第6回 短期語学研修(前)

大学3年生になって、と本来なら第6回は書き出されるはずでしょうが、大学の2年から3年になる春休みに私は人生において大きな経験をしました。それは初めての海外旅行です。ちなみに飛行機に乗るのも初めてでした。

2年生の時、夏休みに学科の先輩数名が短期語学研修として中国へ行きました。現在は非常に多くの学生の方が夏休みや春休みを利用して中国旅行をしてますし、短期語学研修にも行ってます。また1年や2年学校を休学して長期の留学に行く人も増えているようです。

しかし、東洋大学が特殊だったのか、この当時としてはまだその程度であったと言うべきか、私の先輩方を見回しても中国旅行の経験者は非常に少数でした。1週間程度の家族や友達との旅行ですら、中国へ言ったことのある人は希でした。

そんな中、割と親しかった先輩が中国へ行ってきた、そして中国の話を聞かされるにつけ自分でも行ってみたいと思うようになったのです。確かに短期研修1ヶ月は、宿泊場所と3度の食事、それに1ヶ月4週間の授業料を考えると、東京で一人暮らしをして大学に通うよりはるかに安い費用ですませることができます。それに4週間の研修のあとさらに1週間中国国内の卒業旅行もどきもあります。ただのパックツアーなどと比べたら確かに割安です。でもやはり一般サラリーマン家庭にはそれなりのまとまった金が必要になります。

そこで私は、今から考えるとずいぶんと強引な取引を親としました。その当時、両親は盛んに私に車の免許を取るように言ってました。私は東京生まれ東京育ちで、なおかつ乗り物に弱いという条件が重なって、あまり車の免許を取る必要性を感じていませんでした。何であんな混んだ道を車で行くんだろう、電車ならすぐに着くのに、と思っていたのです。が、今後のことやちょっと出かけるにしても車の免許があれば便利だという親の説得に応じて1つの条件を出しました。そうです、教習所に通う代わりに、中国へ行かせてくれ、というものです。まあ、よくうちの親もこんな条件を飲んだと思います。いちおうこの要求は認められました。

さてこれで見事中国行きが決まったわけですが、手続きなどは全くやってませんでした。1ヶ月くらいの語学研修を「留学」と呼ぶのは問題がありますが、日本ではさまざまな募集パンフレットなどでも「留学」と書いてあるようなので、私も留学という言葉を時に応じて使います。

まず、今回の中国行きのきっかけにもなったのは東方書店や内山書店の店頭に置いてあった「中国留学」のパンフレットです。公費もありますが、おいてあるパンフレットは基本的には私費留学のものが多いです。扱っている業者も幾つかあります。業者によって日程・留学先の都市・大学に差があります。費用にはそれほどの差はなかったと思いますので、決めた理由は都市と大学によりました。と言っても行ったことのない中国ですから、あくまで印象でしかありません。業者について大手とか中小とかあるのかもしれませんが、その時点では全くわかりませんでしたから、先に行った先輩などに聞いたりしました。

結局、私は「毎日コミュニケーションズ」の語学留学コースに決めました。研修先は「北京外国語学院」です。今は外国語大学というのかな?当時も今も外国人向け語学教育の総本山・語言学院を選ばなかったのは、今となってはあまり理由を思い出せないのですが、確か日本人が多すぎてとても語学研修にならない、という噂を聞いたからだったと思います。ただ結果的に中心部へ出る交通の便としては外国語学院は語言より若干便利で、近くには北東方向に友誼賓館、南にシャングリアホテルがあり、ちょっとした買い物にも便利でした。

語学研修の中身についてここにあれこれ書くいても、語学研修や長期留学の体験記を載せたホームページがインターネットの世界には山ほどありますから、ここでは私の体験したちょっと面白いことなどを書きます。

まず、私の参加した研修団にはほぼ同年齢の男女が十数名参加してました。ほぼ半々の割合で東京出発組と大阪出発組がいて、現地で合流しました。私を含むごく少数の人を除いて、大部分は友達同士2人で申し込んでいるようでした。が、たった十数人ですからすぐに仲良くなりました。

クラスははじめは人数が少ないこともあって1クラスでしたが、どうみても語学力に差があるので初級クラスと中級クラスに分かれました。ふたを開けてみると大学2年生1年生の人は初級クラス、3年生4年生の人が中級クラスになったようです。私は学科が第1外国語に中国語を指定していたこともあり、また中国語のサークルに入って中国を勉強していたので中級クラスに入れましたが、やはり1・2年とはいえこれまでの学習量(学習年)の違いが出るようです。これは経験談ですが、語学研修は現地に行けば嫌でも中国語を使わなければならないんだから、向こうに行けば上手になるよ、というのは全くの誤りです。むしろ日本で十分勉強していった人こそ現地でほんの半年学ぶだけで飛躍的に向上するものだと思います。

授業は月曜から金曜の午前中のみ50分授業が4コマです。つまり1週間で20コマ、4週間の研修ですから80コマですね。これがすべて中国語オンリーの授業なんですから、嫌でもヒアリング力は向上してしまいます。中国語も英語と同じで、わかってくると普通に話している時の単語はごくごく簡単なものばかりです。

でもなによりも、これが肝心だと思いますが、私の場合着いた翌日に仲間と一緒に天安門までバスなどを乗り継いで行ったのですが、車掌さんに話した中国語がきちんと通じて、1往復か2往復でしたけど会話が成り立ったという経験が、自分の発音でも通じるんだという自信になっていました。巷間よく言われますが、語学の上達には自信を持つことが一番なんだとつくづく実感しました。

というわけで、午後は自由時間です。でも私が行ったのは春休みです。ちょうど2月下旬から3月いっぱいという時季です。行った先は北京です。もうおわかりですね。結構寒いんです。それでも3月になると晴れていれば散策するぶんには暖かいと感じられるようになりましたが、ずいぶん厚着をしてました。学校は北京の郊外にあったので、天安門など中心部へ行くには1時間弱かかります。昼食を済ませて夕食前までに戻るとなると、結構強行軍です。それでも結構出歩いたりしてました。特にどこへ行くというわけでもなくぶらぶらその辺を、ということもありました。でも、日本人の性なのか、それとも初めての海外旅行のせいなのか、おみやげを買いに歩き回ることもありました。もちろん1ヶ月もいましたからそれほど慌てて買ったりはせず、いくつものお店を見て歩き少しでも安いところを捜しました。はじめのうちは中国の物価の安さに「にわか成金」状態でしたが、すぐに中国の物価水準になれてしまいました。当時の私の感覚では100元札が日本の1万円札くらいの気持ちでした。

先にも書いた中国語サークルの後輩から餞別をもらっていましたので、彼らに何かおみやげをと思っていたのですが、後輩からは1人500円ずつ、10人で5000円もらってます。これを当時の為替レートで中国元に換算して、ちょうどそれくらいの金額のものを買おうとしたのですが、日本円で500円というのはかなり高価なものです。さすがに宝石とか絨毯みたいなものには手が届きませんが、ちょっとした民芸品などを選ぼうと思うと、1人に幾つか買わないと、とても500円にならないのです。それに10個も買うとなると、当時の中国の品揃えでは、これまた選択肢が狭まってしまいますし、あまり荷物にならないようにコンパクトなものとなると、ますます選ぶのがたいへんです。それでもなんとか手頃なものを見つけて買って帰りました。

(第6回 完)

2014年9月28日