看板に偽りあり、でした?

昨日のダイアリーはローカル線の旅と書いたのにほとんどローカル線の話を書いていませんでした。申し訳ありません。そこで本日、改めて……

昨日も書いたように、中央線の上りに乗るよりは下りの方が空いているとおもったからの選択だったのですが、中央線って下りも意外と混んでいますね。もちろん上りほどではないです。とても乗れないなんて状況ではないですし、手足を動かせないほどのギュウギュウ詰めでもありません。

次に、八王子から乗った横浜線。これも思った以上に乗客が多かったです。あたしは橋本で下りてしまいましたが、どのあたりまであの乗客数なのでしょう。横浜までずっとあんな調子なのでしょうか? このあたりの乗客数は完全にあたしの見込み違いでした。

そして橋本から北茅ヶ崎までの相模線です。もっとガラガラな車内を予想していたのですが、そうでもなかったです。立っている人もチラホラいましたが、空いている席もあるというくらいの混み具合でした。

相模線、あたしは今回生まれて初めて乗ったと思うのですが、単線なんですね。なので、時々、行き違う列車との待ち合わせで、停車時間の長い駅がありました。ドアも手動で開け閉めするタイプなので、戸惑っている乗降客も時折見かけました。中央線とはまるで異なる世界です。

かといって、地方の路線ほどののどかさがあるかと言えば、そうでもないかな、という感じです。それでも、南へ下っていく電車の進行方向右手には、丹沢でしょうか、山並みがきれいで、さらにその先には白い雪をいただく富士山が見えました。

途中、「寒川神社下車駅」という看板を見かけましたが、そこは寒川駅ではありませんでした。寒川駅はそのお隣のようでした。寒川神社も行ったことはありませんが、行くことがあれば寒川駅で下りればよいのだろうと漠然と思っていたので、もしこの看板に気づかなかったら、あたしはかなりの距離を歩く羽目になっていたことでしょう。

そんな感じの、約一時間の旅でした。

 

関東ローカル線の旅?

本日は在宅ワークの日で、そういう日は、10時ころに家を出て、夕方寒くなる前まで書店営業に出るのが通例です。しかし、本日は7時半に家を出る必要がありました。

それはあるところへ行く必要があったからです。あるところとは、訪れると右の写真のようなものをいただく場です。はい、茅ヶ崎にある書店のご主人が亡くなられたので、その葬儀・告別式に行って来たのです。

昨晩の通夜に行ってもよかったのですが、茅ヶ崎で晩の6時となると帰宅は9時ころになってしまいます。就寝時間をとっくに過ぎてしまうので、それは避けたいと考え、本日午前中の葬儀・告別式に出かけることにしたのです。

そして式の後は、そのまま何軒か書店営業に向かいました。ただ、そのままの格好では、いかにも不祝儀の後に伺いました、という感じで新年早々の書店訪問としては縁起が悪いので、途中でブラウスを着替えました。それが左の写真です。

全身真っ黒、マックロクロスケ状態です。ネクタイを変えるよりも、ブラウスを変える方を選ぶところがあたしらしいと言えばあたしらしいのではないでしょうか。

ところで、茅ヶ崎と聞いて、どういうルートで向かうでしょう? 普通に考えれば、中央線で東京駅へ出て東海道線に乗る、あるいは中央線で新宿まで出て湘南新宿ラインに乗る、の二択だと思います。あたしもそのつもりでいました。

ただ、葬儀の会場を見ると最寄り駅は北茅ヶ崎駅とあります。それって茅ヶ崎と橋本を結ぶ相模線で、茅ヶ崎から一つめの駅です。だったら、中央線で八王子へ出て、横浜線と相模線を乗り継いで北茅ヶ崎へ向かうのはどうだろう、と思ったわけです。所要時間は、乗り換えがスムーズであればそれほど変わりません。だったら都心へ向かうよりも車内も空いているだろうと予想して、このルートを選んだわけです。

リアにも!

このたび、リア用のドライブレコーダーを購入しました。

わが家の自家用車はもう何年も乗っているのですが、ドラブレコーダーを初めから付いていました。当時としては、デフォルトでドライブレコーダーが装備されているのは、かなり先進的だなあと思ったものでした。

とはいえ、まだそんな時代でしたので(まだ五、六年くらい前だったと思うのですが……)、レコーダーはフロント側だけについていたのです。それで十分だと思っていましたけど、その後、ニュースで「あおり運転」の事故について報じられているのを見て、リア側のレコーダーの存在が重要なのだと思い知らされ、機会があれば取り付けたいと思っていたのです。

そして、このたびようやく購入した、リア専用のドライブレコーダーが「SN-R11」です。いろいろあったドラレコで、これを選んだのは、そんなにたくさん比較検討したわけではなく、ふだんお世話になっているマイカーの販売会社にパンフレットが置いてあったからです。メーカーがパンフレットを置いているくらいだから、性能もよく、安心して取り付けられるのだろうと判断したからです。

本日取り付けて、設定を済ませました。スマホで画像を確認できるのは、現在では常識なんですかね。きれいに、はっきりと後ろの風景が映っていました。

流行のはるか先を行く?

昨日のダイアリーで忠臣蔵について書きましたが、実はあたし、学生のころ、12月14日の当日に泉岳寺へ行ったことがあるのです。その証拠が右の写真、泉岳寺の御朱印です。

昭和五十九年なんて、今の若い人からしたら太古の昔の話でしょうか(汗)。昭和も遠くなにりにけり、ですね。この時、あたしは高校二年生でした。授業が終わって、一度家に戻り、その後、わざわざ泉岳寺まで出かけて行ったのです。この季節ですから、既に日は暮れかけていましたが、蝋燭の明かりがきれいだったのを覚えています。そして、予想ほどは混雑していなかったことも。

ところで右の写真、あたし御朱印帳です。この数年、神社仏閣の御朱印集めがブームになっていますが、そんなブームのはるか昔、あたしは既に御朱印集めをしていたのです。

その年の秋、修学旅行で奈良へ行ったときも、唐招提寺や薬師寺で御朱印をもらってきました。昨今は、入った時に朱印帳を預け、参観し終わってから御朱印を受け取る、というシステムが多いようですが、あたしの高校時代は、御朱印を集めている人はまだまだ少なくて、お願いすると目の前で書いてくれることがほとんどでした。

駆け足で……

この木金と、一泊二日で京阪神を回ってきました。9月末に二泊三日で京阪神を回ったときは、大型店中心だったので、こんどは中規模店を中心に回りましたが、やはりかなりの駆け足ツアーになってしまいました。

木曜日は東京を発って、新幹線は京都で下り、滋賀に少しだけ戻った後は、書店に立ち寄りながら京都から大阪へ向かいました。晩は大阪泊まりです。実は新幹線、米原で下りて西進するか迷いました。でも米原に停まる新幹線の本数が少ないので断念しました。

そして二日目の金曜日。

一泊でツアーを終わらせるなんて、これまでにあったでしょうか? そんな思いを抱きつつ、朝から姫路へ向かい、そこからJR神戸線を東へ、大阪へ戻ってくるように書店を回り、新大阪から帰京という行程でした。なかなかの移動距離ですね(笑)。

今回のツアーは駆け足で回ったと書きましたが、その間、二日目の朝は少し早めにホテルを出発して、少し観光っぽいことをしました。それが、ここに掲載している写真です。

おわかりですね、国宝・姫路城です。いや、世界遺産・姫路城と呼ぶべきでしょうか? 訪れたのは何年ぶりでしょう。なにせツアーで姫路へ行くことはたびたびあっても、ほとんど駅ビルから外へは出ずに、また三宮方面へとんぼ返りばかりですから。たぶん姫路城まで行ったのは数十年ぶりだと思います。

大修理を経て、ずいぶんと白くなってしまったのはニュースで知っていましたし、駅から目にした大天守も真っ白に輝いていたのを何度も見ていました。しかし何年も経ってようやく少し落ち着いた風合いになってきたのではないでしょうか。そんな天守を眺めながら、無料では入れるところ散策してきたわけです。

時間としては小一時間ほどありましたが、駅からお城までがだいたい徒歩10分から15分ほどなので、お城を堪能したのは30分くらいだと思います。ただ、もともと時間の制約を考えて天守に登るつもりはなかったので、ひとまわりするにはちょうどよい時間だったと思います。

そして、よく晴れて気持ちのよい、秋の一日。紅葉と言うほどではありませんでしたが、青空に映える白鷺城がとてもきれいでした。寒くもなく暑くもなく、気候も穏やかでした。

大手前の広場では「姫路食博2022」というイベントの準備が真っ盛りでした。サイトを見ると、ちょうどあたしがウロウロしていた昨日からスタートのイベントのようですね。こういうイベントもリアルにできるようになってきているのですね。よい傾向だと思います。

さて、今回のミニ観光、次はどうしましょう? 個人的にはたつのへ行ってみたいと思っているんですよね。姫路のちょっと先ですから、足を延ばせなくもないですが、街歩きをするには一時間ではちょっと足りないでしょうか。

広島で牡蠣と言えば……

昨日のダイアリーで、広島で食べた穴子と牡蠣について書きましたが、広島で牡蠣と言えば、あたしには苦い思い出があります。

あたしが小学6年生の時だったと思います。当時、父方の親戚が松山に住んでいたので、両親と妹の四人で、そこへ遊びに行ったことがありました。数日の松山滞在後、広島へ戻ってきて新幹線で帰京する前に、広島で少しの時間を過ごしました。原爆ドームや平和公園へいった記憶はないのですが、広島城へは行きました。

そして、もう一つ覚えているのが家族で牡蠣のお店に食事に入ったことです。

有名店だったのか、ふと目に留まった一般的なお店だったのか、その記憶はありませんが、家族で牡蠣フライ定食を注文したのを覚えています。そこで事件は起きました。

当時のあたしは、まだ高学年とはいえ小学生の子供です。普段から食べているわけでもない牡蠣がどうも好きになれませんでした。食わず嫌いだったのか、食べてみてダメだったのか、その記憶すらありませんが、とにかく、その当時のあたしは牡蠣が食べられませんでした。

食べられないと言うよりは食べたくなかったと言った方が正確だったような気がします。そんなあたしだったので、たぶんその時も「牡蠣は嫌だ、他のものが食べたい」とわがままを言ったのだと思います。牡蠣フライのお店ならロースカツとかもあっただろうと思い、それが食べたいと主張したのだと思います。

ところが、うちの父親は変なところが非常に厳しい人で、広島に来て牡蠣のお店に入ったのだから牡蠣を食べろと怒り、それなら何も食べるなと言って、あたしは何も食べさせてもらえなかったのです。家族四人で卓を囲み、両親と妹が牡蠣フライ定食を食べている横で、あたしだけ何も置かれていないテーブルを眺め座っているだけでした。

いまでは笑い話ですし、牡蠣だってふつうに食べることができますが、当時のあたしはそんなだったという苦い思い出です。広島へ行ったので思い出しました。

美味しい安芸見つけた!

昨晩、帰京・帰宅した二泊三日の研修旅行。広島からのJALは午後7時過ぎに羽田に到着しました。手荷物は預けていないのでスムーズに到着ロビーまで出て来て、さてここからの帰路はどうしましょう?

一番早いのはモノレールで浜松町へ出て、JRで東京駅へ、そして中央線というルートでしょう。ただ既に書いたように、広島空港でちょっとお土産を(あたしの基準では)買いすぎてしまいまして、この荷物を持って乗り換えを何度もするのはしんどいなあというのが正直な気持ちでした。そこで武蔵小金井、あるいは国分寺までの空港バスがないか、バス乗り場で確認してみました。15分や20分くらいであれば待っていようという腹づもりです。

ところがなんと、5分後に国分寺行のバスが来るではないですか! 切符もまだ販売中、座席も残っているようです。すぐに購入してバス乗り場へ直行。待つまでもなくバスが到着し乗り込みました。羽田近辺が混雑するかと予想していましたが、意外にスムーズに進みました。地下トンネルで首都高4号線の新宿まで向かうのかと思いきや、都心環状線経由で、三宅坂で4号線に入り、信濃町あたりからちょっと交通量が多くなってノロノロ運転、これが初台、幡ヶ谷あたりまで続きました。

ただ、そこから先はまたしてもスムーズに進み、1時間ほどで最初の停留所である京王線の調布駅に到着しました。ここから府中駅を経由して国分寺駅南口へ。特に混雑に巻き込まれることもなく到着しました。さて、国分寺から自宅までは路線バスですが、手元のスマホで検索すると、次のバスの発車まであと5分しかありません。早歩きで駅構内を抜け、駅北口のバス停を向かうと、バスがちょうど到着したところで停まっていました。小走りで乗り込み席に着きました。

これだけギリギリのタイミングで二回も乗り継ぎができたので、もちろん電車を使った方が早く家には着けたでしょうが、思いのほか早く帰宅できた昨晩でした。まだ夏に片足を残しているような炎天下の広島から、既に冬に入りつつあるような夜の東京はいくぶん寒かったですが、大きな荷物を抱えて早歩きばかりだったので、寒さも感じずに自宅にたどり着けました。

広島土産と言えば……

高知、岡山と回ってきた研修旅行も最終日です。今晩は自宅の蒲団で寝ることになるのか、と考えるとあっという間の二泊三日でした。久しぶりの広島と言うことで、最後の広島空港で少しお土産を買ってみました。

まず最初の写真は、妹家族のところへ送ってやろうと思って購入した「かき飯の素」と「あなご飯の素」です。ご飯に混ぜて食べるようです。やはり広島の名物と言えばいろいろありますが、牡蠣と穴子ではないでしょうか?

もちろん、もみじ饅頭も有名ですが、あれはスイーツのカテゴリーですから、ちゃんとした食事となるとちょっと違います。それならお好み焼きは、とも思いましたが、冷凍などのお好み焼きを買って帰って、お店で食べるあの美味しさがどれだけ再現されるのか、個人的にははなはだ疑問なので、やはり選択肢からは外れてしまいます。

そんな中、お土産屋を眺めていて目に入ったのがこの小品でした。もちろん市内のお店で食べればもっと美味しいのを出してくれるのでしょうが、まあ、手を打つとしたらこのあたりではないかと判断しました。

そして、自宅用には、同じく穴子ですが、二枚目の写真の「あなごちらし」を購入しました。これもご飯に混ぜて食べるものです。「あなご飯の素」とどう違うのか、よくわかりませんが、おいしくいただければよいので、そして自分が食べるわけですから、ダメモトで買ってみました。

いずれにせよ、今回はちょっと帰りの荷物が多くなってしまいました(汗)。

鉄道の旅は楽しい

研修旅行の二日目は、朝に高知を発ち、岡山と倉敷の書店を回って、夜には広島に入るという、移動距離の長い、つまり移動時間が長い一日となりました。

そんな移動の最初、高知から岡山へは特急南風を使いました。今回の研修の行程を考えるために調べるまで、あたしは高知・岡山間に特急が走っているなんて知りませんでした。瀬戸大橋ができたので走り始めた特急なのでしょうね。

車体は、ご覧のように外も中もアンパンマンです。子供が見たら喜びそうなデザインですが、あいにく子供はほとんど見かけません。やはり平日だからでしょう、年配の夫婦やグループの姿が目立ちました。

この特急南風、途中は大歩危、小歩危の峡谷を眺めながら走る区間もあり、もう少し紅葉が進んでいれば非常に快適な列車の旅になったことでしょう。ちなみに大歩危は「おおぼけ」、小歩危は「こぼけ」と読むそうです。知らないととても読めない地名ですね。

この四国山地を抜けると、丸亀城を遠望しつつ、瀬戸大橋を渡ることになります。二時間ちょっとの旅ですが、行楽電車としてはとても素敵な車窓からの風景を堪能できますね。

南国土佐に降り立って……

本日から二泊三日の出張です。人文会の研修旅行です。

コロナ前は、人文会会員社全体で秋の研修旅行を行なっていましたが、このご時世、三年ほど研修旅行ができずにいました。しかし感染状況も落ち着いてきて、「ウィズ・コロナ」と世間でも言われていますので、今年は研修旅行を実施しようということになりました。

ただし18社全体での研修旅行はさすがに先方にも迷惑がかかるだろうということで、今回は3社ずつ6班に分かれての研修旅行で、あたしは中四国班で研修旅行に参加したという次第です。

行程は飛行機で高知に入り、そこから陸路、鉄道で岡山へ出て、さらに広島へ移動するというものです。訪問書店の数は少なめですが、それに比べて移動時間が長い班となりました。

初日の本日は羽田から高知空港に飛び、高知泊まりです。明日の朝、特急で岡山へ向かうので、宿泊は駅前のJRクレメントイン高知というホテルに宿泊しました。正確なところはわかりませんが、まだ新しいホテルのようです、館内も室内もとてもきれいでした。

ホテルでは、駅のセブンイレブンで使える1000円のクーポン券が配布されていたので、それを使って購入したのが最初の写真です。土佐と言えばカツオですから、その角煮を買ってみました。まあ、佃煮ようなものですね。酒の肴にしてもよし、ご飯のお供にしてもよし、そんな一品です。

話は戻って宿泊ホテルですが、朝食は二枚目の写真のメニューから選ぶようになっていました。あたしはカンパチ定食をいただきましたが、非常に新鮮で、プリップリの身が美味しかったです。朝はこの何十年もパンというのが変わらぬスタイルで、出張でも朝食はパン派だったのですが、今回はこういうメニューを見せられたらご飯を選択するしかないですね。