東交民巷

本日は懐かしい話を。

新刊の『清朝滅亡』を寝床で読んでいまして、ちょうど半分くらい読みおわりました。義和団の乱で各国公使たちが北京の東交民巷地区に立てこもり天津からの救出部隊を待っている状況です。

北京籠城と言えば、東洋文庫『北京籠城・北京籠城日記』ですよね。ちなみに平凡社のウェブサイトでは「籠城」ではなく「篭城」と表記されていますが、本に印刷されているのは「籠城」の方です。

話は戻って、東交民巷。当時の公使館街です。あたしが最後に訪中したのは2007年で、北京五輪前ですし、16年も前になりますから、北京の街もまるっきり様変わりしていると思います。ですから、あくまであたしが最後に訪中したころの話ですが、そのころの東交民巷は、まだ公使館街の面影を残すような建物がいくつか残っていました。下町の風情もありましたが、それでも落ち着いたたたずまいを感じさせる地域だと感じました。

あたしが20年前くらいに、しばしば訪中していた(隔年で一回くらいですが……)ころに泊まっていたのは崇文門に建つ新僑飯店でした。表通りは前門へ向かう大通りと東単へ向かう大通りが交わる大きな交差点で、地下鉄の崇文門駅が交差点の地下にありました。そして、そんな新僑飯店の裏通りが東交民巷だったのです。ホテルを出て、東交民巷をそぞろ歩いて天安門広場に向かったことが何度もありますし、王府井で買い物をした帰りも、東交民巷まで南下して、東交民巷を歩いてホテルへ戻ったものです。なので、とても馴染み深い通りです。

もちろん義和団のころに、このあたりに外国人居住者が立てこもっていたという歴史は知っていましたから、そんな時代に思いを馳せながら歩いたものです。外国人と言えば、『北京のモリソン』のジョージ・アーネスト・モリソンもちょうど北京にいたころですね。このモリソンの蔵書が、東京の六義園に程近い東洋文庫に所蔵されているというのも、先程の平凡社東洋文庫と繋がるような、繋がらないような……(汗)

さて当時の思い出話をしますと、その新僑飯店の斜向かいにも哈徳門飯店というホテルが建っていて、そこに北京ダックで有名な便宜坊が入っていました。新僑飯店に泊まっているときは滞在中に一度はダックを食べに行ったものです。

また北京にも日本的なスーパーマーケットが増えてきたのもこの頃で、崇文門の交差点を南下するとすぐ右手に崇文門菜市場があり、これはいかにも昔ながらの北京の庶民が使うマーケットという感じでしたが、さらに南下すると真新しい新世界商場という巨大ショッピングモールがありました。ホテルの部屋で飲むミネラルウォーターや室内履きにしていたカンフーシューズはここで調達していました。マクドナルドや吉野家も当時は入っていたと記憶していますし、便宜坊の支店もありました。

あたしが体験した北京はそんな感じで北京五輪前で止まったままです。いまはまるっきり知らない町だと思えるほど変わってしまっているのでしょう。

話は『清朝滅亡』に戻りますが、いまのところ主人公は西太后です。時の皇帝は光緒帝です。まだしばらくは登場し続けるでしょうが、この二人は相継いで亡くなるのですよね。そして中国語辞典で著名な井上翠『松濤自述』を読みますと、井上翠が北京を訪れたときに光緒帝と西太后の葬儀が行なわれていたとのことです。

そんな井上翠の最晩年、謦咳接したのが『白水社中国語辞典』の伊地智善継先生で、その伊地智先生に、あたしも晩年の十年、お世話になりました。そう思うと、この西太后の時代、北京籠城のころが一気に身近に感じられます。

最後に、東交民巷は文字面からもわかると思いますが、天安門の東側にある路地ですが、天安門の西側には対になる西交民巷という路地もあります。あたしはそちらの通りも歩いてみたこともあるのですが、東交民巷に比べると情緒というか趣が感じられない通りだったという印象です。

2024年1月21日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

ちくま新書を6分の4

ほんの数日前のダイアリーで、もう本を置くスペースがない、これからは電子書籍にしないとダメか、と書いたばかりなのに。またまた買ってしまいました、ブツとしての本を! それがこちら。

筑摩書房のちくま新書です。

今月のちくま新書は6点刊行されているのですが、なんとそのうちの4点を購入です。3分の2ではなく、あえて6分の4と主張してしまいました。

ところでちくま新書に限らないのですが、あるレーベルのその月の新刊、半分くらいが興味深く、ついつい買ってしまうようなタイトルだったりすることがあれば、ある月には全く興味をそそられるタイトルがない時もあったりします。これは不思議な現象です。

不思議と言えば、昨年来、平安時代、紫式部、源氏物語、藤原氏関連の新書がこれでもかというくらい刊行され続けているのは大河ドラマの影響なのはわかりやすい現象ですが、そういう外的要因に思い当たるものがないのに、中国ものがあっちからもこっちからも刊行される月があったり、あるいはヨーロッパ史関連の新書がやけにたくさん刊行される月があったりと、そういう現象も新書を追っていると時々起こります。