古典をBLで解釈しなくても

朝日新聞読書欄です。

あたしはBLは全く読みませんが、そういう方面が好きな方が、こういうところから古典に興味を持ってくれるなら嬉しいことだと思います。

しかし「古典文学をBLで」と言う前に、そもそも古典の世界はBLの宝庫ではないでしょうか? いや、古典の世界ではなく、古典の時代と言った方がよいでしょうか?

あたしの恩師の一人である小松茂美先生が、平安時代の貴族の日記にそういう記述がたくさん出てくる、ということを機会あるごとに話してくれました。BLではなく男色です。何ら珍しいことではなく、日本史においてはごくごく普通の現象だったようでもあります。

《BL古典セレクション》というシリーズが始まるそうですが、それよりもはるか以前、あたしが学生の頃、既に私説三国志 天の華・地の風』という小説がありました。

全10巻で、かの有名な三国志の諸葛孔明を主人公とした物語です。

当時もそれなりに三国志は人気でしたから、この作品は中国古典を専攻していたあたしにはとても衝撃でした。第一巻しか読んでいないですが、復刊されて現在も手に入るみたいですね。

といった、古典世界のBLはおくとして、話を小松先生に戻しますと、実際に平安貴族や寺院における男色はお盛んだったようです。「男色」を書名に使っている本は何冊も出ていますけど、もっと簡便にまとめた、紹介したものが新書の形態であれば、是非買って読んでみたいと思います。

小松先生が存命なら……

上下本に飽き足らず?

近刊の『第三帝国の到来(上)』『第三帝国の到来(下)』は、こんな装丁です。

やはり、カバーにはヒトラーです(汗)。

あたしの勤務先お得意の上下本です。どちらも400ページほどですから、それほど分厚いという感じは受けないのですが、それはもう感覚が麻痺してしまっているからでしょうか?

それにしても、上下本、どれくらいあるのでしょう? 一度、上下本だけで注文書というか一覧表でも作ってみましょうか?

しかし、今回は上下本どころの騒ぎではありません。以前『第二次世界大戦1939-45(上)』『第二次世界大戦1939-45(中)』『第二次世界大戦1939-45(下)』という三巻本を出していますが、それすらも可愛く見えます。なんと今回は《第三帝国の歴史》全六巻! そのうちの二巻なのです。

この後にさらに、『権力を振るう第三帝国(上・下)』『戦時第三帝国(上・下)』という4冊が控えております(刊行はまだまだ先の話ですが……)。

それにしても、ヒトラーとナチ関連の書籍って、あたしの勤務先だけでどれくらいあるのでしょう? こんど一堂に並べてみようと思います。

もどかしい販促

先日の天野健太郎さんの訃報。

  

あたしの勤務先から出ている、天野さんの翻訳書の注文がポツリポツリと舞い込んできています。そんなお店からの電話口で、書店の方が「ちょっとコーナーを作ろうと思いまして……」と言うのを聞いてとても嬉しくなりました。

とはいえ、だからといってこちらから注文書を作って書店に案内するというのも、なんとなくおかしな気がします。海外の著名な作家が亡くなった時などは「追悼!某々」といったチラシを作ってファクスで案内したりしますが、やはり日本人だと身近すぎて、そんなことをすればやりすぎではないかと言われかねません。

悩ましいところです。

個人的にはもう一つ、近刊の文庫クセジュ『双極性障害』があります。

乃木坂46を卒業した中元日芽香(ひめたん)が体調を崩して活動を休んでいた理由が双極性障害を患っていたからだそうです。そんなことを聞いてしまうと、本書が俄然身近に感じられます。

言いたいのはそういうことではなく、これがハッピーな話題であるならば「乃木坂46の人気メンバーも大注目」といった煽り方もできると思いますが(ひとまず事務所の許可の件はおくとして)、本人が患っていた病気に関することですからね。

もちろん、ひめたんが「この本を読んで一歩前へ進めました」のようなコメントをブログやTwitterでみずから発信してくれるのであれば話は別ですが。

この手の話題は、書店で担当の方と話す時の話柄に留めておくに限るのでしょう。

笑えるシェイクスピア?

朝日新聞の記事です。

「ロミオとジュリエット」が笑える舞台になっているようです。

と聞いて思い出したのが『バンヴァードの阿房宮』です。副題に「世界を変えなかった十三人」とあるように、「大きな夢と才能を持ちながら歴史に名を残せなかった人々に光を当て、数奇な生涯を紹介した」一冊です。

いろいろな人物が載っているのですが、その中に「ロミオとジュリエット」を十八番にしていた俳優のエピソードがあります。本書が刊行された当時、朝日新聞の読書欄で、当時の書評委員・三浦しをんさんがこんな風に書いてくれました(2014年9月28日付)。

私が特に好きだったのは、前述した十九世紀のロミオ役者、ロバート・コーツと、台湾人だと自称して十八世紀のロンドンの騒がせたジョージ・サルマナザールだ。コーツ氏の珍妙な舞台衣装と熱演ぶり(および観客の戸惑いと怒号)の描写は、腹の皮をよじれさせずに読むのが困難だ、見たかったよ、こんなすごすぎる『ロミオとジュリエット』!

如何でしょう? しをんさん同様、見たくなりますよね? でも十九世紀の話なので感激は不可能ですから、どうぞ本書をお読みください。

未完成はいつ完成するのでしょうか?

落手しました。

欅坂46ファースト写真集 21人の未完成』です。

事前にわかっていたとおり、グループの写真集とはいえ、これは「個人写真集を一冊にまとめたもの」です。全員や何名かで写っている写真がないのが残念であると同時に、いかにも欅坂46らしいとも言えます。

これなら、とても個人の写真集を出せそうにないメンバーにもスポットが当たりますので、こういう写真集もありと言えばありでしょう。でもやはりグループとしては寂しさも感じます。

21人と書いてあるように、卒業する(した?)メンバー3人も載っていますので、オリジナルのこの21名が題するキナファンにとっては最初で最後のものになるわけです。このやり方の写真集であるなら、けやき坂46を混ぜなかったのは正解だったと思います。

まもなく二期生を迎える欅坂46。入ってくるのが年内なのか年明けなのか、それに何人加入するのかすら発表されていませんが、間違いなく、この写真集をもって欅坂46の第一章が終わったと言えるのではないでしょうか。

それにしても、重いです、この写真集。

今日の配本(18/11/22)

このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。

「雑」の思想と際、壁

今宵は、三省堂書店神保町本店で開催中の人文会フェアに伴うイベント、正式には「第5回 年末年始は本の街 神保町で人文書」フェア公式イベント、というのがありまして、聴きに行ってきました。演者は、高橋源一郎さんと辻信一さん。

いやー、予想どおり、知的で愉しい一時間でした。あっという間に時が過ぎました。

イベント自体はお二人の共著『「雑」の思想 世界の複雑さを愛するために』刊行記念ということでしたが、雑という視点、とても興味深かったです。

イベントの感想はひとまずおき、キーとなる、対談の中で挙がった名前を自分自身の備忘的のために記しておきます。

狩野亨吉、カール・ポランニー、南方熊楠、玉野井芳郎

とても気になる綴り方

日産のゴーンの逮捕劇で、改めて目にする、耳にするようになったのがフランスの自動車メーカー「ルノー」です。

聞いたところによると、ルノー、シトロエン、プジョーがフランスの三大自動車メーカーなんだとか。一応、三つとも社名は知っていましたが、ロゴマークとか、どんな車種があるのかといったことはまるで知りませんし、実際に車を見せられても、どれがプジョーでどれがシトロエンなのか区別はつけられないでしょう。

それはともかく、ルノーです。

フランス語では「Renault」と表記するようです。多くの日本人なら「レナルト」っていう感じで読んでしまいそうな綴りですね。フランス語を勉強している人であれば当たり前なのでしょうが、フランス語を学んだことがない、つまり大多数の日本人にとっては、英語読み、ローマ字読みがデフォルトですから、そんな読み方になってしまうのは致し方ないところでしょう。

このあたりの綴りと言いますか、発音と言いますか、いかにもフランス語といった点については『世界一簡単なフランス語の本』にもページを割いて書かれていましたが、なかなか簡単にはマスターできません。

そして、プジョーです。

ルノーもプジョーも語末は「オー」の発音だから同じ綴りなのかなと思っていると、こちらの綴りは「Peugeot」です。「エル」がありません。

うーん、ますます難しい、ややこしいです(笑)。第一、「プ」なのに「peu」というのからしてかなり高度です。

ちなみに、シトロエンは「Citroën」なので、比較的英語的と言いますか、ローマ字的な綴りですが、「e」の上に黒子がついていますね。こういうのも、ローマ字や英語しか知らない人には難しいところです。

スマホを持っていないだけなのに

映画「スマホを落としただけなのに」がヒットしているようです。

映画を見る予定も、原作を読む予定もありませんが、いかにも現代社会で起こりそうな内容のようですね。

しかし、ある意味、スマホを落とす方も落とす方ではないか、自己責任を強く主張するつもりはありませんが、ちょっぴりそういう気もします。

むしろ、まだまだスマホを持っていない人も一定数存在する現状、スマホを持っていないというだけで、クラスのLINEに入れてもらえず仲間外れにされてしまう方が問題だと思います。

妹家族のところも、子どもの小学校、連絡網には電話番号が載っていません。保護者同士の連絡はもっぱらLINEによっているみたいです。スマホを持っていない親だっているだろうに、どうしているのでしょう?

新書なのか文庫なのか?

今朝の朝日新聞です。

岩波新書の創刊80年や河出新書の再スタートに絡めて「新書」をフィーチャーした記事です。

新書が定期的にブームになるのは、もちろん知っていますが、やはりあの単価ですと、相当売れないと利益が出ないと考えてしまうのが業界人の性です。

単品でのヒット作は出ても、毎月毎月各レーベルが複数冊を刊行していますので、全部が全部大ヒットなんてありえませんし、記事にもあるように厳しい状況なのは致し方ないところでしょう。

それでも各社、頑張っています。「チチカカコヘ」といった複数出版社の新書レーベル合同フェアなどもこの数年行なわれていますし、2社や3社でテーマを決めた新書フェアを合同でやっているのをしばしば店頭で見かけます。それに、最近の新書はかなり厚いものもあって、「単行本で出版されていてもおかしくないんじゃない?」というものも増えています。

あたし自身、新書はよく買っています。営業回りの電車の中などでは必須のアイテムです。

ただ、ここまで新書のレーベルが増えてしまうと、書店店頭で棚を確保するのが大変です。ジュンク堂書店や紀伊國屋書店などの超大型店でも全レーベルの在庫全点を並べておくのは不可能ではないでしょうか? そういう意味でもかなり厳しい競争にさらされているのがわかります。

そんな新書業界、あたしの勤務先でも《文庫クセジュ》というシリーズを出しています。「文庫じゃないか?」と言われそうですが、サイズは新書判です。大型書店では新書コーナーに並んでいることが多いです。

《文庫クセジュ》の創刊は昭和26(1951)年ですから、新書レーベルとしては意外と古いのがわかります。毎月数冊刊行される大手の新書と異なり、せいぜい月に一点、最近ですと年間に6点から8点程度の刊行なので、それほど刊行点数は多くありません。通巻では最新のものが1023冊目です。

新書と言われて思い出してくださる方はほとんどいないのかも知れませんが、今後とも《文庫クセジュ》もご贔屓ください。