高校以来40年ぶり?

法隆寺参拝からJR奈良駅へ戻り、まだ時間が早いのでホテルには帰らずに、駅前からタクシーで薬師寺へ向かいました。

薬師寺は、高校の修学旅行が奈良でしたので来たことがあります。高校の修学旅行は高校二年の時でしたので、実に40年ぶりの再訪です。

のどかな風景の中にポツンとあったような印象でしたが、それほど記憶が鮮明に残っているわけでもありません。ただ奈良の中心部に比べると田舎だなあと感じられる風情はそのままのような気がします。

駅前からのタクシーは、唐招提寺の前を通り過ぎ、薬師寺の北側、與楽門の前に着きました。高校時代もここから参拝したのか全く覚えていませんが、とにかく境内に入ります。

ぐるっと回り込んで南が側の中門から入りますと、まずは左右に東塔と西塔が聳えています。そして正面には金堂がどっしりと構えています。先に参拝した法隆寺とまるで異なる伽藍の配置です。

薬師寺と言えば、ファンも多いことで知られる薬師如来。もちろんご尊顔を拝してきましたが、以前見たときとは印象が異なるような気がしました。もちろん、その以前見たときに記憶も限りなくおぼろげなのですが。

あたしの記憶の薬師如来はもっと黒々としていたはずなのですが、今回拝んだ薬師如来は意外と金色でした。塗り直したはずもないですし、修復したというわけでもないですから、たぶんあたしの記憶違いなのでしょう。

その後、金堂の北にある大講堂を参観したのですが、ここに鎮座する弥勒如来が、今度は逆に黒々としてて、あたしの記憶の薬師如来そのままでした。たぶん、あたしの記憶がゴチャゴチャになっているのでしょう。

ところで薬師寺は、法隆寺よりは参観者が多かったですが、それでもこの程度の人数かと思わせるようなものでした。法隆寺に比べたら奈良の中心部からそれほど遠いわけではないですし、近鉄の駅からもすぐです。近くには唐招提寺もあって、まとめて巡りやすい立地です。

それでもこの程度なのですから、奈良県、もっと頑張らないといけませんね。むしろ京都に比べて混雑していないというのを売りにしたらどうでしょう。そんなことを考えながら薬師寺を後にしました。

入ってきた北側の與楽門を出て、そのままトボトボと唐招提寺へ向かいました。年老いた母にはちょっと歩くことになりますが、タクシーを拾えるわけでもなければ、バスが来るわけでもありませんので、致し方ないでしょう。

さて、唐招提寺と言えば、日本人ならほぼ誰もが日本史の教科書で馴染んでいる鑑真です。知らない日本人がどれくらいいるのだろうかと思います。

入り口から入ると正面には、屋根が特徴的な金堂が現われます。唐招提寺と言えばこの構図の写真が使われますね。金堂を巡って境内を参観し、最後に戒壇をのぞきました。確か、このために鑑真を唐から招いたのではなかったでしたっけ。

鑑真は、ここでどんな風に授戒していたのでしょうね。かつてはあったと思われる建物がないので寒々とした戒壇でしたが、往時はどんな感じだったのでしょうか。

唐招提寺を参観し終わり、バスもタクシーも見つかりません。南大門から出て来て東へ向かい、しばらく歩くとバス停が見えました。バスを待っている地元の人もいたので「すぐにバスが来るのかな」と思ったら5分も待たずにバスがやって来て、そのまま奈良駅へ戻りました。駅ビル内のショップでお土産を物色し、買い物は翌日するとしてホテルへ戻りました。

さらに処女航海

一泊二日奈良旅行の旅行記です。

週の後半、木金で母と二人で奈良へ向かいました。京都へは何度か行っている母ですが、奈良には行ったことないとのこと。奈良の大仏を見てみたいと前から言っていたので、元気なうちに連れて行くかと思い立った次第です。

というわけで、朝早くに自宅を出発し、新幹線で一路京都へ向かい、JRの奈良線に乗り換え、奈良へ向かいました。宿泊先は駅近のホテルなので、奈良駅で下車して、着替えなどが入ったキャリーケースをホテルのフロントに預け、法隆寺へ出発です。

法隆寺は、奈良が初めての母だけでなく、あたしも訪れたことがありませんでした。高校時代の修学旅行が奈良でしたが、奈良市街が中心で法隆寺には足を延ばせず、それから40年。あたしもようやく参拝することができました。

奈良駅からJRで数駅、放る氏がこんなに近いとは予想外でした。いや、事前に調べてありましたが、拍子抜けするほど奈良市街から近かったです。

ただJRの法隆寺駅から法隆寺までは若干の距離があります。若者であれば歩くのでしょうが、地理不案内の処女地、80過ぎの母を連れているので路線バスに乗車しました。

バスはそれほど本数が多くはないようですが、JRの列車の到着に合わせているのか、それほど待たずに乗ることができました。乗車時間も10分から15分程度であっという間に到着しました。

門(南大門?)を入って遠くに見える入り口前をトボトボ歩きますが、参拝している人はほとんどいません。日本が誇る世界遺産、法隆寺がこんなに寂しくてよいのでしょうか。そんな気にさせられます。

五重塔と金堂、そして大講堂と、日本史の教科書で見た建物が目の前にあるのはなんとも言えない気分です。こういう伽藍の配置はなんとか式と言うのですよね。本で読んだことがあります。

そして大法蔵院で法隆寺に伝わる名宝を鑑賞しましたが、あたし世代には一万円札でお馴染みの聖徳太子像が非常に親しみを覚えます。並んでいるもののほとんどが国宝や重要文化財というすばらしい展示です。

その後は東大門を抜けて夢殿へ。これが夢殿か、という感激もさることながら、この参拝者の少なさは寂しさよりも哀しみを覚えます。もちろん京都の有名寺社の混雑具合には閉口しますが、ここまで人が少ないのもどうなのでしょう。

もちろん多少の参拝客は見かけましたが、京都でよく見かける外国の人(洋の東西を問わず)はいなかったのではないか、そんな感じでした。

東大門から夢殿へ向かう長い通路の両側は法隆寺の塔頭が並んでいるのではないかと思うのですが、その入り口の瓦屋根がとてもステキでした。ご覧のように鬼瓦が鬼というよりも迦楼羅面のように見えました。

そして、その脇にはちょこんと桃が乗っかっています。これがとても可愛らしくて、気に入ってしまいました。

とまあ、小一時間ほど参観は終了しました。じっくり見て回ればもっと時間がかかるのでしょうし、周辺のゆかりある寺院にも足を延ばせば一日はかかってしまうでしょう。ただ母をあまり歩かせていけないので、これくらいで切り上げることにしました。

まだホテルに戻るには早いのでどうしましょうと思いまして、法隆寺の前から薬師寺へ向かおうと思いましたが、しばらくバスがないので素直にバスでJR法隆寺駅へ戻り、奈良駅へ戻りました。

今日の配本(25/01/23)

プトレマイオス一世
エジプト王になったマケドニア人

イアン・ウォーシントン 著/森谷公俊 訳

アレクサンドロス大王の名はよく知られている。だが、なぜそうなったのかというと、その死後に配下の将軍たちが、我こそは大王の正統な後継者だと主張して貨幣に大王の肖像を描き、大王にならって都市を建設し、異民族とうまく共存できる統治を模索するなど、大王の遺産を最大限に利用したからである。そうして生まれた王朝のうちもっとも長続きしたのが、クレオパトラ七世で知られるエジプトのプトレマイオス朝だった。本書はその創始者プトレマイオス一世の、専門家にも一般読者にも読み応え十分な評伝である。

ヒトかサルかと問われても[増補新版]

西江雅之 著

動物の仲間になりたかった少年が、超人と呼ばれる学者になるまでの波瀾万丈の半生をみずから語る。単行本未収録「アフリカ縦断」紀行や著者の幼年期、高校や大学時代の写真などを増補した、没後十年記念出版。

比較で読みとく スラヴ語のしくみ[新版]

三谷惠子 著

ロシア語、ウクライナ語、ポーランド語、チェコ語、クロアチア語、ブルガリア語……スラヴの諸言語は、語彙も文法も互いによく似ています。共通するのは一体どこまで? なぜそんな差異が生まれたの? スラヴ祖語が各言語に分化していく過程をたどりながら、その答えを探るのが本書のねらい。まるで生の講義のような語り口で、「文字と音」「語」「文」のしくみを読みといていきます。いずれかの言語を学んだことのある人もない人も、個性豊かなスラヴ諸語の世界をお楽しみください。

世界のなかのフランスのフェミニズム

フロランス・ロシュフォール 著/伊達聖伸 訳

本書は、フェミニズムの歴史を世界規模で捉え、その多様性と発展を探究する。フランス革命期から現代に至るまでを三つの時代に分け、結婚、教育、参政権、生殖の自己決定権などのテーマを中心に、フェミニズム運動の進展とその背景を分析する。また、国際的な連帯や植民地主義などとの関係を描き、ブラック・フェミニズムやラディカル・フェミニズムの台頭も取り上げる。特にフランスにおいては、フェミニズムが国家形成や市民社会との関わりを深め、独自の歴史を築いてきた経緯を詳述する。