あたしの勤務先で、昨日の夕刊の一面を眺めていたら、この本を思い出したので、ついつい置いてみました。
ダニ・ロドリックの『貿易戦争の政治経済学』です。
各紙の見出しと本書のタイトルが、なんとなくシンクロするように感じるのはあたしだけでしょうか?
それにしても、米中の貿易戦争の行方はどうなるのでしょうね? 既に世界の株式市場に影響が出ていますが。
あたしの勤務先で、昨日の夕刊の一面を眺めていたら、この本を思い出したので、ついつい置いてみました。
ダニ・ロドリックの『貿易戦争の政治経済学』です。
各紙の見出しと本書のタイトルが、なんとなくシンクロするように感じるのはあたしだけでしょうか?
それにしても、米中の貿易戦争の行方はどうなるのでしょうね? 既に世界の株式市場に影響が出ていますが。
今朝、自宅のPCの電源を入れてしばらくすると、こんな画面が現われました。
そう言えば、昨晩、PCの電源を切るときに「更新してシャットダウン」を選んだのでした。「ああ、更新作業の最終プロセスね」くらいの気持ちでしばらく待っていましたが、一向に終わる気配がなく、しばらくしてPCの前に戻ってくると、こんどはこんな画面になっていました。
「ありゃ?」という感じです。さあ、どうしましょ?
この画面もいつまでたっても終わらないので、結局のところ、一度電源を強制的にオフにして、再度起動させてみました。そうしたら、何とかいつもどおり起動したので、こうしてPCをいじっておりますが、果たして更新されているのでしょうか?
昨日の朝日新聞の「声」欄です。「こどもの日」ということで、子供からの投書を特集していましたが、そんな中の一通です。
8歳というと小学校3年生でしょうか。夜は8時に寝るのですね。まあ、そのくらいが平均なのでしょう。
でも、お父さん、お母さんはもっと遅くまで起きていてずるいと感じているようです。
が、わが家の場合は異なります。むしろ逆です。
いえ、あたしは結婚もしていなければ子供もいませんので、姪っ子や甥っ子が遊びに来ているときの話です。別に姪っ子や甥っ子が夜更かし型だと言っているのではありません。この投書の子供と同じ程度の就寝時刻です。
ただ、あたしがそれよりも早く寝てしまう(床に就く)ことが多いのです。子供たちがまだテレビを視ていようとお構いなく、あたしは眠かったら7時半くらいには床に入ります。8時には寝てしまっていることもたびたびあります。
なので、先日、ちょっとしたプレゼントを姪っ子に送ってあげたとき、ありがとうの電話が夜の8時過ぎにかかってきたのですが、姪っ子は開口一番「もう寝ちゃった?」と母に聞いたそうです。
考えてみますと、この十連休中も基本的には朝は5時過ぎには起きていました。明日からまた仕事なので、今日は体を慣らすために4時過ぎに起きました。明日からは4時前起床の生活が戻ってきます。
ゴールデンウィークだからって出かけるなんて思わないでください。そんな政府や経済界の策略に乗ったりはしません。自宅に籠もっています。近所のコンビニやスーパーに時々出かけることが数回、これがあたしのゴールデンウィークです。
では何をしていたのかと言いますと、読書です。
いや、読書三昧と呼ぶにはPCの前に座っている時間もあれば、テレビを視ている時間もそこそこありましたので、読書もしていた、と言う方が正確だと思います。
で、読んでいたのは、まずは『路地裏の子供たち』です。ゴールデンウィークに入る前から読み始めていたので、この連休の前半で読み終わりました。
スチュアート・ダイベックの短篇集で、シカゴの街で何となく不満があるようなないような、思うように生きているような生きていないような、そんなわけもなくむしゃくしゃしているような若者が描かれています。タイトルは「子供たち」ですが、登場するのはもう少し年が上、中学生、高校生といったところでしょうか。大人でもなく子供でもなく、といった世代です。
次に読んだのは『海の乙女の惜しみなさ
』です。
こちらも短篇集ですが、登場人物たちの年齢はグッと上がって、人生の折り返し地点を過ぎ、よーく見れば先の方に人生のゴールが見えつつあるような世代です。
だからといって悲壮な作品ではありません。もちろん黄昏た感じはありますが、まだまだ夕日を浴びて光り輝いている世代です。真昼の太陽の力強さこそありませんが。
ちなみに、アマゾンのトップページで検索窓に「海の乙女の惜しみなさ」と入力して検索すると同じデニス・ジョンソンの『ジーザス・サン』はヒットするのですが『煙の樹
』はヒットしません。なぜなんでしょう?
さて、最後に読み始め、いま途中まで読んでいるところなのは『カッコウが鳴くあの一瞬』です。中国の作家、残雪の、こちらも短篇集です。いみじくもゴールデンウィークに短篇集ばかり読むことになってしまいましたが、その理由はあたしの勤務先が続けざまに短篇集を刊行したからに他なりません。
乃木坂46のニューアルバム「今が思い出になるまで[TYPE-B]
」の特典Blu-rayです。
「欲望のリインカーネーション」はまっちゅんとずーが格好よく決めてくれましたが、若干ボーカルの迫力不足が……
「空気感」はオリジナルはお姉さんメンバーの楽曲ですが、それを若手で披露。こういう風に歌い継いでいくというのは、ファンの中には批判もあるでしょうが、よいことだと思います。
「コウモリよ」は、とにかく生ちゃんが歌うとすべてが生ちゃんのオリジナルだったのではないかという錯覚を覚えます。でも先輩が後輩(三期生)を従えて取り組むというのはよいことだと思います。
「醜い私」は梅澤プロデュース。一期生、それも錚々たるメンツを従えてよく披露したなあと思います。その心意気を褒めるべきでしょう。
「低体温のキス」は企画枠でしょうか? 若様の格好良さを存分に活かしたナンバー。三人とも舞台経験の多いメンツなので、舞台上で見せる点でもよく出来た一幕でした。
「あらかじめ語られるロマンス」はセーラームーンチームが披露。カワイイ印象のナンバーでしたが、さゆはピッタリはまっていたと思います。
「女は一人じゃ眠れない」は映画のテーマソングだったはず。飛鳥はオリジナルでも歌唱していたはずですが、今回はドラマーとして参加。乃木團復活(?)と思われましたが
、飛鳥のドラムだけでしたね。そこがちょっと残念。
「流星ディスコティック」はまいやんとまっチュンのナンバー。それをなーちゃんと与田ちゃんで披露。師弟コンビというのでしょうか、とにかく微笑ましい空気が感じられました。
「あなたのために弾きたい」は、今回の白眉かもしれません。乃木坂メンバーは、実はピアノをやっていたという子も多いのですが、生田絵梨花という怪物のためほとんどの子が封印していましたが、今回真夏が蛮勇をふるって挑戦。見守る生ちゃん、飛鳥の眼差しが優しく温かかったですね。
「意外BREAK」はお姉さんメンバーのイメージが強いナンバーですが、みなみが披露。みなみも、ひなちまも、まあやも最年少に近いメンバーでしたが、いまやこれからの乃木坂を背負っていく立場になったんですねえと感慨もひとしおです。
「まあいいか?」はまいやんと真夏のナンバー。それを玲香と若様で披露。やはり息の合ったペアで披露するとはまる曲ですね。この時の玲香と若様はとっても可愛くてきれいでした。
「君に贈る花がない」はサンクエトワールの楽曲。それを絢音ちゃんが三期生を従えて披露。絢音ちゃんももっと選抜の中心に立つべきだと感じた次第です。
「孤独兄弟」は言わずと知れたまいやんとななみんの曲。この曲をよくも披露できたなあと、その勇気を褒めたくなります。たぶん梅澤プロデュースだと批判も多かったのではないでしょうか? 新内プロデュースだからライブの余興として成立したのではないかと思います。、個人的には玲香と若様、あるいはさゆと万理華のペアで見たかった気もしますが、これからの時代なら久保ちゃんと美月のペアでしょうか?
「太陽に口説かれて」は美彩先輩のプロデュースですが、もともとの歌唱メンバーでもあります。どういう意図のあった人選なのでしょうね?
「月の大きさ」はもう一つのセーラームーンチームの披露。なので高山プロデュースではありますが、最後は美月がセンターに立っていました。これは致し方ないところでしょう。
「水玉模様」は生駒ちゃんのソロ曲。それを生ちゃんが歌い継ぐとは粋な演出です。生ちゃんなりの、生駒ちゃんリスペクトでしょうか? しかし、生駒ちゃんより数段巧かったのでは?
「ライブ神」はようやく登場のまいやんがまっちゅんと披露。二期生曲をあえてこの二人で披露するというところがたまりませんね。
というわけで、Blu-ray2枚に収められたジコチュープロデュース。このメンツでこの曲が聴きたかった、という願望はファンならいろいろ思ったことでしょう。それはあたしも同じです。今後のライブでもこういうコーナー、随時企画して欲しいものです。
ようやくにして乃木坂46のニューアルバム「今が思い出になるまで[TYPE-A]
」の特典映像「ジコチュープロデュース」を視聴。
とりあえず[Type-A]を視聴したので、その中から印象に残っているものをいくつか感想を交えつつ……。
「忘却と美学」は、これ口パクではなくて生歌でしたよね? 美彩先輩と生ちゃんというコンビですから、やはり歌を聴かせないと始まりません。出だしこそ、美彩先輩もフラフラしていましたが、後半はさすがの歌唱力だったなあと感じました。
「シークレットグラフィティー」は、オリジナルのひなちまもよかったですが、未央奈もこういう格好がよく似合います。ただ、オリジナルのMVがストーリー仕立てでよく出来ていたぶん、それをステージ上で改めて表現するのは難しかったかなあと感じました。
「ごめんね、スムージー」はオリジナルが温泉トリオの三名ですが、今回はカワイイ格好大好きな三名が挑んだ、という感じでしょうか。だからでしょうか、みなみよりもゆったんとまっちゅんが楽しんでいたのが印象的でした。
「せっかちなかたつむり」はオリジナルではお姉さんメンバーの楽曲。それに与田ちゃんが挑むとは。とにかく与田ちゃんが先輩たちに可愛がられるのを愛でるという構成になっていました。なーちゃん、かなしか、ずーというオリジナル歌唱メンバーがほぼ半分加わっていたのもよかったかなという印象でした。
「行くあてのない僕たち」を美月が披露するのはかなりの冒険だと感じました。なにせオリジナルは万理華とさゆによる、名曲と評価の高いものですから。格好よく歌い上げるという面では美月はハマっていると思いましたが、パートナーが誰になるのかが注目でした。葉月が出て来たときは「人選ミス?」と思わなくもなかったですが、これはよい意味で裏切られました。
なーちゃんのソロ曲「光合成希望」をズーを中心としたチューリップのメンバーで披露。光合成だからチューリップなのはダジャレ?
からあげ姉妹の「無表情」は真夏となーちゃんで。やはりこの二人のペアは乃木坂の歴史を知るファンからすると胸に来るものがありますね。なーちゃんが無表情で真夏のことを邪険に扱うのも定番の流れ。
「僕が行かなきゃ誰が行くんだ?」は飛鳥がなんでこの曲を選んだのかがよくわかりませんが、曲よりもお面をかぶるという演出を楽しんでいたようですね。しかし、飛鳥は本当に顔が小さいです。
「その先の出口」は蓮加が先輩を従えて披露。メンバーを見ただけで緊張感が伝わってきますが、蓮加は思いのほかのびのびと楽しんで歌っていましたね。先輩後輩のよい関係が垣間見られてよかったです。
「白米様」はなーちゃん率いるスイカメンバーによるパロディーになっていましたね。なーちゃんが本当に楽しそうでした。
「2度目のキスから」は真夏さんリスペクト軍団の曲。みなみときいちゃんが可愛く仕上げていました。オリジナルよりもよかったのではないかという気もします。
「Against」は一期生曲であり、生駒ちゃん最後の代表曲。それを絢音ちゃんがパフォーマンスしたというのは同じ秋田出身の生駒に対するリスペクトでしょう。一期生曲を二期生が歌うことに批判の声が上がるのも承知で挑んだ心意気に拍手。ダンスはやはり生駒ちゃんの方がはるかに上ですが、これは練習と経験次第でしょう。今後も絢音ちゃんがパフォーマンスしてくれることを期待します。
ひめたんのソロ曲「自分のこと」をさゆが熱唱。これはもうそれだけで泣きそうになりました。それにさゆが神々しいまでに美しかったです。
「大人への近道」はネタですね。まいちゅんの早変わりを楽しませてもらいました。
「命の真実 ミュージカル「林檎売りとカメムシ」」は、さゆりんご軍団で披露。歌詞も軍団に寄せてちょっと改変していましたね。あたしはやはり蘭世が好きなんだなあと改めて思った次第。
最後に「やさしさとは」を桃子と飛鳥で。この曲はどうしてMVが作られていないんだと言われるほどの名曲。そして、ななみんを思い出す曲です。桃子がこの曲を選んだのはなぜなのでしょう? ただ一緒に歌った飛鳥はきっとななみんを思い出しながら歌っていたことでしょう。
「ゴールデンウィークはどこへも出かけずに自宅でNetflix三昧」といったCMが流れていますが、あたしもほぼ出かけずにゴールデンウィークの前半を終えました。ただし、テレビばかり見ていると言うよりは、主に読書をしていましたが……
ただ、気分転換に、少し前にWOWOWで放送していたハリウッド版の「リング」三作を録画しておいたので一気に視聴しました。
まずは第一作目の「ザ・リング」です。日本版「リング」に比べると、おどろおどろしさはかなり少ないですが、ストーリーはほぼ忠実になぞっている感じです。息子役の子供がどうしてもダミアンに見えてしまうのは気のせいでしょうか?
続いては第二弾「ザ・リング2」です。日本版では松嶋菜々子は早々と死んでしまって主人公は中谷美紀だったと思うのですが、本作では第一作と同じくナオミ・ワッツが主人公のままで謎解きに奔走します。なので、これはハリウッド版の独自ストーリーということになるようです。
貞子ならぬサマラの出生の秘密は本作である程度明らかにされますが、養子にもらわれた先で養父に怖がられ、おかしなことが周囲で起きるようになり、精神に異常を来した養母によって殺され井戸に突き落とされる、という展開です。日本版では井戸の中で三十年近く生きていたとされていますが、ハリウッド版は七日とされていて、それがビデオを観てから七日目に死ぬことの理由付となっています。
サマラと交信(?)できる息子がちょっとずつ助け船を出し、その息子の命と引き換えにするかのようなギリギリの方法でなんとかサマラを退治したような主人公親子ですが、果たしてサマラの呪いは終わったのでしょうか?
最後が「ザ・リング リバース」です。日本版では仲間由紀恵演じる貞子がまだ子供のころから青春時代を描いた「リング0」というのがありました。時間軸的には「リング0」「リング」「リング2」という順番になると思います。しかし、本作はそういった時間軸的に「ザ・リング」「ザ・リング2」と並ぶものではなく、独自の物語として作られているようです。
ただし、主人公(?)であるサマラがいて、牧場を経営する養父母のの里子になるも養母に殺され井戸に突き落とされるという設定は踏襲されていますし、サマラの実の母親がエベリンだというのも同じです。前掲2作ではエベリンは精神病院に入院していましたが、本作ではどうやら既に亡くなっているようです。エベリンがサマラを生んだ経緯はその町の司祭に監禁・レイプされて妊娠したようです。
この司祭はサマラをも殺してしまったようですが、それはサマラの周囲でおかしなことが起こるようになったからみたいです。日本版では子供のころの貞子が二人に分裂するような設定がありましたが本作では皆無です。そして、たとえレイプされて産んだ子供とはいえ、どうして周囲でおかしなことが起きるのか、そういうおかしなことを起こす力の依って来たるところは何なのか、それが描かれていないのがちょっと不満です。
『路地裏の子供たち
』読了。
ダイベックの最初の短篇集と言うだけあって、原書が刊行されたのはかなり以前の1980年になります。時代は昭和ですね。
日本の年号による時代区分をアメリカ作家の作品に持ち込むのはどうかと思いますが、とはいえ、この作品にはどことなく懐かしい、昭和を彷彿とさせる世界が描かれています。
確かに、描かれている街の様子はアメリカです。シカゴには行ったことがありませんが(と言う前に、アメリカに行ったことがありません!)、シカゴを知っている人であれば、作品に描かれている街の様子を思い浮かべながら読むことができるのでしょう。そういう意味では、あたしにはイメージできないところは確かに存在します。
しかし、何と言うのでしょう、作品世界から漂ってくる空気というのでしょうか、そういったものには昭和の風景に通じるものが感じられるのです。下町であったり、町外れであったり、新興住宅街であったり、場所はいろいろイメージできますが、とにかく昭和を感じられる作品です。決して平成や、ましてや令和などではありえない、そんな空気が漂っています。
文体も、これだけで判断できるものではありませんが、最近の作家の文体とはリムと言いますか、言い回しと言いますか、なんかちょっと異なります。翻訳を読んでいるだけでそんな判断を下してよいものかとも思いますが、やはり最近の作品を読んでいるときとはちょっと異なる読書の時間を味わいました。
令和の初日に、昭和の香りのする作品を読み終わるなんて、なんとも不思議なものです。それに路地裏って、今の若い人はどんな情景をイメージするのでしょうか?