今日の配本(25/04/17)

砕かれた四月

イスマイル・カダレ 著/平岡敦 訳

20世紀初頭のアルバニア。高地を司る掟に従い死を待つ若い男と、土地を訪れた新妻とが、言葉も交わさぬままに運命を交錯させてゆく。

偶像の黄昏/アンチクリスト

ニーチェ 著/西尾幹二 訳

ニーチェ最晩年に書かれ、彼の否定の系譜をたどる二作品を収録。キリスト教世界における神、真理、道徳、救済を否定し、ソクラテス、プラトン、カントを否定し、いま生きる現実と身体の価値を見つめなおす、いわばニーチェによるニーチェ思想の概説書。

今回は薄いですが……

人文会の機関誌『人文会ニュース』の最新号である149号が出来上がりました。ここ数年は年に三回発行するルーティンになっていますが、今号は研修報告や会務報告がないので、最近では最も薄い『人文会ニュース』になりました。

とはいえ、ページ数が薄くとも内容が薄くなっているわけではありません。今年生誕150年のユングをテーマとした「15分で読む」は力の入ったものになりましたし、図書館レポートの上智大学中世思想研究所は専門の方以外にはあまり知られていない研究施設ではないでしょうか。そういうものを紹介できたのは非常によかったと思っています。

ちなみに「編集者が語る」は、あたしの勤務先から出ている「ロシア語文学のミノタウロスたち」シリーズについてです。シリーズの中では『穴持たずども』が異例のヒット作となり、海外文学ファンの間で話題になったのを覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

そんな風にあたしの勤務先は多くの海外文学作品の邦訳を刊行していますが、その一方で海外文学のベースである外国語の学習書も負けず劣らずたくさんの種類を刊行しています。ですから、街中で外国語の看板や掲示物を見ると気になってしまいがちです。

横浜の伊勢佐木町で見かけたこんな掲示も、ついつい写真に収めてしまいたくなるのは職業病でしょうか。これは横浜吉田中学校の校舎です。そこに「あいさつはとても素敵な共通言語」として日本語のほか、英語、中国語で「おはよう」と書かれています。

右下の「Magandang umaga」がたぶん東南アジアの言葉だろうなあとは思ったものの、具体的にどこの言葉かわかりませんでした。帰宅後に調べてみたところフィリピノ語でした。編集部時代にマレー語とベトナム語の本を担当したことがあり、それとはちょっと違うなあと思っていたのですが、フィリピノ語だったわけです。

これがタイやカンボジア、ミャンマーだと、また面白い文字で表記され、それはそれで楽しい掲示になったことでしょう。それにしても韓国語がないのが不思議ですね。この中学校の児童の構成比から、これらの言葉が選ばれたのでしょうか?

脈絡がなさすぎる?

今月のちくま新書、あたしはこの二点を落手しました。

一方は昆虫の本、もう一方は語学。これを同じ人間が買うということはよくあることなのか、あまりないことなのか、あたしにはよくわかりません。ただ、こういう購入の仕方をネット書店ですると「この本を購入した人はこんな本も購入しています」と勧められがちです。

ちくま新書ファンであれば、そのまま購入に結びつくでしょうが、昆虫が好きな人が『英語と明治維新』を買うとは思えませんし、その逆も同様でしょう。

でも、広い世間にはあたしと同じような嗜好を持っている人もそれなりの人数がいるのではないかと思っています。

洋服のタグはどうして左側に付いているのでしょうか?

前にも、このダイアリーで書いたことがあると思うのですが、あたしはショウガが苦手です。お寿司のガリはちょっとはつまみますが、料理に使われている生姜がどうしても苦手です。ショウガの使われている料理を、それと知らずに口にすると切ない気分になります。

当然の豚のショウガ焼きは天敵と言ってもよい料理の最右翼です。その他にもいろいろな料理、特に肉料理にはショウガが使われがちです。最近ですと、モスバーガー。永野芽郁ちゃんが出ているCMで、「ショウガのソースで」なんて謳っています。

モスバーガーはもう何年も食べていませんが、たまに食べたくなる美味しいハンバーガーですよね。でもショウガを使っているのでは、いつものテリヤキを選ぶしかないでしょう。唐揚げもショウガを使いがちな料理ですよね。多くのお店で唐揚げ弁当を買っても、ショウガで味付けされている唐揚げが怖くて、唐揚げ弁当を選ぶのは控えています。

そしてもう一つが丸亀製麺。こちらも「甘辛ショウガダレ」なんて宣伝していますから、もし食べに入ることがあれば、このメニューだけは絶対に避けなければなりません。このように世間にはショウガがあふれていて、あたしは外での食事に難儀するのです。

コンビニでお弁当や惣菜を買うときも、裏側の材料表示を確認し、ショウガが使われていると、そそくさと棚に戻します。ちなみに紅ショウガも苦手です。お好み焼きやたこ焼きは、まず大阪で食べたいとは思いません。関西で発見した紅ショウガの天ぷら、あんなのはあたしから見たら食べ物とは思えませんでした。

元沿線住民です!

いま現在、あたしは東京都の小平市に住んでいるのですが、学生時代は杉並区に住んでいました。一番長く住んでいるのは現在の家ですが、青春時代を過ごしたと言えば杉並区になります。

杉並区と言っても広いですが、あたしは井の頭線の高井戸駅から徒歩10分くらいのところに住んでいました。どこかへ出かける時には必ず井の頭線を使っていました。

吉祥寺や渋谷へ行くのであれば井の頭線だけでOKですが、新宿へ行くには同じ京王電鉄の京王線を使っていましたので、京王線、井の頭線には非常に愛着を感じます。そんなあたしが最近見つけたのが『京王沿線怪談』という文庫です。

住宅街もあれば、畑をはじめとした緑豊かな土地も広がっている沿線なのでとても怪談があるようには思えません。とはいえ京王線ホラーと言えば、少し前に『眼下は昏い京王線です』を読んでいましたので、もちろんフィクションとはいえ、意外とホラーが合っている沿線なのかなあと思いました。

ちなみに『京王沿線怪談』には他にもいろいろな沿線怪談シリーズが出ていまして、以前に関西ツアーへ行った折りに現地で『阪急沿線怪談』を買っておりました。

阪急線の方は、沿線にあまり馴染みがないので、怪談と相性がよいのか、よくないのかよくわかりません。なので読んでも「うーん、○○駅はそんなところなのか」という印象しかありませんでした。

でも、京王線の方は降りたことがある駅も多く、駅やその周囲の雰囲気も知っているところが多いので、こういった作品は非常にリアルに感じられますね。この手の本って、やはりまずは沿線住民やかつての住民が読者、購買者になるのでしょう。

というわけで、『京王沿線怪談』は京王線を舞台にした怪談話ですが、『いつも駅からだった』は京王沿線を舞台にした謎解きになります。無料配布されていた小冊子をまとめて一冊の文庫になったものです。

そう言えば、阪急線と言えば映画にもなった『阪急電車』という作品もありましたね。こういう路線を舞台とした小説って、探したらどれくらいあるのでしょう。やはり作品になりやすい路線とそうでない路線があるのでしょうか。

最後に一つ、あたしが子供のころって京王電鉄は京王帝都電鉄という名将でしたね。いつ変わったのか覚えていませんが……

レシピ付の小説?

書店営業に必要なものと言えば、まずは注文書です。これがないと仕事になりません。というわけでカバンには注文書がいろいろと入っています。

注文書は紙ですから、だからカバンが重くなるわけです。他の業界であればタブレットやノートPCの中にある注文書やチラシで注文を取ったり、商談をしたりしているのでしょうが、あたしの業界はそういう点では昭和をいまだに引きずっています。

そして注文書と共に営業回りの必需品がボールペンです。それも3色、可能であれば4色ボールペンの方が使い勝手がよいです。いくつかのメーカーから発売されていまして、使いやすい、使いにくいというのはありますが、それよりもなによりも頭のところについているフックが欠けてしまうのが最大の難点です。

最初の画像は、使っていたボールペンですが、ものの見事にフックの部分が欠けてしまっています。そんなに乱暴な使い方、扱い方はしていないつもりなのですが、これだけ頻繁に壊れるというのは、そもそも構造上の欠陥なのではないでしょうか。まだまだインクも残っていて、書きやすく使っていたのに、どれもこれも途中でこんなことになってしまいます。

フックの部分がなくても使えますが、使おうとするときに欠けた部分が尖っているので手を傷つけてしまいます。毎回痛い思いをして使うのもいやなので、新しいのに替えてしまい、壊れたボールペンがたまっていくのです。

さて、ようやく本題。スイーツです。昨日買ってきて食べたものですが、セブンイレブンで買った「北海道ソフトのワッフル」です。牛乳の味が濃くてとても美味しいワッフルでした。ワッフル生地もあたし好みの味でした。

さて、更にグルメのネタを続けますと、本屋大賞の一位を取った『カフネ』のチラシが書店の店頭に置いてあったので、いただいてきました。ちなみに、『カフネ』は読んでいませんし、買ってもいません(汗)。

このチラシ、タイトルにありますように「レシピ冊子」なのです。『カフネ』を読んでいないのでわかりませんが、この作品には料理がいろいろと出てくるのでしょう。作品中にレシピまで載っているのかはわかりませんが、このチラシを開くと写真入りでレシピが載っています。

載っていたのは「大きな骨付き肉と甘酸っぱいビール風りんごソーダ」「お手軽ローズチョコパフェ」「トマトとツナの豆乳煮麺」の三つ。最初のは肉とソーダの二品なのでぜんぶで四つの料理が載っていました。

作品中に料理が出て来て、なおかつレシピまで付いていると聞くと、あたしの勤務先では『昼の家、夜の家』『独裁者の料理人』『厨房から見たロシア』が思い出されます。『カフネ』とはまるで異なる作品ではありますが。

桜は散り際が美しいものですが……

情報番組を見ていると各地からソメイヨシノ満開の便りが届きますが、東京はそろそろ終わり、どんどん散っています。花びらが散って葉っぱが目立つようになってきています。

桜は、今が盛りと咲いている時よりも、散り際の方がはるかに美しいというのは、少なからぬ人が同意してくださるのではないかと思います。盛りの時期が短くて、儚く散ってしまうところに日本人の、特に江戸時代の武士の美意識が表われているのでしょう。

もちろん、あたしも桜が咲いている時よりも散り際の方が美しいと感じますし、そんな桜が大好きです。でも東京のようにアスファルトばかりの土地ですと、そうも言ってられません。

画像は近所の横断歩道の写真です。白いラインにひび割れが入っているのは経年劣化ですが、落ちた花びらがラインの部分にシミのようにくっついているのは、ちょっと見苦しく感じますし、あまり好きではありません。まためしべが落ちて塊になっているのも、アスファルトの上ですとあまり見栄えがよいものだとは思えません。

これが土の地面であれば、こんなこともないのでしょうし、川沿いの桜であれば花筏がきれいに流れて、それはそれで見事なものですね。