ブルーライトと言ったら……

つい最近知った言葉に「ブルーライト文芸」というのがあります。人気ドラマ「不適切にもほどがある」ではありませんが、「ブルーライト」と言ったら「ブルーライトヨコハマ」だと思ってしまうのは昭和世代の性でしょうか。

それはさておき、最近、こんな記事を読んだのです。「「青い」キラキラした、エモいイラストが表紙になっている文芸作品のこと」とあります。それで思い出したのが、あたしの勤務先から刊行した最近の文芸書です。

画像をご覧ください。青っぽいと思いませんか。まあ、百歩譲って青っぽいは認めるとしても、「キラキラした」「エモいイラスト」かと問われると、ちょっと首をかしげてしまうかも知れません。そこはご寛恕いただければと思います。また同記事には内容に関しても

ブルーライト文芸には典型的な話のパターンがあります。ヒロイン(や恋人、想い人)と出会い、最後に消失するということです。また、最近の作品ではそこまで露骨ではありませんが、『田舎』や『郊外』の『夏』を舞台にしがちであるという共通点もありました

とありますが、『房思琪の初恋の楽園』などはイイ線いっているのではないでしょうか。

探しているのは、ビジネスバッグではなく、営業バッグ!

昨年の6月にカバンについて書きました。どちらかというと不満をたらたらと書いてしまったようなダイアリーでした。その後、7月にはカバンを買い直そうとも書きました。実は、そのカバン(リュック)ですが、壊れました。

頭の部分、持ち手が付いていますが、そのあたりのファスナーのところがほつれてしまったのです。荷物の重さに耐えきれなかったのでしょうか。とにかく縫ってあったところなのか、布自体なのかわかりませんが、ちょっと穴が空いていたのを見つけたと思ったら、あっという間に広がってしまい、使い物にならなくなりました。

そして購入して、いま使っているのが右の画像のカバンです。肩掛けのトートバッグにもなるし、リュックにもなるというタイプのカバンです。

リュックとトートのいいとこ取りならよいのですが、やはりリュックとしてもトートとしても中途半端な感じがします。そして、最大の欠点は、やはり外ポケットのマチがほとんどないこと、そしてポケットの大きさが小さすぎることです。前にも書きましたが、これでは本を持ち歩くには不便極まりないです。

ネットで「ビジネスリュック」と検索すると、安いものから高いものまで、たくさんの商品がヒットします。でもこれって結局、通勤用のリュックでありカバンなんですよね。だから見た目はスマートにすっきりとしたものが多いように感じます。

あたしのように営業向けのリュックやカバンではないのです。たまに営業向きと謳っているカバンでも、それは営業先の会議室や応接室で椅子に座って資料を広げる、あるいはノートPCでプレゼンをする、というの使い方を念頭に置いた商品のようです。

でも、そんな営業をあたしはしていません。あたしの場合は、書店に行って、棚の前でファイルを広げて、商品を勧める、そしてまた次の書店へ行ってファイルを広げ、注文書を渡し、セールストークを繰り出す、という営業です。ファイルを出したり仕舞ったりを繰り返すので、背中に背負ったリュックよりは肩から懸けるカバンの方が圧倒的に使いやすいのです。

しかし、注文書が入った重いカバンを肩に懸けて歩くのは体力的にもキツいので、やはりリュックの方が体への負担が軽くなります。そんなところからトート兼リュックというカバンを買ってみたのですが、少々期待はずれでした。

こんなかなり特殊な用途に特化したリュックってどこかに売っていないものでしょうか?

併売どころかセット販売でしょ?

新潮社のクレスト・ブックスから『あなたの迷宮のなかへ カフカへの失われた愛の手紙』という新刊が刊行されました。今年はカフカの没後100年にあたりますので、それを意識しての出版でしょう。本書の内容を公式サイトから拾ってみますと

没後百年を迎えるカフカの恋人として知られるチェコ人女性ミレナ。カフカから彼女への手紙は後に出版されたが、失われてしまったミレナからの手紙には何が書かれていたのか。作家への愛と情熱、父や夫との葛藤、そして自身の孤独と叫び。別離後もカフカを慕い続け、強制収容所で絶命した女性の魂を、現代の作家が甦らせる。

とあります。ここに書いてある「カフカから彼女への手紙は後に出版された」とあるのが、あたしの勤務先から刊行されている『ミレナへの手紙』です。こちらは

カフカは手紙に日付を入れる習慣がなかった。ゆえに手紙の配列を間違えて読むと、二人の関係、手紙の持つ意味がまったく変わってくる。カフカが恋人宛てに書いた、新編集による書簡集。

という内容になります。つまり『ミレナへの手紙』はカフカ自身が書いたものを編集したものであるのに対し、『あなたの迷宮のなかへ』は恐らく『ミレナへの手紙』をベースに作家が想像によって復元したミレナからカフカへの手紙なわけです。

一方はノンフィクション、一方はフィクションではありますが、この二冊は両方揃えて一つのまとまりになる、そういうペアではないでしょうか。書店員の皆さまには、ぜひ両方並べて展開していただければと思います。

雨だ……

関西ツアー最終日。

生憎の雨のようです。なおかつ、昨日までの二日間が春のようなも通り越し、初夏のような陽気になったのとは対照的に、協からはまた冬が戻ってくるそうです。

まだホテルの部屋の中にいるので、外へ出たらどんな感じなのか、寒さもまだ実感できていませんが、一応は覚悟しておいた方がよいでしょう。

とはいえ、重たい書類をもって歩き回るわけですから、多少寒いくらいの方が営業にとっては快適と言えます。雨はイヤですが、駅直結、出来るだけ外へ出なくてもよい書店を中心に回れば、なんとかしのげそうです。

でも、京都は駅直結の書店、濡れずに行ける書店が少ないどころか、ほとんどないので困りものです。掘ったらいろいろ出て来る土地柄なので、地下街も発展しないのでしょうか。

何はともあれ、今日で終わりですから精一杯頑張りますか……

東へ西へ

関西ツアーから無事に帰京、帰宅しました。

最終日もあっちこっちを回っていました。

まずは大阪のホテルを発って滋賀の草津まで。そこから京都へ戻り、桂川に立ち寄って阪急電車に乗車。そのまま関大へ。そしてようやく梅田へ戻ってきて数件回って新幹線の時間となりました。

今回は、回った書店の数の割りに移動距離が長くなったかなあ、という気がします。

西へ東へ

火曜日は大阪周辺の大街生協を中心に回り、昨日はほぼ京都をウロウロしていました。

そして関西ツアーの三日目、今日はまず三宮へ行き、その後さらに西へ足を延ばして姫路まで。そこからトンボ返りで東へ戻り、明石、住吉、芦屋に立ち寄り、梅田はそのままスルーして高槻へ向かいました。

いろいろと回った割りに、移動距離が長く、電車に乗っている時間が多かったので、訪問した書店の数はそれほど多くはありませんでした。まあ、これは最初からわかっていたことなので致し方ありません。

さて、明日は最終日。どのあたりを回りましょうかね?

今日から公開?

映画というのは、たいてい金曜日から公開になりますね。本日19日金曜日から公開になったのは実写版の「ゴールデンカムイ」です。

コミックもアニメも大ヒットした作品なので実写版はどうなるでしょう。コミック原作が好きだった方の中には実写を嫌う人もいるかと思います。その一方、コミックやアニメは読まないし見ないけど、出ている役者さんが好きだから実写映画は見てみるか、という方もいるかと思います。

そしてコミックが売れに売れていたころから、それにつられて売上を伸ばしていたのが、あたしの勤務先が刊行している『ニューエクスプレスプラス アイヌ語』です。著者の中川先生が「ゴールデンカムイ」のアイヌ語とアイヌ文化の監修をされているので、コミックの参考文献にも本書が載っています。

その影響たるや絶大なもので、売上がそれ以前の2倍から3倍に跳ね上がりました。やはり作品を見て読んでアイヌ語に興味を持った方も多かったのでしょう。本書にはCDも付いていますし、CDプレーヤーを持っていない方には音声アプリでのダウンロードにも対応していますので、アイヌ語を耳で味わうことも可能です。

そしてもう一点、こちらは2021年に刊行したものですが、『第七師団と戦争の時代』です。タイトルだけ見ると、「これがなにか?」と思われる方も多いでしょう。しかし「ゴールデンカムイ」に馴染んでいる方であれば「第七師団」という単語に反応せざるを得ないようです。

今回の映画のサイトにも「杉元&アシㇼパVS.第七師団VS.土方歳三」と大きく書かれています。三つ巴の闘いの一角を「第七師団」が占めているのです。そして「第七師団」を扱った手軽な書籍がないこともあり、「ゴールデンカムイ」ファンの間で本書が読まれているようなのです。

そういうわけで本書も、もちろん日本史の棚に置かれている本ではありますが、「ゴールデンカムイ」を推している書店では、コミックと一緒に並べているところも多かったと聞いています。もちろん上掲の『アイヌ語』もです。

今回の実写版映画公開に合わせて、コーナーを作っている書店がありましたら、改めてこの二点の展開をよろしくお願いいたします。

「似て非なる」なのかしら?

岩波新書で『ケアの倫理』という本が来年1月に刊行されるそうです。なんとなく見覚えがあるタイトルだなあどころか、全く同じタイトルの本『ケアの倫理』が、あたしの勤務先からも出ています。それも岩波新書とほぼ同じ判型の文庫クセジュで(汗)。

ちなみに岩波新書の副題は「フェミニズムの政治思想」で、内容紹介には次のように書かれています。

身体性に結び付けられた「女らしさ」ゆえにケアを担わされてきた女性たちは、自身の経験を語る言葉を奪われ、言葉を発したとしても傾聴に値しないお喋りとして扱われてきた。男性の論理で構築された社会のなかで、女性たちが自らの言葉で、自らの経験から編み出したフェミニズムの政治思想、ケアの倫理を第一人者が詳説する。

そして、文庫クセジュの方の副題は「ネオリベラリズムへの反論」で、内容紹介は如下、

「ケア」とは、脆弱と依存にある他者に配慮することである。人間は依存しあって生きるため、競争社会の中で「ケアの行動」は大切になる。配慮をめぐって社会的な絆の問題を提起する。現代のネオリベラリズムの社会とは、自律した個人が競争しあう社会である。しかしそれだけで、社会は成り立つのだろうか。人間は、実は傷つきやすく、ひとりでは生きていくことができないため人との関係、他人への依存を必要としているのだ。「ケア」とは、人の傷つきやすさに関わることであるが、その活動はこれまで私的なこととされ隠されてきた。自律した個人が競争できるのは「ケア」する人が存在するからであり、「世話をすること」の概念を見つめ直す。その倫理は社会関係の中枢に位置づけられるものであり、配慮しあう世界をめざす。本書はアメリカで始まった議論をフランスの哲学的背景からいっそう深めた解説書となっている。

同じタイトルなのに全く異なる内容の本なのか、それとも非常に近しい内容の本なのか、門外漢にはよくわかりません。ただ文庫クセジュの目次を眺めますと、「「ケア」の主題/女性たちの声」「「ケア」は母性ではない」といったように岩波新書と関わるような文言が見て取れます。

いずれにせよ、ケアという言葉から連想されるような福祉や介護などの実用的な内容ではなく、もっと人文寄りの内容の本のようです。同じ新書判なので、是非とも一緒に並べて置いていただきたいものです。

年の瀬の贈り物?

いよいよ今年も終わりが見えてきました。あたしの勤務先も年内の見本出しはすべて終わり、来週の部数確認が済めば、あたしの仕事は年内無事終了という感じです(汗)。書店や読者からすれば配本日こそ肝心なのかも知れませんが、それは製本所と取次の仕事になるので、あたしがどうこうすることもないので……

そんな年の瀬の新刊、なんとノーベル文学賞を受賞した作家の邦訳が二点も刊行になります。どちらも日本初紹介の二人です。

まず先、22日に配本となるのが今年受賞したヨン・フォッセの『だれか、来る』です。戯曲ですが、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。

そして明けて翌週25日に配本されるのが一昨年受賞したアブドゥルラザク・グルナの『楽園』です。こちらは《グルナ・コレクション》として続刊があります。訳者による解説では3作品の名前が挙がっていますので、こちらの翻訳の刊行も楽しみにお待ちいただけると幸いです。

海外文学好きの方には、この二冊、お歳暮のようなものと思っていただけるでしょうか? とにかく店頭に並ぶまで、もうしばらくお待ちください。

ハーフポケット

日常の営業活動では注文書が必需品です。その注文書を持ち歩くのには、A4判のルーズリーフを使っています。30穴のクリアリーフを取り付けて、そこに注文書を収納するのです。

ところで、あたしが学生時代はA4判よりもひとまわり小さいB5判のルーズリーフを使っていましたが、クリアリーフもポケットが半分くらいのものがもっとあったように思います。クリアリーフだけでなく、厚紙というのでしょうか、封筒のような用紙のハーフポケットもありました。

この半分のポケットって、注文書の出し入れにはとても使いやすくて重宝するのですが、文具店で探してもほとんど見当たりません。現在はで販売されていないのでしょうか。

この手のポケットは使っているうちに、端っこが切れてきて、注文書がストンと落ちてしまうので、定期的に新しいのと取り替えないとなりませんが、ハーフポケットのものが見つからないので、ほぼほぼクリアリーフになってしまい、個人的には非常に使いづらい思いをしております。

どうしてなくなってしまったのでしょう。というよりも、あたしが学生のころに比べて、文具店のルーズリーフのコーナーってずいぶんと縮小されていませんか。そんな気がします。