初夢第三弾?

初夢はいつ見た夢を指すのか諸説あるようで、あたしは昨日のダイアリーで1月1日の晩に見た夢について紹介しましたが、1月2日の晩に見た夢を初夢とする説もあるようです。

となると、昨晩から今朝までに見た夢が初夢になるわけですが、今宵はまた違う夢を見ました、それも意外とリアルな夢を。

前後はまるで覚えていないと言いますか、ほぼなかった夢、つまり覚えているそのワンシーンしかなかったような夢です。

新年会なのか、あるいは街で偶然だったのか、そんな状況も不明なのですが、同じ業界の知り合いとばったり出逢ったときに本をもらったのです。曰く「これ読んで、スゴいよかったから誰かにも読んでもらいたくて、ずっと持っていて機会を探していた」と。

「ナンシーならこれ絶対気に入るから」と言われて手渡された本、小説だったかノンフィクションだったかもわかりません、というか覚えていません。夢の中ではまだ渡されただけで読んでいなかったので。ただ、その時のセリフとは裏腹に相手の態度や様子が「よい本だから他の人にも読んで欲しい」と言うよりも「ちょっと読んだけど失敗だった、こんな本要らないから、誰か知り合いに出逢ったら押しつけちゃおう」という感じがアリアリとしていたのです。

あたしが古書肆なのか、とツッコミを入れながら、とりあえず受け取ったところで目が覚めました。果たしてどんな本だったのか、そしてあたしに本をくれたのは誰だったのか……

自宅を手放す羽目に?

初夢というのは、1月1日の晩に見る夢だとのことです。つまり2日の朝起きたときに見ていた夢ということでしょう。

先程のダイアリーで、勤務先がマグロを扱うようになった夢を見たと書きましたが、実はその夢を見ていたのは夜中で、2時くらいに一度目が覚め、再び眠りについた後、こんどは全く異なる夢を見たのです。

その夢は、どういうわけは母とあたしが引っ越しをするのです。場所はわかりませんが、なんとなく南の方、日本国内だとは思うのですがどことなく南国情緒のある景色でした。

新築ではなく、現在住んでいる自宅よりも更に古くボロい家でしたが、一応は戸建てで、部屋も広くて多く、庭がかなり広いものでした。夢の中なので値段とか細かな交渉や手続きは一切出て来ず、数年は空き家になっていたというその家を購入して引っ越したのです。

母と新しい家で暮らし始めて数日後、突然見ず知らずの女性がやって来て、「ここ、あたしの家だから」と言いだしました。話を聞いてみると、そしてこの家を斡旋した不動産屋に確認すると、確かにこの家の元の持ち主(住人)で、数年前にアメリカへ引っ越していった人だったのです。向こうで数年暮らしてまた日本へ戻ってきたというその女性、パワフルなおばちゃんと言ったら失礼ですが、ダイナミックな人でした。

別に自分はこの家を売ったつもりはなく、数年空き家にしていただけだと言います。そして数年ぶりの帰国にアメリカの仲間を十数名連れてきていて、彼らもドシドシわが家に上がり込んでくるのです。

母とあたしはむざむざこの新居を手放さないとならないのか、そうなると明日からどこで寝泊まりすればよいのか、いったいこの家の権利など不動産屋はどう手続きをしたのか、一切わからないことだらけのまま目が覚めました。

もしこれが正夢になったら、勤務先の夢以上の悪夢です。それとも何かの予知夢なのでしょうか?

業態変更?

とんでもない夢を見てしまいました。

なんと、あたしの勤務先が魚介類を取り扱うことになったのです。

あたしの勤務先は一階が営業部で、書籍などの在庫は別に倉庫があってそちらに置いてありますが、採用品などは地下に書庫があり、そこに置いてあります。

そんな勤務先にある日冷凍マグロを始めとした魚が大量に運び込まれてきたのです。書籍を納品に来る運送会社のトラックなど物の数ではないくらい大きなトラックが勤務先の前に止まり、そこから大量の魚が下ろされたのです。

これだけの魚をどう保管すればよいのか、とにかく一階と地階を片付け、運ばれてきた魚たちを運び込みました。それでも足りずに隣のビルを買い取り、冷凍・冷蔵設備を備えた倉庫に改造し、そこに魚を運び込むようにしました。

しかし、こんな魚、どうするのでしょう? 夢なのですべてが突然に始まり、何の説明もありません。これらの魚を取次に卸したのか、町の魚屋に売ったのか、はたまた近所の人が買いに来るのか、夢の中で全く明らかになりません。

とにかく運んでも運んでもきりがないくらい大量の冷凍マグロを前に途方に暮れるあたしがいる、そんな夢でした。

これって初夢だと思いますが、果たして正夢になってしまうのでしょうか? あるいは何かの予兆なのでしょうか?

今年は何年かしら?

昨日の朝、ちょっと勤務先まで行って来たことは既に書きましたが、新聞や郵便物を整理していたら台湾新聞が届いていました。

その第一面がこの写真です。

ちょっと切れてしまっていますが、2019年の漢字、日本が「令」だったのに対し、台湾は「乱」になったそうです。記事によると、香港のデモもそうですが、英国のEU離脱や北朝鮮のミサイル発射など国の内外で混乱した年だったということが理由のようです。

それを言われると、日本も国会を筆頭に民主主義が崩壊した年だったので、果たして「令」なんて漢字でよかったのか否か迷うところです。少なくとも、あたしに言わせれば決して「令」などはありえません。

それはともかく、今回の第一面、トップは駐日経済文化代表処代表・謝長廷氏の年頭挨拶ですが、その次に台湾新聞社社主の挨拶が載っています。そのタイトルと言いますか見出しなのですが、「2019年年頭所感」となっています。これって「2020年年頭所感」の誤りではないかと思うのですが如何でしょう?

新年早々、他人の揚げ足を取るようなダイアリーで申し訳ありません。

見ないで文句を云うべきではないですが……

乃木坂46のまとめサイトなどを見ていると昨夜の紅白について様々な意見が飛び交っているようですね。果たして、3坂道のコラボはよかったのか? まあ、この十数年、紅白の演出は迷走しているなあという気もしますが……

このダイアリーをしばしば読んでくださっている方ならば、あたしが紅白など見ないでさっさと寝てしまっていることは既にご存じだと思います。録画してある実際の映像もまだ見ていませんので、ネットの情報だけで判断するのは厳に慎まなければならないということは重々承知しています。

それでもネットを見ていると、だいたいの様子はわかります。いや、見なくてもわかると言った方が正確でしょうか。

乃木坂46の歌唱曲が「シンクロニシティ」ということで、三つの坂道グループでシンクロさせたら面白いんじゃない、一家団欒で見る紅白には「仲良くワイワイ」という演出はもってこいだし、なんていうところが制作陣の意図だと思います。しかし、坂道の3グループは姉妹グループとはいえ普段はあまり関わらないのが良さであり売りであったと思います。シングルもAKB48の本体が優先され、AKBの選抜には姉妹グループの主力メンバーが招集されることに飽き飽きしていたファンが、坂道にはそれを持ち込んで欲しくないと思っていたのも頷けます。

いや、坂道3グループでライバル意識を持ってガチンコで競い合えと言いたいのではありません。楽屋とは普段は仲良くてよいのです。ただ、表舞台ではそれぞれのグループカラーで活動をして欲しいと思うのです。もし、今回のような演出をするのであれば、それは紅白ではなく、合同のイベント(ライブとかファンミーティングとか)でやればよいだけのことだと思います。わざわざ乃木坂46の歌唱の機会を使ってまでやるべきことであったのかと問われれば、多くのファンと同じようにあたしも否と言わざるを得ません。

夜が明けて、ネットの反応を見ていると、やはり多くのファンは不満タラタラのようですね。誰が得をしたのでしょう? 各グループの人数がもっと少ないのであれば、3グループが一緒になってもよかったかも知れませんが、各グループに20名前後、乃木坂本体でも40名弱いる現状では、何が何だかわからないものになってしまうのはやる前からわかりきったことだと思うのですけど、NHKの偉い人にはそれがわからなかったのでしょうか?

キャプテン真夏の「みんな仲良く」というセリフが痛々しすぎます。