先生と呼ばれる人たち

出版社のミネルヴァ書房から、こんなDMが届きました。

中味は、同社が刊行している中国思想、中国文学、中国史に関する書籍の案内です。学会名簿を見て送ってきたものと思われ、過去にも何回か届いたことがあります。

こういうDM、あたしの勤務先でもそうですが、教員に対しては敬称を「様」ではなく「先生」にしています。このDMも、あたし如きに一介のサラリーマンに対して「先生」と書かれていますので、ちょっとこそばゆいです(笑)。

こういう習慣、あたしは実は社会人になってから知ったのですが、これって当たり前のことなのでしょうか? 自分が教えを受けた人に対して「先生」と呼ぶことに関しては当たり前だと思いますが、こういう場合に十把一絡げに「先生」という敬称を使うことには、実はいまだに抵抗があります。

そう言えば、政治家に対して「先生」と呼びかけるのも虫唾が走るようで気持ちが悪いと感じます。

ここまでやるのか? ここまでやるのね!

昨日のダイアリーで書店のディスプレイについて書きました。

和菓子のアン』のカバーに載っているような和菓子を再現したオブジェが飾られていました。書店の方の手作りだそうです。作品に対するヒシヒシとした愛情を感じました。

こういう書店のディスプレイは、出版社の営業としては非常に興味深いもので、最近では新宿の紀伊國屋書店で開催された《白水Uブックス》フェアの展開も印象深かったです。

そんな中でも、あたしの記憶に一番残っているのが写真の展開風景です。

先年閉店してしまった宮脇書店ヨークタウン野田店のものです。あたしが東北地方を担当していたころには年に一度か二度訪れていました。

ただ、この写真を撮ったのはYA出版会で福島地区へ研修旅行へ行ったときに撮影したものだったと思いますから、十年近く前の話です。

乃木坂46ではなく、まだまだAKB48が人気絶頂で、夏の文庫キャンペーンもAKB48が担当していた時代です。

この大きな樹が真ん中にドーンと聳え、そこにツリーハウスが作られています。樹を作るだけなら他のお店でもやっていそうですが、このツリーハウスの中が凝っています。「これはシルヴァニアファミリー?」と思ってしまいそうなクオリティーでした。

これもやはりお店のスタッフの方が手作りしているそうで、毎年のように作っていると聞きました。なんでも年が明けると、今年の夏はどんなディスプレイにしようか考え始めるのだそうです。

こんなディスプレイを作っていたスタッフの方、お店が閉店した後も他の書店で作っているのでしょうか? このツリー以外にも店内はいろいろなディスプレイであふれているお店でした。

ちょっと寄ってみたいかも

昨日の朝日新聞の夕刊です。「とこといこ散歩旅」で新宿区立大久保図書館が紹介されていました。

今まで知りませんでしたし、行ったこともないのですが、語学の出版社に勤める身としては、この図書館の蔵書状況は非常に気になります。

大学図書館なら海外の書籍はいくらでもあるでしょうけど、こういった公立の図書館で海外の書籍を充実させているところって寡聞にして知りません。

とはいえ新宿区大久保という土地を考えると、少なくとも中韓の書籍を多く蔵書しているのは理解できます。その他にも東南アジア系の方が多く暮らしているイメージがあります。

そこに暮らす人々が暮らしやすいと感じてもらえるのが地域サービスだと思いますので、こういう試みは全国的に広がるといいですね。出稼ぎだと思いますが、ブラジルの方が多い地区というのもあったはずですし、たぶんアフリカ系の人が多く住む地域もあったと思います。そういうところの図書館はどうなのでしょう?

そう言えば、埼玉のどこかの団地は住民の半数以上が日本人ではなく、団地のお祭りも国際色豊かなものになっているとニュースで見たことがあります。あそこの図書館ってどんな感じなのでしょう?

美味いものには目がない?

この写真でわかっていただけるでしょうか? デカデカと「和菓子のアン」という看板が目に入りますね。先日営業に行った、ブックポート203栗平店です。

ちなみに、栗平は小田急線の駅です。新百合ヶ丘から多摩センターへ向かう支線にあります。

坂木司さんの『和菓子のアン』『アンと青春』を強烈にプッシュしていました。このシリーズはもう一冊『アンと愛情』が出ていますが、こちらはまだ文庫化されていませんね。あたしもこのシリーズ大好きで文庫で揃えているので、文庫化されるのを待っているところです。

そして、このディスプレイで注目して欲しいのは真ん中当たり、看板の「アン」の字のすぐ下です。和菓子が置いてあるのに気づきましたか? もちろんこれは本物の和菓子ではありません。紙粘土のようなもので作ったものだと思われます。お店の方に伺うとスタッフの方が手作りしたものだそうです。すごいですね。ここまでの愛情。頭が下がります。

美味しいお菓子の話題が出たので、グルメつながりで昨晩の夕食をご紹介、オムライスです。

材料を炒めて作ったわけではなく、中味は冷凍のチキンライスを使いました。それをフライパンで炒め、オムライスの型に詰めて皿に載せました。そこに薄く焼いた卵焼きをやや半熟状態でかぶせたものです。

この後、卵の上にケチャップをかけました。さすがにこの歳になるとケチャップでメッセージを書いたりはしませんが……(汗)。

話は戻りますが、レーベルは異なりますが、坂木司さん、『おやつが好き』という文庫が刊行されましたね!

読書の輪が広がる?

《エクス・リブリス》の新刊『スモモの木の啓示』は、もうご覧になりましたでしょうか?

イラン・イスラム革命に翻弄される一家の姿を、13歳の少女バハールの語りで描く。亡命イラン人作家による魔術的リアリズムの傑作長篇。

という公式サイトの内容紹介にありますように、本作品の舞台はイランです。イスラム革命やホメイニ師といった言葉、単語は、あたしくらいの世代ですと辛うじてニュースで聞いて知っているものですが、若い方ですと興味を持っていない限りよくわからない世界の話かも知れません。

いや、単語を聞いたことがある程度のあたしだって知っているとはとても言えたものではありませんが、それでも海外小説を読むことの愉しみは、そういう知らない世界や国のことを知ることができる点です。醍醐味と言ってもよいでしょう。

ただ、海外小説が苦手という方の多くは、そういった未知の国、よくわからない地域のことをイメージできない、気候や風土、文化や歴史的な背景を知らないので、小説の内容が理解できない、といったことから海外小説を敬遠しがちだと思います。

もっともだと思います。ただし、そんな予備知識がなくたって、読み慣れてくると自然と愉しめるようになるものです。そして、むしろ知らないことが出てくると、そこに興味を覚えるものです。たとえば今回の『スモモの木の啓示』であれば、手近なところでは平凡社新書の『イラン』などがよい参考資料になるのではないでしょうか?

こんな風に、一冊の本から次への本へとリレーしていくのも読書の楽しみだと思うのですが、如何でしょう?

今日の配本(22/01/28)

戦争記念碑は物語る
第二次世界大戦の記憶に囚われて

キース・ロウ 著/田中直 訳

「第二次世界大戦の記念碑」といえば、日本では広島の原爆ドームや長崎の平和祈念像、東京の靖国神社、海外では中国の南京大虐殺記念館、ポーランドのアウシュヴィッツ博物館が有名だ。戦争記念碑は犠牲者や戦禍を追悼するもの、英雄やレジスタンス、犯罪を記憶に留めるもの、復興や平和を唱えるものとして、集合的記憶を形成し、継承する目的を有する。しかし近年、韓国の慰安婦像のように、論争を巻き起こしている戦争記念碑も増えている。本書は、英国の歴史家が世界の25の戦争記念碑を訪ね、「英雄」「犠牲者」「モンスター」「破壊」「再生」に分類し、歴史の表象とその変化や議論を考察する。

次なるパンデミックを防ぐ
反科学の時代におけるワクチン外交

ピーター・J・ホッテズ 著/詫摩佳代 訳

世界中がコロナ禍に覆われてすでに2年が経つ。パンデミックは突然発生したかにみえるが、実はそうでない。
本書によれば、2015年に感染症や熱帯病が増加に転じ始めたという。かつて撲滅したはずの病が、「人新世」という新たな時代のなかで復活しつつあった。その状況下、新型コロナウイルスが世界的に蔓延する事態になったのである。人間の活動が環境に未曾有の影響を与えるという人新世。戦争と政情不安、難民危機と都市化、貧困の深刻化、気候変動が感染症や熱帯病の温床になっている。危機を克服する鍵は、意外にも冷戦期に構築された米ソの「ワクチン外交」にある。本書では、対立が激化するなかでもポリオや天然痘を制圧した両国の科学者の姿が活写されている。しかし、冷戦期とは異なり、「反科学」が大きな足枷になっている。途上国だけでなく、いやむしろ先進国においてワクチンの接種をはじめ科学的知見を拒絶する動きが巨大メディア帝国を通じてばらまかれているのだ。人新世に迫りくる多種多様な感染症との闘いにいかに向き合うべきなのか? 世界的権威による処方箋!

邯鄲一炊の夢?

あたしはふだん、晩は7時過ぎ、8時前には布団に入ります。朝は3時半くらいから起きているので、どうしても晩は早々と眠くなってしまうのです。

布団に入ってもしばらくは本を読んでいますので、すぐに寝てしまうわけではありません。時には一時間以上読んでいるときもあります。

そして昨晩ですが、ちょっと体調がすぐれず、風邪っぽかったので、風邪薬を飲んで蒲団に向かいました。いつものように本を読み始めたのですが、風邪薬が速くも効いてきたのか、まもなく睡魔が襲ってきました。

本を閉じて眠りにつくと、内容はほとんど覚えていないのですが、波瀾万丈の大冒険をした、長い長い夢を見ました。なんでそんな夢を見たのか、どういう脈絡でこんな夢を見たのか全くわかりませんが、とにかくあたしとしては自分では考えられないような冒険、そして体験、経験をした夢でした(という薄ぼんやりとした記憶が残っているだけです)。

「ああ、いい夢を見たなあ」という感触を抱いたまま目が覚めて、枕元の時計を見ると8時15分。もちろん今朝の8時過ぎではありません。昨晩の8時過ぎです。

ものすごく長い時間夢を見て眠っていたような気になっていたのですが、実際に寝ていたのは1時間にも満たない時間でした。劣化版ではありますが、これぞまさしく邯鄲一炊の夢ではないでしょうか? 夢の内容を覚えていないのが残念ですが。

またまた掲載されました!

今朝の朝日新聞一面です。

つい先日も『忘却の野に春を想う』が引用されていたのですが、今朝は『新「ことば」の課外授業』からの引用です。

ふと思ったのですが、こういう掲載のされ方の場合、「掲載」と言うべきなのか、それとも「引用」と呼ぶべきなのか、どちらがふさわしいのでしょう?

先に何気なく「引用」と書いてしまいましたが、「掲載」でも不自然には感じられませんし、「折々のことばに載った」という言い方は普通に言ってしまいそうです。

もちろん「折々のことばで紹介された」「折々のことばで取り上げられた」とも言いますので、やはり引用よりは掲載の方が、この場合にはよいのですかね?

今日の配本(22/01/27)

新訳ベケット戯曲全集3 フィルム
映画・ラジオ・テレビ作品集

サミュエル・ベケット 著/岡室美奈子、長島確、木内久美子、久米宗隆、鈴木哲平 訳

わかりやすくて明快な21世紀のベケットを、すべて新訳でお届けします。表題作をはじめ、本邦初訳の「なつかしい曲」、ドゥルーズが『消尽したもの』で分析したテレビドラマ作品など、13篇を一挙収録! 幽玄夢幻の、絵になる「放送劇」。

スモモの木の啓示

ショクーフェ・アーザル 著/堤幸 訳

13歳の末娘バハールの目を通して、イスラーム革命に翻弄される一家の姿が、時に生々しく、時に幻想的に描かれる。『千一夜物語』的な挿話、死者や幽鬼との交わり、SNSなどの現代世界が融合した、亡命イラン人作家による、魔術的リアリズムの傑作長篇。

まとめて配送はむしろ迷惑なのかしら?

世はSDGsブームですから、なにかと節約したり、無駄なことは省いたり、そういった風潮です。基本的には、あたしも大賛成なのですが、最近になって一つ疑問に思うことがありました。

それは、ネットショッピングの「まとめて配送」です。

あたしが日常的に使うネットのショッピングサイトはヨドバシカメラ(ヨドバシ.com)です。メインは書籍ですが、PC用品から何でも揃っているので重宝しています。楽天市場の場合、それぞれのショップになりますが、ヨドバシですと一つのショップですからわかりやすくもあります。

そんなヨドバシカメラのネットショッピングですが、複数の商品を購入したときに「準備のできたものから配送」「まとめて配送」などを選ぶことができます。あたしは配送の手間を考えて、よほど急ぎの商品でない限り「まとめて」を選ぶようにしています。

ところが、それをすると到着までに日数が一日か二日余計にかかることがしばしばありました。上述したように急いでいるわけではないので目くじら立てるつもりはありませんが、サイトでは「翌日配送可」などと書いてあるのに、実際には三日か四日かかるのでは「看板に偽りあり」ではないかと思うのです。

ただ、これはあくまであたしの予想(想像)なのですが、ヨドバシみたいな大きなサイトだと、書籍の倉庫、PC用品の倉庫、日用品の倉庫など、たぶんジャンルごとに倉庫が分かれているのではないかと思われます。そしてそのジャンルのみの注文であれば(そして倉庫に在庫があれば)、その倉庫からすぐにでも出荷されるのでしょう。しかし、あたしのように書籍と薬と文房具をまとめて買うようなお客の場合、それぞれの倉庫から在庫をどこか一か所に集めてきて、そこで梱包して発送になるので時間が余分にかかるのではないかと思うのです。

そうなると、ヨドバシの倉庫の手間としては、却って負担をかけていることになりはしないか、そんな風に思えるのです。もしどこぞへ集めてから出荷する方が却って手間になるというのであれば、これからは「準備のできたものから出荷」を選ぼうと思います。

別にヨドバシに確認したわけではないのですが、最近はそんなことを考えていまして、そうなるとどちらの方が環境にやさしいのか、と考えてしまうのです。