「降伏」か「解放」か

ドイツの終戦、「降伏」か「解放」か

朝日新聞の見出しです。ドイツが第二次世界大戦に降伏した日ということになっているそうですね。というわけで、ナチス・ドイツ、第三帝国が崩壊に至る過程にかかわる本をいくつかご紹介します。

まずは『ベルリン陥落 1945』です。700頁弱の大著です。著者はアントニー・ビーヴァー、もうこのジャンルではお馴染みの大家です。

本書はタイトルどおり、ベルリン攻防戦を描いた歴史ノンフィクションです。

続きましては、ベルリンが陥落し、もう後がないと悟ったヒトラーの死に至る『ヒトラーの最期』です。

独ソ戦にドイツ語通訳として従軍した女性の体験記です。通訳として現場に立ち会っただけでなく、当時の街の様子や人々について克明な記録を残してくれています。著者が女性であるということも驚きであると共に、男性とは異なる視点で戦争の修羅場を見つめています。

その他、第二次世界大戦全局を扱った三巻本の通史から、鋼板を扱う『第二次世界大戦1939-45(下)』、浩瀚なヒトラーの評伝決定版から『ヒトラー(下) 1936-1945 天罰』も併せて読まれると理解が更に進むことと思います。

知識人の困惑?

まもなく刊行予定の『上海フリータクシー』が抜群に面白いです。

いや、面白いという表現は正確ではないかも知れません。

本書は、帯などを読んでいただければわかっていただけると思いますが、西側のジャーナリストが中国に赴任し、そこで庶民の中に分け入ってさまざまな話を聞く、そんなレポートです。似たような本は本書以外にもそれこそごまんとあります。日本人ものも、欧米人のもの、たくさん出ています。

それぞれの筆者が体験する中国の現実、話を聞かせてくれる中国の人々は十人十色で、興味深いものやちょっと突っ込みが足りないなあと感じるもの、それなりにあります。本書は上海に出稼ぎに来ている人、かなり底辺で呻吟している庶民も登場しますが、比較的恵まれた地位にいる人、中国の現状に疑問を感じている知識人が比較的多く登場する印象があります。

そして、彼ら知識人の意識の変化が垣間見える最後の三章が白眉と言えます。知識の何人かは中国に見切りをつけ欧米に脱出するのですがタイミングが悪かったとしか言いようがありません。アメリカではトランプ大統領の登場、ヨーロッパはイギリスのEI離脱や右翼政党の伸長など、知識人たちが信じてきた民主主義、自由主義が危機にさらされている時代でした。自分たちが憧れ理想と思っていた欧米のこのザマは何だ、これならむしろ中国の方がよいのでは、という懐疑。

それぞれの思いに、それなりに結論を出した人、まだまだ思案のただ中の人、著者はそれぞれのいまを描いています。彼らの苦悩、困惑はまだまだこれからも続くのでしょうが、中国を離れてしまった著者の筆はここで終わっています。さらに続きが読みたい、と思ったのはあたしだけではないと思います。

2020年5月9日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

読書欄に大きく載っています

今朝の朝日新聞読書欄です。

トップに掲載の一番大きな書評は『トマス・ジェファソン(上)』『トマス・ジェファソン(下)』でした。評者は宇野重規さん。

今年は秋にアメリカ大統領選挙を控えていますので、今後もアメリカ大統領に関する書籍は増えてくると思いますし、紙面の記事、テレビの特集でも取り上げられるでしょう。現実の情勢分析が一番の関心事かと思いますが、アメリカ大統領とは何なのか、改めて考えてみるのにこういう評伝はもってこいではないでしょうか?

ケネディやワシントン、リンカン、ルーズベルトあたりですといろいろ関連書も出ていると思いますので、これまで評伝など出ていなかった大統領、日本人になじみの薄い大統領の書籍などは要注目だと思います。

でも、ジェファソンは決して無名の大統領というわけではありませんね。名前くらい聞いたことはある人は多いのではないでしょうか。もちろん何代目の大統領なのか自信を持って言える人は少ないかも知れませんが……

自分の再選に向け、とにかく敵を作りたくて死に物狂いの現大統領と引き比べて読んでみるのも如何でしょうか?

さて、本日の読書欄で注目なのはもう一点、こちら、『保健室のアン・ウニョン先生』です。

いま大人気の韓国小説の一つです。あたしもいま読んでいます。とても面白いです。

霊が見えるというアン・ウニョン先生が学園の魔を退治すると聞けば、ちょっとホラーテイスト(?)の作品なのかという気もしますが、怖さはまるでなく、むしろほのぼのとした空気さえ漂っています。評にもあるように、学校に巣喰う魔とは韓国社会の闇、生徒たちの閉塞感などの比喩なのでしょう。

しかし、アン・ウニョン先生、飄々としつつも必死で、だからこそ滑稽です。そして何よりも面白いと感じるのは霊を退治する道具立てです。日本であれば、作品によるのでしょうけど、もう少しおどろおどろしい感じを演出するのではないかなあと思いつつ、このあたりの軽さが本作品の魅力でもある気がします。

帯にはTVドラマ化とあります。ぜひ日本でも放送してほしいものです。

二度手間を何とかしたいのですが……

一週間ぶりの出社でした。

このところかかってくる電話のほとんどは教科書の注文です。

先月末にもこの話題について書きましたが、そのころは学生さんが直接購入したいという電話、問い合わせが多かったのですが、ここへ来て書店からの注文が増えてきました。

大学の授業で使う教科書、あたしの勤務先の場合は中国語や韓国語、フランス語といった語学(第二外国語)の教科書がほとんどなのですが、これには本文の日本語訳とか練習問題の解答などは付属していません。あくまで先生に指導してもらうということを前提に作っているからです。

学生の方からの直接の電話であれば、その点はわかっているのですが、間に書店を介しますと、果たしてそこのところが伝わっているのか不安になります。「大学へ行けないので学内の書店で買えないから」という学生の注文であれば問題ありませんが、語学に興味を持っている一般の方が何かの機会にこういった書籍を知り、自分でもやってみよう(独習しよう)と買ってみたものの本文の日本語訳はない、練習問題はあるのに解答がない、ということで後から問い合わせがあったりするのです。

そういう事故(?)を防ぐために、あたしの勤務先では教科書の注文が書店から入ったときには必ず上記の点を確認するようにしています。そうすると、書店の方はもう一度注文主に確認することになります。お客さんがその場にいるのであればすぐに確認できませんが、そうでない場合は一度電話を切り、お客さんに連絡を取って確認し、再度あたしの勤務先へ電話を掛けてくることになります。

この手間、お互いに何とかしたいところです。ウェブサイトに

また、教科書の場合は練習問題の解答をご用意しておりませんので、その旨ご了承いただいていることを書店様へお伝えいただけると、ご注文がスムーズです。

という但し書きを載せていますが、ここまで確認して本屋へ行っている方がどのくらいいるのか、なんとも心許ないところです。なんとかしたいのですがねえ、うまい方法はないものでしょうか?

3日ではなく72時間

外出自粛、政府からも「買い物は通販も利用しましょう」と言われるこの頃。あたしの母のように通販はおろか、パソコンですらまるでできない人間もまだまだ多いご時世に、何とも罪なことをおっしゃるものです。

それはさておき、あたしはネット通販、使ってます。よく使うのはヨドバシ・ドット・コムと楽天市場です。アマゾンはほぼ全くと言ってよいくらい使いません。

楽天市場は、お店によってサービスの度合いや配達までの日数などいろいろ違いがありますので、一概に評価はできませんが、ヨドバシは送料無料で配達も早く、ポイント還元率を考えるとアマゾンなんかよりはるかにお得だと思うので、昔からよく使っています。

そのヨドバシ、このところ配達が遅いです。在庫がなくてメーカーから取り寄せているのであれば理解できますが、ヨドバシのウェブサイトで「在庫あり」になっているものも特別に急ぎの配達を指定しなければ、配達まで一週間近く待たされます。あたしはそこまで急いで配達してもらわないと困るわけではないので構いませんが、中にはイライラしている人もいるのでしょうね。

で、この件についてヨドバシはどういうコメントを出しているのか、コロナウイルスの問題でネットがいつも以上に忙しくなっているのは理解できますが、果たしてどんな状況なんだろうと思い、サイトを見てみました。すると「各種サービス遅延とお届け納期表示不正のお詫び」というページに以下のような文章が載っていました。

ご注文数の増加により、一部商品で弊社物流センターからの出荷に在庫確保後、約72時間程度の遅延が生じております。また、お届け納期の表示が「16時間以内に発送可能」となっている商品も同様に遅延が生じております。お詫び申し上げます。順次、出荷を進めております。

そうか、やはり相当な遅れが出ているのね、いつもなら在庫があれば翌日には届くのに、と思いつつ読みました。

しかし、ここにある「72時間」という表記が気になりました。つまりは3日ですよね。なんで3日って書かないのだろう、と思ったのですが、たぶんヨドバシの通販倉庫は24時間稼働なのでしょうね。だから、何日という数え方ではなく、何時間という数え方を日常的にしているのではないかと予想した次第。

しかし、そのくらい稼働していても追いつかないほどの物量なのでしょうか? 感染防止のため倉庫の人員も少し減らしているのでしょうか?

頑張れ! 人差し指と中指

自宅のパソコンの話です。

キーボード回りが手狭ということもあり、これまで「MA-TB44R」というサンワサプライ製のトラックボールマウスを使っていました。しかし、これがこのところどうも動きがおかしいのです。トラックボールがスムーズに動いてくれません。なんかカクカクした動きで、これでは作業がスムーズにはかどりません。

というわけで、このトラックボールマウスはメインPCの隣に控えるサブマシン、キーボードPC用のマウスとして使うことにし、メインPCには以前使っていたUSB接続の有線マウスを再利用していました。トラックボールは付いていないので、これはこれでスムーズに動きますのでストレスはありません。

しかし、どうも手のサイズに合っていないなあと感じる昨今。それに、やはりキーボード回りが狭いので、ここは一つ、もう一回トラックボールを使ってみるかと思い、いろいろ探して見つけたのがこちら、エレコムの「M-HT1DR」です。

ちょうど在宅ワークが始まった時期でもあり、効率よい作業環境の構築は必須です。というわけで、たぶん市販のトラックボールマウスでは最大サイズに近い本製品を選んだ次第。

この製品を選ぶに当たってもちろん不安はありました。

まずは、上掲製品でもそうであったトラックボールの動きです。こればっかりはPCとの相性やドライバのバージョンなど、周辺機器はどのPCと使うかによってかなり違ってきます。最終的には一か八か、とにかく繋いでみないとわかりません。

次に、本製品がワイヤレスだということです。やはりトラックボールの動きが気になっていた身としては、ワイヤレスよりは有線の方が動きは確かだろうと思っていました。たぶん、それは正しいのだと思いますが、有線ではあまりこれというのが見つからず、これも一か八かワイヤレスにチャレンジしてみたわけです。

そして、実はこれが最も不安だったかも知れない点なのですが、トラックボールの使い方です。上述のように既にトラックボールは使い慣れていたので、トラックボール自体に対する抵抗はありません。問題はその使い方です。

両製品の画像を見ておわかりいただけるでしょうか。以前使っていた「MA-TB44R」はトラックボールを親指で回します。左クリックは人差し指、右クリックは中指を使うという操作になります。ちなみに上下のスクロールダイヤルも人差し指で操作します。

それに対して新しく選んだ「M-HT1DR」トラックボールを人差し指で回すのです。左クリックと上下スクロールダイヤルは親指、右クリックは中指となります。これに果たして慣れることができるかどうか、そこが不安でした。

結論から書きますと、思いのほかあたしの順応性は高かったです。スムーズに使えています。快適です。ただ、親指で左クリックをしたまま人差し指でトラックボールを操作してのドラッグはまだしも、右クリックをしながらのドラッグはなかなか苦労しています。人差し指と中指がどうにかなりそうです(笑)。

なおかつ、以前の親指操作トラックボールマウスもサブPCで使っているわけですから、右手の使い方の切り替えにちょっと戸惑っています。それでも、使い始めてそろそろ一か月、かなり馴染んできました。

Don’t think, feel!

いま読んでいる『上海フリータクシー』の中にこんな文章があります。

歴史を消すことができるなんて、信じられない

著者の友人の一人で、上海の高校で教師をしている女性のセリフです。彼女は生徒たちに自分の頭で考えることを教えようとするのですが、年ごとに生徒たちは保守的になっていると感じます。そして

時が経つにつれ、一九八九年の出来事、中国の首都に戦車が進攻し、兵士たちが何百、おそらくは何千という市民を殺した出来事を生徒たちがほとんど知らずにいることに、彼女はまた衝撃を受けた

のです(同書110頁)。そして上に引いたセリフをつぶやくのです。日本に対し常日頃歴史を直視しろと主張する中国共産党が歴史を平気で塗り替えている現実。そこに気づいた一部の知識人は、いまの中国でどれくらい居心地の悪さを感じていることでしょう。

少し前に『習近平vs.中国人』を読んでいたのですが、そこでも中国共産党による締め付けとそれに対する中国人の諦めが描かれていました。

さて、このダイアリーのタイトルはブルース・リーの有名なセリフだということはご存じだと思います。「考えるな、感じろ」というわけですが、このセリフ、ブルース・リーがつぶやいてから数十年を経て、現在の中国に生きる知識人への教訓、警告のように聞こえます。

つまり、人権とか民主主義とかそんなことは考えない方がよい、そんなことを考えている暇があるなら、いま共産党が何を考えている、どうしようと思っているのかについて肌感覚で感じるようになれ、というわけです。たぶん、ブルース・リーの映画のセリフだと告げずに、現在の中国でこの言葉を知識人たちに伝えれば、そんな風な意味に取るのではないでしょうか?

なんとも皮肉なものではないですか? ブルース・リーが生きていたらどう思ったことでしょう?

2020年5月5日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

写真が見つからないということは、そもそも写真など撮っていなかったのではなかろうか?

昨日、TBS系で再放送されていたドラマ「JIN」が終わりました。

ドラマは、放送当時リアルタイムで見ていたはずなのですが、記憶にないところ、記憶と異なるところもあり、自分の記憶の曖昧さに情けなくなりました。

それはともかく、今回のハイライトは坂本龍馬暗殺です。

その坂本龍馬暗殺ですが、京都の営業担当をしているので、丸善京都本店へ行くときには、毎回のように近江屋跡を通ることになります。河原町通を隔てて丸善が入っているBALというビルのほぼ向かいに坂本龍馬暗殺の地を示す看板があります。河原町通の歩道にひっそりと立っているので、気づく人は気づきますが、多くの人は気づかずに通りすぎています。時々、龍馬ファンとおぼしき人が写真を撮ったりしているのを見かけることもあります。

いまだ謎の多い事件ですが、ドラマでは幕府側が龍馬を殺そうとしたものの、その場に居合わせた東修介が実際には龍馬を殺したことにしていましたね。諸説あって結論が出ていない事件なので、このあたりの確からしさを云々するのはやめておきましょう。

その近江屋跡、あたしも初めて見つけたときは、へえ、こんな場所にあったんだと思ったものです。もちろん看板が立っているだけで建物は跡形もなく、龍馬記念館的なものだってもちろんありません。

さて、何年か前に京都を訪れたとき、地元の方に京都霊山護国神社へ連れて行ってもらったことがありました。あたしは歴史好きではありますが、幕末にそれほどの思い入れがあるわけではなく、坂本龍馬についても名前や簡単な事績は知っていても特別好きだというわけでもありませんでした。だから、近江屋跡を見ても「ああ、ここか」くらいの感想しか持っておらず、龍馬が暗殺後どうなったのかなど知りもしませんでした。

なので、護国神社に連れて行ってもらうまで知らなかったのですが、ここに坂本龍馬の墓があるのですね。中岡慎太郎の墓も並んで立っていました。ここでもやはり「へえ、こんなところに墓があるのか」という印象、感想くらいしかなく、心の中では「でも、どうして土佐ではなくて京都に墓があるのだろう」などと考えていました。個人的にはむしろ梅田雲浜の名前に激しく反応していました(汗)。

龍馬に対する興味はその程度でも、せっかく行ったのだから写真くらい撮っていたのではないかと思ったのですが、パソコンの中を探しても見つかりません。この頃はまだスマホなどなかった時代だったような気もします。誰もが気軽にこっちでパシャリ、あっちでパシャリという時代ではなかったのでしょう。そうなると、あたしはただ見てるだけ、眺めるだけで護国神社を後にしたのでしょう。ちなみに、近江屋跡の看板、その後もその前も何度も通っていますが、一度も写真を撮ったことはありません。

今日はみどりの日? ではなくて……

本日は5月4日。五・四運動の日です。

「五・四運動って何?」という人も多いかと思いますが、中国近代史の大きな事件であり、動きです。1919年に中国で起きた出来事です。きっかけは、さまざまありますが、その大きなものとして日本の対華二十一ヶ条要求があります。これくらいは日本史で教わった記憶があるのではないでしょうか?

日本にとっては負の歴史、今どきの言葉で言えば「黒歴史」かも知れませんが、知っておかなければならないことだと思います。

このとき、売国奴として学生たちに襲われた高官の一人を匿ったのが兆民の息子、中江丑吉です。中江丑吉は、あたしも学生時代に『中国古代政治思想』を読みましたが、とてつもない天才です。今際の際に「父には及ばなかった」との言葉を遺したと言われていますが、決してそんなことはない逸材だったと思います。

2020年5月4日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー