いろいろとできないものですね

よく晴れた土曜日。昨日はとても過ごしやすい休日でした。とはいえ、わが家の場合、母が義ブルをしていて片手が使えないのが、いろいろなところに影響しています。利き腕は大丈夫とはいえ、もう一方の手が使えないとこんなにも不便になるものかと、改めて思った次第です。

現在の母親は、このイラストのような感じになっています。右手でいろいろできそうなものですが、確かにできることはいろいろありますが、むしろ「これができないのかぁ」と気づかされることの方が多いです。

天気のよかった昨日、近所のスーパーへ行きました。母も一緒でしたが、まず買い物カゴを持っても片手では商品をカゴに入れることができません。カードを使えば商品を選んでカゴに入れることはできますが、レジにカゴを載せるのが無理です。ましてや片手だけではトートバッグなどに商品を詰めるのもひと苦労でしょう。

レジでは精算という作業がありますが、財布を開けてお金を取り出すのも大変です。最近のスーパーはポイントカードなどの提示を求めらることが多いですが、ポイントカードを財布から出すのも片手では無理でしょう。

そう考えると、あたしと一緒でないと買い物にも行けないということになります。近所のコンビニでアイスやおにぎり、サンドイッチを買うくらいなら可能でしょう。でもここでも財布からお金の出し入れがネックになります。スマホの電子マネーは使っていないので、チャリーンといった決済は無理です。

さて、今月はあたしの出張が二回あるのですが、数日とはいえ買い物とかどうしましょう。食料などはある程度買いだめしておけばよいとして、調理も片手ではちょっと危険です。食後の洗い物も現在はあたしがやっているのですが、出張中はどうなるでしょう。

ひと月もすれば母のギブスも取れて、もとの生活に戻れると思いますが、あたしとしては近い将来の介護生活のシミュレーションとなっています。そうなると今みたいに年に数度とはいえ出張に出るのも躊躇われます。まあ、本当に介護という時期になればショートステイとかデイサービスなどを利用することになるのでしょうね。

どういう予行演習なのか?

母が転んで腕の骨にひびが入ったと書きましたが、現在はギブスをしています。利き腕とは逆とはいえ、何をするにも片手ではうまくいかず、急遽あたしが家事を分担することになりました。

実は、あたしは生まれてこの方、一人暮らしをしたことがなく、身の回りの世話はすべて母親に任せっきりでした。それではいけないとわかってはいても、一方で母のボケ防止、軽い運動代わりに家事をやってもらうのは、それはそれでよいのではないかと思っていました。

その一方、母が健康なうちはよいとして、この後、母が寝たきりになったらどうしよう、あるいは母が亡くなって、本当に一人になったらどうしよう、という思いもこの数年は強くなってきました。いまさら生涯の伴侶を見つけるなんて無理だと思いますし、ここまで勝手気ままに活きてきて、いまさら赤の他人と暮らすなんて考えられません。

というわけで、少しずつ家事をこなせるようにならなければと思っていて、母ともしばしばそんな話をしていた矢先の今回のアクシデントでした。今回の家事分担が、母を介護するようになった場合のシミュレーションなのか、あるいは母の没後に独居老人となったときの予行演習なのか、まだわかりませんが、いまはそんな気持ちです。

何度折ってしまったことか!

折ったなどと書くと、昨日の母の上でのことを連想させてしまうかも知れませんが、違います。そもそも昨日の母は腕の骨にひびが入ったのであって、折れたわけではありませんので。

ちなみに、あたしも生まれてこの方、骨折をしたことがありません。日々すら入ったことがない丈夫な骨をしています。捻挫などは学生時代に時々やっていましたが、骨折にまで至ることはなく、丈夫な体に産んでくれた両親に感謝です。

そして問題の折れたものとはボールペンのペン差しと呼ぶのでしょうか、頭のところに付いていて、ポケットなどに引っかけるやつです。ジェットストリームの四色ボールペンを使っているのですが、インク切れなどまだ先の話、心地よくふだんの営業活動で使っていたのですが、そのボールペンのペン差しと呼ぶのか、クリップと呼ぶのか、よくわかりませんが、それが折れてしまったのです。

実はこの部分が折れるのは、このペンが初めてではありません。過去に何本か、この部分を折ってしまったことがあります。取り立てて乱暴に扱っているつもりはないのですが、ここの部分ってプラスチックも薄くできているので折れやすいのでしょうか。

そしてこうなってしまうと、折れた部分が尖っているのでケガをしやすく、使う上でとても危険です。残念ですが、新しいのを買わないとならないでしょう。そして新しいボールペンのインクが切れたら、今回折れたボールペンの芯を替え芯代わりに装着するとします。

ギブスはしたことがありません

夕方、営業回りの帰路。まだ明るい時間ですが、この後は返さないといけないメールもあるので、早めに帰宅して、あとは在宅ワークだと思いながら、最寄り駅前からバスに乗り込みました。

自宅にいる母に「今から帰るよ」とメールを入れようとスマホを開くと、妹からの電話やLINEが複数入っています。あたしがバスに乗り込むちょっと前の時刻です。なんだろうと思って開いてみると、母がケガをしたらしいのです。

とにかくあたしもバスが早く家に着くことを念じながら帰心矢の如し。そして帰宅してみると母は不在です。隣家のおばさんに聞くと母が転んで額から血を流していた、とのこと。いつも足腰のリハビリに行っている整形外科へ行くとか行かないとか言ってたそうです。

その病院へ電話をしてみると、母がちょうど来院したとのこと。ひとまず一人でシャンシャンと歩いているそうで、一人で病院まで行けたのだから大事にはなっていないと安堵しつつ、あたしも病院へ向かいました。病院へ着くと母が椅子に座っています。

額の血が出ていた傷はテープというか絆創膏で止めてあり、そちらは特に大事ないようです。左手首から肘にかけてが腫れているのでレントゲンを撮ったところ、骨折はしていないもののひびが入っているというのでギブスを装着することになりました。母は右利きなので、左手にギブスをするのは不幸中の幸いでしたが、洗濯や洗い物、料理などしばらくはあたしがやってやらないとダメみたいです。

ひとまず、このくらいで済んでよかったと安堵しているところで、明日は在宅ワークにいたしました。ちなみに80になる母は、これが人生で初めてのギブスだそうです。あたしも未経験です。

年ごとに減っていくような気がします

今日は彼岸の入りです。暑さ寒さも彼岸までと言うとおり、この後東京は雨になり、それを境に気温が一段下がるようです。もう猛暑日はおろか真夏日も数えるほどになるでしょうし、朝晩は一枚羽織るものがないと寒いくらいになってくるのでしょう。そして彼岸と言えば、この花です。

今年も咲きました。わが家の玄関先の曼珠沙華です。この時季になると、ほぼ決まってこのダイアリーで取り上げています。やはり玄関先で咲くので、どうしても目に留まりますし、あの華奢なフォルムはあたしの好みです。

とはいえ、世間的には曼珠沙華ではなく、彼岸花と呼ばれることの方が多いですよね。あたしは、別に彼岸花という名称が嫌いなわけではありませんが、頑なに曼珠沙華と呼びたくなってしまいます。曼珠沙華という字面が格好よくないですか。あたしはそう思います。フォルムともどもあたしの好みなんです。

ところが、わが家の玄関先の曼珠沙華は、ご覧のように白い花しか咲いていないのです。ふつう「曼珠沙華」や「彼岸花」でググったら、出てくる画像のほとんどは赤い花ではないでしょうか。

わが家の曼珠沙華も、以前は赤い花も咲いていたらしいのですが(母談)、いつのまにか赤い株はなくなってしまい、この数年は白い花しか見ていません。赤い花の株もあったはずなので、来年こそは咲いて欲しいものです。

というわけで、わが家の近所に曼珠沙華が咲いているところがあるので、そこへ見に行っていました。それが三枚目の写真です。

ご覧のように、赤い花もきれいに咲いています。これぞ彼岸花といった感じですね。黒い電信柱(街灯?)の側にひっそりと咲いていて、これだけですとちょっと寂しく感じられますが、この右側にちょっと距離を空けて、四枚目の写真のように、赤い曼珠沙華を中心にやや群生しております。

かつては、わが家の玄関先同様、このあたりももっと曼珠沙華が咲いていたのですが、こちらもやはり年々株が減っていっているようです。寂しいかぎりです。

ネットを調べてみますと、曼珠沙華(彼岸花)には黄色い花もあるようですね。あたしはまだ実物を目睹したことがありません。たぶんそういう種類なのでしょう。土壌の変化によって、わが家の玄関先の曼珠沙華が突然来年から黄色い花になる、なんてことはあり得ないのでしょう。どこか近所で黄色い曼珠沙華が咲いている場所はないものでしょうか。

ところで、本日9月20日は母の母、つまりあたしの祖母の命日です。先日このダイアリーに書きましたが、父の命日と10日ほどしか変わりません。それも亡くなったのは同じ年のことでした。

とうとう……

あたし、とうとうコロナの陽性になってしまいました。

先週の木曜日に、喉の様子がおかしいなあ、ちょっと痛いなあと感じました。クーラーのせいかな、風邪でも引いたのかしら、と思ったのですが、翌金曜日はさらに喉の痛みがひどくなりました。唾を飲み込むのもつらいとはよく言ったものです。本当にそんな状況でした。

で、仕事から帰って自宅にあった抗原検査キットを使って調べてみたところ、見事「陽性」の表示です。生憎の三連休なので、喉の痛みを中心とした風邪薬を飲んで大人しく過ごしていました。熱は出ませんが、時々体がだるく感じることもあり、金土の二日間は食欲も湧きませんでした。

三連休最後の月曜日(昨日)になると、ようやく喉の痛みは和らいできました。まだ多少の痛みは残るものの、唾も飲み込めないような前日までの痛みはなくなっていました。これなら明日から出社できるかなと、淡い期待を抱きつつ、昨日の夕方にもう一度抗原検査キットで試してみました。

が、期待は無残にも打ち砕かれ、相変わらずの陽性でした。そうなると明日出社するのはダメだなと諦め、所属長にメールを送って、コロナ感染と火曜日(本日)の在宅勤務を報告しました。

そして現在。喉がまだ痛む以外、熱もなければ体調が悪いわけでもないので、欠勤ではなく在宅勤務をしております。ただ、近所の掛かりつけ医へ行こうと思ったのですが、予約が取れたのが午後5時過ぎなので、明日出社可能なのか否か、いまだにはっきりしません。今もまだ陽性なのか、あるいは陰性になったのか、そのあたりもわからず、明日以降の仕事の割り振りをどうしようか、頭を悩ませております。

もう27年!

本日、9月9日は重陽の節句。

いや、そうではなくて亡父の命日です。

ということは、このダイアリーでも毎年のように書いている気がします。

ちなみに、これも書いたことがあると思いますが、父の母、あたしの祖母も9月9日が命日です。父が子供のころ、確か10歳くらいで亡くなっているはずなので、あたしは当然のことながら会ったことはありません。父も写っていないような古い家族写真が一枚残っているだけなので、祖母がどんな人だったのか、あたしはイメージすることすらできません。

さて父ですが、晩年は介護が必要になっていたので、とはいえ亡くなったときは61歳でしたから、今も当時も相当に早い往生でしょう。最後の数年は入院したり自宅で世話をしたりで、金銭的にもそうですが、体力や精神面であたしも母も疲弊がピークに達しつつありました。9月9日に父が亡くなったときは、「もう十分面倒を見てもらっただろう」と思った祖母(自分の母親)が父を呼んだのだろうと思いました。

そんな父が亡くなってから今日で27年になります。まだ数年足りませんが、あたしの人生は父がいない年月が半分くらいになろうとしています。27年前の今日は月曜日でした。いつものように出勤して、しばらくすると勤務先に母から電話があり、父が入院している病院から電話があり、もう危篤だとのこと。あたしも急ぎ早退して病院へ向かいましたが、到着の一時間ほど前に父は息を引き取っていました。

腰が、腰が、腰が……

あたしはギックリをやったことはないのですが、そのほとんど一歩、否、半歩手前くらいまではやったことがありまして、ですから腰は慢性的に痛むのです。コロナ禍でリモートワークが増え、体の不調を訴える人が増えた、という話も聞きますが、確かにデスクワークが多くなると腰への負担が高まります。

最近は立ったり座ったり、椅子ではなく、床に座ったり、そこから立ち上がるときに腰が痛みます。勤務先はともかく、自宅のPC用の椅子も腰痛対策用に新調したのですが、あまり効果は感じられません。

なので、バンデリンやロキソニンの痛み用ローションを腰に塗りたくっているのですが、効いているような気はしません。全く効いていないといっても過言ではないと思います。

もちろん腰痛対策には腰回り、腹筋と背筋を鍛えるのが一番なのはわかっていますが、むしろ年を追うごとに中年太りが進行しているというのが実情です。運動不足は腰だけではなく、全身に及んでいるのですが、とにかくここ最近は腰がつらいのが悩みの種です。

腰用のコルセット(バンデリンのサポーター?)も持っていますが、あれを締めてしまうとトイレに行くときが面倒なので、あまり使っていません。さて、どうしたらよいのでしょうね?

四六判とCD

日向坂46の新曲「Am I ready?」と乃木坂46の新曲「おひとりさま天国」が発売となりましたが、その収納で困っています。どちらもCD1枚ではなく、通常盤の他にBlu-ray付のType-AからType-Dの4タイプが発売されていまして、全部で5種類となります。

あたしは握手会やミーグリに参加することはないので、一人で何枚、何十枚、否、何百枚と購入することはせず、全種類を一枚ずつ買うだけです。でもそれだけでも、ここ最近の二枚のシングルで10枚が手元にあるわけです。この収納場所が目下の悩みです。

できることなら、デビュー曲から順番にきれいに並べておきたいところです。もちろんこれまではそうしてきたのですが、既に棚がいっぱいになってしまいました。市販の薄型本箱に蔵書を収めていますが、単行本、文庫、新書と高さが違うので、可動棚をやり繰りしても中途半端に高さが余ってしまい、本棚によってはCDを並べるのに重宝しています。

しかし、その書棚も既にいっぱいで、文庫や新書、単行本を並べ切れていない状況に陥っており、家の都合上、これ以上書棚を増やすことはできないので、壁の空いているスペースに棚を設置して、そこに本を並べるのがここ半年くらいの現状です。本が並べられなくなり、CDも並べられず、もうお手上げです。

文庫や新書の場合、かなり薄い板を買ってくれば済みますが、単行本、いわゆる四六判とCDは意外と奥行きがあるものです。CD本体はともかく、ケースに入れてあると単行本よりも奥行きがあります。そうなると薄い板でははみ出てしまいます。もちろんちょっとはみ出るくらいは問題ないのですが、そんなスペースもほとんどないわが家なので、収納されずに床に積んであるCDや本を眺めながら「さあ、どうしよう」と日夜思案しています。

玄関先で花の競演!

わが家の玄関先の酔芙蓉。少し前に一輪咲いたのですが、その時に蕾がもう一つあり、これももうじき咲くのだろうと思っていました。それが今朝、大きく開いておりました。

酔芙蓉と書きましたが、本当に酔芙蓉で正しいのでしょうか? 不要であることは確かだと思うのですが、酔芙蓉って朝はもう少し白いのではないかと思うのですが、これはそこそこピンに染まっています。朝から酔っ払っているのでしょうか?

そんな玄関先にもう一輪、こちらは百合です。

百合というと高級なイメージがありますが、これはどこにでも咲いていそうな、ありきたりの百合だと母が言っていました。特に植えたわけでもなく、前から生えていて、勝手に咲いたようです。

とはいえ、やはりこうして咲くときれいですし、可憐なものを感じます。そして、この百合はたぶんこのとおり白いまま、夕方になったらピンク色に変化するということはないのでしょう。

それにしても連日の危険な暑さ。昼間の花々は咲いていても、ちょっと可愛そうに見えますね。農家では農作物も暑さにやられて収穫できなくなっている作物も多いようで、やはり何事もほどほどが一番です。