にした時に役に立つのです。日本の古典作品が好きな人ならば、漢文訓読の文法は基本的には古文の文法ですから、比較的なじみやすいと思います。ただ、漢文には漢文特有の言葉遣いや語彙がありますから、多少の慣れは必要になります。

 では、どうやってそういった文章に慣れるのか。 簡単なのは各出版社から出ている文庫です。「中国古典叢書内容簡介」というページを作りましたが、これで各社の文庫に収録されている中国古典がわかります。多くの場合、日本語訳だけでなく、原文や訓読文が載っていますので、それらも併せて読むようにすれば、訓読文にも慣れることができるでしょう。

 例えば『論語』などは、多くの文庫に収録されていますし、大型の<中国古典全集>的なシリーズでも必ず収録されている古典ですが、いくつかの訓読を読み比べると、かなり差があることに気づくと思います。『論語』ほど日本人に読まれた中国古典はないと思いますが、その『論語』ですら、否、それほど多く読まれてきたからこそ、何通りもの訓読があるのです。このことは慣れない人には却って混乱を招くだけかもしれませんが、そうではなく、読み方は必ずしも一通りではないということを覚えておいてください。

 もちろん、どんな読み方をしても正しいわけではありません。そのために漢文法というものがあります。ただ、「こういう読み方もできるのではないか」と考えながら古典を読むことは、一つの答えだけが正解とされる受験勉強と違う楽しみではないでしょうか? まずは『論語』の巻頭「学びて時に之を習う」の章を読み比べてみてください。
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