Nancy Sensual World
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まもなく自著も刊行予定
元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。
この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論』です。
フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。
最近のRockfield's Diary
頑張れ! 人差し指と中指
キーボード回りが手狭ということもあり、これまで「MA-TB44R」というサンワサプライ製のトラックボールマウスを使っていました。しかし、これがこのところどうも動きがおかしいのです。トラックボールがスムーズに動いてくれません。なんかカクカクした動きで、これでは作業がスムーズにはかどりません。
というわけで、このトラックボールマウスはメインPCの隣に控えるサブマシン、キーボードPC用のマウスとして使うことにし、メインPCには以前使っていたUSB接続の有線マウスを再利用していました。トラックボールは付いていないので、これはこれでスムーズに動きますのでストレスはありません。
しかし、どうも手のサイズに合っていないなあと感じる昨今。それに、やはりキーボード回りが狭いので、ここは一つ、もう一回トラックボールを使ってみるかと思い、いろいろ探して見つけたのがこちら、エレコムの「M-HT1DR」です。
ちょうど在宅ワークが始まった時期でもあり、効率よい作業環境の構築は必須です。というわけで、たぶん市販のトラックボールマウスでは最大サイズに近い本製品を選んだ次第。
この製品を選ぶに当たってもちろん不安はありました。
まずは、上掲製品でもそうであったトラックボールの動きです。こればっかりはPCとの相性やドライバのバージョンなど、周辺機器はどのPCと使うかによってかなり違ってきます。最終的には一か八か、とにかく繋いでみないとわかりません。
次に、本製品がワイヤレスだということです。やはりトラックボールの動きが気になっていた身としては、ワイヤレスよりは有線の方が動きは確かだろうと思っていました。たぶん、それは正しいのだと思いますが、有線ではあまりこれというのが見つからず、これも一か八かワイヤレスにチャレンジしてみたわけです。
そして、実はこれが最も不安だったかも知れない点なのですが、トラックボールの使い方です。上述のように既にトラックボールは使い慣れていたので、トラックボール自体に対する抵抗はありません。問題はその使い方です。
両製品の画像を見ておわかりいただけるでしょうか。以前使っていた「MA-TB44R」はトラックボールを親指で回します。左クリックは人差し指、右クリックは中指を使うという操作になります。ちなみに上下のスクロールダイヤルも人差し指で操作します。
それに対して新しく選んだ「M-HT1DR」トラックボールを人差し指で回すのです。左クリックと上下スクロールダイヤルは親指、右クリックは中指となります。これに果たして慣れることができるかどうか、そこが不安でした。
結論から書きますと、思いのほかあたしの順応性は高かったです。スムーズに使えています。快適です。ただ、親指で左クリックをしたまま人差し指でトラックボールを操作してのドラッグはまだしも、右クリックをしながらのドラッグはなかなか苦労しています。人差し指と中指がどうにかなりそうです(笑)。
なおかつ、以前の親指操作トラックボールマウスもサブPCで使っているわけですから、右手の使い方の切り替えにちょっと戸惑っています。それでも、使い始めてそろそろ一か月、かなり馴染んできました。
Don’t think, feel!
いま読んでいる『上海フリータクシー』の中にこんな文章があります。
歴史を消すことができるなんて、信じられない
著者の友人の一人で、上海の高校で教師をしている女性のセリフです。彼女は生徒たちに自分の頭で考えることを教えようとするのですが、年ごとに生徒たちは保守的になっていると感じます。そして
時が経つにつれ、一九八九年の出来事、中国の首都に戦車が進攻し、兵士たちが何百、おそらくは何千という市民を殺した出来事を生徒たちがほとんど知らずにいることに、彼女はまた衝撃を受けた
のです(同書110頁)。そして上に引いたセリフをつぶやくのです。日本に対し常日頃歴史を直視しろと主張する中国共産党が歴史を平気で塗り替えている現実。そこに気づいた一部の知識人は、いまの中国でどれくらい居心地の悪さを感じていることでしょう。
少し前に『習近平vs.中国人』を読んでいたのですが、そこでも中国共産党による締め付けとそれに対する中国人の諦めが描かれていました。
さて、このダイアリーのタイトルはブルース・リーの有名なセリフだということはご存じだと思います。「考えるな、感じろ」というわけですが、このセリフ、ブルース・リーがつぶやいてから数十年を経て、現在の中国に生きる知識人への教訓、警告のように聞こえます。
つまり、人権とか民主主義とかそんなことは考えない方がよい、そんなことを考えている暇があるなら、いま共産党が何を考えている、どうしようと思っているのかについて肌感覚で感じるようになれ、というわけです。たぶん、ブルース・リーの映画のセリフだと告げずに、現在の中国でこの言葉を知識人たちに伝えれば、そんな風な意味に取るのではないでしょうか?
なんとも皮肉なものではないですか? ブルース・リーが生きていたらどう思ったことでしょう?
写真が見つからないということは、そもそも写真など撮っていなかったのではなかろうか?
昨日、TBS系で再放送されていたドラマ「JIN」が終わりました。
ドラマは、放送当時リアルタイムで見ていたはずなのですが、記憶にないところ、記憶と異なるところもあり、自分の記憶の曖昧さに情けなくなりました。
それはともかく、今回のハイライトは坂本龍馬暗殺です。
その坂本龍馬暗殺ですが、京都の営業担当をしているので、丸善京都本店へ行くときには、毎回のように近江屋跡を通ることになります。河原町通を隔てて丸善が入っているBALというビルのほぼ向かいに坂本龍馬暗殺の地を示す看板があります。河原町通の歩道にひっそりと立っているので、気づく人は気づきますが、多くの人は気づかずに通りすぎています。時々、龍馬ファンとおぼしき人が写真を撮ったりしているのを見かけることもあります。
いまだ謎の多い事件ですが、ドラマでは幕府側が龍馬を殺そうとしたものの、その場に居合わせた東修介が実際には龍馬を殺したことにしていましたね。諸説あって結論が出ていない事件なので、このあたりの確からしさを云々するのはやめておきましょう。
その近江屋跡、あたしも初めて見つけたときは、へえ、こんな場所にあったんだと思ったものです。もちろん看板が立っているだけで建物は跡形もなく、龍馬記念館的なものだってもちろんありません。
さて、何年か前に京都を訪れたとき、地元の方に京都霊山護国神社へ連れて行ってもらったことがありました。あたしは歴史好きではありますが、幕末にそれほどの思い入れがあるわけではなく、坂本龍馬についても名前や簡単な事績は知っていても特別好きだというわけでもありませんでした。だから、近江屋跡を見ても「ああ、ここか」くらいの感想しか持っておらず、龍馬が暗殺後どうなったのかなど知りもしませんでした。
なので、護国神社に連れて行ってもらうまで知らなかったのですが、ここに坂本龍馬の墓があるのですね。中岡慎太郎の墓も並んで立っていました。ここでもやはり「へえ、こんなところに墓があるのか」という印象、感想くらいしかなく、心の中では「でも、どうして土佐ではなくて京都に墓があるのだろう」などと考えていました。個人的にはむしろ梅田雲浜の名前に激しく反応していました(汗)。
龍馬に対する興味はその程度でも、せっかく行ったのだから写真くらい撮っていたのではないかと思ったのですが、パソコンの中を探しても見つかりません。この頃はまだスマホなどなかった時代だったような気もします。誰もが気軽にこっちでパシャリ、あっちでパシャリという時代ではなかったのでしょう。そうなると、あたしはただ見てるだけ、眺めるだけで護国神社を後にしたのでしょう。ちなみに、近江屋跡の看板、その後もその前も何度も通っていますが、一度も写真を撮ったことはありません。