「写真と恋とカフェの日々」ってどんな日々?

本日の朝日新聞読書欄です。

三元社の『マン・レイ 軽さの方程式』が大きく紹介されていました。

「あれ、マン・レイってどこかで聞き覚えが……」と思ったら、そうです、あたしの勤務先でも『マン・レイ 写真と恋とカフェの日々』なんていう本を出していたのです。うっかりしておりました。

ただ現在、在庫僅少なので、注文があったとしても十分に対応できるかどうか……

三元社の本は

マン・レイ(1890-1976)はダダイスム、シュルレアリスムなど20世紀の華々しい芸術運動の一員として理解されてきた。だが、絵画、写真、オブジェ、映画など、媒体にしばられることなく機智と謎に満ちた創作を続けた彼の思想は、そうした時流を超えたものだった。芸術には進歩がなく、それゆえ自身の作品は永続すると断言するマン・レイ。現代美術の問題を先鋭的に体現する芸術家マン・レイを再定義する。

という内容。日本人研究者による書き下ろしです。

 

あたしの勤務先の一冊は

マン・レイにはカメラがあった。だからだれとも親しくなれた。カフェで語らい、けんかをし、恋に落ちる……名作はこうした交友関係から生まれた。大戦間の息吹を伝える楽しい読み物。

といった内容。こちらは翻訳書です。興味を持たれた方はお早めにどうぞ!

これは全くの都市伝説? 現在真偽を調査中(笑)

大阪・十三の本屋で『十三の物語』が爆発的に売れているという噂。

いや、何も言うまい。売れるに任せましょう。(ところで、何という本屋さん?)

東京の地下鉄・南北線の車内に『評伝 鶴屋南北』の中吊り広告があるという噂。

ラッピング電車が走っているという噂よりは現実味があるけれど、四ツ谷駅の構内に広告があるという方がよりリアルではないかしら?

BとK、新宿の西と東で

夏の本屋と言えば文庫のフェア、というのがお決まりですが、出版社企画のフェアではつまらない、個性が出ない、というのもよく聞く話です。

かといって、自分で選書して発注するとなると、日々多忙な書店員にはなかなかハードルが高いというのも理解できます。

しかし、新宿駅の西と東にあるブックファーストと紀伊國屋書店では、それぞれ夏の独自フェアを開催しております。それなりの規模の書店だからスタッフも大勢いて、こういう作業も手分けしてやれるから、という恵まれた環境もあるのでしょうが、やはり意識の差なのかもしれません。

まずはブックファースト新宿店。

こちらは「2018夏の文庫フェア」で、タイトルだけ見ますとまるっきりどこぞの大手出版社の文庫フェアのようですが、

大型連休がやってくる夏にこそ、普段なかなか読めない古典作品や名作をじっくりと読んでみませんか? 新宿店では、スタッフ100名がオススメする“名作文庫”を集めたフェアを開催しております。誰もが知っている古典から、もっとたくさんの方に読んでいただきたい隠れた名作まで、約200点を取り揃えました。ぜひ、お立ち寄りくださいませ。

という内容紹介を見てもわかるとおり、完全に独自選書のフェアです。スタッフ100名ということなので他店の社員やアルバイトの方まで協力・参加しているのでしょう。こういう一致団結してできるところにも、その書店のよさが感じられます。

続きましては駅の東側の紀伊國屋書店新宿本店。

こちらは既に紹介しましたが、「単行本・夏の100冊」です。

出版業界、夏といえば文庫本100冊ってことになってますが、我々は天邪鬼なのでやります。《単行本・夏の100冊》。文学担当達がガチで選んだ名著・怪著。夏ってだけでハイになって買える本もある。むしろじゃないと手さえ出せない本もある。いやいける読めるだって夏だし!特典付。ぜひ

読んでわかるとおり、世間が文庫、文庫と騒いでいるなら、こちらは単行本で勝負だ、という趣旨のフェア。確かに、文庫レーベルを持っていない出版社の刊行物ですと、他社で文庫化されない限り単行本で読むしかありませんし、そういう中にも名著はゴロゴロ転がっているものです。

鞄に忍ばせて持って歩くには単行本はかさばりますが、最近は分厚い文庫本も増えていますので、実際の分量としては単行本の方が多くて、文庫本の方が少ないとは限りません。それに、本を読むスピードって分量よりもないように入り込めるか否かではないでしょうか?

ところで、この両店のスゴいところは、これだけのフェアをやりながらも、店内のあちこちでミニフェアやミニ特集をいくつもやっているところです。日々、本を目にしながら「この本を中心にコンアフェアをやってみよう」というアイデアがどんどん湧いてくるのでしょう。

プーさんに似ていると思いますか?

今朝の朝日新聞に載っていました。

うーん、こんな娯楽映画にすら検閲が入るとは……

いや、娯楽作品だからこそ神経を尖らせているのかも知れませんね。

とはいえ、習近平ってそんなにプーさんに似ているのでしょうか?

「そんなこと言ったらプーさんに失礼だ」という正論はおくとして、ずいぶん前からプーさんに似ている、プーさんを使って習近平を批判する人がいる、というのは知っていましたが……

まあ、あまりにも似すぎていて、そのものズバリだと却って規制されやすいでしょうから、このくらいの方が、「習近平とは似ても似つかないじゃない」と言えるくらいがちょうどよいのかも知れませんね。

しかし、今回の件、アメリカとの関税報復合戦と何らかの関わりがあるのでしょうか?

後ろ向きと前向き?

この二冊、なんとなく装丁の雰囲気が似ていませんか?

 

岩波書店の『中国が愛を知ったころ』とあたしの勤務先の近刊『ここにいる』です。前者はアジア太平洋戦争下の中国大陸に生きた張愛玲の作品。後者は大安の若手作家王聡威の作品です。

同じ中華圏の作品だから似てしまった、ということはないと思いますが、あたしの印象では一人の女性を前から眺めたものと後ろから眺めたもの、という感じなんです。

ただ、上の画像ですと『ここにいる』の方は帯が掛かっていてちょっとわかりにくいですよね?

外すとこんな(↑)感じになります。スマホをいじっているようです。『中国が愛を知ったころ』は裁縫か何かをしているところのようですから、著者と作品の時代性というがよく表わされているのではないでしょうか?

綿あめと呼ぶべきか、それとも綿菓子と呼ぶべきか、いや、そもそもこの二つは同じものなのか?

今週は姪っ子たちが遊びに来ているので、一日くらいは仕事を休んで相手をしてあげなければと思い、あいにくの空模様ではありましたが、休暇を取ってららぽーと立川立飛へ行ってきました。

その理由が左の写真です。

姪っ子が、原宿にあるインスタ映えする綿菓子屋さんに行きたい、噂の綿菓子を食べてみたい、と言うのです。それで調べてみると、ららぽーと立川立飛の中にも出店しているとわかり、出かけてきたわけです。

原宿でもよかったのですが、この天気ですので、近場の立川にあるのにわざわざ都心の方まで出かけていくのも大変なので、マイカーでサッと向かったのです。

で、姪っ子が行きたいと言っていた綿菓子屋さんというのが「トッティキャンディファクトリー」です。

あたしもずいぶん前にテレビで紹介されているのを見ましたが、確かにカラフルで、そしてかなり大きな綿菓子だったという印象です。姪っ子もテレビかなにかで知って、東京へ行ったら食べてみたいと思ったのでしょう。

ご覧のように、予想どおりの大きさでした。でも、綿菓子って潰したら小さくなっちゃうんですよね(爆)。姪っ子たちは喜んで食べていました。

ところで、これって「綿菓子」でよいのでしょうか? それとも「綿あめ」と呼ぶべきなのでしょうか?

あの本とこの本を……

ふと店頭で目についた他社の本。その隣に、あたしの勤務先のこんな本が並んでいればと感じたものを少々。

 

まずは、5月に講談社から発売された『ジークムント・フロイト伝 同時代のフロイト、現代のフロイト』と『父フロイトとその時代』です。

 

続いては、4月に原書房から刊行された『パリ地名大事典』と『パリ歴史事典』です。ただし『パリ歴史事典』が現在品切れなので申し訳ないです。

 

最後は、7月に人文書院から刊行された『暴力とエロスの現代史 戦争の記憶をめぐるエッセイ』と『廃墟の零年1945』です。これはテーマもそうですが、原著者が同じイアン・ブルマという共通項があります。

おまけにもう一つ。

新水社から5月に刊行された『ヨーロッパはプラハで死んだ ヒトラー、スターリン支配下の文学風景』です。そろそろ委託期間も終了になるかと思いますが、あたしの勤務先から9月に『プラハ、二〇世紀の首都 あるシュルレアリスム的な歴史』という新刊が出ますので、それまで並んでいると相乗効果も期待できるかな、と思っています。