よげん

今朝、朝日新聞を広げて驚かされました。

五島勉の訃報。

いまどきの人だと、五島勉と聞いても「誰?」という感じなのでしょうが、たぶん40代、50代から上の世代にとっては、たとえ読んでいなくても五島勉の名前は絶対に知っていると思われます。記事にもあるように、当時一世を風靡した「ノストラダムスの大予言」の著者です。

トータルで何冊出ていたのかわかりませんが、祥伝社のノン・ブックでしたよね? 新書サイズのシリーズで、あたしはノストラダムスなど五島勉の一連のシリーズくらいしか読んだことがありませんが、五島勉さんはノストラダムスだけでなく、ファティマ第三の秘密とか、だんだんとキリスト教会がひた隠しにしている人類の運命とか、そんな書籍も続いて出してました。

ブームに乗せられて、あたしもだいたい読んでいました、子供だったので多少の恐怖感を覚えながら。いま考えると、「ダヴィンチ・コード」っぽいノリでもあったような気がします。

ところで、この「予言」という言葉、発音だけを聞いたら、学生であれば「今日の4限は数学か……」という場合の「4限」を思い浮かべるのではないでしょうか? ノストラダムスと時間割は関係ないので、それは言いすぎとしても、もう少し大きくなって、本当にキリスト教とかユダヤ教などについて知るようになると、「予言」と「預言」で混乱したのを覚えています。

いまでも、きちんと理解していないとキリスト教などの「預言者」とノストラダムスのような「予言者」を混同している人は多そうですね。あたしだって中学高校の頃までは、違いをよくわかっていませんでしたし、同じものだと思い込んでいた時期すらありましたから。

東と西

タイトルを見て、東西冷戦やベルリンの壁を予想された方もいらっしゃるでしょうか? 申し訳ありませんが、全然違います。

画像は昨日の朝日新聞の夕刊です。東京ローカルな話題です。

世界一と言ってもよい乗降客数を誇る東京の新宿駅に、東西自由通路ができるというニュースです。

「えっ、今までなかったっけ?」という感想を持たれる方もいらっしゃるでしょうね。新宿を使い慣れている方であれば、記事中にあるように駅北寄りのサブナード、南口のルミネ、更に南のサザンテラスと、新宿の東口と西口を結ぶ通路、なくはなかったわけですから。しかし、真ん中に、一番の最短経路では東と西は結ばれていなかったのも事実です。

多くの人は切符を買って新宿へ来るので、改札口を選びますが、切符さえ持っていれば東口だろうと西口だろうと出ることはできましたし、定期を持っている人であれば改札を抜けて東から西へ、西から東へ抜けることもしていたでしょう。でも、使いづらかったのは確かです。

そんな新宿に東西通路ができるのは嬉しい知らせです。ただ、記事にあるように、東京の他の地区に比べて出遅れているというのは違うと思います。だって、これだけ不便と言われていたって、他の地区よりも新宿は常に人が多い場所でしたから。不便だって来てしまう、来ざるを得ない、そんな場所なのです、新宿って。

でも、東と西が抜けづらいという意見もわかります。かつて書いたかもしれませんが、あたしが大学までは杉並に住んでいまして、新宿へはよく来ていました。京王線で新宿へ出てくるわけですが、京王線の新宿は言うまでもなく西口側にあります。当時ですと、小田急百貨店の上にあった三省堂書店には時々来ていましたけど、東口の紀伊国屋書店には、ほぼ行ったことがない学生時代でした。だって、当時の必要性から考えて、紀伊国屋へは行かなくても問題なかったですから。

ただ、もし紀伊国屋書店が西口側にあったら、あるいは京王線の新宿が東口側にあったらどうだったでしょうね? 新宿へ行ったときには必ず紀伊国屋へ寄っていたかもしれません。本と本屋は昔から好きでしたから。となると、やはり新宿壁の東西の通り抜けの不便さが、西から東へ、東から西へ行く人のモチベーションを削いでいたのかも知れません。

香港と沖縄

国家安全法施行以来の香港に関するニュースを見ていると、いや、それ以前からですが、一国二制度が踏みにじられて、どんどん北京の、中国共産党の色に染められていくのがわかります。

地元の声を無視して、中央が強権的に権力を振るう、時には暴力も辞さず強制的に民衆を排除してしまう。

と、ここまで書いて、沖縄の状況とよく似ているなあと思いました。

沖縄も、何度選挙によって民意が示されても中央は、自民党は歯牙にもかけず、沖縄の人たちを排除して強制的に基地問題を先へ先へと進めていきます。長くて先の見えない闘い、香港も沖縄も同じです。

さらに考えてみますと、成田空港の問題もなんとなく印象としては似ている気がします。これもやはり地元の人、そこに暮らす人の声を無視して中央が、自民党政権が強引に事業を進めた事案だったはずです。「多くの国民が成田空港を使って海外へ出かけている、結果的に国民のためになっている」と開き直るのでしょうが、正直なところ、海外へ行く前にあんな遠くまで行きたくはありません。だから、なし崩し的に羽田の国際化が進められ、ちょっと高いけど羽田利用のツアーを使う人が増えているのだと思います。

閑話休題、香港と沖縄。

体制が共産主義であるか否かは、こうなってくると関係ないようです。中国は一党独裁体制だから云々という議論も、沖縄の現状を前にするとどれだけ真実なのか疑問に感じます。だって、日本だって自民党の一党独裁だし、むしろそれを民主的な選挙で選んでしまっているところに、日本の宿痾があるような……

って、あんまりこういうことばかり書いていると、中国へ旅行へ行ったときに上海や北京の空港で逮捕される可能性があるんですよね、国家安全法の規定によると。

中学時代を思い出します

九州における豪雨のニュースに釘付けになっていたら、こんどは岐阜、長野が……

大きなニュースにはなっていないようですが、四国や紀伊半島、関東近郊では箱根なども相当な雨になっているようです。やはり地球温暖化の影響なのでしょうか?

それはともかく、今回のニュースで何度も取り上げられた筑後川。もちろん名前は知っていましたし、有明海へ注ぐということも知っていました。しかし、上流が大分県の日田地方にあるとは、今回のニュースで初めて知りました。ニュースで、大分県と筑後川が結びつかず、地図を見て初めて納得した次第です。

その筑後川、確か何年も前に出張で久留米へ行ったときに、久留米の紀伊国屋書店の前を悠々と流れているのが筑後川だと知り、初めてその姿を目にしたものでした。あの筑後川が上流では暴れまくっているとは……

で、筑後川なんですが、あたしには多少の思い入れがあります。

別にかつて流域に住んだことがあるわけではありませんし、知り合いが住んでいる(住んでいた)ということもありません。そういった意味では縁もゆかりもない川なんですが、皆さんは「筑後川」という合唱曲をご存じでしょうか?

あたしも音楽の詳しいことは知りませんが、たぶん「筑後川」はいくつかの楽章に分かれているのだと思いますが、その中の「河口」という曲(楽章?)を中学時代の合唱祭で、クラスで歌ったことがあるのです。あれ、中学時代だったかしら? 高校の時だったかしら? ちょっと記憶があやふやです。

ただ、「河口」をクラスで歌ったことがあるのは本当で、それ以来、ニュースなどで筑後川と聞くと、自然とこの歌が頭の中に流れてくるのです。もちろん合唱曲なので、主旋律ではなく、あたしが歌っていたバスやテナーのメロディーで、ですが(汗)。久留米で見たように、確かに悠々とした、スケールの大きな曲だったなあという思い出があります。

まあ、久留米の紀伊国屋書店は決して河口付近にあるわけではありませんが、長い長い筑後川全体からすれば、河口にほど近いところにあったと言えるのではないでしょうか?

またしても思い出してしまいました!

またしても昨日の朝日新聞の夕刊から。

「赤い肌」とはまた露骨なチーム名でしたね。

しかし、ネイティブアメリカン、あたしが子供のころはインディアンと呼んでいましたが、彼らはあたしたち日本人と同じモンゴロイドではなかったでしたっけ? だとすると、アジア人は「イエロー・モンキー」などと呼ばれる反面、インディアンは「レッド・スキン」と呼ばれていたのですね。ちょっと興味深いです。

それはさておき、この記事をまたしても読んで思い出してしまいました。何を思い出したのかは、既にダイアリーに書いたことがありますので、こちらをお読みください。

まあ、「赤い肌」と「赤い人」ではだいぶ異なりますが……

読み方で立ち位置がわかる?

香港が揺れていますね。

実は今回揺れているだけでなく、雨傘運動のころからずっと揺れ続けていて、時々大きな揺れになる、そんな印象を持っていました。香港の地面は常に微弱な振動がもう何年も続いている感じに思えます。

しかし、今回の揺れは揺れどころではないと思います。激震です。国際社会が今後どう反応するか注視していかないとなりません。もちろん声明などの形で抗議をしているようですが、相変わらず中国政府は「内政干渉には断固反対」の一点張り。

それにしても、これほどの強硬姿勢、いったい中国政府は何を恐れているのでしょう? それほど自分たちの統治に自信がないのでしょうか? ある程度の言論の自由や民主化をしたからといって、すぐに共産党が政権から引きずり下ろされることになるとは思いません。そうなるには十数年はかかるのではないでしょうか?

さて、日本を含めた欧米諸国はどう出るのでしょうか? 海外企業もどんどん香港から逃げ出すのでしょうか? 人もいなくなり、企業も金も逃げてしまった香港にいったいどんな魅力が残されるのでしょうか? アヘン戦争以前ののどかな漁村に戻ってしまうことはないでしょうが……

早速施行された国家安全法で逮捕者が出たというニュースを見ていて気づいたのですが、こんなプラカードがありました。

#我愛HongKong

#不愛XiangGang

「私が愛するのは香港(HongKong)であって、香港(XiangGang)ではない」

HongKongは香港の広東語による発音、XiangGangは標準中国語の発音です。学生時代に中国語を習い始めて「香港」は「ホンコン」ではなく「シアンガン」だと知ったときはちょっとした驚きでした。

香港の人々はもともと広東語を話していて、いまも大多数はそうなのでしょうが、このところ標準語が大々的に流れ込んできて学校教育の現場でも広東語は少数派に追いやられているそうです。言葉はアイデンティティーと密接不可分ですから、このプラカードが表わすところは極めて明白です。

あたしは大丈夫?

本日の朝日新聞の夕刊です。社会面にこんな記事が載っていました。

新型コロナウイルスと血液型に相関関係があるのでしょうか? あくまで重症化と言うことで、かかりやすい・かかりにくいという話ではないのですよね? しかし重症化の度合いに関係するのであれば、かかりやすさにだって相関関係がありそうな気もしますが、どうなのでしょう?

とはいえ、千差万別の人間をたかだか四つのカテゴリーに分ける血液型がどれほど科学的なのでしょう? この記事の研究結果にしても、血液型占いの信憑性と同じ程度のものなのではないかと思います。そもそも、血液型って、ABO型分類以外にもRhとか世界にはいくつも分類があるんですよね。そのあたりとの相関関係はどうなのでしょう?

いずれにせよ、いろいろ突っ込みたくなる記事ではありますし、今後の進展にも興味が沸きます。

さて、そんな記事のすぐ下に、こんどはこんな記事が載っていました。世界にはいろいろな実験をやっている人がいるものですね。

でも、これも思うのですが、犬って全体として人間よりも背が低く、都会のコンクリート、アスファルトの地面では照り返しを人間よりもはるかに強く受けているはずです。大人よりも乳母車(ベビーカー)に乗っている幼児の方が地面に近いぶん暑いと言われますが、それと同じことだと思うのです。

そうなると、ちょっとやそっとの顔の違いなど大した影響ないのではないか、そんな風に思ってしまいます。

ほんの数年で社会は変わる?

東京も真夏日になり、そのうち猛暑日にもなりそうな今日この頃です。全国的にも猛暑の第一波が訪れている感じがします。

猛暑の訪れと共にニュースで注意喚起されるのが熱中症です。毎年たくさんの方が病院に搬送され、少なからぬ人が亡くなっています。もしかするとコロナウイルスよりも危険なのかも知れません。

水分補給の必要性や無理な運動、昼間の外出を避けるようニュースや情報番組でも伝えられていますが、この数年変わったなとあたしが感じるのはクーラーをもっと使おうというアピールです。昼間など、自宅にクーラーがない、あるいは電気代が気になるという人には、デパートやショッピングモール、図書館などお金がかからず冷房の効いている場所に行くことが推奨されたりするくらいです。

数年前まで、テレビなどに出ているタレントや女子アナなどは、暑い夏でもクーラーを使わないことを、さもカッコよいことのようにテレビで主張していたのを鮮明に覚えています。確かに喉を使う仕事をしている人にとってクーラーで部屋を乾燥させすぎるのはよくないことでしょう。

しかし、現実にクーラーを使わないで家の中で死亡する人が跡を絶たない現実を前にして、その手の主張は完全に鳴りを潜めてしまいましたね。管見の及ぶかぎり、家ではクーラーを使いませんなどと声高に主張している人をテレビで見かけることはこの数年で全くいなくなってしまったように感じます。

さて、クーラーを適切に使うことはこの数年で十分社会に浸透したのではないかと思いますので、ここでさらにもう一歩進めてもらいたいと思うのが、テレビのアナウンサーの服装です。女性アナウンサーやキャスターはよいのですが、問題は男性アナウンサーです。彼らは頑なにスーツを脱ごうとしませんね。

深夜はともかく、昼間や夕方の情報番組などでは各地の猛暑の話題が伝えられ、外から汗ダラダラのレポーターの中継があったり、自身も熱中症のニュースを伝えているにもかかわらず、どうしてあんな暑苦しい格好をしているのでしょう。人によっては上着の下にさらにベスト(ジレ?)まで着ている人がいます。

本人はオシャレのつもりなのかも知れませんが、季節感を省みない、そしてテレビに出ていることの影響力を考慮しない行動ではないかと思うのです。仮にスタイリストのチョイスだとしたら、スタイリストとしてどうなのかと思ってしまいます。個人として夏でも上着を着ていたいというのは自由だと思いますが、テレビでに出ていることの影響力というものをもう少し考えてもよいのではないでしょうか?

10日では無理か……

コロナウイルス対策として国民一人に10万円ずつくれるという話。

わが家に手続きの書類が届いたのが6月1日の午前中でした。あたしの住む小平市は5月の26日だか27日から書類を郵送するという話だったので、すぐに届いたというわけではないけれど、まあ許容範囲の到着だったと思います。

そして届いたその日に、書類を記入し、必要なコピーも揃えて返送しました。返信先は小平市ではなく練馬区の住所になっていました。たぶん、いま話題になっている委託業者なんでしょうね。

さて、1日に返送して今日で10日です。そろそろ入金されているかなと思って昼過ぎに銀行へ記帳に行きましたが、やはりダメでした。10日じゃ無理なのかしら? 最低でも2週間は待つべきなのでしょうか? そうなると次の可能性は来週の月曜日ですね。

ちなみに、わが家の場合、世帯主は母になるので、母の銀行口座に20万円振り込まれることになります。

直接的な理解ではないけれど……

コロナウイルスの流行で香港のデモが一時的に収まっていたと思ったら、先日の国家安全法の成立で再び再燃してしまいました。そして六四を迎えたわけですが、大きな惨事もなくて幸いでした。

そんな中国を非難するアメリカで全国的なデモが起こっています。こちらは白人警官による黒人の殺害に端を発しています。今回このような大きなデモに発展してしまいましたが、この問題自体はもう何度も繰り返されているアメリカ宿痾のようなものだと思います。そして、その国の大統領トランプが自分の発言によって火に油を注ぐようなことになっている事態。

世界を導くべき二大国で、社会の分断が生み出され、憎悪が増幅されていくなんて、なんとも悲しい世界です。日本人の中にはアメリカの人種問題と聞いてもピンと来ない人も意外と多いのかも知れません。アメリカは自由と民主主義の国、誰にでも平等にチャンスが与えられている国だと信じている日本人も少なくないでしょう。

 

そんな人に読んでいただきたいのがこの三冊、『地図になかった世界』『ネバーホーム』『地下鉄道』です。

いずれもかつてのアメリカで黒人のおかれた状況が描かれた作品です。現在のデモやアメリカ社会について書かれているものではありませんが、現在を理解するための前提としてこういう作品を読んでおくのもよいのではないでしょうか?