講談社学術文庫の新刊『中国思想史』を購入しました。
「新刊」とは言っても、この本はもともとは岩波書店から出ていたもので、本書にも書いてありますが、『支那思想史』というタイトルで1936年に出ていました。それが戦後『中国思想史』と書名を変え、ここしばらくは品切れになっていたものを、講談社学術文庫に収録されたというわけです。
戦前の著作、それも中国思想史では著名な武内義雄の作品ですから、「支那」という用語に侮蔑的な含意はまるでなかったはずですが、やはり戦後は相手国の意向を尊重してタイトル変更を行なったのですね。
あたしは別にここでオリジナルのまま「支那」を通すべきだとか、そういったことを言いたいのではありません。この時代にあえてそんなことをするのはおかしいですし、それではかえって武内義雄の意に反することではないかとも思います。
あたしが書きたいのは、学生時代に古本屋で手に入れた岩波版『支那思想史』が自宅の書架に見当たらないことです。学生時代に読んで、かなり仏教を扱う比率が高いなあと感じながら読んだ思い出の一冊です。支那というタイトルに戦前の中国学の息づかいを感じながら読んだものでした。
そんな大切な『支那思想史』が書架に見当たりません。学術文庫の『中国思想史』を手に入れたこの数日、ずーっと書架を探しまくっているのですが出て来ません。捨ててしまったとは思えませんので、学生時代に同級生か後輩の誰かに貸したのかも知れません。と言いますか、それ以外の可能性がありえないので(図書館で借りて読んだ可能性はほぼないです)。
とにかく、もうしばらく自宅を探してみます。自宅の書架、一応はジャンルでまとめてあるので、思いもしない棚から出てくるとは思えないのですが、しらみつぶしに探すしかないようです。