親子丼は美味しいけれど……

フジテレビ系「さくらの親子丼2」がスタートしました。

あたしはパート1も結構感動しながら見ていたので、パート2が始まって喜んでおります。ちなみに、東京ではフジテレビ系で放送されていますが、制作は東海テレビのようです。

パート1では真矢ミキ転じるさくらが経営する古本屋が舞台でしたが、今回は親などから虐待を受けた子供たちが一時的に避難するシェルターが舞台。さくらはそこの寮母さんと言いますか、まかないさんです。

さて、昨日放送された第二話、さくらは親と子供はわかり合えるはずだという持論を展開しますが、昨今のネグレクトや虐待死などのニュースを見るにつけ、果たしてこのセリフは真実なのだろうか、という疑問が湧いてきます。確か、そんな議論、パート1の時にネット上では話題になっていたような気がします。

とはいえ、さくらやシェルターを運営する大人たちは、それを信じてやっていくしかないのだろうな、という気もします。実際はどうあれ、子供たちを支えようとしている大人たちがそこを信じられなくなった終わりではないかという気もするのです。

またこの第二話では、シェルターにいる少女を追いかけて来た風俗店の店長が登場します。なんと、さくらの親子丼をかつて食べていた少年のなれの果て、という設定。例によって、さくらは風俗に手を染めている店長を頭から否定します。その店長が、「それによって救われている女もいる」というようなセリフを吐くのですが、ドラマ上ではここを膨らますことはありませんでした。

 

しかし、最近読んだ『性風俗のいびつな現場』『「身体を売る彼女たち」の事情』によれば、風俗産業が確かに一部の女性にとってはセイフティーネットの役割を果たしていることは事実で、テレビドラマの展開上、それを肯定するような描き方はできないのかも知れませんが、こういう本を読んでいた身としては、「そんなに単純なものではないし、そうやって一方的な断罪もできないよなあ」と感じました。

こういう社会問題を描くドラマは、昨今の世の中では難しいですね。やはりフジテレビ系のドラマ「健康で文化的な最低限度の生活」でも、描き方が画一的だとか、一方的だという批判がネットなどで上がっていたと思います。

ネット社会の今日、確かにドラマの偽善的なところ、都合のよい性善説的展開は批判にさらされやすいところですが、それでもあたしは、多くの人が見るドラマだからこそ、最後まで理想や希望を語って欲しい、描いて欲しいと思います。それが多少のミスリードであったとしても。

台湾から南洋、そしてまた台湾へ

自転車泥棒』読了。

まずは、これが遺作と言いますか、恐らく出版されたものとしては最後の仕事となったであろう訳者・天野健太郎さんのご冥福をお祈りします。

さて『自転車泥棒』です。多くの人は映画の「自転車泥棒」を思い出すのかも知れませんが(それすら思い出さない人も多いかも知れませんが……)、本書は台湾の呉明益の作品です。自転車とともに失踪した主人公の父親、その行方と失踪理由を主人公が追いかけるというのが大きな流れです。そこに台湾の自転車マニアや古物商などさまざまな人が絡み、また父の人生をたどるうちに知ることになる戦争中のこと、戦後の台湾のこと。そういった諸々が絡み合った骨太な作品です。

先に翻訳された『歩道橋の魔術師』が連作短篇であったのに比べると歯応えはバッチリです。

しかし、両作品とも、かつて台北駅前にあった「中華商場」が舞台となっている(『自転車泥棒』の主人公一家もかつて住んでいた)ので、両書は姉妹篇的な読み方ができます。否、中華商場という場の持つ雰囲気をあらかじめ知っておくためにも、『歩道橋の魔術師』を読んでおくのがよいと思います。

その一方、本作では上述したように、日本統治時代の台湾も描かれます。台湾島のみならず、日本軍の侵略にあわせ、東南アジアや南洋の各地も本書の重要な舞台となっています。高座の海軍工廠も出て来ます。

 

なので、台湾を統治している日本軍という点では、甘耀明『鬼殺し(上)』『鬼殺し(下)』などを併読するとよいと思います。呉明益、甘耀明といった台湾の中堅実力作家たちが、共に日本統治時代の台湾を舞台とした作品を競うように書いていることに不思議な縁を感じます。

 

そして、日本軍として南洋戦線へ赴いた台湾人、特に先住民について手軽に知りたいのであれば、平凡社新書『日本軍ゲリラ 台湾高砂義勇隊』を、更に『自転車車泥棒』には、登場人物の一人が日本で戦闘機を作っていたというシーンも出て来ますが、そのあたりの事情であれば『僕たちが零戦をつくった 台湾少年工の手記』を一読されるとよいかと思います。

そして、そんな台湾の近現代史、日本統治から国民党統治時代にわたる苦難の歴史については、『自転車泥棒』『歩道橋の魔術師』と同じく天野健太郎訳『台湾海峡一九四九』が何よりも参考になるでしょう。

もちろん、この時代を扱った、いまや古典とも言える司馬遼太郎『台湾紀行』も忘れては行けないと思いますが。

本書の感想を一言で述べるのはとても難しいのですが、あえて言うのであれば、タイトルに反し本書の中で自転車は一度も盗まれていません。むしろ託されたと言うべきでしょうし、本書は一台の自転車を通じて紡がれた台湾史なのだと思います。

小説と科学?

自転車泥棒』の訳者あとがきで、呉明益さんの小説とその世界観をさまざまな展示で表現した「呉明益小説科遊展」というイベントが台湾の高雄で行なわれたとありました。

同書には、台湾の自転車マニアであれば垂涎の的である自転車が登場しますし、蝶の羽を使った作品など、台湾の近現代の歴史のひとこまが垣間見えるモチーフに事欠きません。それらの実物を展示して、作品世界をより深く知ってもらうという試み、ちょっと、いや、非常に気になります。

これだけのグッズを並べるとなると、大型の書店でもちょっと難しいですね。やや広いフェア・イベントスペースを備えた書店であれば可能かも知れませんが、こういうフェア展開が日本でももっと多くなれば面白いのに、と感じました。

Remember! 真珠湾

今日は、何を差し置いても『パール・ハーバー(上)』と『パール・ハーバー(下)』をご紹介しないとなりません。

 

と言われても、新聞やテレビで大きく取り上げられているわけでもないし、「はて、今日はいったい何の日なんですか?」という方も、若い人を中心に多くなっているのかも知れませんね。それに、日本人なら「パール・ハーバー」よりも「真珠湾」と言った方がピンと来るのかも知れませんし。

1941年12月8日、「われ奇襲に成功せり」という日本に対し、「卑怯な騙し討ち」にあった米国が、いかに「恥辱」を越えて現代の地位にまで至ったかを描く歴史読物。日米開戦前史から、日米の明暗を分けた真珠湾攻撃、史家ジョン・ダワーがいう「容赦なき戦争」、原爆投下までを3部で構成し、巻末に「評価と異論」を付す。本書は、米国のノンフィクション作家が、史料と証言を駆使して、両国の戦いの経緯と裏面を縦横に網羅した、まさに「真珠湾大全」というべき大著。第1部では、真珠湾攻撃に至るまでの前史が語られる。たんに歴史の流れを追うだけではなく、多様な逸話を盛り込み、日米の文化、価値観の相違にまで言及する。第2部では、実際の攻撃の様子が精細に描かれる。天皇、大統領から、政治家、将軍、前線兵士まで、人間模様や舞台裏が興味深く語られる。第3部では、米国による「リベンジ」から終戦、戦後のレガシーまでが語られる。巻末には「付録:真珠湾をめぐる判断と異論」として、現在という視点から考察する。地図・口絵写真収録。

ちなみに、上掲は公式サイトの内容紹介です。必ずしも真珠湾攻撃だけでなく、その後の歴史まで俯瞰した大著です。

以前も似たような企画がありましたよね?

昨日の朝日新聞夕刊。

文庫本にカバーを掛け、タイトルも著者もわからないようにして、ただし、帯だけはその上から掛けてどんな本なのかはわかるようにして売る、そんな企画です。

文庫本のこういった企画、以前からありましたよね。こういうので売れるわけですから、買う方はちょっとしたゲーム感覚なのかも知れません。

ただ、出版社側からすると、これまで以上に帯のキャッチ、ジャックに気を遣わないとならなくなります。まあ、そもそも帯の惹句が不出来なものはこのフェアの選書からも漏れているのでしょうけど……

でも、何よりも肝心なのは、「ここの書店の人が選んだ本なのだから、どれを引いてもハズレはないはず」というお客様からの信頼があってのことだと思います。さわや書店が地元で培ってきた財産なんでしょう。

しかし、どうなんでしょう?

いまの読者の方って、こういう仕掛けを作らないと本を選べないのでしょうか? 自分で帯の惹句や装丁、目次やあとがき、最初の数ページでも読んでみて、自分で判断するってことできないのでしょうかね?

いずれにせよ、文庫なんて出しておらず、軒並み数千円するような本ばかり出しているあたしの勤務先では無理な企画ですが……

「朝」より「韓」なのね

小学館から『小学館 韓日辞典』という辞典が刊行されました。

読んで字のごとく、韓国語の辞典です。ただ、小学館はこれまで『朝鮮語辞典』という辞典を出していたので、どういう関係なのかと思ってサイトを見てましたら、

本辞典は好評を博した『朝鮮語辞典』の改訂新版です。最新の正書法に基づき内容を25年ぶりに一新しました。

とありました。つまり、タイトルまで変えてしまった改訂版だそうです。

それにしても、韓国語の学習参考書の世界、《朝鮮語》を標榜するものが非常に少数です。しかし、書名に朝鮮語とあるものも出版されていますから、書店店頭では「韓国語」と「朝鮮語」が混在しているわけです。あと、ハングルという表記も頻出します。

言語としては韓国語も朝鮮語も同じですから区別する必要はないのですが、店頭の棚プレートなどを見ていますと、わざわざ「朝鮮語」というプレートを作って、書名が「朝鮮語」のものをそこに集めている書店もあります。考えてみるとおかしな話です。

ただ、「朝鮮語」という字面は、どうしても「北朝鮮」を連想させてしまい、イメージがよろしくない、というのが販売戦略的にあるようです。特に旅行会和書などは、まず北朝鮮へ行く一般人などいないわけですから、タイトルが「韓国語会話」になるのは理解できます。しかし、一般の文法書まで「韓国語」になってしまうのはどうなのか、という気がします。

突然、売れた?

新刊でもなく、類書が刊行されたわけでもないのに、突然ある本の注文が続く時があります。

今の時代、そのほとんどはネットで何かしら情報が巡っているので、FacebookやTwitterで検索をかけてみると、理由が判明します。

今日もそんな書籍がありました。『アンリ・バルダ 神秘のピアニスト』、2013年に刊行した書籍です。

なんでこの本の注文が続いたのか、検索してみたところ、たぶんこれが原因ではないかと思われるものが一つ見つかりました。

NHK-BSの「クラシック倶楽部」という番組です。その12月4日の放送がアンリ・バルダのリサイタルだったのです。

それ以外では注文に繋がりそうな情報はヒットしなかったので、たぶん、この番組を見た方の中で、アンリ・バルダの本を読んでみようと思われた方が本屋へ足を運んだのでしょう。

しかし、この番組の中で同書が紹介されたのでしょうか? 紹介されもしないのに番組だけで本書にたどりつくなんて、どれほど熱心な方なのでしょう? ありがたいことです。