モスクワからイスタンブールへ

少し前に中公新書の『物語 イスタンブールの歴史 「世界帝都」の1600年』を読みました。

行って見たいなあと思う都市の一つですし、その歴史を考えると興味津々なので手に取った一冊です。個人的には地図がそれなりに入っているのですが、もう少し親切なものであればよかったのにという憾みが残ったのと、イスタンブールだけでなく、黒海なども含めたもう少し広域の地図も載っていれば内容が頭には行って来やすかったのではないかと思いました。

それはともかく、同書の230頁にこんな記述がありました。

またロシア人たちは与えられるばかりではなく、イスタンブールのナイトライフを一変させたことでも知られる。彼らは、それまではどちらかというと観劇、飲酒(そして売春)が分散的に行われていたイスタンブールの夜に、それらの愉しみがひとところに集う新たな施設としてのナイトクラブを持ち込んだのである。一九一一年開業のイスタンブール最古のバーとされるガーデンバーことガーデン・プティ・シャンを受け継いだ同名ナイトクラブ(一九一四年開業)を皮切りに、黒いロシア人と称えられたフレデリック・ブルース・トーマス--ロシア国籍を持つブラック・アメリカンだった--の開いたマクスィム(一九二一年開業)など、ガラタの下町からタクスィム近辺の至るところに、ロシア美人たちがショーガール、接客係を務めるナイトクラブが続々と開店する。ヘミングウェイが驚嘆したカラキョイの酒場街の狂乱も、大戦を背景として誕生したのである。

ここに出てくる「黒いロシア人」フレデリックですが、ロシアから来たのに「ブラック・アメリカン?」と不思議に思われた方も多いのではないでしょうか? こんな時代にアメリカからロシアへ、しかも黒人が移り住んでいたなんて、と驚かれたのではないでしょうか?

彼に関して興味を持たれた方、もっと詳しく知りたいと思った方には、是非とも『かくしてモスクワの夜はつくられ、ジャズはトルコにもたらされた 二つの帝国を渡り歩いた黒人興行師フレデリックの生涯』の一読をお薦めいたします。

公式サイトには

厳酷な黒人差別社会に見切りをつけたミシシッピ生まれのフレデリックは、海を越えて旧大陸へ渡り、帝政時代のモスクワでアメリカン・ドリームを摑むのだが……ロシア文学の碩学による、まるで物語(フィクション)のような歴史ノンフィクション。アメリカ南部の社会、爛熟する帝政末期のモスクワの夜、そして、第一次世界大戦とロシア革命の勃発――激動の時代を背景に描かれる、不屈な男の、凄まじくも痛快で爽快な魂の遍歴。

とあります。黒人差別を嫌ってアメリカからロシアに移り、第一次世界大戦とロシア革命の勃発でロシアからイスタンブール(オスマン帝国)へ渡ったなんて、彼の人生は波瀾万丈以外の何ものでもないでしょう。