死刑とは?

まもなく、『デリダと死刑を考える』が発売になります。

あたしの勤務先では右の写真のようにデリダ関連では「ジャック・デリダ講義録」として『獣と主権者Ⅰ』『獣と主権者Ⅱ』『死刑Ⅰ』の三冊と『デリダ伝』を出しております。(書名からもおわかりのように、いずれ『死刑Ⅱ』も刊行予定です。)

少々お値段の高い本ではありますが、この機会にまとめて展開していただけると幸甚です。

新刊『デリダと死刑を考える』は巻頭で

 ただし、本書の読者として想定されるのはデリダの仕事に興味をもつ人だけではない。死刑制度に賛成にせよ反対にせよ関心を寄せる人に--いや、死刑制度への関心が薄い人にも--広くお読みいただければと願っている(そもそも、これは『死刑Ⅰ』についても同様に言えることである)。
なぜ、本書のような企画が立てられるのか? それは、二つの困難が私たちの前にあるからである。一つは日本における死刑存廃論(とくに廃止論)の困難であり、もう一つはデリダによる議論の困難である。

と編著者が述べています。デリダを手掛かりに、意欲的な論考が並んでいる一冊です。

なお文庫クセジュに『死刑制度の歴史』という一冊もございますので、興味のある方は是非。

本物の松茸なんだそうです

本日のわが家の食卓。

松茸ご飯に松茸のお吸い物、そしてほうれん草のおひたし。

松茸ご飯は、京都の寺町三条にある「とり市老舗」の「松茸ごはんの素」を使っています。京都の方に教えてもらったもので、以前にも買ったことがありましたが、先日の研修旅行の折、帰郷前の京都駅で購入しました。

日本産なのかはわかりませんが、本物の松茸を使用した松茸ご飯の素です。お焦げもできて美味しくいただきました。

お吸い物は、誰もがご存じ、永谷園です。

目的はほうとう!

昨日山梨へ行ったのは、十年越しの母との約束、ほうとうを食べに行くためでした。

が、昨日のダイアリーには肝心のほうとうのことが出て来ませんでした。申し訳ありません。

ほうとう屋さんは、それこそ山梨県には数え切れないくらいあると思います。どこへ行ったらよいのかわからず、ネットでいろいろ検索してみましたが、却って混乱するばかり。

そこで、確かTBS系「バナナマンのせっかくグルメ!!」で紹介されていたお店があったなあ、なかなか雰囲気のよさそうなところだったという記憶があったので、そこへ向かいました。

それがこちら、「皆吉」です。

テレビで見た印象、ウェブサイトの写真などを見ると、火なり広い敷地を予想していたのですが、確かに素敵な庭はありましたが、予想とは異なり、ローカルな街道沿いの一軒でした。

箸袋にルビが振ってあるのでおわかりと思いますが、「皆吉」は「みなきち」ではなく「みなき」と読みます。

建物は、かなり大きな農家というのでしょうか、それなりに古いもののようです。

台ヶ原から到着したのは午後1時のちょっと前。お昼時が終わる頃なのでそれほど混んでいないだろうと予想したのですが、店の前には何人も待っている人がいて、あたしたちは「30分以上、1時間まではかからないと思いますけど……」と言われてしまいました。

あらかじめメニューを選んで注文しておき、縁側でひなたぼっこをしながら順番を待ちました。周囲にはぶどう園がたくさんあり、バスツアーとおぼしき人たちが何人も集団で歩いていました。すぐ近くにはシャトレーゼもありました。

お店に通されるまで、確かに一時間はかからなかったと思いますが、席に座ってからほうとうが出てくるまでに20分ほどかかったと思いますので、お店に到着してからですと、ほうとうにありつくまで一時間以上はかかりました。

そして、あたしが食したのは左の写真、きのこほうとうです。

ほうとうは腰が強く、大きなニンジンとカボチャ、それにジャガイモがゴロゴロとたくさん入っていて、その間に数種のきのこがふんだんに入っている一品でした。

母が注文したのは鳥肉ほうとう。

基本的な具材はあたしと同じ。ただし、きのこはそれほど入ってなく、代わりに名前のとおり、鳥肉がコロコロとたくさん入っていました。

こちらもちょっともらって食べてみましたが、やはり鳥肉の出汁が出ているので、スープの味がきのこほうとうとはちょっと異なりました。

最後にもう一度、皆吉の建物を撮ってみましたが、植木があるのでこんな感じです(汗)。

ここもそうですし、台ヶ原宿もそうですが、紅葉はまだちょっと早いのかな、という感じでした。この季節なので紅葉を愛でることも目的に一つだったのですが……

もちろん昇仙峡とか、そういうところなら違うのでしょうが、車窓から眺めた限り、きれいな紅葉はどこにもありませんでした。紅葉も黄葉もなく、むしろ枯れているだけ、というところが多かったのは気候のせいなのでしょうか?

上の写真は、確かに黄色、緑、赤と揃っているように見えますが、赤が赤と言うよりは茶なのが残念でした。紅葉よりも茶葉という感じのところばかりでしたね。

もう少し丹念に見て回ればよかった?

昨日訪れた山梨県の台ヶ原。

「七賢」の店先にこんなMAPが置いてありました。

こうしてみると台ヶ原地区、観光スポットが点在していたようです。よさそうなところに見えますが、至ってのどかな田舎でした。

国道20号線も新宿や調布あたりの甲州街道と同じ20号線とは思えないほど交通量が少なかったです。

そして地図を見るとわかるとおり、金精軒七賢のある通りが本来の甲州街道だったのですね。確かにそういう雰囲気は残っていました。

そしてもう一枚。

こちらは七賢の構内マップです。

いや、改めてこのマップを見て、七賢ってもっと奥の方まで敷地があったんだなあ、と驚きました。こんな広かったとは。

「洗心の池」とか「東門」くらいは見ておきたかったものです。

そしてやはり日本酒を一本くらいは買って帰るべきでした。

それにしても、このあたりは「白州」と呼ばれているようで、きれいな水の町として知られているそうです。「白」で「水」なんて、あたしの勤務先と縁を感じる町です。

甲斐国に竹林の七賢人あり

母親と「山梨へほうとうを食べに行こう」と約束をして早幾年月。

一年とか二年とか、そんなレベルではなく、もしかすると最初に母と話をしたのは十年以上前のことかも知れません。これはまるで芸能人の「そのうち飯でも…」と同じです(汗)。

しかし、遂に重い腰をあげる時がやって来ました。それが今日でした。来週は三連休なので、高速をはじめどこもかしこも混雑しそうなので、その前の週の今日であれば、それほど混んではいないだろうという予想です。

そこで山梨へと車を走らせました。

まず向かったのは右の写真、信玄餅の「金精軒」です。甲府を通り越して、北杜市にあるお店です。

信玄餅というと桔梗屋が有名ですが、以前テレビで「生信玄餅」というものが紹介されていて、それを売っているのが気胸屋ではなく、ここ金精軒だったというわけです。

ご覧のように歴史を感じさせる建物ですが、その金精軒の斜め向かいにも重々しい建物がありました。

それが左の写真、「七賢」という酒蔵でした。蔵の見学などもやっていて、お酒をはじめとした各種物産を扱っている売店もありました。

ところで、このあたりは台ヶ原と言って、甲州街道の宿場町として栄えたところなんですね。七賢の隣には明治天皇の行在所もありました。

そして、七賢と聞けば、中国史ファンであれば竹林の七賢人を思い出すでしょうが、そのとおり、七賢の名前が付いた日本酒の瓶がディスプレイされていました。ラベルに書かれているのが七賢の名前です。知らない人が観たら、これが人の名前だとわからないのかも知れませんね。

「七賢」という名前の日本酒が売られていましたが、一本くらい買ってくればよかったと、今さらながら公開しております。どうしてもクルマで出かけると「お酒はダメ」という意識が働いてしまいます。買って帰るぶんには全く問題ないのですが……

 

そんな台ヶ原宿、金精軒のお店のそば、路傍に上の写真のような置物がありました。

カエルです。よく見ると、背中には子どもをおんぶしていました。

カップの秘密? いえいえ、コップの秘密

昨日の朝日新聞にこんな記事が載っていました。

ハーゲンダッツのカスタードプディング味。

「期間限定で販売した時に好評だった」とありますが、以前に販売された時、あたしは食べた記憶がありません。いや、それとも食べていたのでしょうか?

いずれにせよ、今回発売されたら食べればよいことです。近所のコンビニで取り扱ってくれることを祈るのみです。

そして、こちらは今朝の朝日新聞。

中国の、この手のネガティブニュースには事欠きませんが、これくらいは特に驚かないレベルです。十二分にありえると思います。

ただ、「五つ星ホテル」で、ということに多少の衝撃はあります。

でも、ホテルのランキングでよく聞く「星」って誰がつけているのでしょう? 勝手に名乗れませんよね? そうなると、国際ホテル協会(そんなのあるのかしら?)みたいな団体が認定しているのでしょうか? だとしたら、中国のホテルは、審査員の査察が入る時だけ表面を取り繕って五つ星を取得していたのでしょうか?

素朴な疑問として、今回みたいなことが発覚したら、つまりホテルとしてのレベルが落ちたら、五つ星から四つ星とか三つ星にランクが下がるのでしょうか?

それにしても、中国人であれば「トイレもコップも、ものすごーくきれいなタオルで拭いているのに……」という感覚なのではないでしょうか?

「無口なライオン」とか「他の星から」とか

帰宅途中、自宅近所のセブンイレブンで買ってしまいました。

AKB48新聞です。

今号の巻頭特集はNMB48のエースでキャプテン、山本彩卒業でした。当然、表紙もさや姉の写真です。

えっ、左の写真はさや姉じゃないって? はい、そのとおり。こちらは裏一面です。

乃木坂46から卒業する若月佑美と西野七瀬のインタビューが掲載されているのです。

この二人のコンビ、好きです。同い年で雰囲気も好対照でバランスがよいと思います。92年組のまいやん、ななみん、まっつんの御三家が有名ですが、94年組の西野、若月、桜井という「御三家」も乃木坂46にとっては捨てがたい三人組だと思っています。

公式YouTubeで公開されているのはショートバージョンですが、この三人のトリオの魅力が堪能できるのは「無口なライオン」や「他の星から」ではないでしょうか? というよりも、この三人が好きな人はこの楽曲が大好きなはずです。

さて、AKB48新聞を読んでみると、改めて二人の絆が感じられました。新曲では曲の途中で二人が見つめ合って踊るシーンがあり、卒業する二人ということもあって、とても素敵で、ダンスの見どころとなっています。

ところが、最近は舞台仕事があるため、新曲披露の歌番組では若月が出演できないことが続いています。そして、若月の役回りを秋元真夏が務めています。

秋元真夏と西野七瀬というペアも、若月・西野コンビニ負けず劣らずドラマのある二人なので悪くはないのですが、新曲のあのシーンはやはりなーちゃんと若様がしっくりくると、AKB48新聞を読んで改めて思いました。

そして、残された桜井玲香……

イタリア推し?

真ん中は、先日刊行された『イタリア語のABC[改訂版]』、その左右は本日見本出しの新刊です。

なにやら、イタリア語の新刊が続いている感じです。

別にそういうわけではなく、他にもいろいろ出しているのですが、もしかすると書店の語学書担当の方からは「最近イタリア語が続くなあ」と思われてしまうかも知れません。

なんででしょう? たまたま刊行時期が重なっただけなのでしょうか?

ちなみに、『イタリア語のABC[改訂版]』は書名からもわかるとおり、定番ロングセラー文法書のリニューアル版、左右の新刊はグラマーとドリル、セットで学ぶ新刊となっております。

黄泥街を探して

先のダイアリーで写真を紹介した長沙晩報。

よく見ると「黄泥街書市旧影」写真の下に、次のページがあることを示す矢印のようなボタンがあって、更に何枚か当時の黄泥街の写真が見られます。確かに、かつては本屋街として賑わっていたようですね。

ちなみに、実際の黄泥街について書かれた『黄泥街』という書籍も中国で出版されているようです。

さて、その写真の更に下にこんな文章が載っています。

我们都见识过长沙黄泥街书市的繁华。那时临近新年,黄泥街肯定摩肩接踵、车水马龙;每家书店门前都挂满了喜气洋洋的年画、挂历。

曾经长沙黄泥街书市的名头真是太大了,列全国四大书市之首。该书市以黄泥街为主体,共辐射“五街六巷”,至1996年中期,共计开有书店286家,名列全国图书发行二渠道之首,当年文运街、长康路、长治路、府后街、南阳街等街道,均开满书店。

1997年11月7日,黄泥街书市整体搬迁到定王台,当年11月16日,定王台书市正式开业。从此黄泥街书市成为历史,而定王台书市则浮出水面。

黄泥街书市随着改革开放春潮涌动而诞生于1983年,距今已整整三十年。可惜,目前罗斯旦先生匆匆从相册中找到的旧影,仅仅只展现了黄泥街发展过程中的一个侧影。最鼎盛时期的黄泥街书市的风光,还有待罗老师继续在他的底片中去寻找……

本屋が他所へ移ったりして、黄泥街の賑わいはこのような写真の中だけのものとなってしまった、といったようなことが書かれています。これって、『黄泥街』を読んだ方なら気づくと思いますが、同書の話者(主人公?)の感慨に通じるところがあるように感じられないでしょうか。

こんなふうに寂れてしまった実際の黄泥街のイメージが、残雪の『黄泥街』創作に影響を及ぼしているとか、現実の黄泥街の興廃に着想を得て『黄泥街』が書かれたなんて想像するのはいきすぎでしょうか、ね?