山手線新駅は、やはりホルスタインの模様がそこらじゅうにあるのでしょうか?

数十年ぶりに出来るという山手線の新駅、名前が「高輪ゲートウェイ」に決まったそうですね。

ゲートウェイと聞くと、例の牛の模様、PCメーカーを思い出してしまいます。

あっ、知らないですか、ゲートウェイ?

ひところは、ずいぶんと売れていたんですよ。

それはともかく、山手線の駅の名前です。

あたし自身は、カタカナが入っていても別に構わないです。カタカナや英語、横文字を入れるなんて、という意見も根強いとは思いますが、あたしは「別に、いいんじゃない」というスタンスです。

でも、今回のゲートウェイはいただけません。

「Gateway」って「入り口、出入り口」っていう意味ですよね? そういう意味がある言葉を駅の名前に使うのはどうなのでしょう? 要らぬ誤解を生みやしないかと思うのです。

「高輪ゲートウェイ駅の東口」なんて、英語や他の言葉に翻訳した時にどうなってしまうのでしょう? それがちょっと心配です。それに、乗り換えとか、これからの人の流れを考えるのであれば、「泉岳寺駅」にして、既にある地下鉄の泉岳寺駅との乗換駅にするべきだったのではないかと、そう思うのですけどね。

あと、発表されている字面は「ゲートウェイ」ですが、「ゲイトウェイ」「ゲートウェー」「ゲイトウェー」など、書き方が何通りもできてしまいそうです。

ちなみに、あたしのように根っからの東京人なら「ゲェトウェエ」という発音になります。

とりあえず買ってみた、食べてみた!

ローソンとゴディヴァがコラボしたスイーツです。

セブンイレブンに対し、ローソンはスイーツに力を入れているような気がしますね。これもウチカフェの商品の一環のようです。

ご覧のように、今回いただいたのは「ショコラミルフィーユ」で、要冷蔵と書いてあったので冷蔵庫で冷やしてから食べましたが、思いのほか硬いので、食べる時は少し前に冷蔵庫から出して、ちょっと溶かして(?)から食べた方がよいのかも知れません。

お味の方は……

ゴディヴァのチョコをほとんど食べたことがないので、「こんな感じだったかしら?」という思いが沸き起こってきました。

もう少し、スイーツスイーツしたものをイメージしていたのですが、比較的大人好みと言いますか、若干の苦みもあって、あたしとしては「フツーに甘いくてフワフワのが食べたかった」と思いました。

もう一つ「フォンダンショコラ」もあるようですが、こちらはまだ食しておりませんし、買ってもいません。週末かしら?

実は、他にも「スノーボンブ」のミニサイズを買って食したのですが、これが思いのほか美味しかったです。いや、余計なものが入っていないので、非常に食べやすくて、これは大ヒットでした!

一面に登場!

今朝の朝日新聞です。

一面に登場と言っても、サンヤツ広告ではありません。それよりももうちょっと上になります。

はい、「折々のことば」欄です。引かれているのは、この夏に刊行された『風の演劇 評伝別役実』です。

各紙誌でも紹介された本書、読書欄に掲載されるのも売り上げに効果がありますが、こういうところの紹介もそれに負けず劣らず反応があります。

別役ファンなら既に買った、読んだという方も多いのでしょうが、こういう記事をきっかけにそれ以外の人にも広がる可能性がありますし、こちらとしてもそれを期待しています。

あたしは保温ポットを買ったからよいのですが……

営業回りのお供と言えば、ペットボトルのドリンクです。

夏は熱中症対策もありますから必需品です。

人によってチョイする飲料はさまざまですが、右のようなサイズのペットボトルを買っている人が多いような気がします。確か、500mlですよね?

お茶にしろ、ジュースにしろ、炭酸飲料にしろ、夏の時季、このサイズのコールドドリンクはよくあります。しかし、炭酸飲料となると、このサイズはちょっと多すぎる気がします。

それに一気に飲むのでなければ温くなってしまうので、夏に炭酸飲料やジュースを飲むのであれば、左のような350mlサイズが好きです。お茶などであれば、多少温くなっても飲めるので500mlでも構いませんが……

しかし、そろそろ寒くなってきて、ホットの飲料が恋しい季節です。

ホットの場合、ほぼ決まってペットボトルは左の350mlサイズです。上掲の500mlサイズのホットドリンクって、自販機でもコンビニでも見かけません。

なんででしょう? すぐ冷めてしまうからでしょうか?

ちなみに、あたしはこの夏に保温ポットを買ったので、自宅から持参しています。途中で飲み干してしまった場合、買った飲料をそこへ注ぎます。夏はいつまでも冷たく、冬はずーっと温かいので、やはり保温ポットは素晴らしいです。

あれから一回り

来年はイノシシ年です。

十二支ですから、その前のイノシシ年というのは2007年ですね。その2007年に、母と妹と三人で中国へ行っております。あたしにとって、現時点では最後の訪中です。日程は2月8日から14日までの7日間です。

上記リンクを見ていただければおわかりのように、西安と北京を回った旅行でした。西安では陝西省の博物館へ行ったり、映画のセットではありますが阿房宮を見に行ったり、兵馬俑や華清池を見学したりといったお決まりの観光地を巡りつつ、夕食に行った徳発長の餃子コースが美味しかった想い出があります。

西安から北京へ向かい、春節も近いということで、待ちには新年の用品がいろいろ売られ、飾られていたのですが、至るところに豚のオブジェがありました。イノシシ年というのは日本であって中国ではどうやらブタ年が一般的なようでした(笑)。

で、一枚目の写真は、泊まっていた新僑飯店のすぐ南、北京に行ったら、ジュースだ、お菓子だ、日用品だと必ずに買い物に出かける新世界商場の前にあったオブジェです。かなり仰々しくと言いますか、金ピカなブタでした。

二枚目は、北京動物園にあった、干し草で作られたオブジェです。

これは、ブタなのかイノシシなのか評価が分かれそうですが、やはりブタでしょうね。イノシシなら牙を付けないと雰囲気が出ませんから。

これら二枚の写真だけではわかりにくいかも知れませんが、この歳のイノシシ年は60年に一度の縁起のよいイノシシ年(金のブタ年?)だということで、かなり派手に飾られていた印象があります。中国もまだまだ成長期、翌年のオリンピック、その後の上海万博を前に、国中が上昇ムードに満ちていた時代でした。

最後の写真は、そんな北京にあったイトーヨーカドー売られていた豚のぬいぐるみです。お腹にある文字が異なる二タイプを記念に買いました。帰国後は長らくマイカーの中でマスコットとして飾られていましたが、来年のイノシシ年を前に、自宅へ持って帰ってきたところです。

麻薬とかスパイとか

本日の朝日新聞別刷「GLOBE」は麻薬特集です。GLOBEというタイトルどおり、世界各地の状況がレポートされています。ミャンマーの「黄金の三角地帯」のことも書かれています。それで思い出すのが『辺境中国 新疆、チベット、雲南、東北部を行く』です。

同書の第三部「雲南」では、国境を越えて麻薬や人身売買が行なわれている地区のありさまが描かれます。読みながら、「著者の人、こんなことしちゃって大丈夫なんだろうか?」と少し心配になりました。

それにしても、あのあたりの国境地帯、本当に無法地帯であり、無国境地帯のようです。まあ、中国(漢民族)から見たら蛮族の居住地であり、自分たちには関係ない、という感覚なのかも知れません。

同じくGLOBEの書籍紹介コーナー。

あたしの勤務先でもお世話になっている園部哲さんが紹介しているのはベン・マッキンタイアーのスパイもの。

マッキンタイアーと言えば、あたしの勤務先でも『ナチが愛した二重スパイ』を刊行しております。マッキンタイアーは一貫してこの手の作品を書いているんですね。

少し前にも、イギリスでロシア人の父と娘が暗殺されかかった事件がありましたが、英国では「007シリーズ」ではありませんが、日本よりもスパイが身近な存在なのでしょう。だから、こうして新刊が次々に発表されているんですね。

二鍋頭のこと

東方書店のTwitterでこんな本を知りました。

あたしも編集部時代にはたいへんお世話になった榎本先生のエッセイです。タイトルは『躑躅の思い出 中国語六十年』ですが、このタイトルを見た時に思い出したのが、岩波新書からかつて出ていた倉石武四郎著『中国語五十年』です。

というわけで、出版元である伴想社のサイトを表示しながら岩波新書を並べてみたのが右の写真です。

別に五十年と六十年でどちらが長いのか比べてみても意味がないでしょう、時代が異なりますから。それぞれの来し方を知るのが楽しさだと思います。そんなことを思っていると、「岩波新書、復刊されないのかなあ」なんて考えてしまいます。岩波新書が無理なら、ちくま文庫あたりで復刊してくれないものでしょうか?

さて、同じく東方のTwitterで知ったのが、同社の新刊『魯迅と紹興酒』です。こちらは営業回りの途次、店頭で実物も目睹しています。ページを開いて目次を眺めていましたら、「2 北京の二鍋頭」という文字が飛び込んできました!

おお、二鍋頭酒! 懐かしいです。

冬の北京と言えば、羊のしゃぶしゃぶ(涮羊肉)と二鍋頭酒が定番。あたしもよくいただきました。まだ学生だった頃、北京に資料調査へ赴き、北京大学の先生と大学構内の食堂でいただいたのが思い出されます。

夕食ではなく昼食だったのですが、いくら飲んでも次から次へと二鍋頭酒が出て来て、最後はもうへべれけ状態でした(汗)。当時の二鍋頭酒は、あたしが北京のスーパーなど見た限り、55度と65度の二種類が売られていました。飲んでいたのは65度の方だったはずです。二鍋頭酒を飲んでいると、ビールがまるでチェイサーのように感じられたものです。

上述の北京大学での会食は、その後、北京大学から都心部のホテルまでタクシーで戻ったのですが、交通渋滞と路面の悪さもあって、あたしは完全に酔っ払ってしまいました。ホテルに着いたらバタンキュー、何もする気が起きない状態でベッドに横たわっていました。

が、さすがは蒸留酒です。その晩、8時か9時を回った頃に、スーッと酔いが醒めてしまったのです。自分でも驚くほどすっきりとした気分で、こんどはお腹が空いてくる始末。それ以来、北京に行くと二鍋頭酒をスーパーで買っては、ホテルで晩に飲んでいました。しかし、だんだんと度数が低くなっていったのは老北京の健康を慮ってのことでしょうか?

平凡社と仲良く!

ネットでバズっているということで、Uブックスの『黄泥街』と平凡社ライブラリーの『チェコSF短編小説集』を併せ買いしている人が多いようです。お互いにとって予期せぬ僥倖。中国の作品とチェコの作品なので、普通なら何の共通項も感じられないのですが、海外文学ファンの嗅覚には同じ匂いが感じられるのでしょうか?

 

そんな平凡社とはもう一つ、こんな併せ買いもお薦めです。

 

英語原典で読む経済学史』と『経済学者はこう考えてきた』の二冊です。どちらも著者は根井雅弘さん。

先日の日本経済新聞「活字の海で」で取り上げていただきましたので、既に両方とも買いました、という方もいらっしゃるかと思いますが、単行本と新書なので大きな本屋さんだと近くに並んでいることはあまりない二冊です。

前者の内容は

本書は、英語力を鍛えながら、経済学を学ぶという、大学の「原典講読」を書籍化したものである。アダム・スミスからリカード、ミル、そして限界革命とケインズ革命。英語原典で触れることで、読者は奥深い社会科学の森に足を踏み入れる。知的刺激を覚醒させる一冊。

という感じ、一方の後者は

マルクスの『資本論』は、資本主義崩壊の論理を解明し、ケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』は、マクロの経済安定を図る「有効需要の原理」を確立した。制度化された現代の経済学教育では、こうした古典的な考えは重視されない。しかし今でも、経済危機が訪れるたびに過去に解を求めるのは、時代を画した優れた経済理論の根底には必ず、確たる思想があるからだろう。経済学の古典的名著から学ぶ意義は、現代においても、決して色あせることはない!

という内容。併読してみたくなる両書ではないでしょうか?

そして、この二組以外にも、まだまだいろいろ出来るのではないかと思案している今日この頃。

フランスの20年?

先のダイアリーで「坐忘を思い出す」と書きましたが、「坐忘というのは忘れることだから、思い出していけないのではなかったか」と、今さらながら思っています。

さて、近々、岩波新書から『フランス現代史』という新刊が出るそうです。岩波新書では、かつて同名の本が出ていたはずですが、著者を変え新しいものが刊行されるようです。同書は

1944年の解放から、「栄光の30年」、五月危機、石油危機、「ミッテランの実験」の挫折、新自由主義、そしてマクロン政権成立──フランスの戦後を通観すると、そこには「分裂と統合の弁証法」というダイナミックなメカニズムがみえてくる。欧州統合の動きにも着目しながら現代フランスの歩みをとらえる通史。

というのが内容紹介です。

フランスの現代史と言えば、昨年、ちくま新書から『フランス現代史 隠された記憶』というのが出ていますが、こちらは第一次世界大戦から残る戦争の記憶と言いますか、フランスの暗部を描いたもので、通史的なものではありませんでした。

 

今回の岩波新書は、いわゆる通史のようですから、基本的な知識を得るにはちょうどよいのではないかと期待しています。通史的なフランス現代史と言えば、中公新書で『フランス現代史』が出ていました。1998年刊行の書籍です。

パリ解放とドゴールの凱旋によって出発したフランスの戦後には疲弊した経済の立て直し、植民地解放運動への対処等課題が山積していた。とりわけアルジェリア紛争は国内分裂を招きかねない危機であった。これを乗り切ったドゴールの指導力も、五八年五月の学生反乱を契機とする変革の波には抗し切れなかった。高度産業社会は伝統的価値観も転換させたのである。英雄の時代からコアビタシオン(保革共存)へ向かうフランスの試行の足跡。

という内容のようです。ちょうど20年後の今年、岩波新書版は中公新書版に対し、どういう内容の追加があるのでしょうか? フランスのこの20年には何があったでしょう?

サッカーW杯におけるジダンの頭突き事件に端を発する移民問題、シャルリエブド事件やパリ同時テロ事件など、解決が難しい問題が山積のような気がします。

 

あたしの勤務先も『シャルリ・エブド事件を考える』『パリ同時テロ事件を考える』なんて本を出していますので、《フランス現代史を考える》なんてフェアが出来るかも知れませんね。