3月 2020のアーカイブ
こんな併売はダメかしら? と思うのですが……
新潮社の《クレスト・ブックス》の新刊『秋』が気になります。ウェブサイトには
EU離脱に揺れるイギリスのとある施設で眠る謎の老人と、彼を見舞う若い美術史家の女。かつて隣人同士だった二人の人生は、六〇年代に早世した女性アーティストを介して再び交錯し――不協和音が響く現代に、生きることの意味を改めて問いかける。『両方になる』で読者を驚かせた著者による、奇想とユーモアに満ちた話題作。
とあります。
眠り続ける男とその傍らにいる女、そんなシチュエーションで思い出す作品があります。一緒に並べたらよいのではないかと思いました。
その作品とは《エクス・リブリス》の『悲しみを聴く石』です。
せまくて何もない部屋に、戦場から植物状態となって戻った男が横たわる。その傍らで、コーランの祈りを唱えながら看病を続ける妻。やがて女は、快復の兆しを見せない夫に向かって、自分の悲しみ、疼き、悦びについて、そして誰にも告げたことのない罪深い秘密について語り始める。夫は、ただ黙ってそれを聞き、時に、何も見ていないその目が、妻の裏切りを目撃することになる。
如何でしょう? 似ていると言えば似ている両作品ではないでしょうか? 『秋』はまだ読んでいないので、これから読もうと思っていますが、梗概だけを読むと似た作品だと感じるのあたしだけでしょうか?
来月オープン
今年はこんな感じになりました
2020年版の『辞典・語学参考書カタログ』が出来上がりました。今年度の表紙はこんな感じになりました。如何でしょうか?
いろいろな国の言葉が書かれています。これくらいはわかって当然、一般常識でしょうか? うーん、何とも言えません。たぶん世間からは、あたしの勤務先の社員は数か国語に堪能だと思われているみたいなので……(汗)
さて、語学は新年度から、ということもあって、語学書のカタログは毎年この時季に出来上がります。次に出来上がるのは5月下旬頃の新書カタログになります。こちらは文庫クセジュとUブックスのカタログです。
最後は夏前に一般書籍のカタログの完成となります。一年の班分が過ぎようとしている時期に出来上がって「2020年版」を名乗ってもよいのでしょうか? という思いは個人的にはしばらく前から思っています。
さて、話は戻って語学書のカタログの表4はご覧のようになっています。これはアラビア語ですよね? どんな意味なのでしょう?
たぶん、書体が異なるだけで表1にも同じ言葉があしらわれていたと思うのですが、実は異なる言葉・セリフなのでしょうか?
今日の配本(20/03/24)
着々と中国史
こちらの方面にはとんと疎いもので、この花の名前をまだ知らない、なんてどこかの作品のようなセリフを吐いてしまいますが、何でしたっけ?
薄いオレンジと白と、二種類ありますよね? 同じ花の色違いですよね? そういうことすらよくわかっていないあたしです(汗)。
さて、岩波新書の『草原の制覇』が発売になりました。
「シリーズ中国の歴史」の第三巻です。ご覧のように、発売されると購入しています。実はまだ読んでいないのですが……
とりあえず、岩波新書のこのシリーズ、遅れることなく順調に刊行されていて嬉しい限りです。このまま刊行がスムーズに行けば、夏までには完結ですね!
愉快なロンドン、楽しいロンドン?
新型コロナウイルス騒ぎで、あちらこちらで自粛ムードになっています。大規模なイベントは延期や中止が相継いでいますし、公演なども同様です。そんな中、映画館はやっているのでしょうか?
何が気になるのかと言いますと、ジャック・ロンドン原作、ハリソン・フォード主演の「野性の呼び声」です。今のところ、この映画を見に行く予定はありませんが、ジャック・ロンドンの作品ですので気になります。
ジャック・ロンドンと言えば、『マーティン・イーデン』をあたしの勤務先から刊行していまして、読んだら非常によかったという記憶があります。名作と言ってよい作品だと思いました。
というわけで、映画原作の『野性の呼び声』だけでなく、この機会に気軽に手に入る文庫本のジャック・ロンドン作品、『白い牙』と『どん底の人びと』も購入してしまいました。
読みたい本がたまっている身の上ですが、できるだけ時間を作って全部読みたいと考えています。今年の夏から秋ごろには「マーティン・イーデン」の映画も日本で公開になるそうなので、それまでには読み終えたいと思います。
何分咲きなのかわかりませんが……
わが家の近所の桜の名所、ほんの100メートルくらいの通りの両側に桜が植わっていて、この三連休、一気に咲き始めました。
少し前に、このダイアリーでも数輪咲いたご報告をしましたが、この温かさで一斉に花開いた感じがします。もちろん株によって差があり、「これなら満開と言ってもよいのでは?」というのもあれば、「これはまだまだ咲き始めだな」というのもあります。
わが家の近所の桜、もう年老いているのか、この数年で伐採されたものもあります。強風の時に倒壊した株があり、市が桜の状態を調査して危ないものは倒壊する前に伐採してしまったようなのです。
ですから、株自体も少なくなっていますが、残っている株も枝の間の隙間が広くなったような気がするのですが……
いや、まだ5分咲き程度だから隙間だらけに見えるだけで、満開になればビッシリと薄いピンク色に染まるのでしょうか?
確かに、一枚目の写真ですと隙間だらけ、スカスカな桜並木ですが、二枚目の写真を見ると多少は桜のトンネルっぽく見えませんか? 単に見る角度の問題なのでしょうか?
そして、一番最初に咲き出した株の下から見上げると三枚目の写真のような光景です。青い空をバックにピンク色がきれいです。この株はほぼ満開と呼んでもよさそうな、今を盛りと咲き誇っています。
いや、咲き誇るどころか、今日の強風のため、既に一枚、二枚と散っている花びらもあります。
うーん、花の命は短くて……
やはり、桜は散り際が美しいものです。
ひとまずこれくらいあれば……
「売るために本を作っていない」
今朝の朝日新聞別刷beは藤原書店の社長(社長ではなく社主というのが正式なのかしら?)が登場。
藤原書店と言えば、記事にもありますように、重厚な本を出版しているというイメージです。いわゆる大手のヒット作のようなバカ売れはしないだろうけど、確実に売れている書籍という印象が強く、この記事もそんなイメージを裏切りません。
冒頭、1000円の本を10000部売るのも5000円の本を2000部売るのも売り上げは同じ、だったら流通コストなども勘案すると後者の方が利益が出るという意見は思わず首肯してしまいます。しかし、1000円の本が10000部売れたら、多くの場合そこで終わらずに、数万部単位で売り上げは伸びるものです。そういう壁というのがある気がします。
一方、5000円の本を2000部売るのは難しかったりします。ならば10000円で1000部はどうかと言いますと、やはりこれもおいそれとは行きません。よく値段が半分になったら倍の数を売ればよいと言われますが、値段が半分になったからといって、買ってくれる人が単純に2倍になるわけではありません。確かに多少の増加は見込めますが、2倍まで行くかと問われると、そこが実に難しいところです。
なおかつ、このところの長引く不景気で財布の紐も硬くなっていて、よい本だから買ってくれる人は、いることはいるのですが、確実に少なくなっている気がします。なおかつ各社が高額本を出しまくれば、読者だってすべてを買ってくれるわけではないので、少ないパイの奪い合いになってしまいます。
結局、読者に他社の本ではなく自社の本を選んでもらえるような本を出していくしかないわけで、詰まるところ昔から言われているように、よい編集者がよい本を作るという王道で戦うしかないのでしょう。でも「よい編集者」とか「よい本」という客観的な判断基準のないものって一番難しいのではないでしょうか?