中国の神様とか信仰とか

あたしが学生時代に中国思想や中国史を学んでいたことは、このダイアリーを読んでくださっている方であればご存じかと思います。もう学問を離れてかなりの年月が経ちましたので、学んでいましたと言うこともおこがましいくらいですが、それでも中国関係の本は買ってしまいますし、読んでいます。

そんな大学時代の先輩が本を出されたので、早速購入しました。それが写真の左側、吉川弘文館の『中国の信仰世界と道教』です。学生時代も道教とか、そのあたりを専門にしていたのを覚えています。

かつて平凡社新書で『中国の神さま』を出して以来、中国の宗教、特に道教を中心に研究をされていて、ブレずにその道を究めていらっしゃるのだなあと、改めて頭が下がります。

中国は儒教社会と言われますが、それは知識人社会の話であって、庶民レベルでは道教だという話も学生時代に聞かせてもらいました。とにかくパワフルで、エネルギッシュな、そしてとんでもなくデキる先輩だったというのが、あたしの印象です。

2024年5月25日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

岩波文庫の復刊を求む(笑)

中公新書から『元朝秘史』が刊行されました。この方面に詳しい方ならご存じのことと思いますが、中公新書には、以前も『元朝秘史』というタイトルの本が出ておりました。

著者が異なりますので、以前のものの改訂版ではなく、全く新しいものとして刊行されたわけです。となると、当然のことながら、以前のタイトルは既に絶版になっているのでしょうね、調べたわけではありませんが……

そして、実は中公新書だけでなく、岩波新書にも『元朝秘史』というタイトルがあるのです。ちなみに、中公新書の以前のものは岩村忍著、岩波新書は小澤重男著という名だたる大家が著したものです。

今回刊行されたものも含め、三点の新書『元朝秘史』は、『元朝秘史』の解説本、入門書です。原書である『元朝秘史』は出ていないのかと言いますと、さすがです、岩波文庫から上下本で出ています。否、出ていたと言った方がよいでしょう。現在は品切れになっているようです。

この機会に、岩波文庫の『元朝秘史』も復刊されないものでしょうか。

2024年5月23日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

名著の宝庫?

文庫本で古典の翻訳と言いますと、やはり岩波文庫が充実していますし、他の追随を許さない圧倒的な量を誇っています。ただ中国古典について言えば、講談社の学術文庫も負けてはいません。そして知る人は知る、筑摩書房も中国古典の翻訳については、侮れないラインナップを誇っているレーベルだと思います。

古典の翻訳を出している文庫というのは、その周辺のものも充実していまして、ちょっとした研究書や概説書などが文庫本で手に入ったりするものです。今回落手したのはちくま学芸文庫の『中国古典小説史』です。

ちなみに、本書でも最初に触れていますが、中国古典における「小説」はnovelの訳語としての小説ではありません。「大説」に対する「小説」なのです。つまりは優れた人物を指す大人(たいじん)に対するつまらない人間(しょうじん)と同じような関係です。

ところで、この『中国古典小説史』というタイトルを見ると、中国学の専門家であれば、魯迅の『中国小説史略』を思い出すのではないでしょうか。少なくとも、あたしはすぐに思い出しました。

そして、その『中国小説史略』もちくま学芸文庫に翻訳があるのですよね。さすが筑摩書房です。もちろん、そちらも架蔵しています。

そもそも筑摩書房は、ちくま学芸文庫ではなくちくま文庫ですが、そちらに『魯迅文集』(全6巻)も収録されているのですよね。筑摩書房はもともと全集を手広く刊行していて、それを改めて文庫化しているものが多いわけですが、そういう過去の優良な資産が豊富な出版社というのはよいものですね。

2024年4月13日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

名著・名作再発見!

今回のダイアリーのタイトルは岩波文庫のフェアのタイトルから採りました。正確に書くならば「名著・名作再発見! 小さな一冊を楽しもう!」だそうです。文庫だから「小さな一冊」なんですね。

それはさておき、その岩波文庫の4月の新刊に『孝経・曾子』があるのを見つけました。この数年、否、十数年、店頭で見かけることはないですが、岩波文庫には既に『孝経・曾子』があるはずです。

一枚目の写真がそれで、わが家に架蔵している一冊です。あたしが学生のころも新刊では手に入らず古書肆で購入したような記憶があります。となると市場から消えて十数年どころか、数十年は消えていたということになりますよね。

で、今回刊行される『孝経・曾子』ですが、訳者が異なります。でも岩波文庫としての番号は同じ「211-1」らしいです。ということはISBNも変わらないのでしょうか。訳者が異なるので別な本だと思いますが、同じ本の重版という扱いなのでしょうか。

とはいえ、岩波文庫ではかつても同じような現象がありました。

二枚目の写真は、今回の岩波文庫フェアにもラインナップされている中国の古典『老子』です。これは文庫の番号が「205-1」です。

『老子』ほど知られた古典ですから、岩波文庫に収録されていないわけがなく、こちらの刊行よりはるか昔、岩波文庫には『老子』が存在していました。

それが三枚目の写真です。『老子』です。こちらも番号は同じ「205-1」ですが、訳者が異なるのです。つまり今月の『孝経・曾子』と同じことが以前にもあったわけです。

いわゆる古典の旧訳と新訳ということで、時代に合わせて言葉遣いも変わるわけですから、翻訳も変化して当然です。訳者を代えて、新しく出し直すのはよいことだと思います。

もちろん言葉遣いだけでなく、古典研究も進んでいるので、それらを踏まえた訳文になるのも当然のことでしょう。旧訳と新訳でどう変わったのかを比べるのも楽しい作業です。とはいえ(この『老子』や『孝経・曾子』がそうだというわけではなく)、旧訳の方が好きだという人もいますね。あたしは旧訳と新訳を読み比べて、それぞれのよいところを味わえばよいと思うだけですが。

2024年4月6日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

東交民巷

本日は懐かしい話を。

新刊の『清朝滅亡』を寝床で読んでいまして、ちょうど半分くらい読みおわりました。義和団の乱で各国公使たちが北京の東交民巷地区に立てこもり天津からの救出部隊を待っている状況です。

北京籠城と言えば、東洋文庫『北京籠城・北京籠城日記』ですよね。ちなみに平凡社のウェブサイトでは「籠城」ではなく「篭城」と表記されていますが、本に印刷されているのは「籠城」の方です。

話は戻って、東交民巷。当時の公使館街です。あたしが最後に訪中したのは2007年で、北京五輪前ですし、16年も前になりますから、北京の街もまるっきり様変わりしていると思います。ですから、あくまであたしが最後に訪中したころの話ですが、そのころの東交民巷は、まだ公使館街の面影を残すような建物がいくつか残っていました。下町の風情もありましたが、それでも落ち着いたたたずまいを感じさせる地域だと感じました。

あたしが20年前くらいに、しばしば訪中していた(隔年で一回くらいですが……)ころに泊まっていたのは崇文門に建つ新僑飯店でした。表通りは前門へ向かう大通りと東単へ向かう大通りが交わる大きな交差点で、地下鉄の崇文門駅が交差点の地下にありました。そして、そんな新僑飯店の裏通りが東交民巷だったのです。ホテルを出て、東交民巷をそぞろ歩いて天安門広場に向かったことが何度もありますし、王府井で買い物をした帰りも、東交民巷まで南下して、東交民巷を歩いてホテルへ戻ったものです。なので、とても馴染み深い通りです。

もちろん義和団のころに、このあたりに外国人居住者が立てこもっていたという歴史は知っていましたから、そんな時代に思いを馳せながら歩いたものです。外国人と言えば、『北京のモリソン』のジョージ・アーネスト・モリソンもちょうど北京にいたころですね。このモリソンの蔵書が、東京の六義園に程近い東洋文庫に所蔵されているというのも、先程の平凡社東洋文庫と繋がるような、繋がらないような……(汗)

さて当時の思い出話をしますと、その新僑飯店の斜向かいにも哈徳門飯店というホテルが建っていて、そこに北京ダックで有名な便宜坊が入っていました。新僑飯店に泊まっているときは滞在中に一度はダックを食べに行ったものです。

また北京にも日本的なスーパーマーケットが増えてきたのもこの頃で、崇文門の交差点を南下するとすぐ右手に崇文門菜市場があり、これはいかにも昔ながらの北京の庶民が使うマーケットという感じでしたが、さらに南下すると真新しい新世界商場という巨大ショッピングモールがありました。ホテルの部屋で飲むミネラルウォーターや室内履きにしていたカンフーシューズはここで調達していました。マクドナルドや吉野家も当時は入っていたと記憶していますし、便宜坊の支店もありました。

あたしが体験した北京はそんな感じで北京五輪前で止まったままです。いまはまるっきり知らない町だと思えるほど変わってしまっているのでしょう。

話は『清朝滅亡』に戻りますが、いまのところ主人公は西太后です。時の皇帝は光緒帝です。まだしばらくは登場し続けるでしょうが、この二人は相継いで亡くなるのですよね。そして中国語辞典で著名な井上翠『松濤自述』を読みますと、井上翠が北京を訪れたときに光緒帝と西太后の葬儀が行なわれていたとのことです。

そんな井上翠の最晩年、謦咳接したのが『白水社中国語辞典』の伊地智善継先生で、その伊地智先生に、あたしも晩年の十年、お世話になりました。そう思うと、この西太后の時代、北京籠城のころが一気に身近に感じられます。

最後に、東交民巷は文字面からもわかると思いますが、天安門の東側にある路地ですが、天安門の西側には対になる西交民巷という路地もあります。あたしはそちらの通りも歩いてみたこともあるのですが、東交民巷に比べると情緒というか趣が感じられない通りだったという印象です。

2024年1月21日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

日本史とも大いに関わる時代です

辛亥革命なんて聞いても、中国史に興味を持っている人以外にはピンと来ないのかも知れません。でも、清朝末期には明治維新の日本に倣えということで、多くの人材が日本を訪れています。当然のことながら、日本の政治家や実業家との交流も増えてきます。

そして清朝が、二千年の皇帝制度が崩壊し、中華民国が誕生するわけですが、中華民国一年は日本の大正元年に相当します。中華民国と大正は年代が同じなので、なんとなく親近感が湧いてきませんか。そんな時代を扱った『清朝滅亡』がまもなく配本になります。

著者である杉山祐之さんは、これまで『覇王と革命』『張作霖』と、この時代を扱った作品を出してきて、本書が三作目になります。いずれも読み応えたっぷりです。上述したように、中国史の本ではありますが、日本がちょこちょこ顔を出す時代でもありますので、日本の近代史に興味がある方にも十分楽しんでいただける一冊、否、三冊となっております。

2024年1月11日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

世界最大級の……

わが家の書架には『『大漢和辞典』を読む』という本が並んでいますが、そのお仲間が登場です。

日本が世界に誇る『大漢和辞典』に関する書籍が刊行されました。『『大漢和辞典』の百年』です。1955年の刊行ですから、100年まではちょっと時間があります。

でも、これだけの辞典ですから、作業を始めたときから数えれば、100年以上の月日が経っているのではないでしょうか。あたしも勤務先で『中国語辞典』の編集に少しだけ携わったので、刊行までの準備期間と言いますか、助走期間と言いますか、とにかくメモを取り、カードを作り始めるところからの、気の遠くなるような作業については多少の理解があるつもりです。

あたしが学生のころは、紺色っぽい装丁ではなく、白地に金文字、少し判型も大きくなった版が刊行を開始したので、あたしは毎月の刊行のたびに、アルバイト代をつぎ込んで購入していました。それが左の写真です。

この版は十二巻+索引まで完結した後に、補巻と語彙索引が刊行されまして、もちろんそれも揃っています。当時はまさしく世界最大の漢和辞典だったと思います。ただ、その後、中国から『漢語大字典』『漢語大詞典』が相継いで刊行され、何を以て世界最大と呼ぶのかは議論の分かれるところではありますが、「世界最大」ではなく「世界最大級」と称するようになったと記憶しています。中国の二つの辞典は、そしてたぶんその後にもいくつか中国で大型の辞典が刊行されていると思いますが、いずれも『大漢和辞典』をものすごく意識して作られていたはずです。

2023年11月30日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

着々と中国史が揃っていく

週末の晩はちょっと日本酒を嗜むことがあります。真冬でももっぱら冷酒で、燗をして飲む酒はほとんど買うことはありません。

このところめっきり冷え込んできましたから熱燗が旨い、という方も多いのでしょうが、あたしはやはり冷酒がよいです。そして、これまでは新潟の酒を飲むことが多かったのですが、この数年、新潟以外の酒にも手を伸ばしていましたが、久しぶりに新潟の酒を飲んでみました。

越乃景虎です。景虎ですから上杉謙信、となれば上越の酒かと思いきや、長岡の酒なんですね。今宵、賞味します。

さて、そんな週末に中公新書の新刊を落手しました。今月の新刊が何冊出たのか知りませんが、あたしはこの三点、『山縣有朋』『日蓮』『物語江南の歴史』です。

中公新書って、このところ中国史に力を入れているのでしょうか。かなり頻繁に中国史を扱った新刊が出ていますよね。どれもよく書けていて、もちろん読んでも面白いものばかりです。もう少したまってくれば、中公新書の中国史を揃えてフェアができそうな勢いです。

2023年11月18日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

孫子の件で少しばかり補足を

昨日のダイアリーで、中国の古典『孫子』について書きました。

その時に紹介した邦訳の一つ、岩波文庫の『孫子』ですが、実は改訂版が出ています。『新訂 孫子』です。最新の出土資料も使って改訂したものだそうです。中国古典はこの数十年、出土資料によって見直しが盛んですから、孫子もその例に漏れないということですね。

ちなみに、このダイアリーを読んでくださっている方であれば、これもご存じのことかと思いますが、ここまで書いてきた孫子とは呉孫子、呉の国に仕えた孫武のことであり、彼が著した『孫子』のことを指しています。しかしながら、出土文物の中にもう一つの『孫子』が発見されまして、それが『史記』の中にも書かれていた、斉に仕えた孫子、孫臏の著した『孫子』、通称『孫臏兵法』です。

こちらも出土文物の整理、校訂が進み、その成果が中国で刊行されています。わが家の書架にも二冊架蔵していますが、これは同じ書籍が装いを変えて刊行されたものになります。

2023年9月11日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

「ぎぶ」とは「GIVE」ではなく「魏武」のことです

講談社学術文庫から『魏武注孫子』が刊行されたので、当然のことながら購入しました。学術文庫では既に『孫子』が刊行されていますが、あえて「魏武注」にスポットをあてて一冊出すなんて、すごいです。

ちなみに『孫子』は、中国古典の中では『論語』『老子』に次いで知名度が高い作品だと思うので邦訳も何種類か刊行されています。そこで、架蔵している文庫版の邦訳を並べてみたのが一枚目の写真です。ちなみにこれらの邦訳、いまも版元在庫があるのかわかりません。

左上が中公文庫、その右の二冊はどちらも岩波文庫です。右下は講談社文庫、その左の二冊が今回話題にしている講談社学術文庫の二点です。単行本も加えたら『孫子』の邦訳はあと何種類かあると思いますが、さすがにすべては追い切れないので、架蔵しているのはこんなところです。

ところで、このダイアリーを読んでくださっている方の大部分には説明不要かと思いますが、ここまで何回か登場している「魏武」とは魏の武帝、つまり三国志の曹操のことです。長い長い中国史の中でもトップクラスの戦術家・戦略家でもある曹操は『孫子』を常に傍らに置いていたそうで、自身の体験に基づいて『孫子』に注を付けたものが『魏武注孫子』です。

曹操以外にも『孫子』に注を付けた人物は中国史上に何人もいまして、その主要な十一種類を修正したものが「十一家注孫子」で、『孫子』を読む場合にはこれがベースになっています。現代中国でも「十一家注孫子」は刊行されていまして、二枚目の写真にあるように、あたしは二種類を架蔵しています。

ところで「三国志」ファンなら、「曹操が孫子に注を付けたくらいなら、諸葛孔明だって孫子に注を付けていなかったのかしら?」と思うのではないでしょうか。あたしもそう思ったことがありました。劉備と出会う前にいくらでも時間はあったと思います。でも、劉備軍に加わってからはそんな時間は取れなかったでしょう。実践を踏まえて若いころに書いた孫子注を修正しようと考えていたとしても、それは果たせなかったでしょうね。

2023年9月10日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー