なんとか帰宅したのよね

今日、3月11日は東日本大震災の日です。あれから今日で11年、あの日も今年と同じように3月11日は金曜日でした。

何回かこのダイアリーで書いたことがあったと思いますが、今日という日なので改めてあの日のことを書いてみます。別に決して感傷的なものではありませんので、その点はあらかじめ断わっておきます。

当時は、月に一度、在庫補充などのやりとりで桶川にあるトーハンの倉庫へ通っていて、あの日も上司と二人、2時ごろに到着して担当の方と打ち合わせをしていたところでした。そして突然揺れたのです。普段とは異なる場所にいると状況を把握するのが難しいもので、あたしは当初、桶川倉庫へ大型トラックが入ってきたので、そのせいで揺れているのかと思いました。

しかし、それにしては揺れが大きいですし、本も棚から落ちてきて、桶川倉庫の方々の様子が尋常ではありません。大地震だと認識した直後、あたしはまず倉庫の方に打ち合わせ途中までのデータをきちんとパソコンで保存するように訴えたのですが、担当の方が保存してくれたのかは覚えていません。

いずれにせよ、もう商談どころではなくなり、あたしと上司は辞去することになりました。桶川のパートの方々も帰宅指示が出ていたようです。桶川駅まで戻ったあたしたちは、JR線が動いていないので、駅前の居酒屋へ入って時間を潰すことにしました。この時点ではあんなにも大きな地震だとは認識しておらず、一時間か二時間もすればJRも動き出すだろうと高を括っていたのです。しかし、その居酒屋の店内のテレビに映し出された映像は衝撃的なものでした。JR東日本はその日の運転をすべて中止したと伝えているので、あたしたちも帰路をどうするかで俄に慌てふためきました。

桶川駅前から川越へ向かう路線バスが動いていたので、上司と別れたあたしはまずは川越へ向かいました。川越に着いて、できれば西武線が動いていることを期待したのですが動き出す気配はありません。駅前はものすごい人の数でごった返していました。仕方なく、あたしは所沢へ向かう道路を歩き始めました。30分ほど歩いたでしょうか、後ろから路線バスがやってきたのに気づきました。行き先はなんと所沢です。ちょうどバス停があったので、そこで満員のバスになんとか乗り込むことができました。

バスの車内は大混雑でしたが、徐々に人は下車していき、所沢に着くころにはかなり空いてきました。そしてほぼ並行して走る西武線が動き出しているのが見えました。これで帰れる、とあたしは安堵しました。所沢から小平までは動き出した西武線ですぐです。小平駅で降りたらタクシーで自宅までも15分もかかったかな、という感じで、なんと夕方に桶川にいたのに、12時前には自宅へ帰り着くことができたのです。

ある意味、奇跡だったと思います。その後、当時はまだ近所に住んでいた妹の旦那を迎えに、ケータイを握りしめた妹を隣に乗せ、マイカーで出発したのでした。妹の旦那は東陽町に職場があり、とにかく歩き続けて小平へ向かっている途中で、杉並区の松庵あたりで拾うことができました。