この年、正月早々に周恩来が亡くなり、天安門事件が起こり、恐らくそんな事件が起こったのも、その時点で毛沢東の健康もかなり悪く、明日をも知れない状態だったからではないでしょうか?
そして半年以上が過ぎ、ようやく巨星、毛沢東も旅立ったというわけです。これで十年の動乱、プロレタリア文化大革命がようやく収束したのです。
当時の中国のことは、日本ではほとんど情報が入ってこなかったと言われていますが、その当時小学生だったあたしはまだ世間のこともよくわかっておらず、ましてや中国に興味など持っていなかったので、さっぱりわかりません。ただ、その後しばらくは世界地理の授業で中国の人民公社について学びましたけど、既に人民公社はほぼ解体されていましたよね。もちろん、文革についても学校の授業では何も習っておりません。そういう世代です。
ところで、今日は毛沢東の命日だけでなく、ジャック・ラカンの命日でもあります。こちらは毛沢東の死に後れること5年、1981年のことです。
そしてそして、毎年書いている気もしますが、今日はわが父の命日です。二十数年前の出来事です。そしてこれも書いたことがあると思いますが、父方の祖母の命日でもあります。つまりあたしの父親は自分の母親と同じ日に亡くなったのです。
あの世から母親に呼ばれたのでしょうかね?