Nancy Sensual World

このたび、「染井吉野ナンシーの官能世界」は引っ越しました。新しい世界はこちらになります。今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。 自動では新しい世界に飛びませんので悪しからず……

新着ニュース

まもなく自著も刊行予定

今日も朝日新聞です。

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。

この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論』です。

フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。

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最近のRockfield's Diary

何分咲きなのかわかりませんが……

わが家の近所の桜の名所、ほんの100メートルくらいの通りの両側に桜が植わっていて、この三連休、一気に咲き始めました。

少し前に、このダイアリーでも数輪咲いたご報告をしましたが、この温かさで一斉に花開いた感じがします。もちろん株によって差があり、「これなら満開と言ってもよいのでは?」というのもあれば、「これはまだまだ咲き始めだな」というのもあります。

わが家の近所の桜、もう年老いているのか、この数年で伐採されたものもあります。強風の時に倒壊した株があり、市が桜の状態を調査して危ないものは倒壊する前に伐採してしまったようなのです。

ですから、株自体も少なくなっていますが、残っている株も枝の間の隙間が広くなったような気がするのですが……

いや、まだ5分咲き程度だから隙間だらけに見えるだけで、満開になればビッシリと薄いピンク色に染まるのでしょうか?

確かに、一枚目の写真ですと隙間だらけ、スカスカな桜並木ですが、二枚目の写真を見ると多少は桜のトンネルっぽく見えませんか? 単に見る角度の問題なのでしょうか?

そして、一番最初に咲き出した株の下から見上げると三枚目の写真のような光景です。青い空をバックにピンク色がきれいです。この株はほぼ満開と呼んでもよさそうな、今を盛りと咲き誇っています。

いや、咲き誇るどころか、今日の強風のため、既に一枚、二枚と散っている花びらもあります。

うーん、花の命は短くて……

やはり、桜は散り際が美しいものです。

ひとまずこれくらいあれば……

毎日の往復の電車の中だけでなく、営業回りの途次の電車の中も読書の時間です。

もちろん、時には睡魔に負けてしまうこともありますが、基本的には読書の時間です。荷物が重くなるのを避けたいので、文庫や新書をカバンにしのばせていることが多いですが、このところ食指の動く新書が多かったので、買いだめというわけではありませんが、ついついこんなに買ってしまいました。

これで果たして何日持つのでしょうか? 早い時ですと2日くらいで一冊読んでしまうので、それでも三週間くらいは新たに購入する必要はないのではないかと予想しています。

「売るために本を作っていない」

今朝の朝日新聞別刷beは藤原書店の社長(社長ではなく社主というのが正式なのかしら?)が登場。

藤原書店と言えば、記事にもありますように、重厚な本を出版しているというイメージです。いわゆる大手のヒット作のようなバカ売れはしないだろうけど、確実に売れている書籍という印象が強く、この記事もそんなイメージを裏切りません。

冒頭、1000円の本を10000部売るのも5000円の本を2000部売るのも売り上げは同じ、だったら流通コストなども勘案すると後者の方が利益が出るという意見は思わず首肯してしまいます。しかし、1000円の本が10000部売れたら、多くの場合そこで終わらずに、数万部単位で売り上げは伸びるものです。そういう壁というのがある気がします。

一方、5000円の本を2000部売るのは難しかったりします。ならば10000円で1000部はどうかと言いますと、やはりこれもおいそれとは行きません。よく値段が半分になったら倍の数を売ればよいと言われますが、値段が半分になったからといって、買ってくれる人が単純に2倍になるわけではありません。確かに多少の増加は見込めますが、2倍まで行くかと問われると、そこが実に難しいところです。

なおかつ、このところの長引く不景気で財布の紐も硬くなっていて、よい本だから買ってくれる人は、いることはいるのですが、確実に少なくなっている気がします。なおかつ各社が高額本を出しまくれば、読者だってすべてを買ってくれるわけではないので、少ないパイの奪い合いになってしまいます。

結局、読者に他社の本ではなく自社の本を選んでもらえるような本を出していくしかないわけで、詰まるところ昔から言われているように、よい編集者がよい本を作るという王道で戦うしかないのでしょう。でも「よい編集者」とか「よい本」という客観的な判断基準のないものって一番難しいのではないでしょうか?