令和の世に路地裏なんて

路地裏の子供たち』読了。

ダイベックの最初の短篇集と言うだけあって、原書が刊行されたのはかなり以前の1980年になります。時代は昭和ですね。

日本の年号による時代区分をアメリカ作家の作品に持ち込むのはどうかと思いますが、とはいえ、この作品にはどことなく懐かしい、昭和を彷彿とさせる世界が描かれています。

確かに、描かれている街の様子はアメリカです。シカゴには行ったことがありませんが(と言う前に、アメリカに行ったことがありません!)、シカゴを知っている人であれば、作品に描かれている街の様子を思い浮かべながら読むことができるのでしょう。そういう意味では、あたしにはイメージできないところは確かに存在します。

しかし、何と言うのでしょう、作品世界から漂ってくる空気というのでしょうか、そういったものには昭和の風景に通じるものが感じられるのです。下町であったり、町外れであったり、新興住宅街であったり、場所はいろいろイメージできますが、とにかく昭和を感じられる作品です。決して平成や、ましてや令和などではありえない、そんな空気が漂っています。

文体も、これだけで判断できるものではありませんが、最近の作家の文体とはリムと言いますか、言い回しと言いますか、なんかちょっと異なります。翻訳を読んでいるだけでそんな判断を下してよいものかとも思いますが、やはり最近の作品を読んでいるときとはちょっと異なる読書の時間を味わいました。

令和の初日に、昭和の香りのする作品を読み終わるなんて、なんとも不思議なものです。それに路地裏って、今の若い人はどんな情景をイメージするのでしょうか?

平成を引きずるわが家でありました

右の写真は、わが家の柱にかかっている、日めくりカレンダー型の壁掛け時計です。よく見ていただければわかるように、「平成31年5月1日」という、存在しない日付が表示されています。(って言うか、朝の5時前から起きているなんて!)

この時計を購入した頃には、もちろん将来の改元は予想できたにせよ、いつの時点でどんな元号に変わるのかなんてわかっていませんでしたから、メーカーも対応していなかったので、半永久的に「平成」が続いていくのだと思います。

こういう時、電波時計なのだから、巧いこと電波を送ることで修正(アップデート)できないものだろうか、とも思いますが、そもそも液晶に「昭和」「平成」「令和」といった元号を表示するフォントなどを入れておかないとならないわけですから、ちょっと難しいでしょうね。

メーカーのホームページに改元に伴う対処法が載っているのですが、何のことはありません、元号表示ではなく西暦表示に切り替えてください、というものです。この製品を買った人の中には西暦だけでなく年号でも表示できるところを気に入って購入した人も多いと思うのですけど……

というわけで、わが家も当分は西暦表示にはせず、しばらくは平成の時を刻み続けていきたいと思います(笑)。

ところで、今回の改元に絡むニュースを見ていて思ったのですが、「さようなら、平成」というのであれば理解できますが、多くの人が「ありがとう、平成」と言っていたのに違和感を感じました。なんで「ありがとう」なのでしょうか? 何に対する感謝なのでしょうか? とりあえず日本は戦争もなく平和だったからでしょうか? しかし、自然災害はとても多かった時代ですし、景気だって書明の肌感覚ではずーっと悪かった印象ですし、恨み言の一つを言ったとしてもとても感謝をする気にはなれないのですが、あたしは。