台風一過

ひとまず台風は過ぎ去りました。現在は東北の方で雨風が激しいのではないでしょうか?

台風が通過して、朝からよく晴れている東京ですが、ニュースを見ていると、明るくなって被害の状況がはっきりするにつれ、現実とは思えないような光景の数々が飛び込んできます。むしろこれから、という感じです。

幸いにも、わが家はほとんど被害もなく、昨晩、11時半くらいに目が覚めた時には雨も風も既に収まっているようでした。朝起きて雨戸を開けて目に入ったわが家の庭先は予想以上にきれいでした。もっと葉っぱや枝が飛んできてゴミだらけになっているのを予想していたのですが、むしろ掃除をした後なのかと思えるくらい何もない庭でした。

ニュースでは各地の河川の氾濫が報じられていました。特に二子玉川は、普段から営業で訪れる場所でもあったので、ちょっと信じられない思いがしましたが、考えてみますと、かつて放送されたドラマ「岸辺のアルバム」もあの付近が舞台だったと思います。やはり多摩川の氾濫と聞くと、当時見ていたわけではないのですが、あのドラマを思い出します。

冠水とか氾濫については、大学4年まで住んでいた杉並区高井戸が思い出されます。台風に限らず大雨になると、井の頭線の高井戸駅の下を通る環状八号線は水没し、すぐ南を流れる神田川もしょっちゅう氾濫していました。

当時は杉並区を東西に流れるもう一つの河川、善福寺川もよく氾濫していたものです。その後、神田川や前夫時側の護岸工事が何年にもわたって続けられ、住んでいた最後の頃はほぼ氾濫はなくなっていました。環状7号線だったか山手通りだったか忘れましたが、道路の下に大規模な貯水池が作られたのも、そういった教訓があればこそだと思います。

今回の台風も、たぶん当時のままであれば、今回の数倍、数十倍の被害が出ていたのではないかと思いますが、この数十年にわたる人間の営為を嘲笑うかのように更に強力な台風が来てしまうとは、天の譴責なのかもしれないと、中国思想を囓っていたものとしては考えてしまいます。

やはり首都が舞台になると扱いが大きい?

台風が接近しているようです。

幸いにも、わが家の周辺は今のところ風もそれほど強くなく、雨も大雨という程度で災害を感じさせるほどにはなっていません。今後台風が接近してくるとどうなるかわかりませんが、雨戸も閉めたくらい室内に閉じこもっています。

わが家の周辺ですと、外へ出て確認したわけではありませんが、テレビやネットを確認する限り、コンビニやスーパーがすべて閉まっているそうです。駅まで向かう路線バスも動いているのかいないのか……、中央線も午後からは運休になるみたいですね。

昨日は、新宿の紀伊國屋書店が終日休業になるということを聞きましたが、都心の方もデパートなど軒並み休業状態のようです。今この瞬間、新宿とか渋谷の町はどんな風になっているのでしょう? やはり、それでも人はうろうろしているんでしょうね?

NHKなども朝からずっと台風情報ですが、これも東京だからでしょうか? 地方だってずいぶんと被害に遭った災害はあったのに、ここまでの報道はしていなかったと思います。確かに東京に何かあったら大変なことになりますが、なんとなく露骨な東京贔屓、東京優先のような感じがして、東京生まれで東京にずっと住んでいるあたしでも嫌な気分です。

マスコミも政治家も東京に鹿目が向いていないのですかね?

嵐の前に嵐が来た、怒濤の慶弔の日

あまり繰り返すと嫌味になりかねませんのでほどほどにしておきますが、昨晩のノーベル文学賞の発表を受け、今日は一日電話やファクス、そしてメールで注文が殺到しました。

 

もちろん、オルガ・トカルチュクの『昼の家、夜の家』と『逃亡派』です。あまりの殺到ぶりに在庫がなくなり、両方とも重版が決まりました。今月下旬出来予定です。

それにしても、カズオ・イシグロは半分は日本人的な受けとめられ方をしているので別として、今回は両者とも純然たる海外文学です。果たしてノーベル賞を取ったからといってどれだけ売れるのか、個人的には半信半疑なのですが、ブッカー賞受賞という報道のされ方もあってなのか、反応・反響は非常によいようです。やはり、海外文学が売れてくれるのは、読者が増えてくれるのは純粋に嬉しいと思います。

と、若干浮かれ気味だった本日、こんどは午後になって和田誠さんの訃報が飛び込んできました。あたしの勤務先では、新書判の白水Uブックスで『ことばの波止場』『似顔絵物語』『装丁物語』の三冊を刊行していたのですが、現在は三冊とも品切れです。手頃な著作なので人気も高かったのですが、ちょっと残念です。

 

現在、和田誠さん関連で在庫があるのは『四人四色』と『五・七・五交遊録』になります。こちらでよろしければ是非どうぞ!

取らぬ狸の皮算用

昨晩はノーベル文学賞の件で、不覚にも舞い上がってしまいましたが、今朝からは一度ヒートダウンして冷静にならないなりません。

実際問題、この数年「ノーベル賞を取ったからといって本が売れるのか?」という現実を何度となく目にしているからです。

確かに書店からの注文は殺到します。そして店頭にも山積みは大袈裟にしても、普段では考えられないほど並べてもらえます。ただ、それが果たして売り上げに結びつくのかというと、そう簡単ではありません。

もちろん、きれいさっぱり売り切ってしまうこともあるでしょうし、カズオ・イシグロのように大ヒットになる例もなくはありません。ただ、日本人が受賞したわけではないので、ここは冷静に、とにかく冷静にならないといけないところです。

ただ、本が店頭に並んでいなければ、そもそも売れません。何割程度売れ残るのであればOKなのか、その見極めが難しいところです。ある程度の返品は覚悟というのがこの業界ですが、だからといって際限なく返品が増えてしまっては意味がありません。お金をかけて本を作っている以上、売れてくれないと、こちらもおまんまの食い上げです。

ところで、舞い上がるな、冷静になれと自分に言い聞かせていることと矛盾してしまいそうですが、今回2年連続でヨーロッパの作家が受賞しましたので、来年は非ヨーロッパ圏の作家が取るのではないでしょうか? 今年も候補に名前が挙がっていた中国の残雪なども有力でしょうか?

祝、受賞

ノーベル文学賞が発表されました。

前評判に違わず、オルガ・トカルチュクが受賞しました。

 

同氏の邦訳作品は、あたしの勤務先から出ている『昼の家、夜の家』と『逃亡派』だけです。この機会に是非!

アニバーサリーな……

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「ああはなるまい」と思っていた、よくない営業になりつつあるような気が……

あたしが営業部に配属になったのは入社して10年、いや112年目だったでしょうか? ですので、その時点で既に「初々しい新人」という風ではなかったのですが、それでもまだまだうぶな素人営業マンでした。

そもそも人づきあいが苦手で、出来るだけ人と接しない仕事に就けたらとずっと思っていた人生だったので、絶対に向いていない職業(職種)は「接客業や営業職」だと思っていました。そんなあたしが営業部に飛ばされるなんて……

それでも業務命令ですし、編集部の仕事に行き詰まりを感じていたので(これについては、また機会がありましたら吐露します)、営業部に配属になったのはよい気分転換、心機一転だったと思います。

で、書店を回り始めた頃、当然、向かう先の書店には別の出版社の営業さんがいたりして、書店の人と親しげに話しているのを見て、「いずれあんな風に仲良くなれるのかなあ」なんて幼心に思ったものでした。あたしみたいに、なかなか人と打ち解けられず、人見知りがちな性格だとやはり営業という仕事は難しいかなあ、などと思いながらの営業回りでした。

ただ、その当時、他の社の営業の人を見ていた感じたこと、心に決めたことが一つありました。よく見ていると、ベテランの営業マンが店長など書店の中でも偉い人と親しげに話をしながら注文を取ったりフェアの話をまとめていたりしていることが時々ありました。お互いに若い頃から知っていて、互いに経験を積んでそれぞれ現在の立場があるのはわかります。

しかし、実際に書店で棚を担当している人と話すと、「現場の事情を無視して店長が勝手にフェアを決めちゃった」「バカみたいにたくさんの数を注文された」といった愚痴もよく耳にしたのです。そこであたしは、このあと何年営業をやることになるかわからないけど、自分のよく知っている人が店長になったからといって、その人とだけ話をして現場を無視した営業マンにはなるまい、ということを密かに心に誓ったのです。たとえ歳の差がかなり開いた若い書店員さんであっても、しっかり話をしてフェアを打診してみたり、本の展開を提案してみたりしよう、という気持ちでずっとやって来ました。

そんな誓いが最近崩れているような気がするのです。なんとなく、店長とだけ話をして、注文をもらって、フェアの案内をして、といったケースが増えているということに自分でも気がつきました。

そりゃ、気の合う店長とだけ話をして注文が取れれば営業としては楽です。でも、これについては、ちょっと言い訳をさせてください。

書店のせいにするつもりはないのですが、昨今の書店って、店長以外と話をしても仕事にならないことが多いのです。つまり店長以外はアルバイトで発注する権限も何も持っていないのです。一応は人文担当とか、文芸担当といった担当分けはあるようですが、あくまで日常的な棚詰めとか棚の整理を担当しているだけで、その棚を々作っていこうか、こんど面白そうな新刊を仕掛けてみようか、といった仕事はしていない場合が多いのです。

これではこちらとしても話になりませんので、しかたなく店長と話をすることになるわけです。社員を減らしてバイトで回す、というのが書店では常態化しているのですよね。これでは個性的な棚作りや創意工夫などなかなか出来ないでしょう。ただ、それを言ったら出版社だって人手不足で、十全に書店に顔を出せているかというと極めて疑わしいところですが……

ちょっと作ってみました

ちょっと前に、ちくま文庫の『ハーメルンの笛ふき男』と一緒に『ハーメルンの笛吹きを追え!』を売れないかなあと書きました。

実は『ハーメルンの笛吹きを追え!』は在庫がそれほど残っていないので、大々的に宣伝、アピールするわけにもいかないので、とりあえずこういうことを面白がってくれそうな書店員さん向けに注文書を作ってみました。いかがでしょうか?

そもそも文庫と単行本、人文と文芸という具合に何から何まで異なる二つの書籍です。文庫と単行本が整然と分けられている大型店では一緒に並べるのは難しいと思いますから、こういった取り組みは街の小さな本屋さんの方がやりやすいのかもしれませんね。

とはいえ、ちくま文庫がこれだけ売れているのであれば、絵本など「ハーメルンの笛吹き」関連書籍を集めたフェアなんてやっても面白いと思います。

そろそろラ・フランスの季節かな? となるとこの曲

今宵の文化放送系「乃木坂46のの」はMC梅沢美波と4期生の矢久保美緒と北川悠理がゲスト。

30分の番組中に必ず曲が2曲かかるのですが、1曲目は北川セレクトの「自由の彼方」、これは夏の全国ツアーで北川参加したユニットで歌った曲だからという理由による選曲。そして2曲目が矢久保選曲の「やさしさとは」でした。

「秋になると聞きたくなる」と語っていましたが、確かに冒頭のラ・フランスって秋が深まると店頭に並ぶフルーツですよね。

それにしても、矢久保、よい選曲じゃないですか、見直しました。この曲は乃木坂46の全曲中でも隠れた名曲としてファンの人気も高い一曲ですし、なによりななみんの数少ないセンター曲、あたしも大好きです。歌唱メンバーも非常にバランスがよいですね。

久しぶりに聴きましたが、やはり佳曲です。「自由の彼方」もさゆの卒業発表を受けて聞くと泣けてきます。

H&M、きのこ祭?

タイトル、H&Mと言っても、某北欧系のアパレルメーカーのことではありません(笑)。そもそもアパレルメーカーがきのこっておかしいですよね?

で、閑話休題。

書店店頭でこんな本を見かけました。みすず書房の『きのこのなぐさめ』です。海外文学作品のようですが、著者は文化人類学者でもあるのですね。非常に気になる一冊です。

愛する伴侶を失った主人公が、きのこを通して再生する物語なんだそうですが、内容紹介を読む限り、ちょっとした「きのこ百科図鑑」のような趣が感じられます。それにしても、愛する人を失った人が何かをきっかけに再び活力を取り戻すというストーリーはよくある話ですが、その「何か」というのは動物だったり趣味だったりすることが多いと思います。今回のようなきのこというのは寡聞にして他には知らないのですが、何かしら趣味を持つ、情熱を捧げられるものが見つかれば人は生きていけるのですね。

ところで、きのこと言えばあたしの勤務先でも『昼の家、夜の家』という海外小説を出しています。ノーベル文学賞の有力候補の一人、 オルガ トカルチュクの長篇で、タイトルからはわからないでしょうが、こちらもきのこ小説なんです。

本書が刊行された当時、日本の書店ではちょっとしたきのこブームが起きていまして、本書もそんな「きのこフェア」の時にラインナップの一つとして並べていただいた記憶がありますし、そのお陰もあってよく売れました。きのこブームはその後落ち着きましたが、相変わらず根強い人気を誇っているのは事実ですから、何かの弾みでまたブーム到来となるかも知れませんね。

それはともかく、ひとまず『きのこのなぐさめ』と『昼の家、夜の家』で「きのこ祭」は如何でしょうか? はい、H&Mとは両出版社の頭文字のことです。

ところで、かつての「きのこブーム」時に書店店頭でフェアをやっていたころ、並んでいたのはきれいなきのこの写真集や図録のようなものがメインでした。読み物も並んではいましたが、やはり読者も極彩色のきのこの図版に惹かれているようでした。

そんな中、たまたまあたしが読んでいた岩波文庫の『和辻哲郎随筆集』の一節に「茸狩り」という一篇がありました。京都近郊へきのこ狩りに出かけたことを綴った味わい深い一篇です。「これも並べればよいのに」と思いましたが、さすがに書店の方のアンテナに引っかかってこなかったと見えまして、並んでいる書店は皆無でした。

ちなみに、みすず書房ではほぼ同時に『マツタケ 不確定な時代を生きる術』なんて本も刊行しています。こちらは海外文学ではなく、「マルチスピーシーズ民族誌の成果」だそうです。あくまでマツタケは話の導入のようです。