ゾーンを描けばよいというものではない!

この数年、都心部の道路ではよく見かけるようになった、自転車用の走行ゾーン。基本的に自転車はそこを走りなさい、というしるしですよね?

都心部では、さらに自転車走行ゾーンを青色(水色)で塗っているところもありまして、自転車走行ゾーンを確保するために既存の車線表示を一度消して、改めて引き直したところもありました。

東日本大震災以降、自転車通勤・通学が増えたというニュースは聞きましたが、だからといって、この数年で特別に自転車が増えているという気はしません。都心から順番にゾーンを描いていって、ようやくあたしの住む郊外にもそれが及び始めたということなのでしょうか?

で、写真は、なんと昨日描かれたばかり、出来たてホヤホヤの自転車走行ゾーンのしるしです。

でも、いかがですか?

これまでの道路に機械的に描きました、というだけのものです。見ていただければわかるように、数車線もあるような広い道路ではありませんし、路肩が広々あるような道路でもありません。たぶん、この道は国道はおろか都道でもなく、たぶん市道だと思われますが、こんな狭い道に描いて自転車をこちらへ誘導するのは、自動車を運転している立場からすると危険極まりないです。

もちろん写真からもおわかりのように、歩道だって決して広くはなく、子供やお年寄りがのんびりと歩いている狭い歩道を自転車が疾走していくのは、それはそれでとても危険な行為です。歩行者からすれば、自転車は車道を走れ、と言いたくもなります。

結局、日本の道路に関する行政って、トヨタとか日産とか、車を作っている大企業の方しか見ていないのですよね。歩いている人とか、実際の道路事情がどうなっているかなんて気にしていないのではないかと思います。それでなくとも狭い車線に、こんなゾーンが作られたら自転車がわが物顔で走ることになるでしょう。それを避けようとして自動車が中央線を踏み越えて走ることになり、対向車は危険な思いをする。

なんという悪循環!

考えた結果はどうなる?

今朝の朝日新聞に載っていた記事です。

出版業界で働いていない方が読んだら、自分の店で売る商品を自分で選んでいない書店という存在に驚かれるかも知れませんね。

毎日市場に仕入に行かないとならない生鮮食品と、ものによっては数十年も生き続ける書籍の違いがあるとはいえ、ほとんどの書店は自分で商品を選んでいないのですよね。流通場の問題など実際にやってみたら大変なことになると承知で、もしすべて書店が売りたい本、扱いたい本を自分で仕入に行くとなったら(←実際のところ、東京の本屋さんですと取次や出版社に直接買い付けに来ているところもあります)どうなってしまうでしょう?

人気のコミックやベストセラー作家の新刊などは早い者勝ちになるのでしょうか? そもそもすべての出版物を(書店が選べるように)並べておくスペースがどこにあるのでしょうか? となるとそこに並ばない(並べてもらえない?)少部数の地味な本は、存在すら知られることもなく、いつの間に作られていつの間にか消えていくだけなのでしょうか? 今の時代ならネットを活用すれば、うまいこと宣伝もできるものなのでしょうか?

それにしても、この手の出版業界の問題点を指摘した記事や本って、この十数年よく見かけるようになりましたが、これだけ出ているにもかかわらず出版業界って何も変わっていないのではないか、という気がします。いや、少しは変わっているのでしょうか? むしろアマゾンとか他業界によって無理矢理変えられているだけなのかも知れない、という気もします。

暴挙なのか、あるいは蛮勇?

朝日新聞の夕刊の一面です。

昨日から名古屋で始まった乃木坂46のコンサート、通称バスラの記事です。

いや、乃木坂ではなく、巷を賑わせている新型コロナウイルス対策に関する記事といった方がよいでしょうか?

軒並みイベントが中止や延期になっている中、数万人が集まるイベントを開催している乃木坂46。世間はこれをどう見るのでしょうか?

もちろん、これだけのお金が動くイベントをおいそれと延期などできるわけもなく、結構するか中止にするかの二択だったと思います。

今回のコンサート実施、後になって「よくやった」と言われるのか、それとも「世紀の暴挙」と呼ばれることになるのか?

スカパー!ではなくて……

いきなり二つの新番組のお知らせ。

まずは乃木坂46の四期生によるドラマが、DoCoMoのサービス、dTVで放送されるようです。そして、もう一つは日向坂46のバラエティーが、ひかりTVで放送になるようです。

「欅坂46は?」なんて意地悪な質問はしないでください。欅坂46の場合は、まずは新曲のリリースでしょ。

で、上記の二つの番組ですが、dTVとひかりTVでの放送です。

さて、これらの番組、見られる人ってどれくらいいるのでしょう? ふつうにdTVやひかりTVのけ役をしている人がどれくらいいるのか、ということですが……

スカパー!やWOWOWに加入している人は、昨今ではだいぶ増えてきたと思いますが、これらになるとどうなのでしょう? dTVの場合、DoCoMoユーザーなら比較的加入しているのでしょうか?

決して加入者が大井はいえないこれらのサービスで、あえて人気の乃木坂や日向坂を使うというのは、単純に加入者を増やしたいからなのでしょうけど、果たしてどれだけ増えるのでしょう?

昨日は何の日?

昨日、2月20日は歌舞伎の日なのだそうです。あたしも初めて知りました。

ということで、『歌舞伎オン・ステージ』の写真を載せてみます。

だったら昨日載せればよかったのに、と言われそうですが、あえて外してみた、と格好付けたいところですが、実は昨日も終わるころ、自宅に戻ってから知った情報なので、本日の掲載となってしまいました。

この『歌舞伎オン・ステージ』も品切れの感が増えていまして、現在、あたしの勤務先で歌舞伎と言えば『歌舞伎登場人物事典(普及版)』になります。

さて、そんな2月20日は元乃木坂46のメンバー、橋本奈々未と伊藤万理華の誕生日です。乃木坂46には誕生日が同じというメンバーのペアが他にもいますが、この二人もファンの間では誕生日が同じということで有名でした。

なおかつ、橋本奈々未(ななみん)の場合、この日が引退の日でもあり、三年前のこの日卒業コンサートが行なわれたのです。毎年この日が来るとネット上にはななみんを懐かしむファンの書き込みが溢れ、今年もツイッターで話題になっていたようです。

確かに、あたしも、ななみんの現役時代にはまいやんよりもななみんの方が好きでした。今ごろどうしているのかなあ、と2月20日なると考えてしまいますね。

今シーズン初!

昨日の外回りの帰路、最寄り駅の駅ビル内にある和菓子司で桜餅を買いました。

本当は、数日前に母が「きんつばが食べたい」と言っていたので探しに行ったのですが見当たらず、目に飛び込んできたのが桜餅だったので、ついつい買ってしまいました。

今シーズン初です!

お隣には草餅も並んでいましたが、あまり日持ちのしない生和菓子、たくさん買っても仕方ないので、今回は桜餅のみとしました。

とても美味しかったです!

外回りをしてもよいのか?

街を歩いていて、思いのほかマスクをしている人が少ないのは、マスクが手に入らないだけなのでしょうね。あと、マスクの有効性についても疑問が出ていますし……

ただ、マスクって、ウイルスを防ぐにはほとんど効果がないと言われていますが、自分が菌をまき散らさないというエチケットしては大事なようです。確かに、近くでゴホゴホやっている人がマスクはおろか、口元を手で押さえていなかったりするとイラッと来てしまいます。

マスク不足問題は、この時季の風物詩、花粉症の人にとっても由々しきことですよね。来月には増産体制も整うということですが、どうなることやら。

そんな感染列島ですが、あたしのような営業マン、外回りに出ていてよいのでしょうかね? 今のところ「営業回りも自粛」という通達が出た、なんていう出版社の話は聞きませんが、自宅勤務を認めたところがあるとは聞きました。

書店イベントも次々に中止や延期に追い込まれていますし、そもそも書店だけでなく、街に人が少ないと感じます、都心でも。これでは本どころか、あらゆる商品が売れなくなるわけです。だからといってネットショップが繁盛しているわけでもないようですし。

あたしの勤務先も何かしら方針を出してくれるのでしょうか?

福招きの猫

本日のネクタイとブラウスは組み合わせの妙です。

いわゆる招き猫、どっちの前足を挙げているとお金だったか福だったのか覚えていませんが、右前足なのか左前足なのかで招くものが違うのでしたよね?

とはいえ、このブラウスの猫はそんなものとは全く異なり、まあまあ写実的な姿をしています。あたしは猫に詳しくないので、描かれているのがどんな猫種なのかわかりませんが、数種類の猫が描かれているのはわかります。何か招き寄せてくれますでしょうか?

招き寄せるものと言えば、お金か福か、だと思いますが、今回は福をチョイス、そういうネクタイを選んでみました。

これが福なの? と驚かれた方もいらっしゃるかも知れませんが、これは様々な字体・書体で「福」の字を書いたものです。こういった掛け軸など中国のお土産屋に売っていたりしますが、なんとネクタイもありました。これは中国ではなく、ネットで買ったものですが、たぶん中国製だと思います。

国家の歴史と個人の歴史

ノーベル賞作家、オルガ・トカルチュクの『プラヴィエクとそのほかの時代』読了。

ポーランドにある架空の村、プラヴィエクとそこに暮らす人々の物語が短いエピソードの積み重ねによって語られます。

語られる時代は、第一次大戦のころから現代まで。ポーランドがソ連やドイツの侵略によって国土を蹂躙され、そこから共産主義国家として立ち上がる、まさに苦難の近現代史です。

しかし、物語はそんな国家の歴史、大きな歴史とは無縁の庶民の歴史です。だから、直接戦争の話が採りあげられるわけでもないですし、革命の話が前面に出てくるわけでもありません。そういった国家の歴史は後景に置かれ、著者の筆はどこまでも個人個人を追いかけます。

だからこそ、庶民にとっての歴史とは何なのかがよくわかりますし、国家の歴史とは異なるもう一つの歴史、と言うか時の流れが感じられます。個人の歴史の中に時々顔を出す国家の歴史は、あからさまに暴力を振るうわけでもなければ、何か恵みを施してくれるわけでもありません。それでも気づくと個人の歴史にもじんわりとした影響が及んでいて、嫌が応にも庶民はそこに巻き込まれ翻弄されてしまいます。

ポーランドは、国も個人も苦難の近現代史を生きてきたんだなあと、しみじみ感じられます。ちいさな断章の連続ですが、個人的には「クルトの時」の一篇を読むだけでも、本書を繙く価値があると思いました。