特別快速に乗りたいという気持ちは理解できますが……

東京の大動脈、中央線の話です。でも、たぶん、他の路線でも同じようなことはあると思います。

何が言いたいかと言いますと、特別快速の話です。

中央線は並行して走る総武線が各駅停車なので、基本は「快速」という位置付けになっています。しかし、中央線を利用している人なら誰もが思っているように、快速運転をしているのは東京から中野までの区間で、中野以西は各駅停車になります。

中野から先、終点の高尾まではまだまだかなりの距離があります。これを各駅運転するのに「快速」を名乗るのはどうなのよ、と沿線住民は多くの人が思っているはずです。いや、各駅停車もないと困るのはわかります。あたしが言いたいのは、そして多くの方に同意していただけると思うのは、中野から各駅停車になるのではなく、せめて三鷹までは快速運転にならないか、ということです。なぜなから三鷹までは総武線が並行して走っているので、中央線を各駅停車させる必要がないからです。

いや、朝のラッシュ時は中央線と総武線の両方で捌かないと混雑は緩和されない、という意見があるかもしれませんが、中野・三鷹間の乗客は意外と多くの人が中央線に乗ろうとするのです。新宿や御茶の水方面に少しでも早く着きたいからなのでしょう。だからこそ、朝のラッシュ時だけでも三鷹から新宿まですべて通過にしたら、総武線に乗客が分散され、中央線の混雑が緩和されるのと思うのです。

で、話がそれました。特別快速の話です。

そんな快速とは名ばかりの中央線快速に対し、特別快速は、上りの場合、立川を出ると国分寺、三鷹、中野にしか停まらず、あとは快速と同じく新宿、四ッ谷、御茶の水、神田、東京と停車します。立川から東京までですと快速とは所要時間に多少の差ができます。ですから、皆さん、特別快速に乗ろうとするのはわかります。

でもですね、この季節、旅行に行くために東京駅まで向かう家族連れ、特に小さい子供やお年寄りと一緒の家族の方々、わざわざ混雑している特別快速に乗らなくてもいいじゃないですか! 子どもや赤ん坊が混雑して苦しい車内で可愛そうですし、お年寄りだって席に座れません。

無理は言いません、快速に乗って行けばいいじゃないですか。そりゃ、快速だって中央線のことですからガラガラってほど空いているわけではありません。それでも特別快速よりは空いていますし、座れる可能性も高まります。東京駅へ着く時間が遅くなるって言ったって、家を出るのを少し早くすれば済む話です。どうして、快速に乗らないのでしょう?

あたしなど、先日も姪っ子たちを連れて出かける時、国分寺や三鷹で特別快速に乗れたとしても、空いている快速で行くことが多いです。特に座席に座れた時などはあえて立ってまで特快に乗る必要を感じません。着くのが少し遅くなると言っても、何十分も違うわけではなく、せいぜい数分ですから。

そんなことをこの季節は考え、思いながら中央線に乗っています。

やはり不可解

昨日は、虎ノ門の台湾文化センターで『ここにいる』の原作者・王聡威さんのトークイベントでした。書籍の会場販売に行って来ました。ちなみに本日午後にも、下北沢のB&B川本三郎さんとのトークイベントがありますので、お時間がある方はどうぞ。午後3時からです。

さて、昨日のイベントは訳者の倉本さんが最初に王聡威さんと『ここにいる』を中心とした王聡威さんの作品の解説をされ、その後約1時間、王聡威さんがお話をされるという流れでした。

まず王聡威さんについては、作品ごとに作風を変え、『聯合文学』の編集長として雑誌を刷新するなど、常に新しいことに取り組んでいる方でした。今回の『ここにいる』も全編、主人公とその周辺人物の独白(証言?)のみで成り立っている作品で、納得できるような客観的事実は提示されません。すべて発言者の思い(思い込み? 偏見?)であって、真相は藪の中という印象です。

ただ、考えてみますと、王聡威さんが着想を得たという大阪の母子餓死事件もネットで検索する限り、結局親子が餓死しなければならなかった状況にどうして至ってしまったのか、わからずじまいです。続報も見つかりません。SNSの発達した現代社会は、他人から縁を切られるのではなく自分から縁を絶ってしまうことも多いようで、そうなると第三者からは接触のしようもなくなるのかもしれません。

  

大阪の事件、現在の台湾も他人事ではないようです。王聡威さんが講演の中でNHKの番組に触れていました。どうもNHKスペシャルの「無縁社会」シリーズを指しているようです。台湾でもこういう問題が増えているのでしょう。台湾は昔からのしがらみが一方で日本以上に残っていそうなので、孤独もより深刻なものになってしまうのでしょうか。

で、結論と言いますか、感想としては、王聡威さんの他の作品も読んでみたい、ということです。あと、日本ではまだ刊行されて間もないですが、台湾では本作の感想、男性読者と女性読者とでは異なる傾向があるのか、そんなところが気になりました。

止めるな!

いま、何かと話題の映画「カメラを止めるな!」のちょっとコラージュしてみました。

題して「読書を止めるな!」です。いかがでしょうか?

もう少しレタッチと言いますか、コラージュのスキルがあれば、もっと巧く作れたのと思うのですが、まあ、素人の手慰みと思ってご寛恕いただければ幸いです。

レシピではなく随筆、読んで味わうものです

本日の朝日新聞一面「折々のことば」に『隠し包丁』からの引用が紹介されていました。

もともとは単行本として刊行されたものですが、現在はご覧のようにUブックスになっています。

つきぢ田村の田村隆さんの著作としては『返し包丁』と『つきぢ田村の隠し味365日』がありますが、どちらも現在在庫僅少となっています。

料理人の本と言われれば、いわゆるレシピ本を想像されるかも知れません。確かに、他社からはつきぢ田村のレシピ本が刊行されています。ですが、本書はそういうものではなく

「いただきます」の期待感、「ごちそうさま」の読後感。つきぢ田村の三代目が、腕によりをかけ、うわさの料理の精神を豊かにつづった、創造への探求心あふれる33品のおいしいエッセイ

です。

たまにはこういうのもよいのではないでしょうか?

人気いまだ衰えず……

昨日の朝日新聞夕刊です。

あたしの勤務先でもたいへんお世話になっている宮沢章夫さんの記事が載っていました。

14歳の国」が再演されるそうです。

あたしの勤務先で刊行した、書籍版の『14歳の国』は現在品切れなので、せめて「こんな本でした」という写真だけでもご紹介いたします。

この作品、「高校の演劇部などから上演したいという声が今も寄せられる」そうなんですね。やはり、高校生にとって、いまだにリアルな、感情を揺さぶられる作品なのでしょう。

それが見えたら終わり?

録画しておいた「IT/イット “それ”が見えたら、終わり。」を視聴。

以前のバージョンも放送していましたね。そちらも録画してありますが、なんとなく以前に見たことあるような、そんな気もします。とりあえず最新作の方だけを試聴しました。

うーん、こんなストーリーだったっけ? という気もしつつ、子どもたち菜不安な心理を逆手に取ったホラーでした。どの子も不安を抱えているからこそITを目撃してしまうのでしょうね。もし何不自由なく、健全な精神と健全な肉体を持っている子供だったらITを見てしまうことなんてないのでしょう。

さて、ブルース・リーの映画を見終わると、誰もが「アチョー」と叫びたくなるように、見た映画に感化されるのは避けようがありません。あたしも、いい歳をしてそういうところがあります。ただし、あたしの場合、ホラー映画であることが多く、ホラー映画の中に入り込んでいる夢をよく見ます。そして、特に超人的な力を持っているわけではないのですが、なぜか悪霊とか悪魔に対して滅法強いキャラになっています。うーん、これはやはり超人的な力と言えるのでしょうか(汗)。

で、夢の一例ですが、ゾンビなどが出て来ます。ソンビに咬まれると咬まれた人間がゾンビになったりするものですが、あたしの場合、体内にゾンビを浄化してしまうエキスが流れているのか、あたしを咬んだゾンビの方が死滅してしまう(ゾンビの場合「死滅」という表現が正しいのかわかりませんが)のです。可哀想なゾンビたち、あたしなんかに噛みついたりしたばっかりに……

最近の夢の中であたしは「悪霊に取り憑かれた人よりも、あたしに狙われた悪霊の方が悲劇だ」とのたまわっているのです。あたしはこの先どこへ向かうのでしょう?

検閲の厳しい国で本屋が増えているとは……

こちらも朝日新聞のコラムです。

「焚書坑儒」なんて、ずいぶんなタイトルですが、確かにあの国ではそういった面がありますね。本に限らず、テレビドラマや映画でも。

あたしが学生の頃も、思想、歴史系の学術書、それも中国古代を扱っているのに、やたらと「地主階級」とか「搾取」といった共産主義的な用語が散りばめられた書籍が多々出版されていました。

素人目にも、そういう書き方をしないと出版させてもらえないのだなあというのがわかったものです。まえがきだけ毛沢東思想や共産党を礼讃してみせ、中味は実直な学術書というのも多かったです。あの手この手、まさに上に政策あれば下に対策あり、の社会です。

それにしても、中国の出版界、日本とは別な意味で厳しいですね。この先どうなってしまうのでしょう?

2018年8月30日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー