世界最大級の……

わが家の書架には『『大漢和辞典』を読む』という本が並んでいますが、そのお仲間が登場です。

日本が世界に誇る『大漢和辞典』に関する書籍が刊行されました。『『大漢和辞典』の百年』です。1955年の刊行ですから、100年まではちょっと時間があります。

でも、これだけの辞典ですから、作業を始めたときから数えれば、100年以上の月日が経っているのではないでしょうか。あたしも勤務先で『中国語辞典』の編集に少しだけ携わったので、刊行までの準備期間と言いますか、助走期間と言いますか、とにかくメモを取り、カードを作り始めるところからの、気の遠くなるような作業については多少の理解があるつもりです。

あたしが学生のころは、紺色っぽい装丁ではなく、白地に金文字、少し判型も大きくなった版が刊行を開始したので、あたしは毎月の刊行のたびに、アルバイト代をつぎ込んで購入していました。それが左の写真です。

この版は十二巻+索引まで完結した後に、補巻と語彙索引が刊行されまして、もちろんそれも揃っています。当時はまさしく世界最大の漢和辞典だったと思います。ただ、その後、中国から『漢語大字典』『漢語大詞典』が相継いで刊行され、何を以て世界最大と呼ぶのかは議論の分かれるところではありますが、「世界最大」ではなく「世界最大級」と称するようになったと記憶しています。中国の二つの辞典は、そしてたぶんその後にもいくつか中国で大型の辞典が刊行されていると思いますが、いずれも『大漢和辞典』をものすごく意識して作られていたはずです。

2023年11月30日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

今日の配本(23/11/30)

ロシア 奪われた未来
ソ連崩壊後の四半世紀を生きる

マーシャ・ゲッセン 著/三浦元博、飯島一孝 訳

一九八〇年代初めから半ばに生まれ、プーチン支配の世界で成人した男女四人の多難な人生と家族の物語を紡ぐ、渾身のノンフィクション。

第三の波
二〇世紀後半の民主化

サミュエル・P・ハンティントン 著/川中豪 訳

20世紀後半にもたらされた民主主義とは何だったのか。政治学の古典であり、民主化をめぐる議論の出発点となった記念碑的著作を新訳。

ヴェトナム(下)
壮大な悲劇 1945-1975

マックス・ヘイスティングス 著/平賀秀明 訳

本書は、第一次インドシナ戦争前夜からサイゴン陥落までの30年を振り返り、開戦から終戦に至る歴史的背景と政治的思惑を事実に即して描写し、戦争の本質に迫った大作である。一つひとつの作戦や戦闘、その結果としての災禍が時間軸に沿って詳細に描かれており、時代の空気が変化していくさまが臨場感をもって伝わってくる。

いまさらながらのバスチー

あたしが「バスチー」という言葉を初めて耳にしたのはいつのころだったでしょう? 確か、コンビニのスイーツに「バスチー」というのが並んでいたので知ったのではなかったかと思います。あるいは世間でバスチーが流行っていて、それをコンビニが取り入れたのでしたでしょうか? いずれにせよ、そんなおぼろげな記憶です。

そして、コンビニにたくさん並んでいた当時、いつでも買えるだろうと思って、あたしは結局食べることなく過ぎてしまい、最近は見かけることも少なくなったと思います。

チーズケーキは嫌いではないので、避けていたわけではありません。たまたま機会がなかったというだけのことです。そして最寄りのJR国分寺駅の駅ビルで売っていたのがこちらです。美味しそうなスイーツが冷蔵ケースの中に並んでいたので覗いてみたのです。

よく見るとチーズケーキ、それもバスクチーズケーキと書いてあります。美味しそうだから、ひとつ買ってみるかと思って買い求めたのが二枚目の写真です。なかなかの重量です。

箱にはBELTZとあります。あたしはこういう方面には疎いので、有名なお店なのでしょうか? 今回初めて賞味しました。チーズケーキってどれもこんな感じですね。決して不味いという意味ではなく、ある程度は予想の範囲内の味だったという意味です。これがバスク地方のチーズケーキなんですね。いわゆる一般的なチーズケーキに比べると、やや濃厚で、かなりの食べ応えでした。上が焦げているのが特徴らしいです。

小ぶりのホールサイズも売っていましたが、さすがに母と二人で食べきるのはちょっとしんどいですね。

2台同時は無理みたい

先日来、このダイアリーでは勤務先のパソコンについて何度も書いています。

曰く、勤務先で支給されたノートPCのHDDは空き容量がなく、作業にも支障を来すことが多くなってきたので、自腹でもう一台ノートPCを購入したという次第。当初は環境設定などでスムーズに行かない部分もあったのですが、お陰様で現在ではほぼ快適に使えるようになりました。

つまり現在のあたしの勤務先のデスクには、24インチのディスプレイと、それに接続した二台のノートPCが置かれているという状況です。若干デスクのワークスペースが狭いですが、いまのところは快適です。

ところで、この二台のPCに、自宅からリモートアクセスして諸々の作業をしています。この設定も無事に終わり、それぞれのPCに接続して仕事をしているわけですが、このリモートアクセスって自宅から一台のPCにしか接続できないのですね。リモート接続の画面を立ち上げると、画面にはこの二台のPCの名前が表示されていて、接続したいPCの名前をクリックすれば、そちらに接続できるというわけです。

ただ、作業をしているともう一台のPCに切り換えたいときがしばしばあります。でもその場合、現在接続しているPCとのリモートを切断し、改めてもう一台に接続しないとならないのです。二台共に接続し、ちょっとしたウィンドウの切り替えでスイッチすることはできないものでしょうか。いまはそんな風なことを考えています。

自分で自分を褒めてあげたい?

本を読むスピードもそれほど速くはないですし、読んでいるジャンルもかなり偏っていると思います。ただ仕事柄、海外文学は比較的多く読んでいるかなあとは思うものの、他社作品まではなかなか手が出ていないのが実情です。

また、通勤電車や営業回りの途次の電車内で読むのは文庫や新書が多く、単行本はもっぱら寝床で読んでいます。ですので、勤務先の海外文学シリーズ《エクス・リブリス》読むのも自宅の寝床ばかりです。

12月には《エクス・リブリス》の新刊刊行はありませんので、24日に配本された『大仏ホテルの幽霊』が今年のラストです。そして写真の9点10冊が、今年刊行された《エクス・リブリス》になります。

全部読んでます。実は《エクス・リブリス》は、初期のころの数点を除いてすべて読んでいます。これはちょっとは自慢してよいことでしょうか。ちなみにUブックスの《永遠の本棚》も全点読了しています。これもちょっとした自慢です。

二台使い!

勤務先、二台目のPCの件、その後です。

やはりネットワークというのは設定が正しくても、ネットワークを認識するのに多少の時間を要するのか、その後はWi-Fiでも社内のネットワークに入れるようになりました。まずはひと安心です。現在はこれまで使っていたノートPC(HP製)を有線で、今回新しく購入したノートPC(ASUS製)を無線で繋いでいます。

今回購入したノートPCには有線LANの端子がないので、これが一番すっきりしたケーブルの配線になります。有線と無線とでは安定度がどれくらい異なるのか、これから徐々に検証していかないとなりませんが、自宅からリモートで接続したときに、新しいPCの方が若干不安定なのは無線だからなのか、そのあたりはまだよくわかりません。

そして勤務先で使っているモニターにはHDMI端子が一つしかないと書きましたが、HDMI分配器を買いました。これはそんな高くない周辺機ですね。手動切替の切替器なので、ポチポチと自分で切り替えながら使っています。ただ、時々、どっちのノートPCの画面を映しているのか、わからなくなることがあります。

これまで使っていたノートPCにはマウスとキーボードを外付けで繋いでいますが、新しいノートPCはモニターに繋いでいるだけなので、ディスプレイに新PCの画面を映していながら、外付けのキーボードとマウスを操作していることがままあります。いくらマウスを動かしても、モニター上のカーソルが動かないので、「あれっ?」と思って気づくという次第です。

そんな単純なミスを犯しながら、徐々に新しいノートPCの環境も整ってきました。ワードやエクセル、メールの送受信は新しいPCで行ない、これまでのPCは社内業務を中心に使用するという使い分けになっています。

 

この場所の「秘密」とは?

本日配本の『大仏ホテルの幽霊』を読みおわりましたが、その中にまるであたしのことを言っているのではないかと思われる一節があったので下記に引用します。

あなたたちはみな、笑いたがっています。幸せを求めているんです。でも、お互いが信じられません。信じるつもりがありません。信じれば、裏切られると思っているからです。だから自分自身さえ、信じられないのです。あなたたちの人生がそうだったからでしょう。ああ、それは私の人生でもあります。ええ、そうです。なぜこんなに難しいのでしょうね。不安でいっぱいになるんでしょう。他の人にはたやすいことが、私たちにはなぜ、これほどまでに苦痛なのでしょう。私たちにとって、愛はあてにならない記憶、不幸は長く残り続ける物語なのです。(P.187)

なんか人間関係の本質だなあ、と思った次第です。少なくともあたしにとっては。

今日の配本(23/11/24)

大仏ホテルの幽霊

カン・ファギル 著/小山内園子 訳

1950年代、朝鮮戦争の傷痕が残る西洋式「大仏ホテル」で幽霊に導かれるように4人の男女の人生が交錯する。韓国社会の“恨”を描くゴシックスリラー。

韓流が改めて面白い!

韓流と言っても、K-POPのことではありません。音楽番組に出演してパフォーマンスする韓流グループの楽曲くらいは眺めますが、坂道グループ好きのあたしとしては特にK-POPには惹かれません。ですので、ここで言う韓流とは韓国文学のことです。明日、《エクル・リブリス》の新刊が配本になります。

韓国の作家カン・ファギルの作品です。《エクス・リブリス》では既に『大丈夫な人』が刊行されていますので、本作が二作目になります。それが『大仏ホテルの幽霊』です。

この作品、今年あたしが読んだ海外文学の中でも五本、否、三本指に入るのではないかと思える面白さでした。その点については既にこのダイアリーに書きましたので贅言はしませんが、たぶん多くの方が読み始めたら止まらなくなると思います。特に『大丈夫な人』と繋がるところがあるので、『大丈夫な人』を読んでいる方ならなおさらだと思います。

さて、カン・ファギルは、これはあたしの勤務先からではありませんが、『別の人』という作品も邦訳が刊行されています。こちらもとてもよいという感想を知り合いから聞いているので、読んでみたいと思います。