実は既に?

猛威を振るっているオミクロン株は感染力がすごいらしいです。

とはいえ、症状はあまり重症化せず、無自覚の人も多いとか。

比較的軽症で済んでいるのは、ワクチンを2回打っている人がほとんどだからなのか、それともオミクロン株の特性なのか、あたしにはよくわかりません。

ただ、無自覚の人も多くて、これだけの感染力ということは、あたしだって実は既に感染していて、何の症状が出ていないだけなのかもしれません。

そしていま、この時点で陽性なのか陰性なのか、それも特に検査をしたわけではないのでわかりません。

ここ最近、JRの国分寺駅前広場で無料のPCR検査が実施されていました。あたしは受けませんでしたが、結構並んでいる人がいました。そういう自主的な検査を受けない限り、無自覚の感染者を見つけるのは至難ですよね。

でも、そんな風にして感染が広がると、こんどは多くの人が感染することによって集団免疫が出来上がるのでしょうか?

こんなことが気になるのも、同居している高齢の母がいるからなんですけどね。

ガンバレ受験生?

今日からセンター試験。

いや、もうセンター試験とは呼ばないのですよね。大学入学共通テストでしたっけ。なにせ、あたしが受験したのは数十年前。たぶん共通一次と呼ばれていたような気がします。もう記憶が定かではありません(汗)。

いまの入試要項は知りませんが、あたしの時代には国数英社理各200点で、合計1000点満点の試験でした。翌年からは理社が各100点となり合計800点になりました。まだ昭和の時代です。

そんな受験前に買ったものが右の写真です。東京にある学問のメッカ、湯島天神の鉛筆です。お守りを買いに行った時に、この鉛筆も買ったと記憶しています。表面には受験生を鼓舞する言葉が書かれています。

30年以上前に買ったものなので、学業成就の効果は既に失われていると思いますが、今日という日なのでアップしようと思いました。ただ、そもそも、あたしの学業成就にも効果があったのか否か、定かではありません。

どうも好きになれないのです……

年末のニュース番組、情報番組を見ていますと、アメ横からの中継がほぼ必ずと言ってよいくらい登場します。

たぶん、アメ横中継は関東ローカルで、地方ごとに中継されるスポットがあると思うのですが、あたしのように東京生まれ東京育ちですと、小さいころからアメ横中継をこの季節になると目にしていました。

中継を見るだけでなく、小さいころは実際に足を運んでいました。昭和の華やかなりしころ、年末になると鮭とか年末年始的なものを買いに、父に連れられて毎年アメ横に出かけていた記憶があります。

たぶん、そのせいでしょう。あたしはアメ横も、アメ横中継も好きではありません。むしろ嫌いです。

人混みが嫌い、あの雑多な空気感が嫌い、商店のおやじのダミ声が嫌い、とどれ一つとっても好きになれる要素がないのです。

家族で暮れにアメ横へ出かけるのは、小学校高学年になるころにはなくなっていましたが、行かなくなっても、アメ横中継を見ると幼いころの記憶が蘇り、どうも好きになれないのです。

混雑して、なおかつ寒い中、みんなよく出かけて行くなあ、とテレビで見るたびに思います。

追悼、哀悼、惜別

瀬戸内寂聴さんが亡くなりました。来年は100歳だと、ご自身も楽しみにされていたことと思いますが、残念です。

実はあたしの勤務先では、寂聴さんの評伝を出しているんですよね。

まずは『寂聴伝 良夜玲瓏』です。寂聴さんの信頼厚い齋藤愼爾さんが、まだお元気なころの寂聴さんに取材してまとめられたもので、寂聴さんもこの評伝をたいそう気に入ってくださっていました。

そして、もちろんまだまだ寂聴さんはお元気で、数年後に斎藤さんは、その続編とも言うべき評伝をまとめられ、それが『続・寂聴伝 拈華微笑』です。

こちらの刊行が2017年でしたので、もう4年前のことになります。当時の寂聴さんはまだまだ矍鑠とされていましたが、その後は体調を崩されたりといったニュースが飛び込んでくることが多くなりました。それでも世の中に対する辛辣な批評眼は健在で、老いてますます意気盛ん、と感じていました。

寂聴さんが亡くなられた今、改めて繙いていただきたい一冊、否、二冊です。

やはりGoToトラベルは必要なのでしょうか?

総選挙も終わり、選挙について思うことは多々ありますが、それはひとまずおくとして、選集の関西ツアーについて、しつこくまだ書きます。

今回の関西ツアーは大阪、京都、兵庫を駆け足で回ったと書きましたが、つまり大阪は梅田と主要駅周辺、京都も中心部のみ、兵庫に至っては三宮に半日程度の滞在でした。

そんな三都物語で感じたのは京都の通りの寂しさです。

ほんの数時間ではありましたが、京都の様子を見てみると、観光客は確かに増えていると感じます。それっぽい人を多数見かけましたから。ただ、現状では国内からの観光客のみで、海外からの観光客がドッと押し寄せるのはいつになることやら……

烏丸通り、三条通り、河原町通り、四条通りという京都のど真ん中、一番繁華な通りですが、これらの通りを歩いてみたところ、シャッターが閉まっているテナントがなんと多いことか! 改装中というところももちろんありましたが、大半は以前のテナントが撤退して次のテナントが見つかっていない、という感じです。京都のど真ん中ですから、路面の家賃は相当なものでしょう。コロナが治まっていない現状では、とても入居しようというテナントが現われないのだと思います。

これはかなり深刻な状況ではないでしょうか。もちろん、観光客が戻ってくれば京都の契機はすぐにでも上向くのかも知れませんが、それがいつになるかわからない現状では、観光業界としては起爆剤としてのGoToをすぐにでも始めてもらいたいところなのでしょう。

しかし、やはりGoTo、特にトラベルは金持ち優遇策であって、富める者だけがますます富むような政策なので、あたしは反対です。

わかりやすさか、正確さか?

この週末、東京の大動脈、山手線が工事のため運休していました。渋谷駅のホーム改良工事のためで、内回りの池袋・大崎間が土日の二日間運休となり、外回りも本数を減らしての運行でした。

土日にほとんど出かけることのないあたしにはほとんど影響のない工事でしたが、テレビのニュース番組では大きく扱っていました。その伝え方があたしはちょっと気になりました。

どの局も同じような伝え方だったのかわかりませんが、あたしが見ていた番組では土曜日の朝の番組で「山手線の内回り、池袋・大崎間が今朝の始発から明日の終電まで終日運休となります」と伝えていました。そのニュースが流れている時点で既に運休は始まっているわけです。それは別によいのですが、この表現がわかりやすいのかどうか、ということです。

あたしなら「土日丸二日間運休になります」という言い方、表現を使ったと思います。しかしアナウンサーの原稿読みではこういう言い方は一切なされず、「本日の始発から明日の終電まで」という言い方で統一されていました。たぶん、あたしが見ていた局は局としてその表現に統一していたのではないかと思います。

しかし、同じことを言っているのはわかりますが、一般の視聴者にとってはどちらの方がわかりやすいでしょうか? ここまで来ると感覚の問題だと思いますが如何でしょう?

あたしなりに考えますと、まずはJR側の公式アナウンスの表現がそうなっていたのだと思います。そして更に予測しますと「今日明日の二日間」と言ってしまうと、日曜日の夜12時を回ったら動き出すのではないか、と思ってしまう視聴者・利用者がいることを心配したのではないかと思います。

日曜の夜12時を回ったら、たぶん山手線とはいえ終電までに運行されるのは数本だと思います。それでも夜遅くまで出かけている人、遊んでいる人にとってはその数本があるかないかは大問題でしょう。そんな揚げ足を取られないためにも「日曜の終電まで」という、より正確な表現を使ったのではないかと思うわけです。

震度5強

東京で久しぶりに大きな揺れを感じたのは木曜の晩でした。11時少し前ということで、帰宅の足が奪われ大変なことになったようですが、コロナ禍でリモートワークが推奨されているというのに、こんなにも出社している人がいるのですね。

ちなみに、あたしはぐっすりと寝ていて、大きな揺れで目が覚めました。その日はノーベル文学賞の発表が夜8時過ぎにあるというので、それを確認してから布団に入ったのです。そして寝床で本をしばらく読んで、たぶん9時前には眠ってしまったと思います。ですから完全にぐっすりと深ーい眠りの中にいたわけです。

たまに地震はありますけど、今回の地震はいつもよりちょっと大きくて、長かったですね。とはいえ恐怖を感じるほどの揺れではありませんでした。本棚の本が落ちることもなく、棚の上の物が落ちて来ることもなく、もちろん食器が割れることもありませんでした。

ニュースでは10年前の東日本大震災を思い出したという人が多かったようです。しかし東日本大震災の時、あたしはトーハンの桶川倉庫というかなり特殊な、日常とは異なる環境下にいましたので、実はあの大震災もそれほどの大事だという実感がないのです。

もちろん桶川から自宅へ帰るのにはひと苦労しましたけれど、それでも多くの帰宅難民に比べるとバスと電車を乗り継いでスムーズに帰り着いたので、ラッキーだったと言えます。ですから、10年前との比較もできず、なんとももどかしい思いをしております。

8年ぶりだそうです

今晩は中秋の名月です。

なおかつ満月なのだそうですが、中秋の名月が満月にあたるのは8年ぶりなのだそうです。

月と言えば、あたしの勤務先から『月 人との豊かなかかわりの歴史』という本が刊行されています。言うなれば月の文化史です。

今日だけは、こんな本を繙いてみるのもよいのではないでしょうか?

パラリンピックも平和の祭典ですよね?

あたしは五輪に反対です。

別にコロナ禍でやらなくてもよいではないか、という理由で反対しているのではなく、そもそも五輪に反対なのです。ですから、コロナ禍のはるか以前、東京五輪の招致運動のころから一貫して反対で、東京が選ばれなければよいのに、と願っていました。

当時の感覚としては、復興五輪を謳うのであれば東京ではなく東北でやるべきだろう、と思っていました。その復興という言葉すらどこかへ吹き飛んでしまいましたけどね。

さて、ここで語りたいのはブルーインパルスです。五輪の時に登場しただけでは飽き足らず、パラにまで出てくるとは、なんとも厚顔無恥な戦闘機でしょう。

それにしても、どうして平和の祭典であるオリ・パラに戦闘機が登場するのでしょう。そして、そんな戦闘機をどうして多くの国民が熱狂的に見上げるのでしょう。あたしには理解できません。

きれい? 格好いい? すごい?

どんなに言葉を並べてもブルーインパルスは戦闘機であって、平和の祭典という理念にふさわしくないと思うのはあたしだけでしょうか? あれだけオリ・パラに懐疑的だったテレビの情報番組もブルーインパルスの話題を好意的に取り上げているのは理解に苦しみます。

県を跨いだ移動は自粛?

東京を始めとした全国のコロナ感染が大変なことになっています。

なんだかんだ言いつつも、ワクチンの接種が進んでいるので死者の数が極端に増えていないのが不幸中の幸いでしょうか?

政府は高齢者の割合が減っているとワクチン接種の成果を誇っているようですが、確かにそういう面もあります。でも、これだけ感染者数が増えてくると、高齢者の感染者数、重症者数だって増えてしまうので、ここはやはりパーセンテージではなく人数で考えるべきではないかと思います。

そんな中、お盆を迎えましたが、県を跨いだ移動は自粛するように、帰省や旅行もやめてくださいというメッセージが発せられました。もちろん、効果はほとんどないみたいです。政府がまるで信用されていませんから。

さて本題です。

この県を跨いだ移動というのは、主に旅行や帰省を念頭に置いての発言ですよね? まさか通勤についても言っているのでしょうか? だとしたら、多くの企業にとってはたいへんな問題ではないでしょうか?

あたしの勤務先も、東京都以外の在住者はそれなりに在籍しています。神奈川、千葉、埼玉から通っている社員は多いです。しかし、あたしの勤務先の所在地は、駅名で言うと東京の御茶の水ですから比較的東の方になります。八王子から通うよりも千葉県の市川、船橋あたりから通ってくる方が断然近いはずです。それでも、八王子在住者は通えるけど、市川の人は通勤禁止になってしまうのでしょうか?

また電車から降りることはないにしても、多摩センターや町田からですと、途中で神奈川県を通ります。これも政府の言うことを厳密に考えると通勤不可の対象になってしまうのでしょうか?