クーリングタイムは果たして効果があるのでしょうか?

夏の甲子園が始まりました。

子供のころから思っていたのですが、どうして高校にはいろいろな部活があるというのに、野球だけこんなに大きく扱うのでしょうか? NHKなどは全試合を生中継していますが、そこまでやる必要はあるのでしょうか? 数十年前、子供のころのあたしは早くもそんな風に思っていました。

わが家の場合、あたしだけでなく誰も高校野球の熱狂的なファンがいなかったのも、こういう風に考えるようになった一因だと思います。もしテレビにかじりついて一日中中継を見ている家族がいたら、あたしも自然と高校野球ファンになっていたのかも知れません。

その一方、この十年来、夏の暑さは危険な暑さと呼ばれ、外での活動は出来るだけ避けましょうと呼びかけられているにもかかわらず、甲子園だけは別世界のように行なわれ続けていることに違和感も感じます。あちこちから夏の甲子園の暑さ対策を考えるべきという声が上がっているのも至極当然でしょう。

そんな声に配慮してなのか、今年からクーリングタイムが設けられることになったそうです。ないよりはマシなのでしょうが、果たして熱中症対策にどれほどの効果があるのでしょうか? ここはやはりドーム球場での開催を真剣に検討するべきだと思います。もちろんプロ野球界にも協力してもらわないといけないでしょうから、時間はかかるでしょうが、人の健康には代えられませんからすぐにでも協議を始めるべきだと思います。

ただ、こういうことを書くと「甲子園なんて氷山の一角、数え切れないほどの地方予選はどうするんだ」という意見が出て来そうです。それは承知していますが、やはり夏の甲子園が思いきった暑さ対策をしたとなれば、地方大会や他の競技にも影響を及ぼすのは必至で、ここはまず率先して甲子園大会から変えていくのが一番の早道なのではないかと思います。

今日から変わったのでしょうか?

コロナの扱いが本日から変わるということで、ニュース番組などでは「大きな節目」だと報じられています。

この三年間を振り返ってみれば、確かに大きな節目ではあるでしょう。ただ、それが日常の行動変容になるのかと言えば、そんなことはないようです。

今朝の通勤電車、マスクは外している人が極端に増えたようには感じられませんでした。マスクをしていない人は、既にこの一か月か二か月くらい少しずつ増えていて、今日を境に激増するなんてことはありませんでした。

通勤電車の中だけでなく、外回りの途次、街行く人を眺めても、確かにこの春はマスクを外す人が増えたとは思いますが、やはり今日から目に見えて増えたようには感じられませんでした。

まあ、日本人はこんなものなのでしょう。とはいえ、今日は初日なので様子見、「意外と多いわね」と判断して、明日からマスクを外そうという人が増えたりするなんてこともあるのでしょうか。

王朝絵巻

英国のチャールズ国王の戴冠式が行なわれました。テレビにかぶりつきで見ていたわけではなく、あくまでニュース番組の映像を通して見ている程度ですが、古式ゆかしくもあり、現代的なアレンジも加えつつ行なわれたセレモニーだったような気がします。

それほど鮮明な記憶ではありませんが、平成と令和の天皇即位と、ついつい比べてしまいますね。別にどちらがよいと言うのではなく、それぞれの国と皇室(王室)の伝統がよく表わされていて、こういうのは一つの文化財として残していきたいものだなあと感じました。

日本の場合には神道に則って行なわれたわけですが、英国の場合はイギリス国教会の儀式ですよね。でも今回は他の宗教にも配慮した式次第になっていたとか。個人的には、そこまで配慮する必要はあったのかしら、という気もしますが、まあ、こういった伝統も時代に合わせて変えていく、変わっていくものなのでしょうね。

ところで、前々から思っていたのですが、どうして日本のマスコミは王室なのに「王太子」ではなく「皇太子」という表現を使うのでしょうね。英国に限らず、他の王国でも「王太子」ではなく「皇太子」って言いますよね。どういう配慮なのでしょうか。

皇太子は皇帝の跡継ぎ、王太子は国王の跡継ぎ、皇帝と国王では歴史的に皇帝の方が上位だから、自国(日本)の太子には皇太子を使い、外国の大使に王太子を使うのはよくないだろうという配慮なのでしょうか。あるいは英語ではすべてprinceだから、日本語訳も揃えた方がよい、という配慮なのでしょうか。

大型連休

ゴールデンウイークも今日と明日で終わり、来週はフルで一週間の勤務です。連休明けのフル勤務はつらいですね。

そんな中、ネットの記事を見ていたら、NHKでは「ゴールデンウイーク」とは言わず、「大型連休」と言うのだ、と知りました。

NHKのサイトにその理由が書かれているそうですが、読んでみると確かに納得できます。あたしも来年からは大型連休という表現を使うようにしたいと思います。なにせ、あたしにとっても決して「ゴールデン」なものではありませんでしたから。

そもそも学生時代以来、こういった世間の連休の時には出かけないことが常態化しているので、今年もどこへも出かけていません。せいぜい近所に買い物に行く程度です。夏休みも年末年始も同様です。帰るべき実家とかがなくて幸いな人生でした。

ゴールデンウイークは暦どおり

世間的には、一昨日の土曜日からゴールデンウイークに突入なのでしょう。でも、あたしの勤務先は暦どおりです。そして、あたしは混雑する時に出かけるようなことはしないので、カレンダーどおりに出勤しております。

テレビのニュースや情報番組を見ていると、「最大9連休」などと煽って、盛んに出かけさせようとしているように感じます。円安や物価高でなかなか財布の紐は固そうですが、それでも「今年のGWは近場が人気」といって煽ってきます。

コロナで我慢していたぶん、今年はマスクを外して思い切って楽しもう、という人が多いのは理解できますが、物価高とコロナで困窮している人も増えていると思います。そういう人たちはこのような報道をどういう気持ちで視ているのでしょう? パートでなんとか生活している人にとっては勤務先が9連休なんてされたら、収入が激減するのでちっともありがたくないのではないでしょうか?

特に母子家庭の貧困は、たぶんますます厳しくなっていて、クラスメートが旅行や行楽に出かけても、そういう楽しみを味わえない子供も大勢いるのではないかと思います。この数十年、失われた20年、あるいは30年などと呼ばれますが、失われたのは日本の中間層ではないかと思います。

それにしても、今年のゴールデンウイークは最悪ですね。ゴールデンウイークなどの長期休暇明けは、できれば水曜日くらいからスタートしてくれないと、体が持ちません。にもかかわらず、今年のゴールデンウイーク明けは月曜日です。来週は休み明けにまるまる一週間の仕事です。

これはちょっとしんどいです。

同じ株、同じ枝?

わが家の近所のサクラです。本日、開花しました。

わが家の近所のサクラは、東京のサクラの開花より数日遅れて開花するのですが、あたしの記憶が正しければ、昨年は同日でした。そして今年も同日でした。

写真を撮ってみたのですが、これだけ咲いていれば、開花宣言を出してもよいでしょう。今日も暖かくなりましたからね。

ところで、今日咲いたサクラですが、毎年同じ株、そして枝もほぼ同じ位置なんです。サクラが何本も植わっている場所ですが、やはり個体差と日当たりが違うのですかね?

干支もひとまわりしたわけで……

昨日は3月11日、日本人としては忘れてはいけない日ですね。あの日のことは既に何回かこのダイアリーでも書いているのでは、もういいでしょう、割愛します。とはいえ、もう十二年ですか。時の経つのは早いですね。

ただ、気になるのは最近の政府の、原発再稼働方針です。福島の原発事故がまだ終息していないというのに、原発をまた動かそう、さらに作ろうという神経には少し驚かされました。

もちろん、昨今のエネルギー価格の上昇を考えると、原発を動かしたいという考えはわかります。東日本大震災の時だって、地震で事故が起きたのではなく、その後の津波で電源が失われたために事故が起きたのであり、その対策はこの十二年でより厳重になっているのだから、日本の原発は安全だ、という理屈も理解できます。確かにそうだと思います。

でも、あたしが原発で一番気になるのは原発のゴミです。地中深く埋めるということですが、その埋める場所すら決まっていないですし、そもそもそんなものを埋めて数百年後の子孫にどう責任を取るのでしょう。そこが解決しない限り、あたしは原発には反対なんです。

あと、そんなに原発を作りたいのであれば、国会議員やその家族が、まずは原発の近所に住むべきではないでしょうか? 処理水を海洋投棄するというのであれば、福島産の農産物や海産物は、まずは国会議員が買い取り、自分たちが食べればよいのではないでしょうか? それくらい率先してやる責任が国会議員、特に推進派の議員にはあると思うのですが。

昨日もテレビで双葉町の復興状況について報じられていましたが、道のりは険しそうですね。人が帰ってこないだけでなく、帰ってきても仕事がない状態ですから。あたしは、国会や首相官邸を震災後から20年とか30年とかの期限付で構わないので、双葉町とかあのあたりに移転させればよいとずーっと思っていました。国会と首相官邸が移れば、各省庁のサテライトも付近にできるでしょう。議員も宿舎がそっちへ移ることになるので、役人も含めれば相当数の住民が増えることになります。

もちろん政治の中枢になるので、民間だって拠点を設けることになるでしょうから、働き口も多くできることになると思います。そういうことをどうして政治家はやらなかったのだろうと思うのです。

天皇誕生日

2月に天皇誕生日があるというのは、まだ慣れないですね。ついこの前までは12月、それも暮れも押し迫ったころに天皇誕生日の祝日があり、仕事としてはちょっと避けたい気分でした。

今年の天皇誕生日は、初めての一般参賀ということでニュースでも大きく取り上げられていましたが、令和の最初の年って、天皇誕生日がない年だったんですよね。あたしは平成から令和に変わるのがいつになるか報道発表された直後から、そのことを考えていたので非常によく覚えています。

賛成、反対はあるにせよ、日本には天皇制があり、天皇は日本の象徴ですから、天皇誕生日がない年があるなんて信じられませんでした。ところで、今年改めて思ったことがあります。

それは、もし平成と令和の両天皇の誕生日が逆だったら、令和の最初の年は天皇誕生日が二回あったのだろうか、ということです。その時点で位に就いている天皇の誕生日が巡ってきたら、その国としては祝日にしないとならないでしょう。となれば令和最初の年のように、年の途中で代替わりがあった場合、誕生日の日付によっては天皇誕生日が二回訪れる可能性だって当然あるわけです。そんなとき、果たして政府は天皇誕生日二回を認めるのでしょうか。

Vivienne Westwood

ヴィヴィアン・ウエストウッドの訃報が飛び込んできました。

いや、そんな風に書いていますが、あたしはブランド名こそ知っていましたが、ヴィヴィアン・ウエストウッドがデザイナーの名前だとは知りませんでした。81歳なら大往生と言えるのでしょうか?

そんなヴィヴィアン・ウエストウッドですが、あたし、ネクタイを一本持っていました。写真のネクタイがそれです。髑髏とハートをあしらった紫色の、まさにヴィヴィッドな一本です。

ところで、訃報と言いますと、このヴィヴィアン・ウエストウッドとほぼ同い年、サッカーの王様ペレの訃報も飛び込んできましたね。彼は82歳でした。

実はあたしの勤務先、以前に『ペレ自伝』という本を出していたのです。自伝ですから、もちろん著者はペレ自身です。年末年始休暇中でなければ、書店から注文が殺到していたのかも知れません。それでも休み明けには、注文ファクスがたまっているのでしょうか?

子供のころのクリスマスなどの体験が……

テレビの情報番組では「クリスマス、どんな風に過ごしますか?」とか、「年末年始のご予定は?」といった街頭インタビューの映像が流れています。そんな中、子供のころにクリスマスなどの行事を家族で楽しんだりした体験があったかどうかで、その後の人生に影響があると報じているのを見かけました。

ちょっとうろ覚えなのですが、大人になってから、あるいは中高生にくらいになったらだったのかのことなのかも覚えていませんが、とにかくいろいろなことについて諦めやすいとか、頑張りが利くとか、そういう面で違いが出てくるそうなのです。ここにも格差が生まれているのでしょうか。

幼少時にクリスマスなどを楽しく過ごしたか、というのは、必ずしも金銭的なものだけではないでしょうが、ケーキを買う、欲しかったプレゼントをもらう、いつもよりちょっとご馳走を食べるなど、どうしたって経済的な裏付けがないとだめでしょう。片親家庭であれば、クリスマスも関係なく働かないとならない場合もあるでしょう。一人ぼっちで親の帰りを待つ子供という図、確かに寂しいですよね。

これだけ格差が広がってしまった日本、それに対して政治は何をしてくれたのでしょう。「してくれた」と書くと、自己責任と言われそうですが、そういう論調、傾向が強くなったのも格差社会と関係していると思います。金持ちがより金持ちになる社会、同じスタートラインに立てない社会、なんかイヤですね。