わが家の伝統行事?

昨夕は、自宅の玄関前で迎え火を焚きました。毎年この時季に行なっている恒例の行事です。

祖父母と父の霊を、一年に一度、お盆のこの時期にわが家へ迎えるわけです。

考えてみますと、父が逝ってどれくらいになるのでしょう? まだ30年はたっていませんが、20年はとっくに過ぎましたね。あっという間です。ちなみに、祖父母は逢ったことがありません。

迎え火を焚いた後は、室内の仏壇に蝋燭を灯し、ご先祖様を迎えるわけですが、今年は特にお盆の提灯などは出していません。出す年もあれば、今年のように出さない年もあります。なんとなく気分によるのでしょうか……

ちなみに、わが家の仏壇には祖父母と父と、それに父の兄もいます。父の兄は父が生まれる10年以上まえに、まだ幼いころに亡くなってしまったとのことで、もちろん父も逢ったことがない人物です。

父の母も父が子供のころに亡くなっているので、父にはほとんど記憶や思い出はなかったようです。父の父はあたしが生まれる半年前に亡くなったので、あたしは逢っていません。辛うじて身重の母が逢ったことがあるくらいです。祖父は千葉の田舎から東京に出て来た三男坊なので、祖父よりまえの祖先は、わが家の仏壇にはいないのです。

なお、お盆をどの時期にやるかは地域によって異なるみたいですが、わが家は昔からこの時期にやっています。

2021年7月14日 | カテゴリー : Rockfield Diary | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

今日の配本(21/07/14)

行く、行った、行ってしまった

ジェニー・エルペンベック 著/浅井晶子 訳

大学を定年退官した古典文献学の教授リヒャルトは、アレクサンダー広場でアフリカ難民がハンガーストライキ中とのニュースを知る。彼らが英語で書いたプラカード(「我々は目に見える存在になる」)について、リヒャルトは思いを巡らす。東ドイツの記憶と現代の難民問題を重ね合わせ、それぞれの生を繊細に描き出す。ドイツの実力派による〈トーマス・マン賞〉受賞作。