エクス・リブリスはどこへ行く?

あたしの勤務先から刊行を続けている海外文学のシリーズ《エクス・リブリス》の最新刊が月末に配本になります。今回刊行されるのは韓国の作家ハン・ガンの作品『別れを告げない』です。

《エクス・リブリス》に収録されているハン・ガン作品はこれが二作品目で、以前に『回復する人間』を刊行しています。ハン・ガンの作品は他社からも刊行されていますが、《エクス・リブリス》のハン・ガン作品も是非お忘れなきよう。

また韓国作品がお好きな方、《エクス・リブリス》にはハン・ガン以外の韓国作家の作品が他にもありますので、ぜひ手に取っていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

ところで二枚目の写真は、わが家の書架の一つです。《エクス・リブリス》や新潮社の「クレスト・ブックス」も見えていますように、あたしとしては海外文学のシリーズを並べる書架というつもりです。書架の棚の高さ調節の都合もあって、光文社の古典新訳文庫も並べていますが、やはり基本的には海外文学作品の書棚となっています。

で、二枚目の写真は上から順に、クレスト・ブックス、エクス・リブリス、古典新訳文庫、再びエクス・リブリスと並べてあります。もちろんエクス・リブリスはこれですべてではなく、三枚目の写真に続きます。

三枚目の写真は二枚目の写真の書棚の更に下の部分を撮ったものです。二枚目の写真の書架の一番下の棚が、三枚目の写真の書架の一番上の棚になります。エクス・リブリスが二段並び、その下にまた古典新訳文庫、そしてエクス・リブリスとなっています。写真は切れてしまっていますが、三枚目の写真の書架は更に下にもう一段棚があり、そこには《エクス・リブリス・クラシックス》が並んでいるのです。

さて、ここまで《エクス・リブリス》は四段を占めていますが、もういっぱいです。上述したように更に下は《クラシックス》が並んでいますので、新刊『別れを告げない』を並べるために別の書架を探さないとなりません。

いま考えているのは、一番上の「クレスト・ブックス」を他の棚に移動して、《エクス・リブリス》を一段ずつ上にずらそうか、ということです。そうするとまだしばらく《エクス・リブリス》を並べる書架に困りませんが、問題は「クレスト・ブックス」です。「クレスト・ブックス」はいったいどこへ行けばよいのでしょう?

こちらも地味に増殖中

数年前に、わが家に架蔵しているちくま新書が100冊を超えたと書きました。その後何冊増えたか数えていませんが、置く場所に困っていることは相変わらず。

そんな筑摩書房ですが、同じ新書サイズで「ちくまプリマー新書」というレーベルもあります。こちらは「最初の新書」という謳い文句からもわかるとおり、より入門的な、たぶん読者対象の年齢もちくま新書よりは若い方を想定しているのだと思います。

とはいえ、大人にも興味深いタイトルが数多く刊行されていまして、あたしも何冊か架蔵しております。それが写真です。ちょうど10冊あります。こちらもどこに並べたらよいのか、収納場所に困っています。

筑摩書房は、文庫もそこそこ架蔵しているので、自宅の書架をなんとかしないと、きちんとレーベルごとに、刊行順番どおりに並べて収蔵しておくことが不可能になってきそうです。

読みたい本と読んでもらいたい本

久しぶりに(?)本の紹介を少々。まずは読みたいなあと思って購入した本から。

森見登美彦著『シャーロック・ホームズの凱旋』です。どこの書店へ行っても売れているみたいですね。特に関西では地元作家ということもあって非常に盛り上がっていました。同時期に万城目学さんの新刊もありましたので、書店の分芸勝利場がとても元気でした。

ところで、シャーロック・ホームズ関係の本がこのところ目につくような気がします。特にアニバーサリーイヤーということではないと思いますが、定期的にブームがやって来るのか、いつでもそれなりの根強い人気作品だから、ということなのでしょうか。

そう言えば香港発のホームズ、『辮髪のシャーロック・ホームズ』も面白く読みましたが、実はあたし、ホームズ自体は全く読んだことがないんですよね(汗)。

続いては読んでもらいたい本です。

それは、このたびUブックスとなって再登場、台湾の作品『房思琪の初恋の楽園』です。房思琪は「ファン・スーチー」と読みます。主人公の女の子の名前です。

この作品、子供の性被害を扱った作品で、単行本刊行時に読んだときは、とても苦しくて痛いと感じました。こんな作品を読んで欲しいというのは、つらさを押し付けるようで気が引けるのですが、それでもこの作品は読まれるべき一冊のはずです。

#MeToo運動やジャニー喜多川、松本人志問題が世間を賑わしている昨今の日本。小川たまかさんの解説にありますが、小説だから描ける世界がここには確かにあると思います。

本はできるだけ紙で所有したいと思っているのですが……

このところこのダイアリーでも「もう紙の本は置く場所がない、これからは電子書籍にしないとダメではないか」ということを何回か書きました。ただ、やはりあたしは本は紙で持っていたい、というタイプなので、なんとか本を置くスペースを作りだして本を並べているのです。

自分の部屋は既にスライド式の本棚も含めて、これ以上書架を並べるスペースがないので、残るスペースはわが家の二階の廊下でして、ただそこは既に薄型の書架を並べているので、この数年は廊下の角、階段を上がりきったところのスペースに本を並べています。

それが一枚目の画像です。この写真の手前から階段を上がってきて、二階の廊下は写真の左へ伸びています。壁には共産主義の嵐が吹き荒れていた頃の中国のポスターのパネルが貼ってあるのが見えると思います。

そして二枚目の画像は二階の廊下に置いている薄型の書架です。床から天井までありますが、ご覧のようにほぼ満杯です。中公新書を中心に、他社の新書、Uブックスなどが並べています。そしてところどころに中国関連の単行本、文芸書(単行本)を並べていますが、この写真の上の方(画像外)は主に文庫本が並んでいます。

廊下は真っ直ぐですが、二階の部屋に入る前で一度曲がっています。その曲がったところにも二枚目の画像と同じ書架を置いています。それが三枚目の画像です。二枚目の画像では薄型書架を二つ並べているのですが、こちらはスペースの関係で一つだけしか置けません。この書架には自社と他社の海外文学作品(単行本)を下の方に置き、中段のかなりのスペースを取ってちくま新書が並んでいます。

しかしこの書架もほぼ空きスペースがないので、これ以上増えたらレーベルごとの引っ越しを考えなければなりません。

そして最後の画像は、二階のあたしが寝ている部屋、ほぼ納戸と読んだ方がよい、3畳ほどの小さい部屋です。そんな狭い部屋なので、ベッドが部屋のほとんどを占めていますが、頭のところの空いたスペースに書架、ベッド脇の壁際にも書架(四枚目の画像がそれです)を並べています。

こちらは書架の上に、中国SF作品などが並んでいますが、その下は文春新書、集英社新書などが並んでいます。下の方には、これまた中国関連の単行本がずらりと並んでいますが、そこまではカメラに収まりませんでした(この写真はベッドの上から撮っています)。画像はありませんが、ベッドの頭の方に置いている書架も、ほぼ中国関係の単行本で埋まっています。あとは既に休刊となっている雑誌「しにか」も並んでいます。

 

あたしが興味を持ったのは……

このところ一部で話題になっているという『ブッダという男 初期仏典を読みとく』を読んでみました。歴史上の人物としてのブッダに対し、現代の価値観を投影したブッダ像を構築してはならないという著者の意見にはもっともだと思います。

ただ、本書の立論が学問的にどれほど正しいのか、学界でどう捉えられているのか、あたしにはわかりませんし、判断するような知識は持ち合わせておりません。

本書のあとがきを読みますと、著者はいろいろ苦労しているなあと思うと共に、一癖も二癖もある人物なのだろうなあと感じました。上述したように仏教界やブッダ論の当否についてはわかりませんが、あたしが興味を持ったのはインドの階級差別についてです。

カースト制度はもちろん世界史だったか世界地理だったかで習ったのでもちろん知っていましたが、実際にはさらにその下に不可触民がいたのですね。考えてみれば、日本も士農工商の下に「えたひにん(穢多・非人)」と呼ばれた人たちがいましたから不思議ではないです。

そんなことを思いながら『ブッダという男』を読みおわったら、こんどは『カーストとは何か インド「不可触民」の実像』という本を知りました。なんというグッドタイミングでしょう。

インドに根付く社会的な身分制=カースト。数千年の歴史のなかで形成され、結婚・食事・職業など生まれから規制し、今なお影響を与え続ける。カースト問題には、「不浄」とされ蔑視が続く最底辺の不可触民=ダリトへの差別がある。政府は2億人に及ぶダリトを支援する施策を打つが、その慣習は消えず、移民した世界各国でも問題化している。本書はインドに重くのしかかるカーストについて、歴史から現状まで、具体的な事例を通し描く。

内容紹介には上のように書いてあります。インドのカーストについては以前から一度それを扱った本を読んでみたいなあと思っていたので、まさにうってつけの一冊ではないでしょうか。次はこちらを読み始めたいと思います。

ちくま新書を6分の4

ほんの数日前のダイアリーで、もう本を置くスペースがない、これからは電子書籍にしないとダメか、と書いたばかりなのに。またまた買ってしまいました、ブツとしての本を! それがこちら。

筑摩書房のちくま新書です。

今月のちくま新書は6点刊行されているのですが、なんとそのうちの4点を購入です。3分の2ではなく、あえて6分の4と主張してしまいました。

ところでちくま新書に限らないのですが、あるレーベルのその月の新刊、半分くらいが興味深く、ついつい買ってしまうようなタイトルだったりすることがあれば、ある月には全く興味をそそられるタイトルがない時もあったりします。これは不思議な現象です。

不思議と言えば、昨年来、平安時代、紫式部、源氏物語、藤原氏関連の新書がこれでもかというくらい刊行され続けているのは大河ドラマの影響なのはわかりやすい現象ですが、そういう外的要因に思い当たるものがないのに、中国ものがあっちからもこっちからも刊行される月があったり、あるいはヨーロッパ史関連の新書がやけにたくさん刊行される月があったりと、そういう現象も新書を追っていると時々起こります。

空想散歩?

ピーター・アクロイドの『魔の聖堂』を読み始めました。18世紀と現代のロンドンを舞台にしたストーリーです。章ごとに過去と現在が交互に語られる構成になっています。

最初の数章を読みおわったところなので、この後どういう展開になるのかまだわかりませんが、内容紹介には

18世紀ロンドンで建設中の七つの教会に異端建築家が仕掛けた企みと現代の少年連続殺人の謎。過去と現在が交錯する都市迷宮小説。

とあります。また帯には「魔都ロンドン」とも書いてあります。「魔都」といったら、あたしには上海しか思い浮かばないのですが、ロンドンも怪異には事欠かない都市ですよね。

それはともかく、読んでいるとロンドンの地名がたくさん出てきます。いまのところ主に通りの名前ですが、事細かく提示されています。これが北京や上海であれば、あたしも読みながら空想都市散歩ができるのですが、あいにくとロンドンは行ったことがありませんので、通りの名前が出て来ても、ロンドンのどのあたりなのか、どういう雰囲気の場所なのか皆目見当が付きません。

ロンドンに詳しい方であれば、楽しく読めるのでしょうね。

見当たらない!

講談社学術文庫の新刊『台湾の歴史』を購入しました。

この本は、かつてちくま新書で刊行された『台湾 変容し躊躇するアイデンティティ』を大幅に増補し、タイトルも改めて文庫化したものだそうです。そうなるとタイトルも異なるわけですから、別の本と言っても差し支えないでしょう。

では、どのくらい変わっているのか? そう思って、わが家の書架を探してみたのですが、ちくま新書版が見つかりません。2001年刊行の書籍です。手に入らないような古い本、というわけではありません。当然、その当時に買っていてしかるべき一冊の筈です。

ところが、わが家のちくま新書が並んでいる書架をいくら探しても見つからないのです。ちくま新書だし、著者は若林さんだし、あたしが買っていないわけはないのですが、どういうわけか見当たりません。

台湾を扱った新書もたくさん刊行されていますので、別の本と勘違いして、既に買っているはず、所蔵しているはずと思い込んでしまい、買い洩らしたのかも知れません。

自分で自分を褒めてあげたい?

本を読むスピードもそれほど速くはないですし、読んでいるジャンルもかなり偏っていると思います。ただ仕事柄、海外文学は比較的多く読んでいるかなあとは思うものの、他社作品まではなかなか手が出ていないのが実情です。

また、通勤電車や営業回りの途次の電車内で読むのは文庫や新書が多く、単行本はもっぱら寝床で読んでいます。ですので、勤務先の海外文学シリーズ《エクス・リブリス》読むのも自宅の寝床ばかりです。

12月には《エクス・リブリス》の新刊刊行はありませんので、24日に配本された『大仏ホテルの幽霊』が今年のラストです。そして写真の9点10冊が、今年刊行された《エクス・リブリス》になります。

全部読んでます。実は《エクス・リブリス》は、初期のころの数点を除いてすべて読んでいます。これはちょっとは自慢してよいことでしょうか。ちなみにUブックスの《永遠の本棚》も全点読了しています。これもちょっとした自慢です。

この場所の「秘密」とは?

本日配本の『大仏ホテルの幽霊』を読みおわりましたが、その中にまるであたしのことを言っているのではないかと思われる一節があったので下記に引用します。

あなたたちはみな、笑いたがっています。幸せを求めているんです。でも、お互いが信じられません。信じるつもりがありません。信じれば、裏切られると思っているからです。だから自分自身さえ、信じられないのです。あなたたちの人生がそうだったからでしょう。ああ、それは私の人生でもあります。ええ、そうです。なぜこんなに難しいのでしょうね。不安でいっぱいになるんでしょう。他の人にはたやすいことが、私たちにはなぜ、これほどまでに苦痛なのでしょう。私たちにとって、愛はあてにならない記憶、不幸は長く残り続ける物語なのです。(P.187)

なんか人間関係の本質だなあ、と思った次第です。少なくともあたしにとっては。