こうなってくると、昭和ってよかったなあ、という気がしてきます

情報番組で報じていたのですが、コンビニ大手のローソンが、コーヒー用のカップを貸し出しにして、ローソンだけでなくスターバックスでもカップの返却を受け付けるようになるそうです。プラスチックごみの削減策の一環なのでしょう。よいことですね。

でも、それだったらステンレスボトル(マイボトル)を持ち歩いている人も多いですから、そういうボトルを使うのも可、とはならないのでしょうか? マイ箸ならぬマイボトル、いいアイデアだと思うのですが。

こういうニュースを聞くと、かつての商店街の買い物を風景が懐かしく思い出されます。あたしが子供のころから徐々にスーパーマーケットが増えてきましたけど、それでもまだまだ商店街は健在で、魚屋さんに自分の家のお皿を持って行って、そこにお刺身を盛り付けてもらう、お鍋を持参して、そこにおでんを入れてもらう、ボールを持って豆腐屋に豆腐を買いに行く、そんなのは日常茶飯事でした。

今のような缶ビールもありましたが、父が晩酌で飲んでいたのは瓶ビール。近所の酒屋さんからケースで配達してもらい、飲み終わった空瓶は水洗いしてケースに入れ、ケースのビールを全部飲み終わったら取りに来てもらう(次のビールの注文も兼ねる)ということもよく見かける光景でした。当然ビール瓶は再利用されます。そう言えば、駄菓子屋などでコーラを買うときももちろん瓶で、その場で飲んで瓶を返すと10円が戻ってくるというシステムでした。

そんな風に、昭和の時代には自分の家の器が大活躍していたものです。そこにはプラスチックが入り込む余地はありませんでした。今こそ、こういう風景が復活しないものでしょうか?

明日は出社する?

4月から新年度です。

新人の採用があった企業では、1日の金曜日から新入社員が出社しているのでしょうね。ただ、金曜日から出社ってどうなのでしょう? たいていの企業は土日が休みですから、初日の金曜日に出社したと思ったら土日が休みです。果たして明日の月曜日、元気に出社二日目を迎えられるのでしょうか? 気持ちが萎えてしまって早速休んでしまう人もいるのではないでしょうか?

テレビなどの帯番組のリニューアルは、やはり帯番組だからでしょう、先週の月曜日から変わっているところが多かったようです。また明日からリニューアルする番組も多数あることでしょう。やはり週の始まりは月曜日という意識が強いのだと思います。

なので、あたしとしては入社式も明日、4日にすればよいのに、と思ってしまいます。ただ、新入社員の側からすると、何かと気疲れする仕事始めが月曜から始まって5日間あるのは、あまりにも負担が重いので、水曜日くらいからスタートだと疲れたころに週末を迎えるので丁度よいのに、と思っているのではないでしょうか。あたしだって、長期休暇の後に月曜日から始まるのはつらいですから。

開花宣言、出ましたか?

近所の桜です。

昨日の時点で二、三輪は確実に咲いているのを目睹していたので、今日の昼前に再び見に行ってみたのです。

昨晩はあいにくの雨でしたが、今日の午前中はよく晴れたので、これはきっともっと咲いているぞ、と思って確認しに行ったわけです。

そして、その結果がこれらの写真たちです。如何でしょう? これならもう十二分に開花宣言を出してもよいと思うのですが。

もちろん、写真からもわかるように、すべての株で花が咲いているわけではありません。すべてを見たわけではないですが、たぶん咲いている花があったのは二株くらいでした。そして咲いているとは言ってもこの程度、数輪咲いているくらいです。開花宣言の最低ラインを辛うじて突破したといったところです。

それでも、この調子で極端に寒くならなければ、今週末はかなり咲きそろってくるのではないでしょうか? そうなると来月初め、2日、3日の週末が見頃ですかね?

ここは通りの両側に桜が何本も植わっていて、桜のトンネルになっている場所なので、わざわざ小金井公園や井の頭公園、はるばる上野公園などに出かけなくても、十分すぎるほど桜の花を満喫できます。桜の木の下を散歩するだけでも、気分はワクワクしてくるものです。

校則が思い出せません

新聞やテレビでも、都立高校のブラック校則を見直すことになったというニュースを大きく取り上げています。

この「ブラック校則」という言葉、あたしが学生のころには存在しなかった言葉です。こういう事例がなかったとは言いませんが、たぶんあたしたちの時代は「校則が厳しい」と表現していたのだと思います。もちろん、あたしの時代から数十年も経っていますので、あたしの卒業後にますます校則がおかしな方向へ行ってしまったのかも知れませんが。

さて、あたしは都立高校の出身ですが、意識させられるような校則はなかったというのが正直なところです。あたしの通っていた高校は自由な校風で知られ、髪を染めている人やパーマをかけている人もいました。まあ、時代が時代なので、染めると言うよりは脱色しているという方が正しいですが。女子も化粧をしている子がいましたけど、だからといって先生に取り立てて注意されていることはなかったと思います。

制服もなく、みんな自由な服装で登校していました。冬になると寒がりな女子はズボンを穿いてくる子もいたくらいです。ちなみに、私服の高校で、あたしは一時期あえて学生服(詰め襟)を着ていました。それも「チューラン」と呼ばれる、襟が少し高くて、丈もやや長めのものです。別に不良を気取っていたわけではありませんが。

むしろ校則が異様だったのは通っていた公立の中学の方です。いや、校則だったのか今となっては思い出せませんが、制服の既定がおかしかったのです。その公立の中学校、男子は学ランなのですが、女子は全くの私服でした。

どうしてそんなことになったのかわかりませんが、男子だけ学ランを着ているという、かなり異様な光景が日常でした。しかし、だからといって男子から文句が出るようなこともなかったと記憶しています。今はどうなっているのでしょうか?

いずれにせよ、校則を気にすることなく中学高校時代を過ごすことができたのは幸せだったと思います。

なんとか帰宅したのよね

今日、3月11日は東日本大震災の日です。あれから今日で11年、あの日も今年と同じように3月11日は金曜日でした。

何回かこのダイアリーで書いたことがあったと思いますが、今日という日なので改めてあの日のことを書いてみます。別に決して感傷的なものではありませんので、その点はあらかじめ断わっておきます。

当時は、月に一度、在庫補充などのやりとりで桶川にあるトーハンの倉庫へ通っていて、あの日も上司と二人、2時ごろに到着して担当の方と打ち合わせをしていたところでした。そして突然揺れたのです。普段とは異なる場所にいると状況を把握するのが難しいもので、あたしは当初、桶川倉庫へ大型トラックが入ってきたので、そのせいで揺れているのかと思いました。

しかし、それにしては揺れが大きいですし、本も棚から落ちてきて、桶川倉庫の方々の様子が尋常ではありません。大地震だと認識した直後、あたしはまず倉庫の方に打ち合わせ途中までのデータをきちんとパソコンで保存するように訴えたのですが、担当の方が保存してくれたのかは覚えていません。

いずれにせよ、もう商談どころではなくなり、あたしと上司は辞去することになりました。桶川のパートの方々も帰宅指示が出ていたようです。桶川駅まで戻ったあたしたちは、JR線が動いていないので、駅前の居酒屋へ入って時間を潰すことにしました。この時点ではあんなにも大きな地震だとは認識しておらず、一時間か二時間もすればJRも動き出すだろうと高を括っていたのです。しかし、その居酒屋の店内のテレビに映し出された映像は衝撃的なものでした。JR東日本はその日の運転をすべて中止したと伝えているので、あたしたちも帰路をどうするかで俄に慌てふためきました。

桶川駅前から川越へ向かう路線バスが動いていたので、上司と別れたあたしはまずは川越へ向かいました。川越に着いて、できれば西武線が動いていることを期待したのですが動き出す気配はありません。駅前はものすごい人の数でごった返していました。仕方なく、あたしは所沢へ向かう道路を歩き始めました。30分ほど歩いたでしょうか、後ろから路線バスがやってきたのに気づきました。行き先はなんと所沢です。ちょうどバス停があったので、そこで満員のバスになんとか乗り込むことができました。

バスの車内は大混雑でしたが、徐々に人は下車していき、所沢に着くころにはかなり空いてきました。そしてほぼ並行して走る西武線が動き出しているのが見えました。これで帰れる、とあたしは安堵しました。所沢から小平までは動き出した西武線ですぐです。小平駅で降りたらタクシーで自宅までも15分もかかったかな、という感じで、なんと夕方に桶川にいたのに、12時前には自宅へ帰り着くことができたのです。

ある意味、奇跡だったと思います。その後、当時はまだ近所に住んでいた妹の旦那を迎えに、ケータイを握りしめた妹を隣に乗せ、マイカーで出発したのでした。妹の旦那は東陽町に職場があり、とにかく歩き続けて小平へ向かっている途中で、杉並区の松庵あたりで拾うことができました。

どういう支援の仕方があるのでしょうか?

ウクライナ情勢はどうなってしまうのでしょう? せめて停戦交渉をしている間くらいは双方の戦闘を止めるのが仁義ってものだと思うのですが、プーチンにはそんな価値観はとうに通用しなくなっているのでしょう。

ウクライナの人のために、のほほんと日本で暮らしているあたしたちに何ができるのでしょう。

まずはウクライナってどこなのか、どんな歴史を持っているのかを知ることから始めるのが王道なのでしょうが、どんな文学作品があるのかを知るのも一つの方法ではないでしょうか? そこで架蔵の書籍からいくつかご紹介します。

まずはブルガーコフの『劇場』『犬の心臓・運命の卵』です。残念ながら岩波文庫の『巨匠とマルガリータ』は持っていないので、すみません。ブルガーコフは、いまロシア軍に蹂躙されているキエフ出身の作家です。

そして、あと一つ『旅に出る時ほほえみを』です。著者のソコローワは黒海に面した都市、オデッサの出身です。この『旅に出る時ほほえみを』は独裁者が出てくる作品ですね。ラストは非常に物悲しい余韻を残していました。いま読んで欲しいかも知れません。

しかし、ブルガーコフもソコローワもウクライナではなくロシアの作家と見なされているのでしょうか?

思い違いをしているのはあたしだけでしょうか?

こんな初歩的な知識を間違えるなんてあたしだけかも知れませんが、ナチによる虐殺で知られるアウシュヴィッツって、日本人の多くはドイツにあると思っているのではないでしょうか。実はあたしも、学生時代にはその程度の知識でした。

でも現在の国名で言うと、アウシュヴィッツはポーランドですね。日本人の正答率はどれくらいになるのでしょうか? 二択か三択でポーランドも含まれていれば正答率も上がりそうですが、単純に「アウシュヴィッツはどこの国にありますか?」と尋ねれば、多くの日本人が「ドイツでしょ」と答えるような気がします。

それと似ているかも知れませんが、原発事故であまりにも有名になったチェルノブイリはどこの国にあるでしょう、と尋ねたときに日本人の多くは「ロシア」あるいは「ソ連」と答えると思います。

「ソ連」という答えであれば正解と言えるのですかね、当時の国家の名称としては。でも現在の国名では「ロシア」ではなく「ウクライナ」になります。これも意外と盲点ではないでしょうか? たぶんアウシュヴィッツ以上に日本人の正答率は低いと思います。

そんなチェルノブイリ原発の事故を検証したノンフイクション『チェルノブイリ 「平和の原子力」の闇』がまもなく刊行になります。しかし、ウクライナの平安はいつになったら訪れるのでしょうか。

「空」という漢字を「く」と読むのがトレンド?

このところ乃木坂46の五期生が毎日一名ずつ紹介されていて、ファンの間ではその話題で持ちきりと言っても過言ではありません。今日で三人目です。

そして上にリンクを貼ったのが、昨日紹介された、二人目の五期生で、名前は「一ノ瀬美空」で、「いちのせ みく」と読むらしいです。

「美空」と書いて「みく」と読むのですね。あたしよりもっと上の世代なら、この文字を見れば「美空ひばり」を思い出すはずですが、「みく」と読むのですね。あたしは初見では「いちのせ みそら」なのかと思いました(汗)。

それにしても「空」を「く」と読ませるのに、最近の方は違和感はないのでしょうか? 「くう」ならまだしも「く」ですから。

ただ、必ずしも最近の話ではないみたいで、その証拠にあたしの姪っ子、この春から小学六年生ですが、「海空」と書いて「みく」と読みます。やはり「空」を「く」と読ませています。

北京欢迎你

本日の朝日新聞夕刊です。藤田貴大さんが登場です。

藤田さんと言えば、『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界。』です。2012年の4月に刊行された第56回岸田國士戯曲賞受賞作品です。

ちょうど10年前のことなのですね。朝日新聞の演劇記事には、本当に大勢の岸田賞を受賞した方が登場します。やはり若手劇作家の登竜門なのでしょう。

ところで、テレビや新聞を見ると、北京冬季五輪のムードが高まってきています。夏冬の二大会を開催した唯一の都市が北京なんですね。

ただ、前回の時にも反対の声が世界中で沸き起こり、聖火リレーも大問題になっていましたね。

とはいえ、それでも今回ほどには反対の声は大きくなかったと思います。結局、前回の大会から中国という国は何も変わっていない、否、むしろ悪くなっているのではないかとさえ思えてきます。いったいどうしたらよいのでしょう?

ちなみに、上の写真は2008年の北京五輪の前に北京へ行ったときに買った、当時のマスコットです。公式ショップで買ったはずです。どれがどれだか忘れましたが、この5体(5人?)はそれぞれ、ベイベイ、ジンジン、ホワンホワン、インイン、ニイニイという名前で、中国語で書くと「北京欢迎你」となるのです。

ちょっと寄ってみたいかも

昨日の朝日新聞の夕刊です。「とこといこ散歩旅」で新宿区立大久保図書館が紹介されていました。

今まで知りませんでしたし、行ったこともないのですが、語学の出版社に勤める身としては、この図書館の蔵書状況は非常に気になります。

大学図書館なら海外の書籍はいくらでもあるでしょうけど、こういった公立の図書館で海外の書籍を充実させているところって寡聞にして知りません。

とはいえ新宿区大久保という土地を考えると、少なくとも中韓の書籍を多く蔵書しているのは理解できます。その他にも東南アジア系の方が多く暮らしているイメージがあります。

そこに暮らす人々が暮らしやすいと感じてもらえるのが地域サービスだと思いますので、こういう試みは全国的に広がるといいですね。出稼ぎだと思いますが、ブラジルの方が多い地区というのもあったはずですし、たぶんアフリカ系の人が多く住む地域もあったと思います。そういうところの図書館はどうなのでしょう?

そう言えば、埼玉のどこかの団地は住民の半数以上が日本人ではなく、団地のお祭りも国際色豊かなものになっているとニュースで見たことがあります。あそこの図書館ってどんな感じなのでしょう?