もしトラでも確トラでもなく……

先の衆院選で、日本の国民は与党の過半数割れという選択をしました。あまりにも国民感情と懸け離れた自民党の体質は、国民からNOを突き付けられても致し方ないものですが、そもそもの原因は、その前の選挙で国民が自民党にあれだけの議席を与えてしまったことにあるわけです。

国民もようやく反省し、揺り戻しを起こしたというのでしょうか。与野党が協力しないと何も決まらない、決めることができない現在の国会はこれからが真価の問われるべき時でしょう。しっかりと熟議を重ね、党利党略ではなく本当に国民のことを考えた政策を決めることができるのか。

さてさて、そんな日本を尻目にアメリカ合衆国ではトランプ前大統領が四年のインターバルを経て再び大統領に選ばれました。獲得票数もハリス副大統領をかなり上回り、大接戦という事前の予想を裏切り結果となりました。上院選挙でも共和党が多数を握り、トランプはこれからの四年間、好き放題できるのではないでしょうか。

これがアメリカ国民の選択の結果ですね。自民党にあれだけの議席を与えた日本国民も情けないと思いましたが、今回のアメリカ国民の選択も、本当にこれがアメリカ国民の選択なのかと、自分の耳目を疑ってしまいました。

書店では、ハリスかトランプかとわからないので、現在のアメリカを分析するようなフェアが目に付きました。慶應義塾大学出版会も写真のようなリーフレットを使ってフェアを展開していました。あたしの勤務先も、これから『ぶち壊し屋(上・下)』が売れ始めるのではないかと期待しております。

歴史は続いている?

昨日の朝日新聞は、衆院選挙一色のような紙面でしたが、その中に小さいですが、こんな記事が載っていました。奴隷貿易に関する記事です。

奴隷貿易と聞くと、学生時代に歴史の授業で習ったという記憶が蘇ってきます。多くの人にとっても同じような知識ではないでしょうか。つまりは身近な、現実的な問題ではなく、歴史的な出来事という認識です。

しかし、いまでもこういった声明を出すくらいですから、当事国にとっては身近な、生々しい出来事なのではないかと思います。特に加害者ではなく、被害者側にとっては、何年経とうが、否、何百年経とうが忘れられない記憶なのでしょう。

そんな奴隷制度に関して、少し前にあたしの勤務先からこんな本を刊行しております。文庫クセジュの『奴隷制廃止の世紀1793-1888』です。新書サイズのお手頃な一冊です。文庫クセジュなので、フランスの事例が中心ではありますが、十分参考になると思います。

フランスや仏領植民地の動向を中心に、奴隷制度が廃止されるまでの過程や様々な考え方、出来事を包括的に説明した入門書

とありますが、こういうニュースを聞くと、廃止されたとはいえ完全には終わっていないのだなあと感じます。日本がアジア諸国に対して行なった先の戦争などはまだ100年も経っていないわけですから、やはり被害者にとっては、つい最近のことなのでしょうね。

最寄り駅にもかつて同じようなものがありました

衆議院議員選挙の本日、朝日新聞には本にまつわるこんな記事が載っていましたので、ご紹介します。

まずは投書欄です。

商店街に自由に本を持ち寄り、持って行っても構わない施設があるそうです。思い出してみますと、わが家の最寄り駅の一つ、JR中央線の武蔵小金井駅にも似たようなものがありました。

改札内の通路に木製の本棚が一つ置いてあって、読み終わった本、要らない本を持って来て自由に置いていってよかったのです。そして、そこに置いてある本は誰でもが自由に持って行って構わないことになっていました。もちろん本を置く、本をもらっていく、どちらもお金はかかりませんし、誰かが本の状態や内容をチェックしているわけでもありませんでした。

こういう施設、今もあったらよいと思うのですが、中央線の高架化工事で駅舎の建て替え工事が始まると共になくなってしまい、工事が終わってからも復活はしていません。残念なことです。

続きまして、社会面に載っていた記事。塀の中と外の読書会のお話です。

刑務所内でも読書会が行なわれているのですね。受刑者はよく本を読むようですので、こういう取り組みは受刑者にとってもよいのではないでしょうか。本のもつ力を感じさせるエピソードだと思います。

タイムマシーンが出来たら……

このところ、裁判の再審請求とか、それで無罪を勝ち取ったとか、その手のニュースを目にする機会が何度かありました。冤罪はあってはならないことだと思いますし、無実の人の疑惑が晴れるのは喜ばしいことだと思います。

ただ、被害者側、遺族側からすると「じゃあ、真犯人は誰? いまどこで、何をしているの?」という感情が生まれると思います。怒りや怨み、悲しみの感情を誰に、どこにぶつけたらよいのか、わからなくなると思います。

再審で無罪になったからと言って、その犯罪が無かったことになるわけではありません。必ずどこかに真犯人がいるはずです。それを改めて見つけ出すことは可能なのでしょうか。そこでふと思ったのは、タイムマシーンが出来たら、事件の当時へ行って、真犯人が誰なのかを確認したい、ということです。

でも、その場に居合わせたとしたら、犯人が誰なのかを見ている場合ではなく、その犯罪を止めるべきではないかとも思います。目の前で人が殺されようとしているのを指をくわえて見ているだけでよいのでしょうか。

しかし、そこで自分が手を出して、犯罪を未然に防いだとしたら未来を変えてしまうことになります。それは果たして許されることなのでしょうか。もちろん、犯人が誰かを確認して警察通報したとしても(信じてもらえるのかはひとまずおくとして)、未来を変えてしまうことになります。

いわゆる歴史上の事件や謎を、タイムマシーンで確認しに行くのは夢や浪漫があって楽しそうですが、なまじ近い時代になると出来事に関わってしまいそうなので怖いですね。

豹変

今朝の朝日新聞に出版業界に燗する、こんな記事が載っていました。

委託配本という制度が諸悪の根源なのでしょうか。まあ、必ずしもそうとは言えないでしょうが、原因の一つではあるでしょうね。

でも、書店の粗利を増やすために書籍が買い切りとなったら、出版社配本先が減ってしまうので、部数を減らすことになるでしょうし、当然書物の値段が跳ね上がることになるでしょう。たぶん、それではやっていけない出版社が相当数出て来ると思います。

本の値段は、以前から安すぎると言われていましたので、上がるのはよいことなのかも知れませんが、この不景気の世の中で本の値段が上がっても買ってくれる人はどれくらいいるのでしょう。ちょっと不安です。ますます本が買われなくなりそうです。

ニュースと言えば、このところ石破新首相の態度が「豹変」と言われています。この「豹変」という言葉が非常に気になります。報道されているのを見る限り、この「豹変」は「掌返し」のような使われ方です。でも「豹変」は本来はよい意味で使われていたはずです。

中国古典『易経』の革の卦に現われる言葉です。「君子豹変」と言って「徳の高い人格者は過ちを速やかに改める」という意味なのです。中国古代の君子が、現在の日本での使われ方を知ったら、いったいどう思うことでしょう。

夏なのか、秋なのか

台風はどこへ向かっているのでしょうか? 熱帯低気圧に変わったとはいえ、九州、四国、紀伊半島、そしてまた東海地方と四回上陸し、更に日本海から東北地方か北海道に再び上陸するのでしょうか? こんなに上陸回数の多い台風って、あたしの記憶にはありませんが、記録ではどうなっているのでしょう。

ところで台風というのは、やはり秋の風物詩なんですよね。台風が来ると言うことは、猛暑も終わりに近づいて、季節が秋へ進んでいるということなのでしょう。

とはいえ、まだまだ暑い日は続いているので、アイスや氷菓は当分の間手放せませんし、美味しくいただける季節です。で、近くのコンビニで見つけたのがこちらの「」です。バニラがメインだと思いますが、巨峰とフルーツオレのフレーバーが置いてありましたので、ついつい買ってしまいました。

そんな夏真っ盛りのスイーツが並んでいる同じコンビニには秋も並んでいました。それがこちらの缶チューハイ。この時季限定のフレーバー、「秋梨」「秋ぶどう」です。自宅では日本酒の他に飲むとしたら「ほろよい」が多いのですが、最近は新作のフレーバーが出ていないようなので、目に留まったこちらを買ってみました。

ちなみに、妹曰く、この缶チューハイには「秋りんご」も出ているそうなので、こんどはそれを探してみようと思います。コンビニで隣に置いてあったのに、あたしが気付かなかっただけだったのでしょうか。あるいは売り切れていたのでしょうか。

上に書いた「ほろよい」も同じサントリーなのですね。ウェブサイトを見ますと、今月中旬に飽きっぽいフレーバーが発売になるみたいです。これはこれで楽しみです。

今週は何日出勤できるのか?

盆休み明けの16日、関東地方は台風が近づいていて、鉄道もいつ運休になるかわからない、という状況だったので、あたしは在宅勤務に切り換えました。結果的に、東京についてはそれほどの影響を受けなかったわけですが、今週、またもや台風がやって来ます。

少し前にニュースでは関東直撃か、と言われていましたが、天気予報が更新されるにつれ、予想進路が西にズレていき、現時点では九州か四国あたりに上陸するのではないかと予想されています。その後は東日本から北日本を縦断するのか、日本海へ抜けるのか、そんな感じのようです。

新幹線なども明日、明後日が計画運休になるかも、と言われていましたが、山陽新幹線や九州新幹線はともかく、東海道新幹線については計画運休があったとしても木曜日か金曜日になりそうです。そうなると首都圏の在来線も計画運休や間引き運転が行なわれる可能性が高いです。

日本のサラリーマンは、意地でも会社へ行こうとする傾向があるので、通勤する人数は大して減りもしないのに、電車の本数が少なくなったのでは、いつも以上の混雑が予想されます。だから、あたしは在宅勤務にしたいわけです。

いまのところは木曜日か金曜日が危ないですが、今日と明日はよくよく天気予報を注視しなければなりませんね。土曜日まで影響が残るのでしょうか? あたしの勤務先土曜日は倉庫の棚卸しが予定されているんですよ。どうなるのでしょう?

ようやく揃いました!

皆さんは、新しい日本銀行券、既に手に入れたでしょうか。1000円、5000円、10000円の三種類ですよね。あたしにとって、生まれてこの方、何種類目の紙幣になるのでしょうか。ついついそんなことを考えてしまいます。

さて、この三種類の紙幣、実際の発行量にどれくらいの違いがあるのか知りませんが、あたしが最初に手に入れたのは1000円札でした。たぶん、一番身近でよく使う紙幣ですよね。最近はちょっとした買い物のおつりにも、昔からいたかのように新1000円札が出て来ます。一気に切り替わっている感じですね。

1000円札が手に入ってしばらくは、他の2種類を目にすることはなかったのですが、銀行から預金を引き出したときに、遂に10000円札との邂逅がかないました。年寄りと言われそうですが、あたしのように「一万円札と言えば聖徳太子」という世代の人間にとって、その後の10000円札は度どれもおもちゃの紙幣みたいで、重みを感じられません。今回もそんな印象を受けました。

そして1000円札。10000円札までは比較的すんなりと手に入ったのですが、5000円札の実物を見るまでは少し時間がかかってしまいました。しかし、ここへ来てようやく5000円札もスーパーなどのお釣りで出て来るようになったのです。これが津田梅子か、と思いつつ、これで新札三種類コンプリートできました。

あたしはコレクターではないので、新札を取っておこうという気は起こりません。さっさと使うか、使う予定がなければ預金するかのどちらかです。数ヶ月後には、旧紙幣を目にすることの方が稀少になるのではないでしょうか。

健大高崎

高校野球、健大高崎が優勝し、群馬県勢初のセンバツ制覇だそうですね。夏では優勝した学校はあったのでしょうか。別にそれほど高校野球に興味があるわけでもないので、そのあたりの事情には疎いのですが……

ところで、ニュースでもネットも「健大高崎」という四文字を何回も目にしていますし耳でも聞いてます。この「健大高崎」の「健大」って群馬県民なら周知なのでしょうが、他県の人にはあまりにも馴染みのない単語です。「日大三」だったら「日本大学」の系列校、「駒大苫小牧」なら「駒沢大学」の系列校だとわかりますが、「健大」って何でしょう? ネットにしろ新聞にしろ「健大」の正式名称を表記している記事を見たことがありません。

で、調べてみたところ、「高崎健康福祉大学高崎高等学校」のことだとわかりました。つまり「健大」とは「高崎健康福祉大学」のことなのですね。調べてみるまで、あたしは「保健大学」だろうと思ってました、あるいは「保健看護大学」ではないかと。完全に外れてしまいました。

この大学は県立ではなく、私立の大学なんですね。そんなことも調べてみて知りました。また「健大高崎」なんて言うから、「健大○○」といった系列高校が他にもあるのかと思いきや、高崎しか存在しないようです。せめて「健大前橋」「健大渋川」「健大水上」くらいあってもよさそうなものだと思うのですが(汗)。

それにしても、こうして高崎が脚光を浴びてしまうと、お隣・前橋の方はどう思っているでしょう。一緒になって喜んでいるのでしょうか、あるいは県庁所在地・前橋として矜持を持って平静を装っているのでしょうか。

将来的には……

情報番組を見ていると、「ゴジラ」がアカデミー賞を受賞したことが報じられています。なんでもアジア映画としては初の受賞だそうです。

ところで、そのゴジラが受賞したアカデミーの「視覚効果賞」って、ようはCGグラフィックを実写部分に合成しているわけですよね。テレビでもグリーンバックで演技する俳優たちと、そこに合成するCGをパソコンで作っているスタッフの映像が紹介されていました。神木隆之介や浜辺美波はともかく、大勢の群衆が映っているシーンでも実際の俳優が演じているのは20人か30人くらいで、周縁の人たちはCGらしいです。

それを見ていて思ったのですが、ここまで精緻なCGが出来るのであれば、神木隆之介や浜辺美波といった役者は必要なのでしょうか。これら俳優たちも最初からCGで作ってしまえばよいのではないかと思うのです。

ただ、そうなると、できあがった映画は実写映画と呼べるのでしょうか。そもそもゴジラだって、半分近くがCGのように見えました。あれを実写映画と呼んでもよいのでしょうか。CGの比率が何パーセント以下であれば実写映画を名乗れるといった基準があるのでしょうか。

で、話を戻して、全編CGで作ったしまったら、それはもう実写映画ではなく、アニメーション映画と呼ばれるのでしょうか。そうなると「君たちはどう生きるか」が受賞した「長編アニメーション賞」にノミネートされるようになるのでしょうか。

でも、最近の実に精巧な、実写と見紛うようなCG技術を見ていると、全編CGで作っても役者が演じていますと言えば、多くの人が信じてしまいそうなレベルだと思います。アニメと実写の境目ってどのあたりにあるのでしょう。