さあ、仕事始め?

三連休が明け、なんとなく、本日からが本格的な仕事始めという気がします。

「いまごろか?」と言われたら返す言葉もありませんが、実感としてはそんな感じです。

で、今日は横浜まで足を延ばしました。

オミクロン株、神奈川県でも増えていますが、それを反映しているのか、昨年暮れに行った時に比べると街の人出が若干減っているような気がしました。

いまのところ関東地方には蔓延防止措置とか非常事態宣言は出ていませんが、時間の問題なのでしょうか? そうなると営業回りもまた難しくなってきますね。ようやく日常が戻りつつあったのに……

没後20年です

本日、1月10日はグラフィックデザイナー、田中一光さんの没後20年になります。

あたしの勤務先では何点か著作を刊行しているのですが、現在はすべて品切れになっています。たぶん、最後まで在庫があったのは『デザインと行く』と『田中一光自伝 われらデザインの時代』ではないでしょうか? この二点は、あたしにも少し前まで在庫があったという記憶があります。

これを機に特に回顧展があるという話は聞いていませんが、何かあってもよさそうですね。

あるいは2030年の生誕100年に大きな回顧展が行なわれるのでしょうか? そういう情報は何も入ってきていませんが、さて、どうなのでしょう?

田中一光さんの著作は品切れですが、この当時のデザイナー群像については『四人四色 イラストレーター4人への30の質問』を読んでいただければと思います。こちらはまだ在庫ありますので、よろしければどうぞ!

モスクワからイスタンブールへ

少し前に中公新書の『物語 イスタンブールの歴史 「世界帝都」の1600年』を読みました。

行って見たいなあと思う都市の一つですし、その歴史を考えると興味津々なので手に取った一冊です。個人的には地図がそれなりに入っているのですが、もう少し親切なものであればよかったのにという憾みが残ったのと、イスタンブールだけでなく、黒海なども含めたもう少し広域の地図も載っていれば内容が頭には行って来やすかったのではないかと思いました。

それはともかく、同書の230頁にこんな記述がありました。

またロシア人たちは与えられるばかりではなく、イスタンブールのナイトライフを一変させたことでも知られる。彼らは、それまではどちらかというと観劇、飲酒(そして売春)が分散的に行われていたイスタンブールの夜に、それらの愉しみがひとところに集う新たな施設としてのナイトクラブを持ち込んだのである。一九一一年開業のイスタンブール最古のバーとされるガーデンバーことガーデン・プティ・シャンを受け継いだ同名ナイトクラブ(一九一四年開業)を皮切りに、黒いロシア人と称えられたフレデリック・ブルース・トーマス--ロシア国籍を持つブラック・アメリカンだった--の開いたマクスィム(一九二一年開業)など、ガラタの下町からタクスィム近辺の至るところに、ロシア美人たちがショーガール、接客係を務めるナイトクラブが続々と開店する。ヘミングウェイが驚嘆したカラキョイの酒場街の狂乱も、大戦を背景として誕生したのである。

ここに出てくる「黒いロシア人」フレデリックですが、ロシアから来たのに「ブラック・アメリカン?」と不思議に思われた方も多いのではないでしょうか? こんな時代にアメリカからロシアへ、しかも黒人が移り住んでいたなんて、と驚かれたのではないでしょうか?

彼に関して興味を持たれた方、もっと詳しく知りたいと思った方には、是非とも『かくしてモスクワの夜はつくられ、ジャズはトルコにもたらされた 二つの帝国を渡り歩いた黒人興行師フレデリックの生涯』の一読をお薦めいたします。

公式サイトには

厳酷な黒人差別社会に見切りをつけたミシシッピ生まれのフレデリックは、海を越えて旧大陸へ渡り、帝政時代のモスクワでアメリカン・ドリームを摑むのだが……ロシア文学の碩学による、まるで物語(フィクション)のような歴史ノンフィクション。アメリカ南部の社会、爛熟する帝政末期のモスクワの夜、そして、第一次世界大戦とロシア革命の勃発――激動の時代を背景に描かれる、不屈な男の、凄まじくも痛快で爽快な魂の遍歴。

とあります。黒人差別を嫌ってアメリカからロシアに移り、第一次世界大戦とロシア革命の勃発でロシアからイスタンブール(オスマン帝国)へ渡ったなんて、彼の人生は波瀾万丈以外の何ものでもないでしょう。

生誕弐百年

今日は、シュリーマンの生誕200年です。1822年の1月6日生まれだそうです。日本では江戸時代の末期ですね。

それに合わせて、しばらく品切れになっていた『シュリーマン トロイア発掘者の生涯』を新装版として復刊いたしました。もう店頭に並び始めていると思いますので、気になる方は是非どうぞ。

ところで、シュリーマンってトロイ遺跡と共に名前だけは昔から知っていましたが、実はどんな生涯を送った人なのかよく知りません。子供のころにトロイの木馬の話を聞いて興味を持ち、それを大人になるまで抱き続け、遂に偉大な発見を成し遂げた、そんなおぼろげな記憶ですが、合っているのでしょうか。

あの時代の考古学や発掘、探検といったものは帝国主義の国策と深く結びついているというイメージがあるのですが、シュリーマンの場合はどうなのでしょう?

あれから30年

ソビエト連邦崩壊から30年。もう30年たつわけですから、いまの若い方の記憶にないのは当然ですね。あたしの世代ですと「ロシア」という響きは帝国の彭を思い出させ、やはりあの国のことは「ソ連」と呼んでしまいがちです。

ソビエト連邦という国の歴史を振り返るもよいですが、かなりたくさんの本が集まりそうなので、今回はソ連崩壊の時期に絞ってご案内しますと、まずは『ゴルバチョフ(上)』『ゴルバチョフ(下)』です。ソ連を崩壊に導いたという表現を使うとマイナスイメージになってしまいますが、やはりあたしの世代にとってゴルバチョフは冷戦を終わらせ、さまざまな改革を行なった清新な政治家というイメージが先行します。まだ存命ですので、本書は評伝ではありますが、半生記的なものです。

そしてゴルバチョフの引き起こした改革が東欧全体に影響を及ぼし、一気に「東側」が崩壊していった様を描く『東欧革命1989 ソ連帝国の崩壊』です。リアルタイムで知っていますが、まさかこんなにあれよあれよという間に共産圏が崩れていくとは思いもしませんでした。

考えてみますと、1989年という年は、年明け早々に昭和が終わり、中国で天安門事件が起こり、そして東欧の崩壊、ベルリンの壁崩壊という、たぶん近年稀に見る激動の都市であったと思います。そんな東欧の状況を活写したのが本書です。

そして西側に住むあたしたちは、これで共産圏に暮らす人たちも幸せになれると脳天気に思い込みがちですが、実際にはそうではなく、あまりの価値観の変化についていけない人たちも大勢いたようで、そんな実情を描いたのが『踊る熊たち 冷戦後の体制転換にもがく人々』です。正題だけを見ると、動物の話かなと思って、本屋で「自然-生物」のコーナーに置かれてしまいそうですが、副題を見ていただければ、どんな内容を扱った本なのか理解していただけると思います。

そう言えば、東欧のように共産社会が崩壊したわけではありませんが、事実上の資本主義に邁進してきた中国でも、「共産主義は素晴らしい、仕事をしなくたって給料がもらえるから」という皮肉めいた発言を中国人から聞いたことがあります。

東欧の崩壊が1989年に始まって、本家本元のソ連が解体になったのが、いまから30年前1991年の12月25日なわけです。ソ連からロシアに変わり、現状を見ると再び「帝国」に戻ってしまったかのような印象がありますね。

そんな25日クリスマスには『クリスマスの文化史』を繙くのは如何でしょうか? 毎年この時季になると(もう少し前からですが……)書店からの注文が伸びる季節商品的な一冊です。

ちょうどよいタイミング?

先月、今月と二か月にわたって刊行された、岩波文庫の『マンスフィールド・パーク(上)』『マンスフィールド・パーク(下)』をゲットしました。

同作品は、以前に「ちくま文庫版」で読んだことがあります。というよりも、ジェイン・オースティンはちくま文庫で全部読んでいます。

岩波文庫版『マンスフィールド・パーク』の訳者の一人、新井潤美さんの著書『ノブレス・オブリージュ イギリスの上流階級』が、あたしの勤務先から年末に刊行されます。ちょうど見本が出来てきたところです。なんというグッドタイミングでしょう。

文庫と単行本なので、書店では近くに並んでいない可能性が高いと思いますが、もし可能であれば併売していただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

ところで「ノブレス・オブリージュ」って言葉、日本では人口に膾炙しているでしょうか? まだまだ「何、それ?」という日本人も多いのではないでしょうか? ただドラマ「ダウントン・アビー」のヒットあたりから知られるようになったのではないかと思います。

で、あたしも大方の日本人と同じように知らない言葉だったのですが、辛うじて本書の企画が上がる前に走っていました。何かの本を読んでいた時に「ノブレス・オブリージュ」という単語が出て来て、どういう意味だろうと引っかかったのを覚えています。何の本で知ったのかは思い出せないのですが……

没後20年だそうです。

既に二日ほど過ぎてしまいましたが、去る14日は作家ゼーバルトの命日でした。亡くなって20年になります。

存命であればノーベル文学賞は間違いないと言われていた作家ですが、不幸にも早くに亡くなってしまいました。

そして残された作品が右の写真です。現在は、ご覧のように六作品を手軽に読むことができます。特に『アウステルリッツ』はロングセラーで、一番のヒット作です。

さて、話は変わりまして、現在《改訂版》の『中国語検定対策4級問題集』が近々《三訂版》となって再登場します。

左の写真、左側が現行の《改訂版》で、右がこんど新しくk刊行される《三訂版》です。基調となるカラーはそのままに、デザインはガラッと変わりました。

今後、『3級問題集』『2級問題集』も《三訂版》に変わるのだと思いますが、しばしお待ちください。

没後30年です

本日、12月13日はアンドレ・ポール・エドワルド・ピエール・ド・マンディアルグの没後30年にあたります。日本人の感覚からすると長ったらしい名前ですが、致し方ありません。

で、あたしの勤務先で刊行している邦訳は『城の中のイギリス人』と『オートバイ』の2点になります。

以前はもう何点かあったのですが、現在は品切れになってしまっています。たとえば『狼の太陽』『黒い美術館』『燠火』といったところです。このタイミングで品切れテイルのはとても残念ですが仕方ありませんね。

これらの単行本、あるいはUブックス版をお持ちの方は、本日くらいは書架から取り出して眺めてみてくださいませ。

そして、最近ですと光文社古典新訳文庫に『すべては消えゆく』がラインナップされています。これがマンディアルグの邦訳としては一番新しいものだと思いますので、一番お手軽かも知れませんね。

ちなみに『城の中のイギリス人』は澁澤龍彦、『オートバイ』は生田耕作という、非常に豪華な翻訳です。

あと、わが家の書架には『狼の太陽』『黒い美術館』『燠火』は並んでいるのですが、『薔薇の葬儀』は持っていないのです。なんという不覚。古典新訳の『すべては消えゆく』は持っていますけど。

装いも新たに?

白水Uブックスの『芸術家列伝1』『芸術家列伝2』『芸術家列伝3』のオビが、ご覧のように新しくなりました。

このイラストのタッチに見覚えのある方も多い方と思います。『ルネサンスの世渡り術』で知られた壺屋めりさんによるものです。今回、『芸術家列伝』のために描いていただいたものです。

あたしの勤務先とは、このような文章を寄せていただいたりと、以前から縁がありましたので、今回このような仕儀になりました。

オビが新しくなるだけで、こんなにも印象が変わるとは!

時差があるので

日本では12月8日でしたが、現地ではまだ前日の7日であったという真珠湾攻撃。

というわけで、あえて12月7日の内に『パール・ハーバー(上)』『パール・ハーバー(下)』をご紹介いたします。

果たして日本の奇襲をアメリカ軍は事前に知っていたのか否か、知っていたのなら、あえてハワイの艦船には伝えなかったのか、などなどいろいろと議論があるようですが、結果的に奇襲が成功してしまったのが日本にとっては仇となったような気がします。

長駆ハワイを攻撃できるような能力を持っていなければ、最低限アメリカと先端を開くようなことはせずに済んだのではないか、という気もしますが、そういうことが言えるのも後世の人間だからなのでしょう。

ただ、どうなのでしょうね。当時の多くの日本人にとって、ソ連が北からやって来るという恐怖はあったかもしれませんが、アメリカに対する恐怖とか敵愾心って、どのくらい持っていたのでしょう? そのあたりは疑問を感じます。

それにしても「失敗の本質」ではありませんが、戦前の日本はどこで間違えてしまったのでしょうか。そしてそんな戦前の日本は素晴らしかったと語る政治家が多いことに薄気味の悪さを感じます。