京都のバスの件

年に数回京都に来ます。市内の書店や大学生協を訪問するためですが、移動手段はもっぱらバスになります。

路線についてはずいぶんと頭に入ってきましたが、混雑状況は年々ひどくなっているような気もします。もちろん地区によっては混雑していない路線もありますが、それは単にその周囲にこれといった観光地(寺院とか美術館とか)がないと言うだけの話で、世界遺産をはじめとした古刹周辺はかなりひどい状況です。ただ、やはり新型肺炎のためでしょうか、今年に関しては若干人が少ないような気がします。もちろん一日や二日の滞在で即断はできませんが…………

その京都のバスですが、道路の渋滞や車内の混雑は仕方ないとして、それでもちょっとだけ不満があります。それは、バス停のバス接近情報です。

もうすぐ来るというお知らせはとても便利なのですが、あたしの感触としては「まもなく到着します」というアナウンスがあってから実際に到着するまでが長すぎます。もう少し近くまで来てからのアナウンスでよいのではないかと思います。

もう一つが、マナーです。歩道が狭く、一つのバス停に何路線ものバスが来るから仕方ないのですが、待っている乗客の並び方がひどいです。外国人が多いからではなく、日本人の方がマナーが悪いです。きちんと並ばずに横から割り込んだり、京都人が率先してマナー違反をしているように見えます。これでは外国からのお客さんはどこへ並べばよいのか、どの順番で乗ればよいのかわからないでしょうし、困っているのではないでしょうか?

そんな京都ツアー中に店頭で見かけて購入したのが『パンクする京都』です。

在庫切れ?

昨日の大阪でのことです。

とある書店の人文書売り場で担当の方と話をしていると男性のお客様が寄ってきて「文庫で王維の詩を読みたいんだけど」とおっしゃいます。人文書売り場の一角にある漢文などの棚をひとしきり自身で探して見つけられなかったようです。

文庫だと人文ではなく文庫のコーナーに置いてあるわけですが、王維の詩集というと岩波文庫くらいしか思いつきません。早速店内の在庫を検索してみたのですが、あいにく在庫切れ。うーん残念。申し訳ない。

たまたま店頭在庫がなかっただけで、版元品切れということではないと思うのですが如何でしょう? しかし、岩波文庫以外で王維の詩が読めるのってありますかね?

2020年1月28日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

今日は命日です

昨日の朝日新聞夕刊の一面「素粒子」欄です。

昨日の記事で「あす」と書いてあるので、つまりは今日のことですが、今日1月26日は作家・藤沢周平の命日になります。1997(平成9)年に亡くなっているので、今年で23年になるのですね。約四半世紀です。もうそんなになるのか、という気もします。

命日ということで、藤沢作品を手に取るのもよいですが、評伝は如何でしょうか? あたしの勤務先からは『藤沢周平伝』が出ています。

なお本書は既に電子書籍版も出ていますので、「置く場所がない」「重くてかさばる」という方は電子版をどうぞ。

本に関する小さな記事

朝日新聞の朝刊にこんな記事が載っていました。

業界全体で久々に販売金額がプラスに転じたようです。出版業界で「プラス」なんて言葉を聞いたり目にしたりするのは本当に久しぶりのことです。なにせずーっと右肩下がりの業界ですので。

とはいえ、電子書籍が伸びたので辛うじてプラスになっただけのようで、紙の書籍は相変わらずマイナスのようです。その電子書籍もコミックがほとんどで、コミックが伸びたのも海賊版サイトが閉鎖されたからだという分析を読むと、うーん、紙の書籍の未来は非常に悩ましく感じます。なにか効果的な対策はないものでしょうか?

そんな中、書店は頑張っているみたいですね。東京の二子玉川で全国の個性派本屋が集まったイベントが行なわれるようです。

その地域で、そこにあった個性でやっているからこそよいのであって、それが東京のおしゃれな街に集まった場合、個性を発揮できるのでしょうか? あたしは若干の疑問というか心配も感じてしまいます。

むしろ出店した書店同士の交流やアイデアの交感から生まれるインスピレーションとか、そういう今後へ繋がる波及効果は期待できるのかな、とも思います。そして二子玉川は個性派書店のガリバーのような蔦屋家電のお膝元でもありますし。

とはいえ、本当に苦しいのは、おじちゃんおばちゃんで細々とやっている、昔らかある町の本屋さんだと思います。個性を出すにもおじちゃんおばちゃんにそんなアイデアを出せというのも難しいでしょう。個性派書店のオーナーからすれば「何の工夫もせずに同じやり方で何十年も来てしまったのがいけない。自業自得だ」と言われてしまうのかも知れませんが……

カイロの持続時間

たぶん、「ホカロン」という商品名が有名なので、どれもそう呼ばれていそうなカイロの数々。小さいのとか大きめの、靴に入れるものとか、貼れるものとか、一番最初に発売されたころに比べると格段に進化したと思います。

その進化の中でも、恐らくメーカーが一番力を入れているのは温度の持続時間と最高温度ではないでしょうか? 特に持続時間に関しては、あたしの記憶が正しければ、最初に売り出された商品はせいぜい4時間程度しか持たなかったような気がします。それが今では8時間程度持つものがざらにあります。と言うよりも、それくらい持つものしか売っていないような気がします。

長く持っていいじゃないか、と言われそうですが、あたしは逆です。持続時間は4時間程度で構わないと思っています。

あたしは決して寒がりではありません。むしろ年を重ねて暑がりになったと思います。ですから、カイロを使うのは朝の出勤時のみで十分なのです。それだって毎日使うわけではありません。あたしはしばしばお腹が痛くなるので、そういう日にお腹にカイロを入れて出社するのです。なんとなくお腹を温めていると腹痛も治まる気がしませんか?

で、会社へ着いて午前中が暖かければ十分なのです。午後からの外回りは、移動の電車の中とか書店の中とか、むしろ暑いところが多いです。それなのに相変わらずお腹にアツアツのホカロンを入れているなんて、熱くて暑くてたまりません。

なので、あたしとしては4時間程度だけ持てばよいホカロンがあればいいなあ、と思うのですが、そういう商品って売っているのでしょうか?

書店の可能性?

一昨日の朝日新聞に載っていた記事です。

福岡のジュンク堂書店でドジョウが飼育されているそうです、それもかなり貴重な。

イベントをきっかけに飼育が始まったようですが、こんなことってあるのですね。

書店が文具を扱ったり、喫茶コーナーを設けたりしているところは珍しくもありませんし、同じジュンク堂書店では「本屋に泊まろう」なんてイベントもやっているくらいなので、書店というものの定義が揺れているというか、広がっているのだと思います。

とはいえ、書店で生き物を飼うなんて、近大マグロのようなノリで考えてよいのでしょうか? 各店でそれぞれ独自に生物を飼い始めたら面白いかもとは思いますが、維持費とか世話にかかる手間などを考えると難しいでしょうね。

でも珍しい植物とか小動物とかであれば、これからも可能性はあるのではないかと思います。ところで、このドジョウ、そのうち食べてしまうのでしょうか?

併売をお薦めします!

タイトルが近しいので気になっていた中公新書の新刊『移民の経済学 雇用、経済成長から治安まで、日本は変わるか』が店頭に並び始めたのでパラパラと眺めてみました。

本書の内容は公式ウェブサイトによると

すでに250万人の「移民」が暮らす日本。2018年末に入管法を改正し、さらなる外国人労働者の受け入れ拡大に舵を切った。移民が増えると、私たちの生活にどのような影響があるのか。本書は、雇用や賃金、経済成長や物価、貿易、税と社会保障、さらに科学技術、治安・文化に至るまで、主要な論点を網羅。経済学の研究成果をもとに分析することで、感情的な議論を超え、移民がもたらす「損」と「得」を明らかにする。

とあります。好き嫌いといった感情ではなくデータによって移民問題を分析する本のようです。

そしてタイトルが近しいと上に述べたのは『移民の政治経済学』のことです。こちらの内容は

経済効果という観点で言うなら、移民には短期的な効果はない。とりわけ未熟な労働者を受け入れた場合は、福祉制度に深刻な打撃を与えてしまう。加えて、雇用を奪われる労働者から安く移民を雇う企業に莫大な富が移転するという事態も招く。長期の効果もかなり心もとないものだ。それでも高技能から低技能まで、多様な移民を受け入れるのはなぜなのか? 移民を〈労働力〉ではなく〈人間〉としてみること。人文知としての経済学はここから始まる。

といったものです。確かにタイトルが似ているだけでなく、内容にも近いところがあります。

いや、それどころではないのです。『移民の経済学』を店頭で眺めてみましたら、その第一章ではかなりの頻度で『移民の政治経済学』の議論を引いているのです。そこから先は立ち読みもいけませんし、時間的な問題もあって本を書架に戻しましたが、予想するに、この両書は併売するのがよいと思われます。

少なくとも、中公新書を買って読んだ人なら、そこで引かれているジョージ・ボージャスの著作に当然関心を持つでしょうし、その翻訳が既に出ているとわかれば、ちょっと買って読んでみようと思うのは自然な流れだと思います。

新書と単行本なので、書店では置かれている棚がまるで異なると思いますが、これは是非併売をお願いしたいところです。