並べてもらうことは可能でしょうか?

このところめっきり寒くなってきました。昼間はまだしも、朝はずいぶんと冷え込んでいます。いや、このところ昼間も寒い日が多くなってきましたね。

そんなわけで、わが家でも朝はストーブを使うようになりました。まだ早いかと思いつつも、やはり寒さには勝てません。それにあたしは早起きなので3時半くらいには起きているのですが、気温はそこから下がっていくのですよね。あたしが家を出る6時ごろがたぶん最低気温を記録する時間帯だと思います。

それはさておき、新潮選書から『ロベスピエール』という本が発売されました。著者は高山裕二さん、あたしの勤務先でも著訳書を何冊も出されている方です。

そして、あたしの勤務先からも同名の『ロベスピエール』という本を出しています。新潮選書の方は

フランス革命で政敵を次々と粛清、最後は自らも断頭台で葬られたロベスピエール。「私は人民の一員である」と言い続けた元祖〈ポピュリスト〉は、なぜ冷酷な暴君に堕したのか。誰よりも民主主義を信じ、それを実現しようとした政治家の矛盾に満ちた姿から、現代の代議制民主主義が抱える問題の核心を鋭く問う画期的評伝。

という内容です。一方、あたしの勤務先の方は

恐怖政治によって革命を破滅に追い込んだ独裁者でもなく、共和政の美徳を謳いあげた「清廉の士」でもなく。等身大のロベスピエールへ。

という内容です。どちらも「彼は巷間語られているような、狡猾な独裁者ではないぞ」というスタンスの本のようです。現在のロベスピエール研究ではそういう評価なのでしょう。興味深いものです。

書店では、新潮選書は新書・選書コーナーに置かれていると思いますので、あたしの勤務先の『ロベスピエール』と併売するのは難しいかも知れませんが、世界史のフランス史の棚で併売していただけたらとても嬉しいです。

そしてもう一点、地平社から4月に『世界史の中の戦後思想』という本が出ていたことを知りました。

自由民主主義と資本主義のシステムが揺らぐなか、私たちはどのような思想に依拠できるのか。世界システムの歴史的展開をたどり、その文脈から日本の「戦後思想」を再考する。

という内容の本なのですが、似たようなタイトルの本が、あたしの勤務先から出ていました。それが『「戦後」の思想』です。こちらは

ヨーロッパを揺るがしたナポレオン戦争、普仏戦争、第一次・第二次世界大戦、そして現在、カントからハーバーマス、デリダにいたる思想家は戦後、いかに戦争について思考していったのか。

という内容です。

積み上げました!

新刊『ぶち壊し屋』の見本が届きました。アメリカのトランプが大統領だった時期を描いたノンフィクションです。22に配本予定ですが、これは下巻になります。

一か月ほど前に上巻を出した時点では大接戦とはいえ、ハリスの方がやや優勢で、多くの人が「もしトラ」は起こらないだろうと思っていたことでしょう、あたしもそうです。なので上巻も、アメリカ大統領選関連書籍のコーナーを作っている書店店頭で並べていただいていましたが、そこまでの注目ではなかったと思います。

ところが、この下巻の刊行を前に大どんでん返しでトランプが次期大統領に決まりました。本書も俄然注目が集まり始めました。いろいろな媒体での紹介も増えてきそうです。まさに絶好のタイミングでの刊行となりました。

ところで、新刊の見本が続くので、置く場所を節約したいと思い、高々と積み上げてみました。社内では「トランプタワー」と呼ばれています。まあ取次に見本出ししたり、関係各所に贈呈したりしますので、このタワーも二階建て程度の家屋に成り果てるのも時間の問題でしょう。

どこが変わったのでしょうか?

韓国の作家ハン・ガンがノーベル文学賞を受賞して以降、ハン・ガン以外の作家、そして韓国文学にも注目が集まっているようです。まあ、書店に行っても肝心のハン・ガン作品が売り切れで並んでいないので、それ以外の韓国文学を並べるしかないという事情もあるかもしれません。

ハン・ガン作品は、月末までには書店に並び始めると思いますが、あたしの勤務先の事情で言えば、注文があまりにも多くて、すべての注文には応えられず、一冊も入ってこないという書店も多数出て来ると思います。申し訳ありません。

さて、そんな韓国文学ですが、『フィフティ・ピープル』が新しくなって再登場しました。もともとは2018年に刊行された作品で、あたしも読みましたがとても面白くて読みやすい作品でした。それがこのたび「新版」として再び発売されたのです。

手に取るまでよくわかっていなかったのですが、これは訳者が旧訳に手を入れて新しく出し直したのではないのですね。原書が新しくなって韓国で発売されたので、それを底本にして新たに日本語訳も出したものだそうです。訳者のあとがきによれば、原書では八割以上のページに何かしらの手が入っているそうで、表現にもかなりの変更が加えられているそうです。

そうなると、読後感は変わってくるのでしょうか。たぶんあたしなら、いますぐに新版を読んだとしても、旧版の読後感を鮮明に覚えているわけではないので、違いに気付かないと思いますが(汗)。

併売希望がいろいろあります

本日は店頭で展開するときに、一緒に並べてほしい商品をいくつかご紹介いたします。まずはこちら。

中公新書から『女たちの平安後期』という新刊が刊行されました。少し前には同じ中公新書から『謎の平安前期』が刊行されていましたので、やや焦点は異なるようですが、平安時代の前期と後期が揃ったことになりますね。これは同じ中公新書ですから、書店でもそれほど遠くない場所に並ぶことでしょう。

併売と言えば、法政大学出版局から『ロベスピエール 創られた怪物』が8月に刊行されました。この隣には、あたしの勤務先から2017年に刊行された『ロベスピエール』を是非とも並べてほしいものです。

そしてもう一つ、明石書店から6月に『黒人法典』、9月に『アメリカ奴隷主国家の興亡』という本が相継いで刊行されました。この二冊は同じ明石書店の刊行物ですから近いところに並んでいると思いますが、その近くには新書サイズの小さい本ですが、文庫クセジュの『奴隷制廃止の世紀1793-1888』を並べていただけると嬉しいです。

最後に、これは海外文学です。

青い野を歩く』のクレア・キーガンの新刊『ほんのささやかなこと』が早川書房から刊行されました。『青い野を歩く』は《エクス・リブリス》の棚に並んでいるかも知れませんが、そこからちょっと持って来て、早川の新刊と並べてみてくださいませ。

語学マニアさん、いらっしゃい!

本日は、おすすめの新刊のご案内です。

まもなく、と言いますか、正確に言うならば、18日に取次搬入予定の新刊、『外国語を届ける書店』の見本が出来てきました。こんな装丁になっています。

ひとつの言語に特化した専門書店。その書店員はどんな思いで本を届けているのでしょうか。九つの専門書店に尋ねたインタビュー集。

という内容です。洋書専門店というのは昔からありましたし、現在であればネットで簡単に外国の書籍を取り寄せることができます。でも、そういう本が一面に並んでいる、異国の本の匂いを感じられる空間というのは、ネットでは決して味わうことのできないものだと思います。是非、本書で紹介されているお店に行ってみてください。

そして同じく、外国語で知られる勤務先らしい既刊として『「その他の外国文学」の翻訳者』があります。どちらも語学書編集部の精華であります。『外国文学』を手に入れた読者の方であれば、きっと『届ける』の方にも食指が動くはずです。

書店では文芸書コーナーに並んでいることが多いと思いますが、あえて語学書のコーナーに並べてもよい二冊だと思います。書店員の皆さま、そんな並べ方も試してみてください。

別にホラーではありません

月末に配本予定の『すてきなモンスター』はこんな装丁です。著者自身のイラストをあしらっています。

「モンスター」というタイトルですが、決してホラー作品ではありません。古今東西の小説の登場人物に関するエッセイです。知らない登場人物もいると思いますが、「えっ、こんな人まで取り上げているの?」という登場人物も出てくると思います。

カバーを外すと表紙にはご覧のように、これまた著者によるイラストがあしらわれています。本書で取り上げた登場人物たちを描いたものです。

このイラストは本をひっくり返した裏表紙にまで続いています。担当編集者曰く、二人ずつ向かい合うように配置しています、とのこと。どうぞこんなところもお楽しみください。

ここでちょっと目次をご紹介しますと、

ムッシュー・ボヴァリー/赤ずきんちゃん/ドラキュラ/アリス/ファウスト博士/ガートルード/スーパーマン/ドン・ファン/リリス/さまよえるユダヤ人/眠れる森の美女/フィービー/性真/逃亡奴隷ジム/キマイラ/ロビンソン・クルーソー/クィークェグ/独裁者バンデラス/シデ・ハメーテ・ベネンヘーリ/ヨブ/カジモド/カソーボン/サタン/ヒッポグリフ/ネモ船長/フランケンシュタインの怪物/沙悟浄/ヨナ/人形のエミリア/ウェンディゴ/ハイジのおじいさん/かしこいエルゼ/のっぽのジョン・シルヴァー/カラギョズとハジワット/エミール/シンドバッド/ウェイクフィールド

こんな感じです。「ああ、これはあの作品ね」とすぐわかるものもあれば、「こんなの聞いたことないよ」というものまで、あたしの知識では半分もわからないです。

表紙と裏表紙のイラストは、各登場人物の最初の部分に乗っていますので、どれが誰なのか、読みながら答え合わせをしてみてください。

この本で取り上げられた人物に興味を持って、そこから作品へ向かうなんていう方も多く現われることを密かに期待しています。あたしもちょっと気になる人物が数名おります。

半年でお釈迦になりました(涙)

ここ数年、仕事で使っているカバンはリュック型です。時にノートPCを持ち歩くことも踏まえると、肩掛けのカバンは体力的にもキツいなあと感じたのがその理由です。

ただ、使いやすいカバンというのは、なかなか見つかりません。お店で見ても、帯に短し襷に長しというものが多く、なかなかこれというカバンが見つかりません。

騙し騙しいろいろなカバンを試しましたが、リュックは肩掛けタイプよりも選択肢が少ないと感じます、特にビジネスユースでは。やはり書店営業という、重たい注文書を持ち、お店に着くごとに出し入れをするという用途ですと、使いやすいものは肩掛けにしろ、リュックにしろ見つからないものです。

で、これも満足というわけではありませんが、そこそこ気に入って使っていたリュックが壊れました。写真をよーく見ていただくとお気づきになるかと思いますが、ファスナーの片一方が外れてしまったのです。こうなってしまうと素人には直しようがありません。購入したお店で修理してもらえるのでしょうか。

買ってから、つまり使い始めてからまだ半年なのですが、こうも呆気なく壊れてしまうとはちょっと困りものです。明日からは以前使っていて今は使わなくなったカバンを部屋の奥から引っ張り出してきて、臨時的に使おうと考えています。早いうちに新しいリュックを見つけなければ!

海外文学はブームなのか?

あたしの勤務先の海外文学シリーズ《エクス・リブリス》は今年刊行15年を迎えました。目標であり、モデルでもある新潮社の《新潮クレスト・ブックス》は1998年スタートなので、既に四半世紀を超える歴史があります。両シリーズの切磋琢磨で、書店の海外文学の棚の活性化にそれなりの貢献ができているのではないかと手前味噌ではありますが、そう自負しております。

ただ、ここ数年、新しい海外文学のシリーズが各社から続々と登場しております。台湾文学では、書誌侃侃房から《現代台湾文学選》、作品社から《台湾文学ブックカフェ》が刊行されました。

人気の韓国文学では、晶文社《韓国文学のオクリモノ》、亜紀書房《となりの国のものがたり》、クオン《新しい韓国の文学》があります。

そしてつい最近刊行がスタートしたのが、まずは春秋社の《アジア文芸ライブラリー》で、現在のところ3冊刊行されています。そして晶文社からは《I am I am I am》がスタートしたところで、現在二冊刊行されていて、11月に三冊目が刊行されるそうです。

実際のところ、海外文学には根強いファンがいますが、市場として大きいかと言われると微妙です。もちろん『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)のように社会現象を巻き起こす大ヒット作品も生まれていますが、そういう作品は稀です。しかし、こうして多くの出版社が参入してくることで、いろいろな国の、まだ知られていない作家が紹介され、それによって海外文学ファンの裾野が広がることが期待できます。それは回り回って、既刊の海外文学によい影響を及ぼすでしょうし、書店や出版界が元気になる一助になるだろうと期待しています。

並べてみると面白いかしら?

外回りをしていたら、書店店頭でこんな本を見かけました。

別冊太陽の『発禁本の世界』です。まだ刊行されて間もない本ですね。

明治期から戦時下にかけて、当局の検閲により「発売頒布禁止」の処分を受けた「発禁本」。その蒐集家・研究家として知られる城市郎氏の貴重なコレクションを多数掲載

という内容です。つまり扱っているのは、日本の発禁本ですね。

そして、この別冊太陽と相前後して、あたしの勤務先から『禁書目録の歴史 カトリック教会四百年の闘い』という一冊が刊行されました。こちらは

本書は、悪名高いカトリックの「禁書目録」の歴史を総合的に扱った初めての書籍である。禁書目録は16世紀の成立から400年にわたる、検閲の歴史上おそらく最も長い歴史を持つ。プロテスタントの著述家の脅威に対し各地で作られた禁書リストに始まり、バチカンに目録省が設立され、恒常的な検閲組織となった。「アートとゴミ」を区別し、「ジャンク」サイエンスやペテン師を暴き、「フェイクニュース」を抑制することを目的としたこの制度は、カトリック諸国の文化的、科学的、思想的発展を阻害したとされ、プロテスタントによる攻撃や侮蔑の対象ともなった。しかし一方で、作成に携わった多くの聖職者、当時の一流の神学者の深い学識と真摯な気持ちを反映したものであったのも事実である。

という内容ですから、扱っているのは西洋の禁書です。時代も場所もまるで異なりますし、両書の判型も違うのですが、せっかく同じタイミングで刊行されたのですから、発禁、禁書というテーマの親和性に免じて、一緒に並べてみるのは如何でしょうか。

忘れてはいけない……

日本では3月11日の東日本大震災によって上書きされてしまった感がありますが、11日というと、それまでは9月11日のニューヨーク同時多発テロを思い出すことが多かったはずです。

そんな同時多発テロを扱ったピュリツァー賞受賞の翻訳書『倒壊する巨塔』を刊行したのが、ついこの前のことのように感じられます。

ついこの前というのは実は正しくて、一枚目の写真は最初に出版した『倒壊する巨塔』ですが、それはしばらく品切れになっていって、つい最近新装版として刊行されたのが二枚目の『倒壊する巨塔』です。2001年ですから、今の若い人は記憶がないかも知れませんが、あたしたちはテレビ報道にかじりついて、「これは映画のワンシーンか」という映像に衝撃を受けたのを覚えています。これがその後の世界情勢の不安定化の始まりでしたね。

そして、ニューヨークのテロから20数年たってどんどん崩れ去っているのは街の書店です。いや、ヨーカドーとか地方の百貨店など、書店以外もどんどん無くなっています。じゃあ、何が残っているのかと問われると、限界集落なのでしょうか。

そして最近もまた一軒。東京の渋谷と自由が丘の間、東横線の祐天寺駅前にある王様書房が閉店してしまいました。既に中は空っぽで、少し前まで本屋だったなんて「BOOKS」という文字を見なければわからないのではないでしょうか。

入り口のガラスの引き戸に店主口上が貼ってありました。8月末で閉店だったそうです。

王様書房は、昔からある駅前の本屋さんという雰囲気で、あたしの勤務先の本も並べてくれていましたし、客注の電話がしばしばかかってくるような書店でした。とても残念です。

確かに、本を買うのであれば渋谷や横浜に出てもよいですし、沿線にはいくつも書店があります。祐天寺から電車で通勤通学している人であれば、さほど不便を感じないのかも知れません。しかし、滅多にお出かけしない、地元密着の方にとっては、ここがなくなってしまうと本を買うにはどこへ行けばよいのでしょう。

地方だけでなく、東京でもこうして本屋がどんどん消えているのです。むしろ周辺人口比で考えると地方よりも東京の方が「ゼロ本屋問題」は深刻なのかもしれないですね。