Rockfield's Diary
染井吉野ナンシーの官能ダイアリー
読書の季節感
今日で四月も終わりというタイミングで『十二月の十日
』を読了。一風変わった短篇集でした。
スッとストーリーに入っていける作品と、これはいったいどういう世界なんだと首をひねり、なかなか作品に入り込みづらいものとがありました。しかし、何とも言えない読後感。よい意味で後味の悪さを感じました。
特に「SG飾り」って何なのよ? 訳者あとがきでは、著者はそれを夢に見た情景から描いたようなことが述べられていましたが、あたしが読みながら頭の中にイメージしていたもので合っているのでしょうか?
それにしても、何の疑問も持たずにこういったものを飾っている人びとの感覚、恐ろしいですね。主人公の子供たちの感性が救いにはなっていますが……
さらに、春真っ盛り、いや各地で既に夏日を記録する日も訪れているこの季節に『秋
』も読了。
主人公を巡る、さまざまなつながりと分断の物語ですね。コロナウイルスで自粛生活を余儀なくされ、なんとかそれを楽しもうとしている人も多いですが、「自粛警察」なる人びとの溝をニュースなどで見るにつけ、主人公のイライラ、焦燥感が身近に迫ってきます。
でも、溝って、結局溝の底まで降りていけば繋がっているわけですよね。決して別々ではなく否応なく繋がっている、切ろうとしても切れないつながり、そんなところが主人公のイライラの原因でもあるのでしょう。そして、現在の一部の日本人の。
タピる
昨晩のデザート、明治エッセルスーパーカップアイス、その「タピオカ紅茶ラテ」フレーバーです。
タピオカミルクティーが大流行ですが、それを取り入れたわけですね。しかし、タピオカミルクティーはいまも流行っているのでしょうか? それとももう下火でしょうか? まあ、そもそも今回のブームが三回目だとかいう話ですから……
あたしは、たぶん二回目のブームの時だったかに中国で飲みました。場所は上海だったかしら? あるいは香港だったか? 記憶が曖昧で思い出せませんが、とにかく当時現地で流行っているというので飲んだ記憶があります。
さて、エッセルのアイスはそのタピオカミルクティーをアイスに仕立てたものです。食べてみた印象は確かに紅茶を食べているような感じです。
真ん中に挟まっている黒みつソースはちょっとグミのような感じでしたが、たぶんタピオカなのでしょう。あの独特の食感が苦手という人もいると思いますが、タピオカミルクティーが好きな人には美味しく感じられるのではないでしょうか?
ただ、やはりスーパーカップというように、なかなかのボリュームです。今回は一回で食べてしまいましたが、いつものあたしであれば、二回か三回に分けて食べるような量ですね。
短篇集収録作品の一つです
今朝の朝日新聞です。「折々のことば」で韓国の作家ハン・ガンの作品が引用されていました。
しかし出典をよく見ると『明るくなる前に』ではなく「明るくなる前に」となっています。つまり書名ではないということです。ということは、短篇集や中編集など何編か収録された書物の一篇だろう、あるいは雑誌に発表されたものか……
と予想をつけて、あたしの勤務先から出ているハン・ガンの『回復する人間』の巻頭を飾る一編が「明るくなる前に」でした。
ハン・ガンの作品はいくつも邦訳されていますが、本書は短篇集ですので取っ付きやすいと思います。外出自粛のいま、自宅読書の時間の相手に如何でしょうか?
意外な盲点
あたしの部屋に掛かっている壁掛けカレンダーです。
写真がきれいなので選んだのですが、最近使っていて非常に使いづらいと感じるようになりました。何が使いづらいのかわかりますか?
今日は4月の29日なので、ちょうど5月にめくったところですが、だからこそ使いづらさが目立つようになりました。そうです、このカレンダー、月初めや月末に前の月、次の月の日付が入っていないのです。
デザイン性重視のカレンダーですとこういうタイプはよくあると思いますし、これまでもそれほど気に留めていませんでした。しかし、在宅ワークの時間が多くなり、月跨ぎの時季にカレンダーで日付を確認しようとしたときに非常に不便であることに気づきました。やはり小さい文字でも構わないので、該当月以外の日付も印刷して欲しいと思いました。
カレンダーなので使うと言うよりも見ると言った方が正確ですが、こういう日用品って、ささやかなところではありますが、痒いところに手が届く必要がありますね。改めて思い知った次第です。
確か買ってあったような……
本日の朝日新聞に載っていた広告です。CSの衛星劇場で来月から中国時代劇「鬼谷子」がスタートするというお知らせです。
鬼谷子ってご存じでしょうか? 実在すら疑わしい、中国古代の思想家です。諸子百家の一人と言えばそうなのですが、現在伝わっている『鬼谷子』という書物も、伝説の鬼谷子に名を借りた後世の作品です。そもそも、中国古代史などに造詣が深い人であれば知っているかも知れませんが、一般の方にはほとんど知られていない歴史上の人物になります。
そんな鬼谷子の生涯を描いたドラマ、中国で作られるのはよいとして、それが日本のCS放送で放映されるなんて、ちょっと驚きです。もちろん、あたしのような中国史好きにとっては狂喜乱舞のことですが、は多々して一般の視聴者の受け止め方はどうなのでしょう?
ちなみに、『鬼谷子』は日本ではまとまった翻訳は出ていなかったと思います。中国でも『論語』や『老子』『史記』『三国志』といったメジャーな古典に比べあまりにもマイナーすぎて、原書と呼ばれるものも出版されていなかったと思います。
その後は、ポツリポツリと現代中国語訳や注釈などを加えたものが中国大陸で出版されるようになりましたが、数はそれほど多いとはいなかったと思います。マイナーだからこそ、これから研究を進める伸び代があるとも言えますが、研究を進めるほどの材料が揃っているのか否か……
かくいうあたしも、以前、そんな現代中国語訳の『鬼谷子』を買っていたはずなのですが、書架を見ても見つかりません。どこかへ紛れ込んでしまったのか、あるいは買ったと思ったのはあたしの思い込みで、実際には購入していなかったのか……