縁起が悪い?

雨の中の出勤です。

雨だから湿度がいつもより高かったからでしょうか? 勤務先に着いてしばらく仕事をしていて、鼻と口を覆っているマスクを付け直そうとしたときに耳にかけている紐が取れました。マスクの端っこの方に糊付け(?)みたいにしてあるだけなので、強く引っ張れば簡単に取れそうな紐ではありますが、最近は取れることもなかったのに……

コロナが流行した当初、大量生産されたものが出回っていた時代には粗悪品も多かったようで、あたしもしばしば紐が取れてしまうことを経験しましたが、マスクの供給が安定してからはそんなことはほとんどなかったのです。

それが本日突然に……

もちろん勤務先には、会社として備えているマスクもありますが、あたしもカバンの中に常に予備のマスクが入っているので、それを改めて装着いたしました。さあ、これで安心、また仕事に戻りました。

ところが、午後から外回りに出たのですが、その途中でお茶を飲んだので、ずらしたマスクの付け直しをしたときにまたしても紐が取れてしまいました。なんと一日に二回も紐が取れてしまうなんて……

なにかの予兆でしょうか?

ちなみに、あたしはカバンにマスクを二枚入れているので、もう一枚ありましたので、それを付けて、事なきを得ました。

わが家の庭はちっとも寂しくはないのですが……

あたしの地元では、地元の農協が春先に野菜の苗を販売していまして、母がこの数年買っております。この春は茄子とトマト、キュウリ、それにスイカを買いました。

写真は、その茄子の様子です。庭のプランターの中で育てていますが、もう収穫できるような大きさに育ちました。既にキュウリは食卓に上っていますが、茄子も数日中には母とあたしのお腹の中に入ってしまうことでしょう。

そんなわが家の庭で薔薇が一輪咲きました。

♫バラが咲いた、バラが咲いた、真っ赤なバラが…

などと歌い出したくなりますが、真っ赤ではなくピンクのバラです。

薔薇の種類など詳しいことは知りませんが、たぶんこの株は更に咲いてもすべてピンクなのでしょう。やはりバラといった赤でしょうか?

近所にバラをたくさん育てている家があるのですが、そこの庭先には白っぽいのもあれば深紅のバラもあり、黄色のバラも咲いていて、とてもきれいです。わが家ではさすがに母もそこまでやるつもりはないようですが、バラは女王の風格がありますね。

インビジブルとタイムマシーン

タイトルに「インビジブル」と書きましたが、TBS系のドラマのことではありません。昔々見たことがあるなあ、と思い出した映画のことです。

青春映画「フットルース」で主役を演じたケヴィン・ベーコンが透明人間を演じ得た映画です。透明になったので、彼女(?)の部屋に忍び込んでこっそり覗き見をする、なんてシーンもありました。

この時、ケヴィン・ベーコンは服を着ていないという設定です。透明人間が服を着ていたら、中味のない洋服だけがそこにいるということになってしまうので(そこにいるのがバレてしまうので)服を着ていなかったと思います。この映画を見たからではありませんが、透視術について考えました。

自分に透視術があったら、女の子の服を透視して裸を見たい、なんていうのは男子であれば誰でも想像することだと思います。あたしも学生時代にそんな想像をしなかったわけではありません。

ただ、あたしはそこから更にこんなことを考えたのです、「果たして洋服だけを透視するなんて可能なのだろうか」ということです。透視にも段階があると思うのです。洋服だけを透視するのではなく、皮膚や筋肉、骨、透視にはそれぞれ段階があるのではないか、ということです。

女の子の洋服だけを透視しようとして洋服と一緒に皮膚まで透視してしまったら、理科の教科書に載っていそうな赤々とした筋肉だらけの姿が見えてしまうのでしょうか。それはあまりにもグロテスクで気持ち悪いです。筋肉も透視したら骨だけが目の前に見えるのでしょうか?

そこまで考えていたら、あたしの想像は更に飛躍してしまって、「そもそも服や人体を透視しているのであれば、周囲のものも透視してしまっているのではないか? だとすると、道路も建物も街路樹も、何から何まで透視してしまったら、後は何が残っているのでしょう?」とういことです。何もない無の状態ってイメージできるでしょうか? だって地面もないんですよね? 地球の裏側が見えるどころの騒ぎではないです。地球自体も透視して見えなくなっているのですから。

子供のころのあたしって、そんなことを考えていました。そして最近考えているのはタイムマシンです。

よく「タイムマシンがあったら、いつの時代に行ってみたいですか?」という質問があります。自分の人生の過去や未来に行ってみたい人もいれば、歴史上の事件を確かめに行きたいという人もいるでしょう。あたし自身は昔からタイムマシンにはそれほど興味はなく、自分の過去にも未来にも行ってみたいとは思いません。

ただ、最近考えているのは、たとえばタイムマシンでどこまで過去に遡れるのか、どこまで未来へ行けるのか、ということです。宇宙の始まりと言われるビッグバンよりも古い時間まで行けるのか、あるいは人類や地球が滅亡した後時間までたどり着けるのか、そんなことばかり考えています。少なくともビッグバンの直前や直後にたどり着けたとした場合、どんな場所に放り出されるのでしょう?

そんなことばかり考えているのです。

自分の自然治癒力はあてにしない

先日来、このダイアリーでも書いてきましたが、背中の痛みと腕の痺れはまだ続いています。一時期よりは和らぎましたが、まだ痛みも痺れも残っています。

で、先日、整形外科へ行って来まして、右の写真のような薬を処方されました。4種類を朝夕1錠ずつ、一週間分です。

月曜の晩から飲み始めたので、まだ4錠ずつしか飲んでいませんが、少しは効いているのでしょうか? なんとなく痛みが軽くなったのは薬のせいではないかと思っています。

単なる寝違えなのか、はたまた内臓の疾患なのか?

先週の水曜日、朝出勤しようとしたときに背中に違和感を感じました。

寝違えて筋を痛めていたのにいまさら気づいたのか、それとも出かけようとしてカバンを持ったときに筋を痛めたのか、どちらなのかはわかりませんが、左の肩甲骨の周囲が痛みました。

その時は、ちょっとした筋違えだと思って、それほど気にしていなかったのですが、翌日になっても痛みはとれません。むしろより痛みが増している感じです。

そして背中の痛みだけでなく、左の上腕部も痺れるような痛みを感じ始めました。重いものをずっと持っていて腕がだるくなったときに似た感覚ですが、痺れていますし痛みもあります。

ひとまず自宅の薬箱にあったサロンパスを背中に貼ったり、バンデリンを塗りまくったりしてみましたが、一向に改善しません。

この土日を過ぎても痛みは治まらず、腕の痺れは上腕だけでなく手首にまで達しています。つまり左腕全体がだるくて痺れていて、多少の痛みがあるのです。左肩甲骨周囲の痛みも、取り立てて痛みが強くなることはないですが、痛みが引く気配もありません。

単なる筋違えであればよいのですが、内臓の疾患が原因で痛むのだとしたら、ちょっと嫌ですね。ネットを検索してみたら、肩甲骨の周囲が痛むのは膵臓が悪い場合があるという記事を見つけました。さて、どうなのでしょう?

とにかく現在は、横になるのも苦痛です。

一応、誕生日&母の日のプレゼントなわけです

新しくリクライニングソファーを買いました。

先日の誕生日で79歳になった母は、この数年、膝の痛みを訴えるようになり、室内でも立ったり座ったりがつらそうです。なので七、八年前に高座椅子と呼ばれるものを買ってあげたのですが、それが座面がとうとう壊れてしまったのです。

写真が新しく買ったソファーで、壊れた高座椅子が後ろにひっそりと写っています。前の高座椅子は座面が30センチほどの高さで、それでは最近の母にはちょっと低すぎる(=立ちあがるのが大変)ので、もう少し座面が高いものを捜しました。

ただ、和室に合いそうな高座椅子はほとんどが座面の高さが30センチで、もっと低いものすらありました。また背もたれがあまりない、あってもとても低いので、そのあたりの母の要望を受け、背もたれが高く、座面の高さも少し高めのものを捜したのです。ただ、あまり座面が高くなってしまうと、ただのダイニングチェアーになってしまうので、そのあたりの加減が難しいところです。

そして見つけました。以前のよりも洋間に合いそうな商品ですが、母も気に入ってくれました。4月が誕生日だったので、誕生日プレゼントと母の日のプレゼントを兼ねた贈り物としました。

目に青葉、山ホトトギス、初鰹

昨秋、近所のイチョウの黄葉をご紹介いたしました。東京では神宮外苑などが有名ですが、秋になると黄金色に輝くイチョウですが、この時季はこんな感じなんです。

新緑が瑞々しいです。これから夏に向けて太陽の光と熱を浴び、秋には真っ黄色に色づくのでしょう。イチョウと言えば黄葉ですが、たぶん植物としてはいま、そしてこれからが盛りなのでと思います。

あたしも秋の黄葉は見上げて堪能することはありますが、この時季のイチョウに注目したことはなかったのですが、ふと青空に緑の葉が映えていたので、つい写真を撮ってしまった次第です。

雪隠る處

本日は午後から会合、人文会の例会でした。

神保町にある、貸し会議室で開かれるのですが、そこのトイレに写真のようなメッセージが書かれています。

誰が創作したのでしょう? なかなか味わい深い一句です。

しかし、トイレのことを雪隠と呼ぶことを、令和の時代にどれだけの人が知っているのでしょう? そもそも「雪隠」を「せっちん」と読めるのでしょうか?

例会時にトイレに入ってこのメッセージを見るたびに、毎回そんなことを考えてしまいます。もともとは仏教から来た言葉ですよね。

トイレのことを単刀直入に口にするのを憚るのは、世界各国にある習慣なのでしょうか? 学生時代に中国語を学んでいたときに、中国語でもトイレのことを「一号」と呼ぶと聞いたことがあります。日本語でも「トイレに行く」ことを「ちょっとはばかり」と言うことありますよね。

寒いのか? 暑いのか?

今日は寒いですね。

昨日から気温は何度下がったのでしょう? ただ今日の最高気温も日付が変わったころに記録しているはずなので、昼間は10数度は下がったことでしょう。

そんな冬に逆戻りしたような本日は在宅ワークでした。

でも、ここ最近の通例どおり、昼間は外回りに出ました。うまい具合に雨に降られず、傘を使わずにすみました。書店も駅から濡れずに行けるところばかりを選びましたので。

明日も寒くて、更に今日よりも雨になるみたいなので、イヤですね。

八重の桜ではなく、八重のチューリップ

わが家の玄関先のチューリップ、くどいくらいの登場率ですがご寛恕ください。

奥のチューリップがそろそろ終わりにさしかかりましたが、少し後れて手前の八重咲きのチューリップが咲きそろいました。

濃い赤、紫と呼んだ方がよいでしょうか、それにピンク、そして白。色とりどりですね。

それにしても、こうしてみると、手前の八重咲きのチューリップって、チューリップっぽくないような感じがしませんか。葉っぱを見ればチューリップなんですが、花を見ると、以下にもチューリップ、典型的なチューリップが横で咲いているので、あまりチューリップらしさを感じられないと言いますか、そんな感じです。