篠突く雨

中四国ツアーの最終日。木曜の夕方から降り出した雨は、金曜の朝も降り続いていました。

高松で起床し、特急に乗って徳島へ向かいます。JRの高松駅は、いわゆる櫛形ホームと言うのでしょうか、東京の人間からすると上野駅も彷彿とさせるものがあります。あたしの感覚で言えば、「ザ・終着駅」です。

そんな高松駅の改札の内側にこんなオブジェがありました。ベンチになっていて、真ん中に座ってアンパンマンと記念撮影ができるという寸法です、撮っている人は見かけませんでしたが……

そして上野駅のようだと呼んだ高松駅はこんな感じです。

上野駅に比べれば規模も小さく、そもそも列車の発着本数が桁違いだと思いますが、こういう構造の駅は哀愁を感じさせてくれるものです。

終着駅を感じると共に、「さあ、これから旅立つぞ」という気分に浸らせてもくれます。ここから特急に乗って徳島へ向かったのです。この路線は単線ですし、電化もされていないのですね。ディーゼル特急の独特な音が響きます。四国内は予讃線、土讃線、予土線というように旧国名から命名された路線が目立ちますが、どうしてこの区間は高徳線なのでしょう。ちょっと不思議な気がします。

さて、小一時間ほどで徳島駅へ到着。雨はやみそうにありませんが、ここで仕事をこなした後は徳島空港から空路で帰京です。徳島はそれほどではありませんでしたが、東京をはじめとした各地の雨はもっと強く激しかったようで、乗る予定の飛行機の徳島到着が若干遅れ、それに伴って出発も15分ほど遅延しました。それでも無事に東京へ着陸できてよかったと思わなければなりませんね。

ドクターイエローよりも……

26日の水曜日から二泊三日で中四国へ行って来ました。その旅行について、書いていきたいと思います。まずは初日から。

朝、東京を発って広島へ向かいました。広島だと飛行機を使う人も多いかと思いますが、東京駅と羽田の交通の便のみならず、広島空港の遠さを考え、今回は新幹線を使いました。

博多行きの新幹線に乗るのはずいぶんと久しぶりです。新大阪行きですと、名古屋から乗ってくる人はそれほど多くはありませんが、博多行きだともう少し多いように感じました。

初日は広島泊まり。二日目は広島から東へ向かいました。新幹線でまずは倉敷へ。広島駅のホームで、乗る予定のこだま号を待っていたら、ホームに滑り込んできたのはこんな新幹線でした。

JR西日本が運行している、ハローキティ新幹線です。「狙ってたでしょ?」と言われると返す言葉もありませんが、たまたま広島から倉敷へ向かう、ちょうどよい時間の列車がこれだったのです。

ドクターイエローならぬ、ハローキティピンクで飾られた車体は、海外からの訪日客をの楽しませることでしょう。こだま号なので、子供を連れて一区間だけ乗車する、という利用の仕方もできそうです。

新大阪へ向かうと最後尾になる一号車はハロー!プラザと言って、座席もなくグッズ販売などを行なっているスペースだったようです。さすがに同行の仲間をおいて一人で見に行くわけにもいかなかったので、どんなところかはわかりませんが……(汗)

車内にもキティちゃんがあしらわれていて、各車両の扉の内側にも車掌に扮するキティちゃんのイラストが描かれています。もちろんピンクが基調です。

そして各車両のデッキから客室へ入る自動扉もキティちゃん仕様です。各車両ごとにデザインが異なるのか、すべて同じデザインなのか、そこまでは確認していませんが、キティちゃん大好きな人であれば、乗るだけでテンション爆上がりの新幹線ではないでしょうか。

時刻表をよく見ると、ハローキティの車両で運行と書いてあるこだま号があります。好きな人をこれをチェックして乗車するのでしょう。いつ走るかわからないドクターイエローよりは情報が入手しやすいですが、あたしからしたらドクターイエローよりもキティちゃんの方がいいですね。

らしいもの

昨日から広島に来ています。もちろん仕事です。

広島と言えば、原爆ドームや広島城といったところが観光名所だと思いますが、全く目にしていません。見えるようなところを通ることもなく、一日が終わってしまいました。

これまでに何回か広島には来ていますので、ちょっと時間を作って原爆ドームを見に行ったことはありますが、宮島、厳島神社には行ったことがありません。仕事なので仕方ないとはいえ、やはりちょっと寂しいですね。

さて、今日は朝から東へ移動します。

いまって行楽シーズンではないのでしょうか?

今日は休みを取りました。代休というわけではありません。急遽休まなければならない事情があったのです。とはいえ、いきなり今朝休むことにしたわけではなく、月曜の時点でわかっていたことです。

休みを取った理由ですが、親類に不幸があったからです。訃報自体は先週の後半に入ってきたのですが、会場やお坊さんの都合などいろいろあって、昨日が通夜、本日が葬儀・告別式となったそうです。

誰の訃報かと言いますと、あたしの妹の旦那の父親です。あたしからだと何と呼んだらよいのでしょう。妹にとっては義父ですね。このダイアリーにもたびたび登場する姪っ子たちからすれば、祖父になるわけです。

ですから、妹たちの住む沼津まで、母を連れて行って来ました。葬儀会場には泊まる場所がないらしく、だったら通夜はパスして、葬儀告別式だけ出ようということになったわけです。ちなみに、妹の旦那は妹よりも少々年が下になるので、そのお父さんもまだ69歳という年齢でした。一般的に言えば「まだ若いのに」という年齢でしょう。あたしの父は61歳だったか62歳で亡くなっていますから、それよりは長生きですが……

さて、中央道に乗って、高尾山から圏央道に入り、海老名から東名を走って沼津まで行きましたが、平日の昼間はトラックが多いですね。それとは対照的に観光バスを一台も見ませんでした。トイレ休憩などでパーキングエリア、サービスエリアに何回か寄りましたが、その駐車場にも観光バスは皆無でした。

寒くもなく暑くもなく、いわゆる五月晴れのシーズンだと思いますが、どうしてこんなに目にしなかったのでしょう。わが家を朝の6時ごろに出て、妹宅に9時ごろに到着したので早すぎたのでしょうか。

橋を探して?

今週は、久しぶりに神奈川大学生協を訪問しました。キャンパスは平塚やみなとみらいにもありますが、あたしが訪問したのは東横線の白楽駅から歩いて15分くらい(?)のところに位置する、いわゆる「横浜キャンパス」です。

前回訪問した時は横浜駅からバスで行ったのですが、思った以上に時間もかかり、時間帯が悪かったのかバスの車内がかなり混雑していました。それにバス停が門のすぐ前にあるわけでもないので、バスを降りてからも多少は歩くことになります。

横浜の書店を回ってから向かうわけでもなし、だったら白楽駅から歩くのがやはり一番よいかと思って、今回は白楽駅から歩きました。白楽駅から大学へ向かう途中にあるのが、かの有名な六角橋商店街です。賑やかで情緒あふれた商店街として関東ローカルの情報番組などでも紹介されることの多い商店街です。

ところで、この六角橋商店街、住所は六角橋になるようですが、肝心の六角橋という橋はどこにあるのでしょう。地図を見ても見つかりませんが、商店街のウェブサイトには

町内にある宝秀寺の元禄八年(一六九五)の記録によると、 日本武尊 が東征の時、ここの 大伴久応 という者の 庵 に泊り、翌朝、日本武尊が 五位木 という木の六角の御箸を用いられて、これを久応に賜ったので、久応はこの箸へ天照大神・日本武尊と書いて日夜礼拝したことから、村名を「六角箸村」と称し、後に「六角橋村」と改称したという。法秀寺の門前に「大伴久応之墳」の石碑(成務天皇四十五年正月十四日)が建っている。昔、この地に架かっていた橋が六角形の材木で組まれていたので、そこから「六角橋」と名付けられた、という説もある。

とあります。これによりますと「六角橋」ではなく「六角箸」が本来の名称だった可能性がありますね。ただ、最後のところに「この地に架かっていた橋」とあるので、やはり「六角橋」でよいのだという気もします。ただそれよりも「この地にかかっていた橋」って、いったいどこに架かっていたのでしょう。それが気になります。

次はどちらへ?

「次はどちらへお出かけですか?」なんて書いてしまうと、西山荘で次の諸国漫遊について思案している水戸のご老公のようですが、旅ということについては同じです。母を連れて、こんどはどこへいくか、です。

母はそれほどあちこち旅したことがある人ではなく、もちろん旅行もそれほど好きというわけでもないので、行ったことのある都道府県を挙げた方が早いくらいですが、ここへ来て、「あそこへ行きたい」「ここにも行ってみたい」といろいろ言い出しています。やはり自分の老い先を考えると、「動けるうちに」と考えるのでしょう。

もちろん、あたしだってそれはわかっていますが、もちろん先立つものがあっての話ですし……。先日の京都のように一泊くらいであれば、なんとかひねり出せなくもないか、といった具合ですね。そして母の希望では奈良か金沢です。

奈良は、まずは大仏を見てみたいそうです。奈良で一泊なら東大寺、春日大社、興福寺で一日、もう一日取れるのであれば、薬師寺や唐招提寺などの郊外を回るか、あるいは法隆寺へ行ってみるか、といったところでしょうか。あたしも法隆寺は行ったことがないので是非行ってみたいと思っています。

金沢の場合、見るべきところは兼六園と金沢城くらいでしょうか。21世紀美術館もちょこっと見学するくらいはできるかと思いますが、県立図書館まで足を延ばすのは難しいかも知れませんね。これなら日帰りも可能かもしれませんが、さすがに母の年齢では一泊しないと疲れてしまうでしょう。

上にも書いたように、母がそれほど旅行好きではないので、それでも生きているうちに行きたいと言っているのは、いまのところ上記の二か所です。さて、果たして行けるのでしょうか?

濁点とか多言語対応とか

先日の関西ツアーで感じたこと、気づいたことを少々。

たまたま看板を見て改めて気づいたのですが、「鶴橋」って「つるばし」ではなくて「つるはし」なんですね。つまり「BA」ではなく「HA」ということです。

大阪は「橋」が付く駅名(地名?)が多いですが、天満橋、淀屋橋、京橋、日本橋、どれも「橋」は「ばし」と読み、濁らずに「はし」と読む地名は思いつきません。なので、「鶴橋」も「つるばし」だと思っていたら、あれ間違えた、濁らずに「つるはし」と読むんですね。

濁らないといえば、関東の茨城は「いばらき」ですけど、大阪の茨木は「いばらぎ」だと、これまた長いこと信じ込んでいたのですが、大阪の茨木も濁らずに「いばらき」と読むようです。駅の看板には「き」と表記されています。この歳になって学ぶことがまだまだたくさんあります。

こういう表記ついでに思い出しましたが、新幹線の車内放送やドア上部の電光掲示って日本語と英語で表記・放送されています。でも、これもそろそろもう少し多くの言語に対応できないものでしょうか。少なくとも中国語と韓国語には対応してもよいのではないかと思います。

英語は国際語、どこの国の人でもある程度はわかるだろうという理屈もわかりますが、これだけ海外から多くの人が来ているのですから、英語以外も充実させてもよかろうと思うのはあたしだけではないと思います。

鹿苑寺金閣

母との京都観光、二日目にして最終日。

今回泊まったのは京都駅前に建つ新阪急ホテルです。直前の関西ツアーでは梅田の新阪急ホテルに泊まっていたのですが、阪急ホテルの連チャンです。

そして、まず向かったのは、母もあたしもこれまで一度も訪れたことがなかった鹿苑寺の金閣です。数年前に金箔の張り直しが終わって、金閣寺と言うよりも金箔寺と呼んだ方がよいくらいの輝きでした。

この日の天気予報では曇り時々雨、むしろ雨が主役のような、あいにくの空模様と言われていたのですが、写真をご覧いただければわかるように、そこまで悪くはなりませんでした。パラパラと雨が落ちてくることもありましたが、薄日が差す時間帯もあったりして、観光に支障が出るようなことはありませんでした。

そして目的である金閣。金閣寺と呼びたいところをグッと堪え、やはり鹿苑寺金閣と呼ぶべきだと思っている自分がいます。9時からの拝観ですが、9時半くらいに到着したので、観光客はまだ多くなく、修学旅行とおぼしき学生たちも少し来ている程度でした。ですので、このように人っ子一人写っていない写真が撮れました。

教科書や観光案内のポスターなどで見慣れた金閣を写真に収めると共に、初めて見た側面や裏側も興味深いものでした。それにしてもキンキラキンですね。印象としては大改修が終わってあまりにも白くなりすぎた姫路城を思い起こさせます。

そう言えば、学生5人くらいを案内しているおじさん、たぶん観光タクシーの運転手さんではないかと思われますが、金閣の三層の説明をしていました。仏舎利を知らない生徒たちには苦笑を禁じ得ませんでした。

そう言えば、別のグループでは「君たち、弘法大師って知ってる?」と聞かれてポカンとしている生徒たちに、「じゃあ、空海って知っているでしょ?」とさらに聞かれても答えられないグループがいました。もうちょっと勉強してくれよ、とあたしもついつい愚痴っぽくなってしまいました。もちろん心の声ですが。

さて、境内の植え込みにこんな花を見つけました。いや、花でいいのですよね。見た感じはスズランのような形をしています。あたしは植物に疎いので、それに植栽のところに名札が建っていなかったので、これがどんな植物なのかわかりません。

金閣を巡ると、あまり見るところも少なく、あっという間に参詣路が終わってしまいます。もう少しじっくり見たとしても、意外と短時間で参観できてしまう場所ですね。金閣を見終わった後の参詣路脇には、こんなところがありました。

看板には「銀河泉」と書いてあります。そして、そのすぐそばにあったのが最後の写真。こちらは「巌下水」とあります。どちらも室町幕府・三代将軍、足利義満に縁のあるもののようです。

義満で思い出しましたが、あたしが子供の頃に見ていたアニメ「一休さん」では、まだまだ将軍としてギラギラ政務を執り行なっていた義満が出て来ますが、義満が出てくるシーンでは必ず金閣が舞台として登場していた記憶があります。

子供心にも、きらびやかな金閣、そして派手好きな義満の性格は、お坊さんである一休さんの暮らしぶりと対照的で、なおかつ一休さんは後小松天皇の子供だということが、判官贔屓的な感情を呼び起こしていたと記憶しています。史実ではないでしょうが、子供の頃にテレビアニメで見ていた舞台に自分がいるというのは不思議な感覚ですね。

ただ、義満がここで政務を執っていたのはまだ理解できるとして、ふだんの寝食もここで行なわれていたのでしょうか。目の前の金閣からはとても生活感を感じられません。あるいは当時は金閣のそばに、義満の生活の場、また側近たちが勤務する場としての建物がもっと建ち並んでいたのでしょうか。そんなことが気になりました。

親孝行は親が生きているうちに?

関西ツアーを月曜から水曜までこなし、普段であれば、そのまま水曜日の夕方に帰京です。あるいは木曜まで関西ツアーをやっていたかもしれません。しかし今回は帰京せず、木曜日に休暇を取って、京都観光をしました。

前々から母を京都旅行に連れてこようとは考えていたのですが、なかなか機会が作れず、そんなこんなで母もあたしもかなり歳を取ってしまいました。これは急がないと足腰が覚束なくなりそうと思い、意を決して今回実行に移したわけです。

水曜日は、あたしはまだ仕事をしていましたが、母に東京から京都まで来てもらい、仕事が終わる5時半頃に京都駅で待ち合わせ。そのままホテルに荷物を置いて夕食へ出かけました。食べに行ったのは先斗町のいづもやです。四条大橋のたもとにあるお店です。

いただいたのは写真に写っている、瓢箪形の器に京料理が入っている「ひょうたん弁当」です。天麩羅付きでいただきました。あたしはこのお店には過去に何度か来たことがありまして、毎回このひょうたん弁当を食べています。

運ばれてきたときは、名前そのまま、ひょうたんがお盆の上に鎮座していますが、三段重のようになっていまして、広げると二枚目の写真のような感じになります。ご飯と味噌汁、お漬物が別に並んでいて、この後、天麩羅が運ばれてきました。母だと、この量でも十分すぎるようで、天麩羅もあったので、相当お腹もいっぱいになったようでした。

ちなみに、写真の後ろはガラスで、外は鴨川です。夏になると納涼床が設置されることになります。京都の人に聞くと、納涼床とは言っても暑い夏の屋外は夜になっても蒸し暑く、冷房の効いた店内で食事をする方がよいとのことです。納涼床で食事をしたがるのは観光客が中心なのですかね・

観光客と言えば、当日のいづもやも外国からの人たちが大勢食事に入っていました。それほど高いお店ではないですし、かしこまった作法が必要というわけでもないので、外国からの人でも入りやすいお店なのだと思います。あたしと母がいただいたようなザ・和食というメニューもあれば、うなぎやしゃぶしゃぶといった選択肢もあるので、そういうところも外国の方には人気なのかも知れません。

ゆうパックに文句を云いたいのです

荷物を送るときに、クロネコヤマト、佐川急便、西濃運輸などいくつか選択肢がありますが、皆さんはどれを使うことが多いでしょうか。本日は関西ツアーのときに利用した、ゆうパックについてちょっとクレームを書きたいと思います。

関西ツアーで泊まっていた梅田のホテルは、ゆうパックを推奨しているのか、部屋に置いてあった送り状はゆうパックのものでした。あたしは特に「この業者がいい」という希望もないので、部屋に置いてあった送り状に必要事項を記入しました。

そしてチェックアウトの朝、つまり2日の金曜日にホテルのフロントで荷物を預けました。配達の希望は翌日の午前に丸を付けておきました。洗濯物が入っているので、午前中に届けば、さっさと洗濯できるからです。

そして昨日の土曜日。朝から待てど暮らせど届きません。実は郵便局からの荷物は朝一番で一つ届いたのですが、それは通販で購入したものの配達でした。そして午前中が終わり、お昼を回りましたが届きません。大阪で出した荷物が届いたのは午後3時ごろでした。

届いた荷物の送り状が一枚目の画像です。右上の方をご覧ください。あたしは「午前」に丸を付けていたのに、それがバツで消されて「14時~16時」のところに丸が付けられています。いったい誰がこんなことをしたのでしょう。

そして届いた荷物には、さらにご丁寧に「14時~16時 ご依頼主のご希望により14時~16時にお届けします」というシールが貼られていました。「ご依頼主」ってあたしの筈ですが、どうしてこんなシールが貼られているのでしょう。

そりゃ、午前中に着いたら嬉しいですけど、大阪から東京という大都市間とはいえ、翌日の午前に配達するのが厳しいのであれば、荷物を預けたときに言ってくれれば、こちらもそれで納得したのです。もちろんホテルで預けたときには何も言われませんでした。

土曜日の午前中に送り状の番号で検索してみますと、なんと朝の7時には地元の郵便局に届いていました。これなら午前中に届くだろうと思い込んで待っていたのです。それなのにどうしてこういうことになったのでしょう。郵便局内でどういう事情があったのかわかりませんが、午前の配達が無理であれば、電話連絡の一本でももらえれば納得できたのです。

わざわざ送り状を改竄し、さらにシールまで貼って、いったいどういう体質の組織なのだろうと思ってしまいます。これからはゆうパックは使いたくないなあと思った次第です。