今日の配本(24/06/28)

左利きの歴史
ヨーロッパ世界における迫害と称賛

ピエール=ミシェル・ベルトラン 著/久保田剛史 訳

ヨーロッパの歴史において、左手は「邪悪な手」とされ、左利きは差別されてきた。ヨーロッパの諸言語には、右を「縁起の良いもの」、左を「不吉なもの」とした慣用表現が多く見られる。さらには、古代の呪術的信仰からキリスト教にいたるまで、右は「聖」もしくは「善」の象徴、左は「不浄」もしくは「悪」の象徴とされてきた。中世やルネサンスの名画でも、エバはしばしば禁じられた木の実を左手でもいでいる。  ただし、現代スポーツのサウスポーを待つまでもなく、たとえば戦闘において左利きの存在が有利に働く場面があることは古代から認識されていた。一方、平等の名のもとに不寛容が広まった時代もあり、偏見の裏返しとして左利きを天才と結びつける傾向も存在する。偏見から解消への道のりは紆余曲折あった。本書は、人文科学、社会科学、自然科学のさまざまな分野を横断しながら、左利きの人たちに対する寛容と不寛容の歴史を明らかにしていく。  中世からのテーブルマナーの変化や、美術史家は絵画からどうやって画家の利き手を見分けるのか、「右手の優越」を通して見る西洋近代の思考様式など、興味深い話が満載の文化史。

台湾鉄道

古庭維 著/CROTER イラスト/栗原景 監修/倉本知明 訳

台湾の鉄道博物館館長の著者と、台湾の大人気イラストレーターによる夢の共演が実現した話題作、待望の邦訳!

今日の配本(24/06/26)

倒壊する巨塔(上)
アルカイダと「9.11」への道

ローレンス・ライト 著/平賀秀明 訳

ビンラディン、ザワヒリなどアルカイダの軌跡を丹念に追いかけて、その等身大の姿を描く傑作ノンフィクション。ピュリツァー賞受賞。

倒壊する巨塔(下)
アルカイダと「9.11」への道

ローレンス・ライト 著/平賀秀明 訳

ビンラディン、ザワヒリなどアルカイダの軌跡を丹念に追いかけて、その等身大の姿を描く傑作ノンフィクション。ピュリツァー賞受賞。

赤軍記者グロースマン
独ソ戦取材ノート1941-45

アントニー・ビーヴァー、リューバ・ヴィノグラードヴァ 編/川上洸 訳

スターリングラート攻防戦から、クールスク会戦、トレブリーンカ絶滅収容所、ベルリン攻略戦まで、最前線を目撃した作家の〈戦争の非情な真実〉の記録。

忙しなく、落ち着かない……

先週の月曜日から水曜日まで関西ツアーでしたが、こんどは明日から金曜日まで中四国へ出ます。

なので、その準備で今日一日はとにかくバタバタしていた気がします。

今回のツアーは、まず広島に入って、そこから倉敷、岡山と東へ向かい、四国へ渡って丸亀、そして徳島という行程です。人文会の研修旅行ですが、四名で行くこぢんまりとしたものです。

広島、倉敷、岡山は数年前にも行っていますが、徳島は何年ぶりでしょう? 以前に訪れてから、たぶん10年近くたっていると思います。その時も人文会の研修旅行でした。

さて、今回はどんな経験が出来るのでしょうか?

今日の配本(24/06/24)

核兵器禁止条約
「人道イニシアティブ」という歩み

アレクサンダー・クメント 著/古山彰子、林昌宏 訳

世界を破壊しないための「人の道」──核兵器禁止条約(TPNW)の歴史を、内部文書や関係者の証言から詳述する。現代史の一級資料。

危うかったです!

昨日の梅屋敷ブックフェスタは、さすがに翻訳者本人が売り子をしているということで、ちょっと目を離した隙に卓上の本が売り切れていることがありました。

チベット文学、星泉さんのブースで、座談会でもタイトルが登場していた『路上の陽光』を買おうかなと思っていたのですが、気が付いたらなくなっていました。

それならと、装丁に目を惹かれた『チベット幻想奇譚』を買うか、と思い直したのですが、これもいつの間にか売れてしまっていました。

チベット文学、少し前には岩波文庫で『ダライ・ラマ六世恋愛詩集』が出ていましたので、じわじわと日本での紹介も増えているようです。都会化と漢化と、岐路に立っているチベット、このまま進んで行ったときにチベット語で創作する人がどのくらい残るのか、多少の不安は感じます。

さて、消去法というわけではありませんが、結局購入したのは『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』でした。

そして自宅に戻って書棚に並べたときに気付きました。なんと『路上の陽光』と『チベット幻想奇譚』、どちらも自宅の書架に並んでいたのです。会場で買っていたらダブってしまうところでした。やはり、性格上、気になった本は買っておく習性が身についてしまっているのでしょう。

フェス参戦!

昼過ぎから、梅屋敷ブックフェスタに行って来ました。

参加された翻訳者の方々、全員あたしの勤務先でお世話になっている方々です。これは行かないわけにはいかないでしょう、というわけで出かけてきました。

柴田さん、白水さん、阿部さんの座談会には間に合いませんでしたが、座談会パート2である、星さん、岸本さん、斎藤さんの方は楽しく聞かせていただきました。

こんな楽しい座談会を、入場料たった500円で聞けるなんてよいのでしょうか、という気持ちです。もちろんお三方のお話もツボを押さえつつ、ちょっと脱線しながらも、終始笑いの絶えないものでした。

そんなフェスで、まずは岸本佐知子さんの『死ぬまでに行きたい海』が未購入だったので、買い求めてサインをいただきました。自宅から持参した最新刊『わからない』にもサインをもらうのは忘れません(汗)。

続いての戦利品はチベット文学。

なにせ、世界の中でどこか一か所だけ行かせてあげると言われた、チベットと答える気満々なくらい興味があるので、先日落手した『花と夢』をカバンにしのばせつつ、会場でも『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』も買い増しし、星さんにサインをしていただきました。

なんとチベット文字で名前を書いていただきました。嬉しい限りです。

チベットには足を踏み入れたことはありませんが、北京に行ったときには必ず雍和宮というチベット仏教の寺院を訪れるくらい興味津々なのです。

雍和宮と言えば、数十年前に訪れたときに、門前の小さな食堂へ入ったことがあります。いまは北京の再開発でとっくになくなっているでしょう。地元の人以外は入らないような小さな店でした。

ところがそこの料理がどれも美味くて、もちろん爆安でした。真冬でしたが、その店でウェイトレスのお姉ちゃんに鍋を勧められて頼んだら、「牛肉、それとも犬肉?」と聞かれたのがいまでも鮮明に覚えている雍和宮の思い出です。

語学書コーナーに置かれるべき?

中公新書から『広東語の世界』という本が刊行されました。中公新書ですから、どこの本屋に行っても、シリーズが並んでいる棚があるでしょうし、当然そこに置かれていることと思います。

別に中国語を学んでいるわけでもないし、ましてや広東語を勉強しようなんて考えてもいない、でもブルース・リーの映画とか香港には前から興味を持っていたから……、という人であれば、この本を新書コーナーで見つけて思わず手に取るのでしょう。そういう出会いも本屋の醍醐味です。

でも、この本の場合、語学書コーナーに置いてみるのもアリだと思います。著者は、あたしの勤務先から『ニューエクスプレスプラス 広東語』を出している飯田真紀さん。広東語を勉強しようと思っている人が、語学書の棚でこの本を見つけたら迷わず手が伸びる可能性が大だと思います。だとしたら、語学書コーナーにも置かない手はないでしょう。

最近ではSB新書の『ゼロから12カ国語マスターした私の最強の外国語習得法』というベストセラーが、あえて語学書コーナーに置かれている書店も見かけます。検索機の設定などクリアすべき問題も本屋にはあるのでしょうが、こういう場合は融通無碍に、いろいろと置く場所を試してみていただけると出版社としても可能性が広がるので嬉しいです。さすがに『ニューエクスプレスプラス 広東語』を中公新書の棚に置くわけにはいかないでしょうから……

ツアーの想い出?

本日は週の後半ではなく、前半に行って来た関西ツアーを振り返っておきます。

そもそもこの季節なので、一番気になったのは天候です。雨に降られたら厄介ですから。

そう考えると、一番雨の心配がなさそうな初日の月曜日に京都を回りました。京都の書店は駅直結がほぼなく、バス移動も多く、中心部では歩くケースも多々ありますので、雨だけは勘弁して欲しい町です。

そして、関東では一日土砂降りになったという二日目の火曜日。関西も月曜の夜から雨という予報でした。そして火曜日は午前中は強い雨になるけれど、昼過ぎには雨も上がって晴れてくる、という予報でした。案の定、火曜の朝は雨でした。

火曜日はまずは神戸に向かいました。梅田では雨でしたが、宿泊ホテルは駅まで濡れずに行けるので没問題。10時過ぎに三宮に着いたころには雨は上がっていました。雲の隙間には青空もわずかに見えています。思ったよりも天気の回復が早くなったようです。

三宮で仕事をし、戻る足で西宮に立ち寄ったところ、ジュンク堂書店内の喫茶店がお店の入り口の目立つところに看板を出していました。お店の屋号は「春秋」というのですね。春秋社が経営しているのか、と思ってしまいました(汗)。

午後から大阪に戻りまして、もう雨の心配はありません。

紀伊國屋書店で『わからない』刊行記念冊子が配布されていたので、一部いただいてきました。紀伊國屋書店の有志の方が、岸本佐知子さんと『わからない』の編集担当へ直接連絡を取ってインタビューをし、それをまとめたものです。

なかなかの読み応えです。『わからない』を読んでからこの冊子を読むか、あるいはこの冊子を先に読んでから『わからない』を読むか。どちらにしても小冊子なのですが、かなりの力作です。