選択ミス

四国から帰京しました。

昨日の土砂降りとは打って変わり、まさしく「南国土佐」という言葉にふさわしい日差しの高知県でした。

しかし、逆に関東地方が大雨に見舞われていることはニュースで知っていたので、「果たして我々が帰るころは大丈夫か?」というのが参加メンバーの気持ちでした。そして、工程をこなし、帰京も目前になってくると話題は「果たして予定どおり飛行機は飛ぶのか?」「そもそも東京からの到着便が遅れるのではないか?」「我々が羽田へ着く頃はよいとしても、天候のために着陸できなかった飛行機が羽田上空に溜まっているのではないか?」という風に変わっていきました。

案の定、あたしたちが乗るべき飛行機の到着が 遅れ、出発が30分 遅れました。途中、羽田上空が混んでいるということで静岡上空で旋回して時間潰しをしていました。まだ雲が取れず揺れそうな関東へ近づくよりも、安定している静岡上空で待機する方がよいのでしょう。

結局羽田は一時間の遅れでした。ここまでは織り込み済みでした。夕方の東京なのでモノレールと電車を乗り継いで帰るのはちょっとしんどいと思い、うまいタイミングで武蔵小金井か国分寺行きの高速バスがあればそれに乗ろうと考えました。道路が多少混んでも構わないや、という気持ちでした。

で、国分寺行きがあと30分後に出発でしたので、これは幸いと切符を買いましたが、いざ乗り場に並ぶと、道路混雑で5分ほど遅れて到着・出発となりました。やはり金曜日の夕方は混んでいるのかと思いつつ乗り込みました。

渋滞はあたしの予想以上でした。羽田周辺はもちろんの頃、首都高の分岐・合流のところで渋滞が何か所もあり、首都高四号線の永福を過ぎるまではスムーズに走れない状況でした。

そこからは順調でしたが、結局自宅へ帰り着いたのは9時を回った頃でした。これなら羽田で素直にモノレールに乗った方がはるかに早かったです。バスもほぼ満席でのんびりゆったりという感じではなかったですから……(涙)。

今日の配本(19/10/24)

このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。

処女地です

研修旅行です。

羽田から高松へ飛び、高松の書店を訪問した後、一路南下。

と思いきや、まずは西へ向かうのですね。四国の東西の中央に近いところまで西進して進路を南に取りました。そこからはほぼ真っ直ぐ南下したようです。途中で吉野川も目にすることができました。

さて高知県は初めて足を踏み入れました。本格的な書店訪問は明日以降ですが、どんな旅の思い出が作れますでしょうか……

カバーのイメージ

近刊の『房思琪の初恋の楽園』のカバー、どう思われますか?

下に貼ったリンクのイメージには帯がありませんので、公式サイトのイメージを見ていただくと帯も入っています。そこには

先生、わたしのこと愛してる?

とあります。内容紹介には「美しい房思琪は、13歳のとき、下の階に住む憧れの五十代の国語教師に作文を見てあげると誘われ、部屋に行くと強姦される。」とありますから、どんな作品なのかはおよそ類推が着くと思いますが、邦訳版のカバーは作品を読んでから、あるいは半ばまで読んだ上で眺めると、非常に象徴的なものになっています。

もしあたしがこの作品を編集者として担当していたら、日本人ならおおた慶文、中国人なら平凡&陳淑芬の描く美少女のイラストを使ったのではないかと思います。そんなイメージを抱きながら読んでいました。主人公が可憐な美少女であればあるほど、この作品の苦しさ、読後感のモヤモヤした感じが表わせるのではないかと思うのです。ちなみに原書はこんな装丁です。

本作、原書が出てからも反響が大きく、既に翻訳者である泉京鹿さんが朝日新聞のGLOBEで紹介されていました。泉さんもこの中で

性的虐待、性暴力被害に女性たちが声をあげた「#MeToo」の世界的なムーブメントがもう少し早く起こっていたら、著者の林奕含は命を絶つこともなかったかもしれない。現在、筆者が翻訳中だが、読んでいるだけでも苦しい。気が付くと、息をするのを忘れている。

と書かれていますが、短絡的に#MeTooやフェミニズムに結びつけるのでなく、もっとさまざまな角度から読み解ける作品ではないかと思います。たとえば、一定年齢以上の男性であれば自分が「李国華」だったとしたら。思春期の男子なら自分の彼女が房思琪だったら、あるいは房思琪がクラスメートで彼女のことを好きになっていたら。女性なら、もちろん房思琪に重ね合わせて読むこともできるでしょうが、親友の劉怡婷や同じマンションに住む許伊紋の立場だったら。そして彼女たちの父親、母親だったとしたら。

本書が実話に基づいていると作者が書いているその実話が作者自身に起こったことであるか否かは別として、事実ではなくとも何かしらの真実を伝えていると感じられる作品です。

立川でそんなことやっていたのね!

新聞の折り込み広告、伊勢丹立川店のものが今朝の朝刊に入っていました。何気なく見ていましたら、「アール・ブリュット立川2019」の文字が。

アール・ブリュット?

知っている人は知っているのでしょうが、そもそも「何、それ?」という方も多いのでは? ネットを調べてみましたら、こんな情報がありました。

伊勢丹立川店では、10月23日(水)~28日(月)に、障がいのあるアーティストによる作品を展示します。伊勢丹立川店では、芸術支援、地域コミュニティへの貢献の一環として、アールブリュット立川実行委員会様と協力し、「アール・ブリュット立川2019(※)」を開催します。5回目を迎える本年は、10月23日(水)から28日(月)までの期間に、地元多摩地域在住の29名の作家による48点の作品を展示します。障がいのあるアーティストが自由な発想で表現した作品は、5階特別室、2階ギャラリースクエア、エスカレータサイドなどで無料でご覧いただけます。

へぇー、もう5回目なんですね。迂闊にも知りませんでした。

で、思い出されるのはちょっと前に刊行した文庫クセジュです。「アール・ブリュットって何?」と思われた方に是非一読をお薦めいたします。

帯に惑わされるな?

このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。

熱くて厚い

今朝の朝日新聞です。

ショパンの特集記事が載っていました。

いま、なんでショパンなの、という疑問はおくとして、確かに廃れることなく愛され、聞かれて続けていますよね。

あたしの勤務先も音楽ジャンルの書籍はそれなりに出しているのですが、ショパンですと現在品切れの『ショパンの手紙』があるくらいですね。もう少し他にもあったのではなかったかと思ったのですが、意外でした。

さて、そんな今朝の新聞各紙は、ほぼ一面はラグビーの記事が写真入りで踊っていました。

「にわかラグビーファン」が大量発生しているようですが、ルールとか選手ではなく、ラグビーそのものに興味を持たれた方も少なからずいるのではないでしょうか? そんな方々にお勧めなのが『ラグビーの世界史 楕円球をめぐる二百年』です。刊行早々に重版となった書籍です。

ご覧のボリュームなので少々お値段は張りますが、ラグビーについて歴史を学べる書籍は、恐らく日本ではこれくらいしかないと思いますので、日本は敗退してしまいましたけど、こちらをどうぞ!

そして最後は、あたしの勤務先の柱、語学のテキストのカタログです。

毎年この時季にカタログを作り、主に大学などで語学を教えている先生方に送り、来年度の採用を目指して働きかけるのです。もう少しするとテキスト実物も出来てきます。

なにせ大学の語学の授業で使われるわけですから、大規模な大学で統一採用になれば、一気に数百単位の出荷が見込まれます。これは売り上げにも大きなウェイトを占めますから、疎かにはできないところです。そうなると、やはりカタログの見映えもそれなりに考えてツクラないとなりませんね!

愛するってなんだろう?

Youtubeで「林奕含」を検索をするといくつもの動画がヒットします。以下に引用したのは、そのうちの一つです。

ごくごくフツーの若くてきれいな女性がインタビュアーの質問ににこやかに答えている動画にしか見えません。この時からそれほど時間をおかず彼女みずから命を絶ってしまうなんて、とても想像できません。しかし、それが事実です。

『房思琪の初恋の楽園』を読みましたが、苦しいです。そして男の身勝手さ、醜さが読んでいて吐き気が出そうになるほどです。そしてそんな男をも含んだ世間、社会の冷淡さ。そんな醜悪な世界の中で必死にもがき苦しみながら生きようとした主人公・房思琪(ファン・スーチー)の純粋さと解釈したら、恐らく作者に「あなたはこの小説を誤解している」と言われてしまうのでしょう。

「訳者あとがき」には

「誘惑された、あるいは強姦された女の子の物語」ではなく、「強姦犯を愛した女の子の物語」なのだと言いつつ「かすかな希望を感じられたら、それはあなたの読み違いだと思うので、もう一度読み返したほうがいいでしょう」と「かすかな希望」を否定する。彼女の思いも、愛する文学に救いを求めて客観的に描こうとする意識と、心の奥底に澱む絶望との間で、最後まで揺れ続けていたのではないだろうか。

とあります(267頁)。

本書をどう読むのが正解なのか、あたしにはわかりません。三人称で書かれた文体は、確かに房思琪を主人公としつつも、全体的な語り手は劉怡婷(リュウ・イーティン)でもありますし、その他にも複数の登場人物の心の声が折り重なってきます。誰の視点で読むかによっても異なる印象を与えるのではないでしょうか?

最初と最後は、豪華なマンションに暮らす住人たちの、ちょっとしたホームパーティーのシーンです。しかし、何の予備知識もなく描かれる最初の会食のシーンと、本書を読み通した後の会食のシーンがまるで異なる印象になるのは当たり前でしょう。そして最後の最後、マンションの前を通りがかった人のつぶやき、「申し分のないい人生」という言葉には皮肉が効きすぎているように感じられます。

ふだん、あまり人と本の感想を語り合いたいとは思わないのですが、本書だけは他の人がどう感じたか、どう受けとめたのか、聞いてみたいと思いました。読書会向けの本というには苦しすぎますが。

カフカの『変身』

今朝の朝日新聞読書欄です。

冒頭の特集は先日お亡くなりになった池内紀さんでした。

数多ある著訳書の中から書影が載っていたのは3点。その中にカフカの『変身』がありました。もちろん白水Uブックス版です。シェイクスピアが引かれるときにしばしばUブックス版の小田島訳が使われるように、カフカが引用されるときに使われるのは池内訳が多いような気がするのは贔屓目でしょうか?

こんなのやってました

新宿の紀伊國屋書店でこんな小冊子が配布されていました。

「読書の秋」とあります。アンスティチュ・フランセと紀伊國屋書店のコラボフェアのようで、全国数店舗で行なわれているようです。

東京会場がこの紀伊國屋書店新宿本店で「フランス語翻訳書籍フェア」ということで硬軟取り混ぜて、フランス関連の書籍が並んでいました。11月23日までのようです。