ふじはふじでも

昨日のダイアリーで不二家のスイーツについて書きました。「ふじ」つながりというわけではありませんが、昨日はきれいな富士山を見ました。

既にご存じの方もいらっしゃると思いますが、昨日から関西ツアーに出ておりまして、その往路、新幹線の中からきれいな富士山が見えたのです。このところの関西ツアーでは、横浜を過ぎたあたりで睡魔に襲われ、富士山を見ることもなく関西に来ていたので、実はこちらの「ふじ」も久しぶりの富士山でした。

もちろん、富士山というのは気難しいもので、晴れているのに見えないことはよくあります。新幹線に乗っていて、しっかり起きていたのに見られなかったことは一度や二度ではありません。すぐ目の前に雄大な富士山が見えるはずなのに富士山の姿が見えないことが実に多いのです。

しかし今回は、天気もよく、青空に映える富士山を見ることができました。ついついスマホで写真を撮ってしまいましたが、スマホで撮るとずいぶんと小さく写るものです。目で見ている富士山はあんなに大きいのに、スマホ画面の富士山はどうしてこんなに小さいのでしょう。

今日の配本(24/01/31)

文画双絶
畸人水島爾保布の生涯

前田恭二 著

明治・大正・昭和にわたり、文学・美術の分野に大きな足跡を残しながら忘却の彼方に消し去られた畸人の魅力を、十年の歳月をかけて調べ上げ、執念と使命感を深くして掘り起こしたのが本書である。

内なる亡命日記
ナチ政権下の日々1933-45

ヘルマン・シュトレザウ 著/ペーター・グラーフ、ウルリッヒ・ファウレ 編著/高田ゆみ子 訳

本書は、「マルクス主義的活動」を理由にベルリン市立図書館司書の職を解雇された後、作家、英米文学翻訳家として活躍した文人が残した、貴重な一次史料だ。著者は「戦争に向かっていく、いやな予感がする」と1933年11月に記し、大半の国民は政権に対して首を横に振り、政治家の言動に憤っているというのに、なぜ暴走を止められないのかと、もどかしさを感じている。そして、市民の密告者的性質、出世志向、打算的従順を指摘し、同調圧力や戦時統制の厳しさに多くが屈していく姿を描く。