翻訳小説食わず嫌いにとりあえずお勧めしたい何冊か

タイトルは、岸本佐知子さんの『わからない』の一章からいただきました。そこで岸本さんは次のように書いています。

ミステリがいいと言うので家にあったのを何冊か出したら、「ああ、海外ものはだめだめ」と言って顔の前で手を激しくぶんぶん振りました。「だって出てくるのガイジンばっかりでしょ? 名前が覚えられなくて」。え、マジで? たったそれっぽっちの理由で読まないんですか?(P.268)

名前が覚えられないからガイブンは読まない、という意見はよく耳にします。ガイブンを読まない人の理由の大部分はこれに尽きると言ってもよいくらいです。確かに、ロシアとか中東の作品ですと、どうしても馴染みのない名前が多くなりがちで、誰が誰だかわかりにくいところはあります。

でも大部分のガイブンは、岸本さんも書いているように、ありきたりな名前の登場人物が多いと思います。そんなに覚えられないものだろうか、と思います。

そこで一つ、翻訳者の方と出版社にお願いしたいのですが、もし原作者と原出版社の許可が下りるのであれば、作品の登場人物の名前をすべて日本人の名前にしてみるというのは如何でしょう。ただ、そうなると異国が舞台で、生活ぶりも何もかもが外国という設定なのに、出て来る人だけが日本人の名前、という作品が出来上がります。そこに違和感を感じるかもしれないですが、名前がガイジンの名前で覚えられないからガイブンを読まないというのであれば、名前を全部日本人の名前にしてしまえば問題は一気に解決するのではないかと思うのです。

この違和感も、少し前に刊行された森見登美彦さんの『シャーロック・ホームズの凱旋』が売れたわけですから、問題とするには足りないと思うのです。同作は京都を舞台にしているものの、登場人物はすべてガイジンです。外国が舞台で登場人物が日本人名という上述のガイブンとは逆ですが、違和感としては同じだと思うので、意外とヒットするのではないかと思うのですが。

同い年ですね?

今週の書店の話題第一位は、たぶん『百年の孤独』文庫版の発売ではないでしょうか? 今週の後半は西の方へ行っていたのですが、どうも東京よりも店着が遅かったような気がします。一斉発売ではなかったのですかね?

この『百年の孤独』、帯には全世界で5000万部と書かれています。とんでもない数字です。あたしの勤務先の『ライ麦畑でつかまえて』も、たぶん同じような売上だと思いますが、実際のところはどうなのでしょう?

ちなみに、音楽業界ではマイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』が全世界で7000万枚だそうです。現在の音楽業界は配信が主流で、CDの売上だけでこんな数字は、まさに天文学的数字なのではないかと思います。

話は戻って『百年の孤独』ですが、あたしももちろん買いました。最近はしおりを廃止した文庫や新書が増えている中、新潮文庫はいまだにしおりが付いているのですね。嬉しいです。

ところでこの『百年の孤独』、邦訳は1972年刊行らしいですが、原書は1967年に発売されたそうです。つまり、あたしと同い年なわけです。ネットを検索してみると、5月に刊行されたようなので、6月生まれのあたしよりちょっとだけお兄さん(お姉さん?)になります。

こういうジャンル、好きでしたっけ?

通勤電車や営業回りの電車内で読んでいる本をご紹介します。

写真の一番左は数年前、つまり発売されたころに読んだ『古代オリエント全史』です。そしてつい数ヶ月前に読んだのが写真の真ん中、『ヒッタイト帝国』です。

こういう西アジアと言いますか中東の古代史、決して興味がなかったわけではありませんが、それほど読んでいたわけではありません。教科書で習った通り一遍の知識を持っていたくらいです。

それなのにこんな本を読んでしまい、いま読んでいるのは写真の右、ちくま新書の『アッシリア』です。門外漢ではありますがわかりやすく、とても面白いです。文献学でも考古学でも研究が進んでいるのですね。

それにしても、日本でもそれほどメジャーとは言えないジャンルの本が、数年の内に新書で複数冊も出版されるとは驚きです。研究が進んでいるだけでなく、あたしが知らないだけで、日本人の関心が高まって一るのではないかと思います。

第二弾ということで……

以前にも書いたことですが、あたしはあまり謎解きとかミステリーとかは読みません。嫌いというわけではなく、ただ単い、これまで読んでこなかったというだけで、毛嫌いしているわけではありません。

というわけで、ミステリーと言うか謎解きと言うか、いくつか読んだことがあるのですが、そんな作品の一つがこちら、『台北プライベートアイズ』です。中華圏の作品というのが、買って読んでみた理由でして、原作者や訳者を知っているというわけではありません。やはり中華圏が好きなのと、それほど詳しくはないですが、行って見たことのある土地が舞台の作品は親しみが湧きます。

そんな作品の第二弾が刊行されたということで買ってしまいました。何冊か読む本がたまっているので、本書を開くのはもう少し先になりそうです。ちなみに、第一弾の方はこの第二弾の刊行に合わせて文庫化されました。書店店頭では単行本と文庫は並ぶ場所が別になるので、販売促進としてこの文庫化はよいことなのでしょうかね。

岩波新書の復刊を求む(笑)

少し前に、岩波文庫の復刊を希望するダイアリーを書きましたが、こんどは岩波新書です。

新刊の『ひらがなの世界 文字が生む美意識』を買いました。このジャンルでは著作も多い、石川九楊さんの新刊です。

本書の巻末、図版出典リストにあった一冊が、写真の左側、小松茂美著『かな その成立と変遷』です。著者の小松茂美先生は、あたしの恩師の一人で、いろいろとお世話になりました。

そんな小松先生が書いた岩波新書ですが、品切れになってずいぶんと時間が経っています。書店で見かけることはまずないでしょうから、古書肆を探すしかありません。

本書も復刊してほしい岩波新書の一つです。できれば、同じ小松先生の『手紙の歴史』も一緒にお願いしたいところです。

虚なのか、実なのか……

《エクス・リブリス》の『別れを告げない』がお陰様で好調です。やはり韓流文学の中でもハン・ガンの知名度や売れ方は群を抜いていると感じます。既に読んでいる方も多いと思いますので、以下にはネタバレ的なことを書きますが、ご寛恕ください。

その前に、済州島4・3事件を背景としている作品ですが、あたしは不勉強にも、この事件のことはまるで知りませんでした。光州事件は聞いたことがありましたが、こちらに関しては全く聞いたこともない出来事でした。お隣の国の出来事だというのに、あまりにも知らないことだらけですね。情けないです。

さて、本書は女性二人が主人公です。若い頃からの友人で、いまはお互いそこそこの年齢(40歳代?)になっています。全く音信不通ではないけれど、しょっちゅう連絡を取り合っているわけでもない、そんな間柄です。

その一人が済州島に住んでいて、指を切断する事故に遭います。もう一人が病院へ駆けつけると、自宅で飼っている小鳥に餌をあげに行って欲しいと頼まれます。今日中に行かないと、鳥籠の中の餌が残り少ないので死んでしまうからと言われ、仕方なく済州島の友人の自宅へ向かいます。

なんとか島へ着いたけれど、友人の自宅は山の中で、時間的にまだバスが走っているかかわかりませんし、雪も降ってきています。どうにか友人宅の最寄りまで行くバスに乗り、目的のバス停で降りたものの、辺りは暗くなっていて、雪も深く、友人宅までの道がよくわからなくなっていました。そんな中、雪を踏み分けて歩くうちに主人公は足を踏み外し、数メートル転落してしまいます。

幸いにも、大したケガもなく、なんとか友人宅に着きましたが、既に小鳥は息絶えていました。死んだ鳥を庭に埋め、友人宅にいると、ケガをした友人が現われたのです。友人のケガの具合から考えて、とてもベッドから出られる状態ではありません。どうやってここまで来たのでしょう。

その謎は最後まで明かされません。果たして、現われた友人は幽霊だったのでしょうか? ただ、幽霊が現われるなんて、ちょっと非現実的すぎます。となると疲労なども相俟って主人公が幻覚を見た、あるいは友人宅で眠ってしまった主人公の夢の話なのかとも思います。これが一番素直な解釈でしょうか。

ただ、あたしは読みおわった時には、最初は上記のように思ったのですが、実は雪道で足を踏み外した時点で主人公は亡くなっていて、そこから先はすべて自分が死んだことに気付いていない、あるいは生死の境を彷徨っている主人公の妄想の世界なのではないか、とも思いました。なんとなく、その方がこの物語全体のトーンに合っているなあ、と感じたのです。

新書が売れないと言われていますが……

新書や文庫が売れない、売れないという声があちらこちらから聞こえてきます。これまで安い本、手軽な本の代表格であった文庫や新書が、このところの資材高騰の煽りをうけ、じわじわと値上がっているのです。

3000円や5000円を超えるような本が数百円値上がったとしても、そういう本を買う人にとってはまずは内容が第一でしょうから、そこまで購買意欲に響くことは無いと思います。もちろん全く無いわけでは無いですが。

それに比べ、1000円を超えるようなのものは稀で、薄いものだと500円以下というのもざらにあった文庫本、そして1000をちょっとだけ超えるかなという新書、これらが軒並み1000円超えは当たり前、中には2000円に近い(消費税を加えると2000円突破)ものもたくさん刊行されるようになってきたので、如実に売上に影響しているようなのです。

と、言われているにもかかわらず、あたしは相変わらず新書を買いまくっています。時には文庫も買いますが、新書の方が多いですね。やはり通勤や営業回りの途次にカバンにしのばせるには単行本では大きいですから、どうしても新書や文庫になってしまうのです。

そして、ちょっと興味のある分野について専門書を買って読むまでの関心はないけれど、まるっきり知らないでいるのもいやなので、手軽に知識を得たいと考えた時に、やはり新書は重宝するのです。

というわけで、先日はちくま新書を買っていると書きましたが、今月は中公新書が、個人的には豊作でした。岩波新書の『独ソ戦』と並べて売りたくなるような『日ソ戦争』、少し前にちくま新書で『現代フランス哲学』が出たと思ったら、中公からは『戦後フランス思想』、そしてかつて講談社現代新書から同じタイトルが出ていましたが、『神聖ローマ帝国』も登場です。

神聖ローマ帝国は、やはり少し前にオットー大帝の本も出ていましたから、ちょっとしたブームなのでしょうか?

全プレだもの

新しい週の始まり。勤務先から帰宅すると、こんな封筒が届いておりました。天下の岩波書店からの荷物です。

見た瞬間に「あー、あれか」とあたしは気付きました。岩波新書の読者プレゼントに応募していたことを思い出したのです。

封筒を開けると、ビニールに包まれた景品(賞品?)の上に、こんな挨拶状が添えられていました。4月に入って一週間ですが、挨拶文の日付は2月です。そのころから読者への発送が始まっていたのでしょう。

そして、そして、お待ちかねの景品はこちら。

岩波新書赤版と同じデザインの読書ノートです。応募者全員プレゼントですから届いて当たり前ですね。

今年の1月から3月まで三ヶ月間に刊行された岩波新書3点を一口として応募するわけですから、1月に3冊買って早々に応募した人もいたことでしょう。ちなみにあたしは各月一冊ずつ購入しましたので、応募ハガキを送ったのはまだ最近のことです。

この読書ノートは全プレですが、応募者の中から抽選で特製マグカップもあたるということです。こちらが当たるほど、あたしの運はよくないと思うので、そちらは期待せずに待っていようと思います。

『穴持たずども』備忘メモ

売行き好調なロシア文学の翻訳『穴持たずども』ですが、ロシア文学は登場人物の名前が覚えきれないので、メモを取りながら読んでいました。本作は、たぶんロシア文学の中ではそれほど登場人物が多い作品ではないと思いますが、同じ人物でも異なる呼ばれ方をするので、それがわからなくならないようにメモしていたというのが正確なところです。

ソンノフ家
フョードル・ソンノフ(フェージャ):一応、主人公?
クラウディヤ(クラーワ):フョードルの妹

ソンノフ家の隣人(フォミチェフ家)
コーリャ爺さん:父親
リーダ(リードチカ):長女
ペーチャ(ペーチェニカ):長男
ミーラ(ミーロチカ):次女
パーヴェル・クラスノルコフ(パーシャ):リーダの夫

アンナ・パルスカヤ(アーニャ)
アナトーリ・パドフ(トーリャ)
プイリ
イオガン
イーゴリ(イゴリョーク)

サーシェニカ
ワジムシカ

アンナの友人
エヴゲーニー・イズヴィツキー(ジェーニャ)
アレクセイ・フリストフォロフ(アリョーシャ)
アンドレイ・ニキーチチ:アレクセイの父親

パドフの友人?
ゲンナジー・リョーミン(ゲーナ)
ターニャ:リョーミンの取り巻き
ユーラ:リョーミンの取り巻き
ヴィーチャ:リョーミンの取り巻き

イパチェヴナ婆さん:フョードルたちの遠い親戚

ミヘイ:フョードルの友人

全プレは応募しがちなタイプです

出版不況と言いながら、出版社はしばしば読者プレゼントを行ないます。書店店頭に置いてあって「ご自由にお持ちください」というものもあれば、本を買わないともらえないものもあります。そして今回、あたしが応募するのはこちらです。

はい、ご覧の通り、岩波新書のプレゼントです。岩波新書の新赤版が2000点を超えたので、それに伴うキャンペーン「新赤版2000点突破記念 読者プレゼント」です。

キャンペーンのページには【応募者全員プレゼント!!】として

2024年1~3月刊行の岩波新書を三冊以上ご購入の方に〈岩波新書風 読書ノート〉を進呈いたします。

と書いてあります。そこで、あたしも三冊購入しました。同ページに「1~3月の新刊帯の内袖に付いている「応募券」3枚をはがきに貼り」と書いてあるので、応募券を貼りました。

それがこちらの三枚です。全プレなので景品が届くのが楽しみです。なお今回のキャンペーンは

さらに、ご応募いただいたなかから抽選で50名の方に〈新書から始まる。マグカップ〉もプレゼントいたします。

ともあります。たったの50名なのでとても当たるとは思いませんが、もし当たったら今年の運はすべて使い切ってしまうことになりそうです。

ところで「読書ノート」は出版社ですから、ふだんの仕事の延長線上で製作できるものだと思いますが、マグカップというのは若干の飛躍が感じられませんか。でも紅茶やコーヒーを飲みながら読書するという人も多いでしょうから、出版社の読者プレゼントとしてマグカップは実は相性がよいのかも知れません。

その証拠に、というわけではありませんが、あたしの勤務先もご覧のように,読者プレゼントにマグカップを作ったことがあります。いくらくらい費用がかかって、いくつ作ったのかはわかりませんが、なかなかの重さでしっかりしたマグカップです。岩波新書マグカップは果たしてどんな感じなのでしょうか。是非、キャンペーンを当てて実物を手にしたいものです。

まずははがきを投函しなくては!