静かな年末年始とは

本日より年末年始の休暇です。1月4日までがお休みです。だいたい世間様も似たようなものでしょう。

同じように自宅で過ごすとはいえ、在宅勤務の場合、9時から夕方5時まではパソコンの前でメールのチェックをしたり、必要に応じて返信をし、勤務先のパソコンにリモートアクセスしてさまざまな作業をしたりしていましたが、休暇ですのでそんな必要はありません。のんびりとしていられます。

とはいえ、勤務先のパソコンの電源はつけっぱなし、いつでもリモートで接続できるようにはなっています。ワーカーホリックと言うのでしょうか? そんなつもりは毫もないのですが……

さて、昼過ぎに母と年末の買い物がてら小一時間ほど国分寺駅まで出かけてきました。駅ビルへ買い物ですが、混んでいますね。帰省しないから余計に人が多いのでしょうか? このぶんでは明日、明後日とますます人が多くなりそうです。

わが家の近所のスーパーも、今年(来年?)は正月三が日がお休みです。4日は朝から混雑しそうですが、その前に大晦日が三日分の食料の買い出しで大混雑になりそうです。

今日の駅ビルの混雑を見るにつけ、三密回避とは何なのか、疑問に思ってしまいます。これで感染拡大は起きていないのか不安です。

回帰しているのでしょうか?

今朝の産経新聞です。

コロナ禍にあって書店は比較的好調なのでしょうか?

確かに、コロナが蔓延し始めた春先、ステイホームということで本を買い込んで自宅に籠もった人も多かったようです。この機会に長篇を読もうとか、全集の一気読みをしようといったお客様も散見されたと聞きます。もちろん、コミック全巻まとめ買いも多かったようです。

有料ネット配信やオンラインゲームと並んで、ステイホーム期間中のレクリエーションとして手軽な読者が改めて見直された面は確かにあったことでしょう。学校に行けなくなった子供を抱えた親が勉強に遅れないようにとドリルや問題集などを買うという事例も多かったと聞きます。とにかく、本はよく売れたという一面はあったようです。

しかし、今年の年間ランキングを見て、結局は鬼滅とあつ森ばかりでは大きな顔をして「出版は文化だ」とはちょっと言いにくい状況ですね。リモートワークの浸透で都心部の書店が閑散とし、そのぶん郊外の書店が賑わったというのもデータ的に見て取れます。

ワクチンの接種も始まって、なんとなくコロナの出口も見えてきたのでしょうか? そうなると、書店は、そして出版界はどうなるのでしょうね?

いつもと変わらぬ年末年始

東京のコロナ新規感染者、相当大変なことになっています。

ニュースのキャスターも盛んに呼びかけていますが、街のインタビューでは、外出している人に聞いているわけですから、どうしても意識が甘い人に意見になりがちだと思います。それに首相をはじめ世の政治家たちが率先して忘年会や懇親会、慰労会、パーティーを開いている現状を見れば、国民が何をどう思うかわかるというものです。

ところであたしはと言いますと……

帰省する田舎がありませんので、お盆も正月も帰省とは無縁です。混んでいる時期にわざわざ出かけて行くなんてニュースの中だけでたくさんです。帰省しなくてもよいわが身に感謝と安堵です。

旅行についても、もともと旅行が好きではないので、テレビのインタビューに出てくるような、ちょっとでもチャンスがあればどこかへ旅行に行く人の気持ちが理解できません。毎週の土日も、たとえ三連休だって日用品の買い物以外、家からほとんど出ないで過ごすことが普通です。GoToトラベルなんて、どこの世界の話でしょう?

この時季ですと盛んに初詣の話題が出ますね。今年は分散して出かけましょうという呼びかけが多いですが、どうして「行くのはやめましょう」と言わないのでしょう。神様はどこにいても見てくれているはずです。わざわざ出かけて行ってお賽銭を払わないと夢や希望を叶えてくれないのでしょうか? あくまで初詣を推奨するのは、神社仏閣側の商魂なのではないでしょうか?

というわけで、今年もあたしはのんびりと自宅で過ごす年末年始です。このご時世なので姪っ子たちもやって来ませんので母と二人、のんびりです。とはいえ、あたしのことなので、大晦日だっていつもどおり8時ごろには布団に入ってしまいますし、元旦も4時過ぎには起きて、いつもどおりトーストで朝食を食べていることでしょう。

またしても自粛期間?

東京を始めとする日本のコロナ感染者数がここへ来て急激に増えてきました。

政府は、GoToトラベル(人の移動)によって感染が広まっているという証拠はない、と盛んに言っています。だったら、どうしてGoToトラベルで札幌と大阪を除外したり、東京に自粛を求めたりしているのでしょう。証拠がない、つまり人の移動で感染は広がっていないというのであれば、誰が何を言っても除外や自粛などせずに続けるべきではないでしょうか?

そんな社会のことはともかく、あたし自身の仕事に関しては二か月ほど前にも似たようなダイアリーを書きましたが、やはり同じような悩みを抱えています。

会社内の密を避けるには在宅ワークがよいのでしょう。社内の人数を減らしても出退勤時の電車内の密は残ります。密度を考えたら、こっちの方がよほど密でしょう。書店営業も、電車に乗る、不特定多数の人が集まる書店に赴く、という点では密になります。

でも、書店回りもせずに自宅にいたとして、いったいどんな仕事ができるのでしょう? POSデータを見ながら書店に電話をかけまくって、ファクスを送りまくって受注拡大に励みますか? でもそれって、結局社内の誰かが出勤して伝票を打ち、書籍を出荷するという作業をしないとならないわけで、自分だけのうのうと自宅にいて、他の人には出勤を強いるというのはどうなのでしょう?

また、たとえば書評などに載った商品それだけを単品で営業するのであれば電話やファクスでも可能かも知れませんが、棚のメンテなどはやはり実際に棚を見ないと難しいところがあります。それに実際に足を運んで話をするからこそ見えてくるもの、生まれるものがあるのはこれまでの経験上わかっているので、そういうものをなくしてしまった場合、果たしてどういう営業が可能なのでしょう?

と二か月前と同じような悩みを延々考え続けております。

独り者はポッキーを食べなさい?

今朝出社すると、机の上にこんなものが置いてありました。

ポッキーです。

同僚に尋ねると、どこかからの差し入れで、このような小袋になっていたので、全員に分けたとのこと。ちなみに、11月11日はポッキーの日だったそうで、それにあやかった差し入れだったようです。確かに、「1」が四つ並んでいる姿は、袋から出したポッキーが並んでいるように見えなくもないですけどね。

ただ、11月11日といえば、中国最大のオンラインイベントと言っても過言ではない独身の日です。こちらは「1」が四つ並んでいる姿をパートナーのいない寂しい独身者に見立てているわけですね。子供を作って子孫を残すことを最大の親孝行と考える中国では独身であることは罪なのでしょうか?

ちなみに、中国の独身の日は、アリババのオンライン市場がこの日一日だけで日本の楽天市場一年間の売り上げ以上をたたき出すという、驚異的な一日でもあります。今年はどうだったのでしょうか? 旅行などもままならず、中国の富裕層はお金の使い道に困っているらしいので、ネットショッピングにお金が流れることが予想されます。今年も記録更新となったのではないでしょうか?

営業していてよいのでしょうか?

コロナウイルスの第三波だと言われていますが、今日の新規感染者数は全国的に由々しき事態です。もちろん、一日だけの数字で一喜一憂してはいけないと思いますが、政府の「臨機応変に・柔軟に対応する」というのは、こういう時にこそ発揮されるべきではないかと思うのですけど、GoToキャンペーンをやめるつもりはなさそうですね。

そして、先月から少しずつ営業回りを再開したあたしの勤務先も、この状況で営業回りを続けてもよいのか、個人的には不安になってきます。

もちろん、絶対に来るな、と言われることはありませんし、むしろ歓迎してくれる書店の方が多いです。そもそもが不特定多数のお客さんが入れ替わり立ち替わりしている書店では、出版社の営業マンだけを出禁にしてもほとんど意味がないはずですから。

とはいえ、これ以上感染が拡大するようであれば、こちらも考えないとなりませんね。そして、書店を回れない書店営業とはどうあるべきか、再び考えないとならなくなります。

多数決を疑う

アメリカでは大統領選挙が真っ最中ですが、結果はどうなるのでしょう?

それはさておき、先日大阪で行なわれた大阪都構想の住民投票について、あたしは特にこの議案に賛成でも反対でもないのですが、ちょっと思うことがあります。ニュースでは今回の投票について次のように伝えています。

住民投票の当日有権者数は220万5730人、投票率は前回を4.48ポイント下回る62.35%にとどまった。結果は賛成が約67万6000票、反対約69万3000票で、前回の約1万票差より大きい約1万7000票差での否決となった。

今回の投票で反対の人は70万近い数に上っていますが、賛成との差は1万票程度です。投票率がもう少し上がって、特に賛成する人が投票していたとしたら簡単に逆転できる数字です。現に、反対票を全有権者との比率で見ると31.4%です。全有権者で考えると3分の1以下の数字で決まってしまったことになります。

果たして、こんなんでよいのでしょうか? これについて考えさせられるのは、数年前に出た岩波新書の『多数決を疑う』です。この本によりますと、投票後の不満を抑えるには多数決(過半数)ではダメで、3分の2以上ないと後々しこりが残りやすいとのこと。

この本が出た頃は、国会で憲法改正のための国民投票法案が審議されていたころと重なっていたと思います。改憲派はしきりに3分の2は高すぎるハードルだと訴えていましたが、むしろ3分の2は確保しないと、憲法のような重要なものを決めるのにはふさわしくない、ということがわかります。なおかつ最低投票率を定めないと、今回の大阪のように、実は逆転されてしまう(結論が変わってしまう)可能性が大いにあるような投票のあり方には疑問が残ります。

本を買って無料でお泊まり?

昨日の朝日新聞の夕刊社会面です。

四国の高松にあるゲストハウス「燈屋」の記事です。「燈屋」は「とうや」と読むのですね。あまり旅行をするタイプではないので、こういう宿屋があるなんて初めて知りました。まあ、なかなか四国へ行く機会もありませんし……

この記事が興味深いのは、その宿泊料の払い方です。

近所の書店「本屋ルヌガンガ」で本を購入すれば宿泊料が無料になるとはちょっと驚きです。記事では「本泊」なんて名前で呼ばれていますが、サイトを見ますと、いろいろ積極的に活動しているみたいですね。機会があれば訪れてみたいと思いますが、やはりそんな機会、いつになったら訪れるのでしょうか……

声は届くのでしょうか?

女優・竹内結子の死。

たぶん自殺だろうと言われています。三浦春馬、芦名星、藤木孝と、名前はすぐに出て来なくとも顔を見ればすぐにわかるような有名人の自殺が続いています。

みずから死を選んだ理由の詮索はいたしません。したってわかりっこないですから。

それよりも、この一連の報道で、多くの場合「悩んでいる方はこちらに電話を」をいうメッセージが出されるのが気になります。「いのちの電話」でしたっけ?

本当に自殺を考えるほど悩んでいる人が、こんな風にテレビを見たりラジオを聴いたりして「あっ、電話してみよう」なんて思うのでしょうか? そもそもテレビを見たりラジオを聴いたりしているのかもわかりません。

あるいは「周囲に悩んでいる人がいたら声をかけてあげましょう」というメッセージも言われていますが、そんなこと傍か見てわかるものでしょうか?

となると、テレビやラジオで伝えられるあのメッセージって、いったい誰に向けたものなのだろうかと考えてしまいます。もちろん、百人や千人に一人でも、このメッセージで自殺を思い留まったり、そこへ電話して相談したみたり、周囲の人に苦悩を吐露して救われる人がいれば御の字なのかも知れませんが。

かといって、自殺を考えるほど思い詰めている人に届く効果的な救いの手にどんなものがあるのか、あたしには到底思いつきませんが。

存亡の秋

少し前の朝日新聞に「外国語検定に存続の危機」という記事が載りました。

外国語の検定試験というのは、その多くが春と秋の年に二回試験を実施しています。しかし、今年はコロナ禍で春季試験を実施できなかったところが多かったようです。英検の模様がニュースになっていましたが、試験会場や入り口が密になりすぎて、感染を恐れ受験せずに帰宅した人もいるとニュースでやっていましたが、恐らく英検の事務局には相当数の避難が寄せられたのではないでしょうか?

漢検や英検はかなり大規模な検定試験ですから、受験者数も多く、それなりに財政的な体力もあると思いますが、それ以外の外国語の検定試験は小さな運営団体のところが多いと思いますので、試験を実施できないことはそのまま収入減、存続の危機へと繋がります。文科省には支援をしてもらいたいところです。

そして、この秋の試験も実施できるのか否か、予断を許さない状況だと思います。ワクチンの準備や感染の広がりによっては、今秋はおろか来春の試験だってどうなるかわかりません。そうなると本当に潰れてしまう事務局もあるかもしれません。そうなると試験を受けようと感得ている受験生や学習者はどうなってしまうのでしょう。

さて、試験が実施できないと事務局もそうですが、検定対策本を刊行している出版社も大変です。なにせ、検定対策本というのは、決まった数が定期的に売れるコンテンツであるからです。この売り上げが、試験の中止で飛んでしまったら出版社も相当苦しくなります。

もちろん検定対策本は、受験生だけでなく、受けないけれど自分の力試しにやってみる、という目的で購入している人いるので、まるっきり売れなくなるわけではありませんが、それでも試験の中止が続くようだと、影響はボディーブローのように効いてくるでしょう。

ちなみに、タイトルの「秋」は「とき」と読みます。