これだけ徳を積んでも人間に生まれ変われない?

映画「僕のワンダフル・ジャーニー」が公開されました。前作の「僕のワンダフル・ライフ」の続きになるようです。

ストーリーはどちらもほぼ同じ、何度でも生まれ変わっては飼い主の元に戻ってくる犬の物語です。前作は既にブルーレイなども販売されていますし、WOWOWで放送もされましたし、近々地上波でも放映されるようです。まあ、続編が公開になるタイミングで前作を放送するのはよくある話です。

あたしの場合、姪っ子たちが犬を飼っていて、大の犬好きということもあり、WOWOWでやった時に録画しておいてやったりしましたが、自分自身は見ておりません。ただ、予告編などでストーリーだけはだいたい知っているというわけです。

で、主人公とも呼ぶべきこの犬、健気で立派ですよね。こんなに飼い主のために尽くして生きているなんて……。しかし、ちょっと待ってください。仏教的に考えると、いくら生まれ変わっても犬に生まれ変わってしまうのって、どうなのでしょう?

いや、この映画の舞台にしろ主人公たちにしろ、恐らく仏教徒ではないからそんな感覚や常識な通じないんだよ、というもっともな突っ込みは理解できます。しかし、一応は仏教徒であるあたしからすると、これだけ立派な行ないをした犬が、次に生まれ変わったら、一足飛びにヒトとは言わないまでも犬よりはヒトに近いサルとかチンパンジーに生まれ変われないなんて、ちょっと理不尽な気がします。これだけ何度か生まれ変わったのですから、そしてこれだけ立派な行ないをしていたのですが、三回目くらいには人間に生まれ変わってしかるべきではないか、そんな風に思ってしまうあたしはおかしいのでしょうか?

あたしには批判精神が足りない?

今朝の朝日新聞の「声」欄にこんな投書がありました。

この投書、何のことを言っているのかわからない方も多いと思いますが、あたしが察するに京王バスモットクパスのことだと思います。

ふだん使っていないとわかりづらいかも知れませんが、京王バスでは停留所名を明記した定期券ではなく、料金区間ごとの定期券を発売しているのです。あたしは200円区間の通勤定期券を所持していますが、最寄りのバス停からJRの駅までが200円区間だからなのですが、京王バスであれば、その路線以外でもこの定期券があれば200円区間内は乗れるのです。200円を超える場合は、超えた分を払わないとなりませんが、多摩地区で乗るぶんには250円や270円程度がほとんどですから、あと50円、70円を払えばよいだけです。

この定期券(モットクパス)が、こんどの消費税アップでどうなるかということで、この投書の方は不満というか文句というか、つまりは異議申し立てをしているのですね。あたしも、10月初旬にバスの定期券が切り替えになるので、消費税アップになる前に買ってしまった方がよいのか、京王バスのウェブサイトで確認してみました。

200円区間と言っても、パスモなどのICカードで払うと、これまでは195円でした。それが10月1日からは199円になるそうです。そうなると、1日以降、あたしの定期券では毎回乗るたびに差額の4円が、チャージしてある中から引き落とされるわけです。もし消費税アップ前に定期券を買ってしまうと、乗るたびに4円取られます。往復で8円です。月に20日間出勤するとしたら160円になります。

ところで定期券の金額ですが、現行では6か月で47,250円ですが、これが10月1日以降は48,280円に値上がりです。その差は1,030円です。上述の月々160円を6か月払うと960円ですから、もし通勤だけにしか使わない、月に20日だけというのであれば、差額が引き落とされたとしても現行の金額で定期券を買った方がお得ですね。

しかし、定期券って土日に出かける時だって使いますし、果たして月に20日以上出勤することはないのか、などと考えると微妙な金額の差です。と、あたしもあれこれ考えて、素直に新しい値段になってから買うつもりなのですが、「それはおかしいだろう」と投書主のように批判精神を持たなければいけなかったのでしょうか? しかし、モットクパスの場合、決まった区間の定期ではなく、同じ金額ならどこでも乗れる・使えるというタイプの定期券ですからね、そのあたり法律的にどうなのでしょうか?