呉明益コレクション?

雨の島』を落手しました。

もちろん、台湾の作家、呉明益の作品です。このところ『複眼人』『眠りの航路』と続けざまに邦訳が刊行されていますが、そこに更に一作品加わったわけです。

そう言えば、先日はe2018年に刊行された『自転車泥棒』が文庫になりましたね。そして文庫と言えば、来月には『歩道橋の魔術師』が河出文庫として刊行される予定です。単行本の刊行が2015年ですから、6年で一気に日本での知名度が高まり、読者を獲得したようですね。

町中華ならぬ町本屋

先日お知らせしたミルハウザーと並んで、こちらも待ち望んでいた方が多かったと思いますが、イーヴリン・ウォーの『誉れの剣』第二巻『士官たちと紳士たち』がまもなく刊行になります。

第一巻『つわものども』が刊行されてから少し時間がたってしまいましたが、これだけの分量の翻訳ですから時間がかかるのはご容赦ください。そのぶん自信を持ってお届けいたします。第一巻の内容、覚えていらっしゃいますか? 読んでからしばらくたってしまったという方は、この機会に第一巻を今一度繙いてもよいのではないでしょうか?

さて、信販会社UCクレジットの会員誌『てんとう虫』の11月号が届きました。

今号の特集は「町本屋へ出かけよう」です。表紙は「リーディン ライティン ブックストア」です。本文の筆者は、目黒孝二、永江朗、和氣正幸の三氏。取り上げられている書店は、Title(東京都杉並区)、ブックスキューブリックけやき通り店(福岡県福岡市)、定有堂書店(鳥取県鳥取市)、往来堂書店(東京都文京区)、Readin’ Writin’ BOOK STORE(東京都台東区)、誠光社(京都府京都市)が写真入りで取り上げられています。

また「行ってみたい独立系書店」として、フリッツ・アートセンター(群馬県前橋市)、双子のライオン堂(東京都港区)、マルジナリア書店(東京都府中市)、今野書店(東京都杉並区)、隆祥館書店(大阪府大阪市)も出て来ます。

「大型書店の新しい試み」では、函館蔦屋書店World Antiquarian Book Plaza文喫HIBIYA CENTRAL MARKETが紹介されています。さらに「本屋のいろいろな形」として取り上げられているのは、八戸ブックセンターBOOK TRUCKBOOKSHOP TRAVELLERです。最後には山陽堂書店三月書房に関するエッセイも載っています。

ところで、この数年、「町中華」という言葉が知られてきました。チェーン店や流行りのラーメン屋ではなく、昔からあって家族で食べに行ったり、サラリーマンが一人で立ち寄ったりする、中華屋さんのことです。今回の「町本屋」も、そんな町中華という言葉からの連想で生まれた言葉でしょうか?

今日の配本(21/10/21)

こころの熟成
老いの精神分析

ブノワ・ヴェルドン 著/堀川聡司、小倉拓也、阿部又一郎 訳

1970年代以降、欧米において、老いに関する精神分析的な議論や発表がみられるようになったが、ほかの世代のそれに比べるとごくわずかであった。本書は、精神分析の見地から、老いのこころに生じるさまざまな視点や問題(年を経るにつれて変化する身体や性、それに伴うこころの問題、社会での役割、臨床と治療の実践、近親者や介護者のケアの問題など)を扱い、「異なる専門性をもち、異なる教育を受けてきた同輩たちだけでなく、一般の人が、年齢を重ねた人たちの心的生活に関心を抱けること」(「序文」)を試みる。また、症例とともに、フロイトが自身の老いを綴った書簡をはじめ、ユルスナール、イヨネスコ、モーパッサン、モーリヤック、ジッド、クローデル、レヴィ=ストロースなど、文学作品や手記、講演内容などを随所に盛り込み、思想家や著述家が向き合った老いを病跡学的に参照する。

よく使うイタリア語の慣用句1100

竹下ルッジェリ・アンナ、秋山美野 著

イタリア語は慣用句がとても豊かな言語です。avere grilli per la testa, in quattro e quattr’otto, a ogni morte di papa, fare una fritattaなど、語彙は簡単ながら、直訳からは想像できない表現がたくさんあります。本書は、使われている単語によって「動物」「食べ物・飲み物」「人の身体」「衣類」「宗教・神話」「文字・数・色など」の6つの章に分け、慣用句の由来と実践的な例文を紹介しています。一歩進んだイタリア語、よりネイティヴに近い表現を身につけたい方に最適です。

ATOKのAI変換で「みる」と入力すると「ミルク」とか「ミルフィーユ」が候補に出るけれど「ミルハウザー」はすぐに出て来ない問題について

今月末に刊行になる、スティーヴン・ミルハウザーの『夜の声』はこんな装丁です。

訳者あとがきで柴田元幸さんが書いていらっしゃいますが、原書は邦訳既刊の『ホーム・ラン』と合わせて一冊の短篇集でした。しかし、そのままのボリュームで日本語版を刊行するのは難しいということで半分に分け、『ホーム・ラン』『夜の声』として刊行することになったわけです。

『ホーム・ラン』を読まれた方は、この『夜の声』をまだかまだかと一日千秋の思いでお待ちいただいていたことでしょう。ですが、もうすぐです。来週末には書店店頭に並ぶはずです。

夜の声だらけ?

今月末に、スティーヴン・ミルハウザーの新刊『夜の声』が刊行されます。楽しみに待っているファンの方も多いと思います。

ところで「夜の声」でネット書店を検索すると同じタイトルの書籍がいくつもヒットするのに驚かされました。

未知谷の『夜の声』はナタリーア・ギンツブルグ(ナタリア・ギンズブルグ)の作品。創元推理文庫の『夜の声』はW・H・ホジスンの作品です。

日本人作家のものもあります。新潮文庫の『夜の声』は井上靖の作品。『夜の声』というタイトルの詩集も刊行されています。

その他にも現在は品切れになっている作品まで含めると、かなり多くの「夜の声」が出版されているようです。書店に注文される時は、くれぐれもお間違いのないようにお願いいたします。

どちらが原因なのか?

宣言が解除され、東京の新規感染者も専門家が首をかしげるほど減少しました。新規感染者数はそうですが、さまざまな要素を総合的に見た感染状況がどうなっているのか、素人のあたしにはわかりません。

しかし、世間を見えても、あたし自身の感覚でも、気が緩みまくっているのは確かです。

ただ、あたしの勤務先はいまだ在宅ワーク併用で、社内の密を避け、出勤の密も避けましょうという基本方針は変わらずです。ですので、あたしも今のところは週二日の在宅勤務を設けています。

とはいえ、書店回りを以前のように復活すると、週に三日の出勤ではとても時間が足りません。早晩、週5日の出勤に変えざるを得なくなりそうです。つい先日まで週三日、それも5時間勤務だった身からすると、週5日で7時間勤務は体にこたえます。疲れます。もう年ですかね?

そんな愚痴はともかく、在宅ワークで自宅から勤務先のパソコンに繋いで作業をしているのですが、勤務先のパソコンが遅くて困ります。画面が固まる寸前まで行くことがしばしばです。

これってパソコンの処理能力の問題なのか、回線の太さの問題なのか? 回線の、太さと言うか速さで言えば、わが家は勤務先よりもネットは3倍くらい速いです。回線速度を計測するサイトの数値で見ても、実際にやや大きな添付ファイルのあるメールの受信に要する時間を見ても、それは確かです。

となると、やはり勤務先の回線の問題なのでしょうか? やはり在宅ワークで常に勤務先のネットワークに外から接続している人がいるわけですし、そういったことが影響しているのでしょうかね?

鍵をかけていない?

録画しておいたテレビ東京系の新ドラマ、「じゃない方の彼女」を視聴しました。山下美月ってこういう「魔性の女」が多い気もしますが、もっと違うキャラクターも見てみたいですね。TBS系でやっていた「着飾る恋には理由があって」はそうではなかったですが、どの役を見ても根本的なところで不器用なキャラだなあという印象を受けるのは、あたしだけでしょうか?

それはともかく、主人公の濱田岳、どうして帰宅した時に玄関の鍵を閉めないのでしょうか? あたしはスレが気になって仕方ありませんでした。2回か3回、そういうシーン(帰宅の場面)がありましたが、いずれも鍵をかけることなく部屋に入ってきていました。

うーん、どうなのでしょう? やはり防犯上、非常に不用心だと思うのですが……

南北朝時代と言えば

今月購入した中公新書です。確か今月の新刊は5点だったと思うのですが、そのうちの4点をご購入です。

購入したタイトルは写真のとおり、『歴史修正主義』『ドイツ・ナショナリズム』『南北朝時代』『宗教図像学入門』です。逆に、どうして『三好一族』だけ購入しなかったのか、という疑問を持たれそうですね。

むしろ消去法です。「5点の中でどれか一つ削るなら……」と考えて『三好一族』が漏れてしまったわけです。ちなみに先月は5点中2点の購入。完全に中公新書中毒です。

ところで今回購入の一点、『南北朝時代』ですが、たいていの日本人は日本の南北朝時代を思い出すと思いますし、その時代を扱った本だと思ったのではないでしょうか。しかし、この本が扱うのは中国の南北朝時代なのです。サブタイトルが「五胡十六国から隋の統一まで」ですから、ここまで読めば日本史ではなく中国史の本だと理解できるでしょう。

三国志や楚漢、あるいは隋唐を扱ったものならありそうですが、ここで南北朝時代とはさすが中公新書です。いかにも中公新書らしいと言えるでしょう。

それでも選挙に行く、行った、行ってしまった

先日、日本翻訳家協会の翻訳特別賞を受賞したのは《エクス・リブリス》の『行く、行った、行ってしまった』でした。お陰様で、受賞後は順調に注文が伸びています。

本書は、もちろん小説なのですが、読んでいるとノンフィクションのような、テレビのドキュメンタリー番組を見ているような気になります。恐らく著者が綿密な取材をして、この作品に描かれたようなエピソードのいくつかは実際に起こった出来事なのではないかと思われます。

端的に言ってしまえば、ドイツに押し寄せた難民を扱った物語です。ドイツというと移民の受け入れなどで比較的寛大な態度を見せるメルケル首相を代表として、温かい国といったイメージがあります。その一方で移民排斥を訴える国民の声もじわじわと高まっていて、やはりこういう問題は一筋縄ではいかないと考えさせられるものです。

しかし、本作ではそんな大きな問題を扱うのではなく、ごくささやかな、とても個人的な体験、経験、思いが描かれています。使い古された言葉ですが、首脳同士の会談だけでなく民間レベルの草の根の交流が大事だという言葉が思い起こされる作品でした。

そして衆議院も解散となり、俄然注目を集めている新刊が『それでも選挙に行く理由』です。

決して日本の選挙制度について書かれた本でもなければ、日本の選挙について分析した本でもありません。

ただ、だからこそ選挙に潜む問題点、選挙が抱える矛盾がよくわかるのではないでしょうか? 今回の選挙を熱心に分析している週刊誌の記事もよいですが、まずはこういう本で選挙について俯瞰してみるのも大事ではないでしょうか?

それはそうと、ここへきて「行く」がタイトルに入っている本が二点、売れているのは何か理由があるのでしょうか? ただの偶然でしょうか? 「白水社はどこへ行く」のでしょうか? まずは31日には「それでも選挙に行く、行った、行ってしまった」となりますように!